カオナシ-3
数日後。
轟音、国の出入り口である関門が爆撃を受け、破壊された。
宣戦布告。その四文字に、国中が身を震わせた。国王は早急に軍備を整える。それはつまり、マリアたちのいるグランバレット家に徴兵がかかるということ。国王の私兵として、その命を差し出さねばならない。
だがグランバレットにとって、私兵であるかどうかは関係が無い。国を守るために戦う。それだけを考えていればいい。
準備に明け暮れた次の日、電報が届く。
敵が来た。
破壊された関門から見える程の軍勢の行進。斥候の情報を信じるなら、敵戦力は此方のおよそ十倍。逃げ道はなく、抗うだけ無駄に見えるそれは、一人の少女を象徴とし、立ち向かう勇気を奮わせた。
「十倍か、その人数は戦ったことないけど、いけるかな」
カオナシは首を傾げるばかりである。出来るだけのことはやった。二式も大分扱えるようになった。実戦は初めてだが、波を使えばフォローはいくらでも効く。それに、今回はマリアの出番はない。
「マリア」
老人、ロッド・グランバレットが孫の肩を叩く。彼女の背丈を超えそうなツヴァイヘンダーを揺らしながら、彼女が振り向く。
「お前は、ここに残れ。王を守るのだ」
「…は?」
訳がわからない、そんな顔をした後で、直ぐに声を荒げる。
「どういうことだよ!今更お前を戦場に出せないとか訳わかんねえこと抜かすんじゃないよな!」
「そうではない。よく聞けマリア」
両肩をしっかりと抑えて目をしっかりと合わせる。
「お前は、この戦争における大きな希望だ。お前がいるからこそ、皆が立ち上がれるのだ。わかるか、お前は最後まで残っていなければならない」
「………、」
唇を噛み締め、ロッドを睨みつける。その直ぐそばにやってきた幼馴染が目に入る。
「マリアちゃん、周りをご覧なさいな」
言われたとおり、辺りを見回す。敵を目の前に後ずさる者、生きることを諦め、虚ろに天を仰ぐ者、ただただ前を見据え、銃を構える者。様々な人間がここにいた。その中で、自分はどうだろう。希望と言われてもピンと来ないし、なれるとも思えない。
「マリアちゃんには、希望があるように思えますか?」
「…いや」
「そう、見えませんわ。正直、私も不安でいっぱいです。でも目に見える希望はそれをひっくり返します。貴女が、その目に見える希望なのですよ」
「でもどうやって…、口で言って信じる様な奴らじゃないだろ」
「その為の白波ですわ。言って聞かせるのでは無く、見て、信じさせるのです。今こそ、その使いどころですわ。見せてください、私達の希望を」
カオナシは小太刀を一つ手渡した。
「ムラマサ?」
「………」
ビッ、と親指で自分を指差した。俺が付いてる。そう言いたいらしい。マリアは頷いてそれを受け取った。
「わかった、待ってる。だから必ず帰ってこいよ。待ってるんだからな」
全員が頷いて、背を向ける。
一つは、紳士らしくピンと伸びた背筋に、ハットと被り、杖を蹴る
一つは、大きくスリットの入った華美なドレスを纏い、背中には大きな銃身を背負う。
そして、一つは、漆黒のジャケットに身を包み、身の丈を超える程の大太刀を背負い、小太刀の柄に手を掛けた。
マリアはその背中を眺めた後で、目を閉じ、波を弾かせた。
「私がッ!剣聖であるッッッ!ビビる事なんてねえッ!!全力でつっこめええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!」
波の意味を知る者達が各所で雄叫びを上げ、地面を蹴り上げる。それに釣られて他の者達が雄叫びを続ける。目の前の三人も、合わせて走り出す。
カーリアが先に立ち止まり、ホルダーに掛けていた銃を逆手に抜き放ち、背中に背負う大きな銃身のある部分に嵌め込み、思い切り前に向ける。騒々しい音をさせながら、銃身が大きく変形する。
「道を空けなさいっ!!」
大きな筒状に変形した銃口から光が漏れる。前方に人が消えたのを確認し、トリガーを引いた。
ゴッ!!と地面を割るレーザーカノンは、真っ直ぐ軍勢に吸い込まれて行く。
だがしかし。
「…やはりいましたか。『アンブレイク』」
レーザーが何かに阻まれ四散する。その背後で被害が出るが、その男が気にする様子はない。両手に対レーザー用のシールドを構え、無骨な鎧を纏い、顔には鉄の仮面を着けている。
賞金ランキング20位、『アンブレイク』。誰にも突破させないことに重きを置いた彼は、レーザーを弾き銃弾を弾き剣を瞬時に鈍に変える。カーリアの目下の目標だ。
「あの方は残して置いてください、私がやります」
「わかった。だが上のも頼むぞ」
「いいえ、上を気にする必要はありませんわ」
カーリアが見上げた先には、黒い無数の点が散らばっていた。その点は一様に黒いカラスの仮面をつけ、真っ黒なスラスターに青い炎を焚かせ、陣形を組んだそれらは、先頭のカラスの合図で一斉に散開した。直後、制空権を握っていた相手側の航空部隊が、その上からの爆撃によって墜落していく。
カオナシは仮面の裏に笑みを浮かべながら、ぐんぐんスピードを上げていく。途中で老人が足を止め、杖を蹴って一回転させた。
「行ってこい、カオナシ。お前に力を見せつけてやれ」
頷く必要もない。
隊列を組んでいた軍勢からは、白い面が先頭を走ってくる様子が容易に見て取れる。各々の武器を構え、一人の合図で一斉に火花を噴いた。よける様子のないその男に、全員が死にに来たと思っただろう。
だがこの男、よける必要も無いのである。
【小太刀一刀三式 太刀風】
まさに、鎌鼬。
銃弾も砲弾もミサイルも全て切り飛ばし、斬撃は風に乗る。
其処彼処から悲鳴が上がる。腕が吹き飛ぶ。脚が吹き飛ぶ。胴体が割れる。氾濫する血の雨の中を、真白い面が走り抜ける。
止まらない。止まらない。彼にとって賞金ランキングなど所詮こんなものだ。斬り伏せれば、彼に敵はない。
神剣が、征く。
ただひたすら一直線に、本丸を落としにいく。
だがやはり、敵の数は絶対的に多い。カオナシを避ける様に此方の本営を落としに来る。だが、その途中、視界が青に染まる。
リズムに合わせて老人が楽しそうに杖を蹴る。
「Its show time!」
天高く鳴らした指と共に青波が足を封じ込める。老人に並んで味方の軍勢が銃を構えた。
「な!くっそ動けねえ!どういうことだよ!」
老人は手で銃の形を作る。
「Jack pod!」
一斉射。身動きの取れぬまま一人また一人と倒れていく。
「派手にやってるな、お館様よ」
「ん?グランドールのか」
「よせよせ、ここじゃ家なんて関係ない。ただの猛牛よ。じゃ、ちょっくら行ってくる」
全身を強化外骨格で固め、角の生えた顔の隠れた兜、大斧を肩に担ぎ、身を屈める。コンクリートの地面をめくり上げ、猛牛が突き進む。それを支援する様にミサイルが周囲を一掃する。
「お兄様の面倒を見るのも楽じゃありませんわ!」
老人に追いついたカーリアが銃身の両脇に銃をはめ込んだまま一息ついた。煙を燻らせる銃身をもう一度構え直し、照準を合わせる。だが合わせた大型のパワードスーツが猛牛にはねられる。
「あーもう!せっっっかく合わせましたのに!!」
(仲睦まじいのぉ)
整えた立派な髭を摩りながら、老人はカーリアを宥める。カーリアはツンケンしつつもはめ込んだ銃を外す。それを両のホルダーに掛けると、真っ直ぐ前を見据えた。ずん、ずんと足音をさせながら、銃弾を弾き飛ばす。両腕に持ったガントレッドは幾つもの銃弾を受けてなお、金属光沢を維持させている。どれだけ強固な加工を施したか、容易に見て取れる。
兜からくぐもった声がする。
「やれやれ、女までいるとは…戦争とはやるせないな」
「お館様、別の所へ大隊を引き連れてください。この男は私が」
「わかっておるよ」
老人が大部隊を引き連れて移動を開始する。それを男は見送った。
その行為が何を意味するのか、彼女は理解する。理解した上で、両手で裾を摘み、恭しく一礼した。
「受けていただけて光栄ですわ、アンブレイク」
「どういたしまして、と言いたい所だが、私は足が遅くてね。単純に追いつけないだけなのだよ」
ずっしりとした低い声がカーリアの頭上から響く。
「だから、これは私の趣味ではないのだが、無いと困るのでな。悪いがここは通させない」
ガントレッドを大隊に向けると、手首から大口径のミサイルが発射される。バシュン!という音と共にスピードを上げていくはずのミサイルは、そのスピードを出し切る前に爆発する。
爆風が砂埃を巻き上げる。アンブレイクはカーリアの手に持たれた銃を見て懐かしんだ。
「デザートイーグル…随分とまた年季物を持ってきたものだな」
「まだまだ現役ですわよ」
(流石はトリガーハッピー。大の男でも反動で肩が外れる様な代物を片手で扱ってのけるか。それとも、背中の銃身との噛み合わせで何かしらの細工があるな)
ガントレッドを構える。同時に、カーリアはもうひとつのイーグルの底を銃身に嵌め込む。銃身を手前に引き寄せると、螺旋が覗く銃口から、音が鳴る。
徹甲弾。音速に近いその弾丸を、アンブレイクは見て取る。
スッ…、と徹甲弾は当たること無く空を裂いた。
巨躯が、地を滑る。
(速い…っ!)
振り下ろされた拳を飛び退いて躱す。
(足が遅いんじゃなかったんですの!?これじゃあ構えることも…!)
続けざまに距離を詰められ、防戦を強いられる。全身に鋼鉄をまとっているとは思えない程の拳撃、躱すことで精一杯になる。ストレートを転がりよけて顔を上げる。
「っ…」
息を飲む間もくれなかった。
アンブレイク、貫通不可。彼は名の通りだった。
(私もまだまだでしたのね…)
顔に掛かる影に、目をつむる。が、いつまで経っても拳は降って来ない。代わりに、鋼同士がぶつかり合う音が耳についた。
「だからパワーが足らんというのだお前はァッ!」
ハッとして目を開くと、目の前にいたのは全身を細かな傷で埋め尽くした猛牛がそこにいた。数瞬遅れて猛牛の背後に鉄の塊が落ちてくる。足を地面にめりこませながら、楽しそうに笑った。
「やぁっときたか」
「おう、待たせたな、鉄屑よ」
「お前こそ、ただの塊じゃないか」
ハッハッハッハ、と笑いあった後、思い切り走り出す。地鳴りの様な足音を響かせながら鉄の塊同士がぶつかり合う。
互角、全くの互角、ピクリとも動かない二つの鉄屑、地面だけがただただ削れていく。
「懐かしいな!闘技場を思い出すぞ!」
「そうだな!よくこうやって突組み合わされたもんだ!」
「お前はボクシング!俺はスモウ!異種格闘技戦だなんていつも囃されてたもんだ!」
「おうおう!いっつも引き分けが多かったもんだがな!」
「そうだな!だがここで決着としようぜ!」
「タイマンか!張ってやろうじゃないか!」
互いの顔が見えなくとも、その顔は笑顔だとわかる。しかしアンブレイクには、その笑顔がどんな意味なのかまではわからなかった。
「悪いがな、今は戦争中なんだ」
ドガ、と背中に何かが突きつけられるのを感じ、その場から離れようとするも、猛牛は一度捉えたら逃がすことなどしない。ガッチリと掴まれたまま身動き一つ取れない。
「お兄様、感謝いたします。それと、ごめんなさい」
「構うんじゃねえよ、これが戦争だ、わかってただろ」
「何をする気だ!卑怯者!決着をつけるのではなかったのか!」
「なに、こんな決着もありなんじゃねえか?」
アンブレイクはそれがどんな意味かを理解する。
「あなたのために用意したとっておきですわ。護身用にしてはとてもじゃないけど高圧過ぎますから」
「く…そ…、くそおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
電極が鎧に刺さる。カーリアは引き金を引いた。
青い電流が鉄の塊を駆け抜ける。片方は全身を震わせ、もう片方は、それでも、微動だにすることはなかった。
銃身がオーバーヒートし電流が止まると、鉄の塊は真っ黒に焦げ、その場に崩れた。その拍子に、砕けた兜から満足げな兄の顔が姿を現した。
「お兄様……お…にいさま………」
大きく首を振ってトリガーを握る。
「カーリア・グランドール、行って参ります。どうか、お見守り下さい」
背を向ける。目前にはまだまだ多くの軍勢が残っている。そのまま駆け出した。
「かぁあああああああおおおおおおおおおおおおおおおんなああああああああああああああああああああしいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!」
九つの炎の尻尾を振り乱しながら、銀躯が燦めく。
小太刀で受けようとした腕を下げて瞬時に屈む。
白色の電磁剣が空を斬る。がそれでは終わらない。電磁剣を次々と振りかざす銀躯から一歩下がる。所々電磁剣が掠めたのか、焦げた匂いが鼻についた。
「クゥウウウウウウ…!たまんねえなぁっ!これでやっと!てめえと並べるわけだ!」
ヒビの入った仮面が不気味に揺れる。
(とはいえ、流石にぶっつけ本番だ。身体がいつまで持つかわかったもんじゃねえ)
喉の奥からせり上がる鉄の味を噛み締め、嗤う。
(だがこの境地!これがNINJA!凡人では絶対に味わえないこの圧倒的な強さ!身体が自分の思う以上に動く!これを生身でやってやがるんだから、おめえらやっぱり人間じゃねえな!)
目の前の男のデータをできる限り仕込み、それを外骨格を使って無理矢理再現させる。今のキュウビの後頭部には何本もの電極が差し込まれ、電気信号をいち早く拾い上げている。
人間離れしたその挙動、ただの人間で再現しようとすればどうなるか、想像に難くない。
既に関節から悲鳴が上がり始めている。
それでも、この男は、一度でもいいからNINJAと渡り合いたかった。彼のこの考えは道具としか見てこなかった父親とは圧倒的に違う。NINJAが育つ過程を目の前で見てきたからこそわかるその力の差を、己の身体で体感したかった。
今まで軽くあしらわれるだけだったが、今なら、この身体が持つ間だけなら、この男は自分を見てくれる。
腰に電磁剣を仕舞い、背中のハッチから実剣を抜く。それを後ろに重心を置きつつ片手で構える。二人を他の賞金稼ぎが囲み、その様子を傍観している。
誰かが息を飲む。
「っ!」
カオナシの一瞬の踏み込みに合わせ自らも踏み込む。刀を剣で弾き、続けて刺突を繰り出す。が、弾かれた衝撃を利用しカオナシの体が回転する。
(それはもうデータに入ってるぜッ!)
繰り出した刺突を地面に刺し、自らもそれを支点に身体を持ち上げる。
「!」
刀が剣に差し止められ、カオナシの体が止まる。その身体を上から蹴り飛ばす。カオナシの体が軽く浮き上がり、大きく仰け反る。キュウビは地面に降り立つと、カオナシの背中を指差した。
「抜けよ、その大太刀。本気のお前とやらせろ」
口の端から赤い雫を垂らしながら、その男は笑った。
カオナシから表情は窺えない、言葉を話せないことも承知している。だからこそ、行動で語ってもらいたいのだ。
カオナシは小太刀を鞘に納める。そして仮面を外した。光学カメラやサイトを取り付けた仮面でさえ、この刀を扱うには邪魔だと見える。背中の大太刀を前に回し、左手を鞘に、右手を柄に。足を肩幅に開く。
目を、閉じた。
身剣合一。
仁王太刀。
(来い…!来い!来いッ!)
もう一度剣を構える。
(どう来る!袈裟か突きか兜割か!)
カオナシの指が動く。
【抉ノ太刀 爪】
内功を使い、刀の柄を掌に吸着、そのまま高速で回転させ、突き出す。ボッ!という音が耳に届くより先に、剣先がキュウビに届く。
(狙いは腹…、横に反らせて俺もズレる!)
剣が大太刀を若干横にズラし、更に横にステップを踏む。銀躯の脇腹を掠める。それだけで、脇腹の装甲が抉り取られる。今ので剣も抉り取られ、半分になって落ちる。使い物にならなくなった。
もう一本を抜いている時間はない。
既にカオナシは次のモーションに入っている。
【空ノ太刀 破】
(こいつ…態勢を崩しに…!)
大太刀の鞘が空を斬る。内功がキュウビの身体を殴りつける。
間一髪間に合った腕部装甲が砕け、キュウビが大きく後ろに弾け飛ぶ。
(こんの…ッ!)
スラスターを噴かせ、押しとどまろうとする。二つの圧力に挟まれ、更に身体が圧迫される。身体が軋む。こみ上げる血を吐き出す前に、カオナシが迫る。
【壊ノ太刀 撃】
横に転げるキュウビの足を、大太刀が掠める。何かが足に入り込んだような感覚。
(まさかこいつ内功を!)
ボン、と足ふくらはぎの内側、内部から内功が弾けでる。装甲の外からは何が起きたか見て取れないが、それは容易に想像がつく。
(道理で映像じゃあ何も起こってないわけだ…!)
この剣技は、剣聖がツヴァイヘンダーで受けていた。その際に何も起きなかったのは、物体の内側に内功が入り込まない為だった。生物は内功や気の影響を受けるが、物体には内功や気は外からしか力を与えることが出来ない。
(糞ったれッ!)
最早痛みの感覚など消えている。一度距離を取って稼働はしている外骨格を使って立ち上がった。
カオナシは、キュウビを追い掛けず、文字を打った。
『次は見たこと無いだろう。特別に見せてやる。冥土の土産に、その目に刻んでおけ』
次で終わり。
キュウビは口から溜まっていた血を吐き出して、予備の剣を抜く。
「そいつぁ…ありがてえな…。俺もそろそろ限界だ。いっちょ派手なのを頼むぜ」
頷き、構える。
仁王太刀。
これも、見納め。キュウビも腰を落として剣を構えた。
空気が変わる。
【華ノ太刀 百花繚乱】
ギャン、音に纏められた剣撃が花開く。男はただひたすらに、腕を奮う。足も腕も胴体も守らない。守るのは頭と心臓、それだけでいい。
大太刀を鞘に納めた時、キュウビの銀躯は赤黒く染まっていた。
その間、一秒。併せて、百太刀。
「はっ…はは…は!受け切ったぞ…!…ふぅ」
カオナシは感服する。自分の剣を受けてなお、立っていられるその精神力に。
大きく息をついたキュウビが、落ち着いた声音で、呟く。
「そうかよ。これが…これがツワモノ、絶対に越えられない壁…。ナルホドナァ…」
ボロボロになった剣から手を離し、空を仰ぐ。朱く染まった空に、その志を託した。
「後は頼んだぜぇ、イガぁ…。キュウビは九代で終わりだ、そう決まってた。だがよぉ、もうやり方、覚えたよなぁ…。任せていいか…?」
ぞわ…、とカオナシの身体を寒気が駆け抜けた。崩れる銀躯を目元以外を布で覆った男が抱きとめる。その衣装は、里の、紅の里の任務衣装だった。
悪寒が走る。言葉が蘇る。
『天上への道はない』
(…やはり、これも天命なのか。しかし、誰なんだ…?)
カオナシは、その男を見つめる。その男も、カオナシを見返す。その目は怒りに震えているわけでもない。ただ、無感情というわけでもない。
男はカオナシの表情から、言いたいことはわかったようだ。
「お前の知っている顔だよ、カオナシ。いや、ムラマサ」
その声にハッとする。十年前、彼が手をかけた唯一の友。ヘクサの仮面の本当の持ち主。
音を発しない口が空気を吐き出す。
「そうだ、ムラサメだ。覚えていたとは驚きだな。今はイガで通っている。さて、俺はお前に、純粋に話がある。主の志の一つを達成するには、お前の力が必要になる」
その主を殺された割には、ヤケに冷静なその旧知に、薄ら寒い何かを感じながら、文字を打つ。
『何をするつもりだ』
「なに、簡単なことだ。世の中には、表に出てこない重罪人が多く存在している。その重罪人を刈り取るのが、キュウビの仕事だ。無論、表に出ていないわけだから、協会や他の者達は、キュウビは悪人だ、という意識しか持っていない。それに合わせて、キュウビも悪人を貫いてきた。むしろ、その方が波風立たずに済むからな。いくら悪人が人を殺そうが、悪人だからでカタを着けられる」
息をついて、周りを見る。
「話がそれたな。本題に入る前に指示を出させてくれ。本大隊は拠点まで撤退せよ。ハリマ、あの老人だけは黙らせておけ、殺すなよ。それにくっついてる土の里のは消しても構わん」
「御意」
声だけを残して、黒い影がその場を去る。カオナシはそれを見送るしかなかった。
「さて、本題に入る」
キュウビの銀躯をその場に寝かせて立ち上がると、カオナシに筒を投げ渡す。それを開けると、中には小型のボイスレコーダーが入っていた。
迷わず再生する。再生されたのは、二つの男の声、一つは聞いたことがある。もう一つは全く知らない声だ。
『おぉ、フリット君、よく来てくれたね』
『いえいえ、元首様に呼ばれたとなれば、すぐに駆けつけるのが我々の役目です。ところで、何の御用でしょうか』
『いやぁ、一つ提案があるんだけどね』
声を潜める。しかしカオナシの耳には、ハッキリと聞こえた。
『剣聖に、ならないか』
全身の肌が逆立つ。背後のペンタゴンタワーを見上げ、その中心に目をやる。まだ白波が辺りを埋めている。だがしかし。
「聞こえただろう、国王は今、剣聖を挿げ替えようとしている。最後までしっかり聞いておけ」
もう一度耳を澄ませる。
『…元首様、お戯れを』
『戯れてなどおらん。先代が勝手に死んでくれたお陰で、我々は他国と比べて優位にたてない状況になっている。これは、国力を著しく下げているのだ。そこで、君に剣聖になってもらいたい。きいたか、その娘はまだ波の制御も上手く出来ない小娘だそうだ。そんな小娘より、君が劣っているとでも言うのかね。今親族の中で波を満足に扱えるのは君だけだろう?なら、剣聖に相応しいのは、君じゃないか』
『しかし…』
『心配はいらんよ。君は私たちが守ろう。この国がね。だから、君は、安心して剣聖になるがいい。なぁに、簡単なことさ、後ろから君の剣で…』
そこまで聴いて、カオナシはボイスレコーダーを握りつぶしてしまった。
「それが、今お前が守っている国の現状だ。その腐った国王を、お前に粛清してもらいたい。大丈夫だ、コピーはある。証拠に聞かせてやるといい。ただ…」
「?」
言い淀む彼の目は、悲しげだった。
「お前は国王殺しとして、国を追われる。あの家も、無事では済まない。もしかすると路頭に迷うことにもなるかもしれん。俺には、それが堪らなく申し訳ないのだ」
男は拳を握る。
「俺はな、ムラマサ、あの夜、お前が襲撃されることを知っていた。知っていた上で、俺は何も出来なかった。お前に伝えることも、師匠に言うことも…。その結果、お前は声を失い、片目も失った。その後、俺を殺しに来たお前を見て、俺は天誅を受けるんだと思った。お前を助けることをしなかった天誅を受けるんだと。しかし俺は死ななかった。無意識に手心が加わったんだろうな。目を覚ましたあと、俺は更に自己嫌悪に陥ったよ。無意識に手心を加えてくれるような友を、俺は見殺しにしたんだからな。だから本来なら、これはお前ではなく俺がやるべきなのかもしれない。だが、お前にも守るものができたんだろう?結婚までするほど惚れた女ができたんだろう?だったら最後まで守り通せ。協会関連は、俺がなんとかしてやる。お前ももう、普通に生きていい頃だ」
最後の声音は、震えていた。自分が手にかけた人間が、ここまで自分を思ってくれているとは、考えもしなかった。
いや、疑うべきなのかもしれない。だが、それはじぶんで確かめればいいこと。彼女のところへ戻れば、全てがわかる気がするのだ。
このタイミングで彼が持ちかけてきたのは、意味があると信じて。
走る。
彼女の下へ。
マリアの下へ。
その背中を見送ると、空から一羽のカラスが降りてきた。
「悪いけど、盗み聴きさせてもらったよ。一つ、聞きたいことがあるんだ」
「…BFか、何だ」
「一度、私はそいつに襲われたことがある。それも役作りの一環?」
「さぁ、な。悪人というのは何かしら無差別に悪いことするから、悪人なのだ。一々そんなことも考えてはいまい」
カラスはフゥ、と大きく一息吐くと、横たわる銀躯に近づき、屈んで顔を覗いた。
「あーあ、満足そうな顔しちゃって。大した役者だよ、君は」
立ち上がって、その男に尋ねる。
「協会関連は何とかできるんだ?」
「キュウビは協会との関わりが深いからな。実をいうと、あの国王のしでかしてきたことに関しては全部まとめて協会に証拠として提出している。その上で、俺は実行者をカオナシに指定し依頼を出している。恐らくまだ受けちゃいないだろうが、順番は後でどうにでも出来る」
「今取らせればいいのに」
カラスが腕の端末を操作し、メッセージを送る。それもそうか、と男が納得した後で、カラスはまた口を開いた。
「じゃあ、勧誘のメッセージも送っておこうかな。道に迷ったら、BFまで、なんて」
「いいんじゃないか、我々にはあまり関係のないことだ」
「え、いいの?あまり一つのギルドに多くの人材があつまるのは良くないんじゃ…」
「誘いを受けるかどうかはまた別の話だろう。それに、我々は協会と深い関係があるからといって、我々は協会ではない。何かしら勧告がきたらそれに従いたまえ」
「あ、うん。わかった」
カラスは不思議そうに男に尋ねる。
「なんか、NINJAって不思議な人ばっかりだね。盗み聴きしたっていうのに、怒りもしないし」
「隠すことではない。無用な殺生は芳しくはないが、我が主の志は、見えぬ悪の粛清。言ってしまえば、浄化装置のようなものだ。それに過去の過ちを聞かれたところで、俺とムラマサの過去は変わらんよ」
「ふーん」
カラスは男の周囲をぐるぐると回って男を隅々まで見る。男は鬱陶しそうにしながらカラスに視線を返してやる。
「うん、やっぱりあなたは優しい人だ。これなら大丈夫そうだね」
どこでどう判断したのかはさっぱりわからないが、なにかの信用は獲得できたようだ。
「じゃあ、私も帰ろうかなぁ…。あ、こっち側で勝手に参加したこと、チャラにしておいてね」
「…いいだろう。だが次は無いぞ」
はーい、と言いながらスラスターに火を噴かせ、空へと飛び立った。
(剣聖って、やっぱりあの子だったんだ。あの子もあの子で、ちゃんとカオナシを大事にしなかったら…)
仲間の下へ辿り着くと、待ちくたびれたように一人が指示を仰ぐ。
「私達の戦争はこれで終わりだよ。本営に戻る必要も無い。あっちの本丸と鉢合わせしないように迂回して拠点に帰るよ」
「ちょちょちょ、どういうこと?」
「どういうことって、そのまんまだよ。私達はあの国に加担する必要がなくなりましたってだけ。ほら行くよー」
「あ、ちょっとクロウ!剣聖はもういいの?!」
「ここ二三日で調べはついたでしょ、もういいの。確証も取れたからね」
「じゃあ、…カオナシは?」
そこでクロウは怪しげな笑いを漏らしながら後ろを向く。向きながらそのまま進んでいく。
「もしかすると、剣聖もカオナシもうちのギルドくるかもよ?」
口をあんぐりと開けるメンバーを放置して、クロウは楽しそうに空を切っていく。
(略奪愛も悪く無いかもね)
老人は大隊を率いながら突如として撤退を始めた敵軍に違和感を感じ、こちらの大隊にも撤退の命令を出した。
数の上でなら圧倒的な有利に立っていたはずの敵軍、事実、こちらはじりじりと数を減らされ、もともといた人数から半数程にまで減らされている。もっと数で押し切ることもできたはず。
(何かの合図か…?ここは一旦私も引くべきか…)
と、其処へ、一人の男が悠々と歩いてくる。
猛牛と同じか、少し小さいくらいだが、黒い布の上からでもわかる恰幅の良さ。目元以外を布で隠したその男に、老人は口を開いた。
「NINJAか…戦争にまで出張ってくるとは、中々大変じゃの」
「………」
男は何も言わず、その場に跪き、片手をついた。
それと同時に、ボゴッ、地面からクロが姿を現す。その穴が瞬時に潰される。息を切らしたクロは額の土を払う。
「あっぶないじゃんか。潰れるかと思った…」
(気を使って地面をズラしたのか…)
男が立ち上がっても、男が立っている場所に変化は見られない。クロがいたところだけをピンポイントにズラしたとすれば、その精度は計り知れない。周囲に見えぬように波を撒く。
男は体格に見合わぬ俊敏さで老人との距離を詰めた。
(やはりNINJA…!カオナシ程では無いにしろ、速さには自信があるようだな)
拳を杖で受ける。鞘にヒビがはいるがそのまま距離を離す。それをさせまいと更に踏み込む男の足が止まる。
「っ!」
コンクリートが形を変え、男の足を掴む。
「実戦は初めてかな?二対一ならもう少し周りに目を配らないとさ」
その隙を狙って老人が杖から剣を抜き、斬撃に波を乗せる。男はまた片手を地面についた。途端、コンクリートがめくり上がり、斬撃を阻む。それと一緒に、足を拘束していたコンクリートも剥がされる。
両手を地面につけていたクロが弾かれたように手を離した。
(こいつ、この図体で術者型かよ。これはこれで面倒だな)
男は体を起こし、首を傾げた後、思い出したように手を打った。かと思えば、懐から巻き物を取り出す。
(不味い…!)
クロが先手を打とうとして地面に手をつく。老人もさせまいと斬撃を波に乗せた。地面から伸びる棘と斬撃を宙に跳んで避けながら、口許の布をズラして指の皮を噛み切る。指先から溢れる血を伸ばした巻き物に一直線に引いた。
直後、砂煙を巻き起こしながら、それは姿を現した。
「ど…土狗炉…!」
男が名を呼ぶと、煙を吹き飛ばしながら、強烈な雄叫びを上げる。
それは確かに、狗ではあった。だが、狗とは呼べぬ風貌だった。泥で爛れた体に、赤く燃える炉を芯に持ち、口から漏れる焔が狗の口を焦がしている。
そしてそれは、首が痛くなるくらい見上げなければならぬほど、巨大であった。
更に男は思い出したように口を開いた。
「お…おでの…おでの名前は…はり…ハリマ…。おじいちゃん…わりいんだけど…ど…んね…寝てて…くんろ」
狗の頭上から声がする。あの上から、声をかけているらしい。
クロはその時点で察する。自分は殺してもいいという命令を受けていると。それでも、逃げるわけにはいかない。
(少しくらい、名前を刻んでおかないとね)
戦争で土の里のものが活躍したとあれば、土の里の評価も上げられる。そもそもクロがカオナシの下にやってきた理由はそれだった。自分の里の評価が上がれば上がる程、みんなに仕事を分けられる。貧しい暮らしに耐える必要も無い。では評価を上げるにはどうすべきか、簡単な話だ。
「あんたを倒せば話は早い!」
内功を一気に練り込み、それを地面に流し込む。地鳴りとともに、コンクリートが形を変え巨大な棘となって狗の心臓部分に突き進む。だが、刺さらない。焔の炉がコンクリートを溶かして取り込んでいく。
狗の目が細まる。口が膨れ上がる。老人は咄嗟にクロを抱えて波に壁を張る。
ゴボッ!と吐き出されたのは大量の溶岩だった先ほど取り込んだコンクリートが融かされたものだと理解するのにそう時間は必要なく、そしてそれはクロにとっての絶望を意味した。
「あたしの術は…全て無意味…?」
「ど…土狗炉…土…食べる。お前…無駄…し…しねば…いい」
「………」
脱力するクロをその場に座らせる。目の前には冷えて固まった岩で視界が塞がれている。老人はしゃんと背筋を伸ばしたまま、クロに尋ねた。
「だそうだが、そのまま座して死を待つか?それも良かろう、お前を送り出した里のものには、誇らしい殉死だったと伝えてやる。それで良いか?私は一向に構わんぞ」
「………よくない」
震える声に、怒気がこもっていく。
「誇らしいわけないだろ…誇れるわけないだろ…!こんなところで死にたくない…!死ぬ訳にはいかない!待たせてるんだ、里のみんなを!」
「そうか、ならどうする?」
「どうするもこうするも、やるしかないだろ。あたしの術は効かなくても、あたし自体はまだ使えるんだから」
「なら、存分に役立ててもらおう。行くぞ」
岩を斬り裂いて飛び出す。狗のの動きは遅い、若干のラグの後、老人を叩きつけようと前足を上げる。その足を波で斬り飛ばす。
(泥の感触…恐らくすぐに再生されるな。分断するなら…彼処か」
前面に出ている胴体部分にしか気が回っていなかったが、よくよく見てみれば、後ろ足は無く、腰から下は地面とくっついているようだった。つまり、彼処から身体部分は無限に補給されるというわけだ。
背後にいるであろうクロを横目に見る。すぐに向き直り、気を集中させた。
(ふむ…暫く注意を引くとしよう)
また口を膨らませて溶岩を吐き出さんとする狗の口を、青で埋める。くん、と狗の首が上に向き、頭の上に立っていたハリマが背中まで駆け下りる。それに合わせて複数の土の槍が飛んでくる。だが、ハリマは狗の背中に手を置くと、ただれた皮がめくり上がり、槍を吸い取ってしまう。
しかし狙いはそこではない。
「ふ…!」
背後からナイフが伸びる。
「ッ!」
「ンガ!」
皮が更にめくれ上がりクロを捉える。
(そこまで予測済みィ!)
クロだったものが解ける。
「どろにんぎょう…!」
トン、と狗の心臓に札が貼り付く。
「あってよかった禁呪符!」
バチン!と狗の身体が弾ける。背中に乗っていたハリマはそれでも余裕そうに見える。恐らく、その再生力に自信があるのだろうが…。
「フンッ!」
ぐっ、と狗の身体が僅かに浮き上がる。青の波に包まれたまま引き伸ばされていく。
「彼処だ!」
「わかってる!」
地面とくっついている下半身に禁呪符が貼り付く。バチン!と狗の身体が完全に地面と離された。
「おま…!おまえら!馬鹿…!土狗炉は…こ…ここから!」
空中に捉えられていた狗に急激な変化が訪れる。爛れていた皮が引き締まり即座に下半身が生成される。燃える炉はそのままに、先ほどよりも大きな焔を漏らした。そして…。
『ォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ……!!!』
咆哮、空気を震わせる気迫。波が徐々に引き剥がされていく。完全に剥がされる前に老人は狗との距離を離した。遠くに投げ飛ばすように波を手繰る。波から解放された狗は悠々と着地し、こちらを見ている。先ほどとは違ったおぞましさで、射殺さんばかりの獰猛な瞳に、火が灯る。
「お爺ちゃんちょっと休んでなよ、若くないんだから」
「なに…老兵は…死なず、だ」
肩で息をする老人に、クロは軽口を叩く。しかし視線は狗から外せない。
(禁呪符を容易に当てるのはもう無理だろうな…。術も持ってかれるし、出来ることなら術者をヤりたいところだけど…)
ハリマは狗の背中にいる。狗の動きを止めなければまず彼を捉えるのは難しいだろう。それに加え、狗の動きを止めたところでハリマ自体はフリー、大人しく殺されてくれるとは思えない。
とはいえ、やらなければならないことは結局変わらない。
(あの狗…どうしようかな…)
冷や汗は止まることを知らない、出過ぎて雫になっているくらいだ。背中を伝う感触が気になってしまう。
別のところに意識が向けられているだけ余裕があるのかもしれない。
(そうか、あたし、どうにか出来るって思ってるんだ)
思っているなら、そう思えるなら…。
(実現できる…!)
両手にナイフを構えて突っ込む。ボム!と狗の口が広がり溶岩の塊が幾つも吐き出される。身を低くしてナイフを地面に走らせる。迫る溶岩に臆すること無く、長い間走らせたナイフが息を吸う。
地鳴りがする。溶岩を躱し、立ち止まってもう一度地面にナイフを突き刺す。
「うんんぬぬぬぬぬぬぬぬ…………!!!」
塊だった。
人の何倍はある狗の更に倍近くはある岩の塊が視界を埋める。
見上げる高さのそれを、振り下ろす。
「ぉぉおおおおおおおおらあああああああああああ!!!」
当たらないのは承知だ。こんなものが当たるわけがない。だが、その大きさゆえに、動きを制限することは図らずとも出来る。
狙いは狗の右肩。流石に大き過ぎて取り込めないのか、狗が左に躱す。
先手は、打ってある。
「待っていたぞ」
青波が狗の心臓に刺さる。横から串刺された狗は更に複数の青波によって四肢と口を地面に縫いとめられる。
「爆ぜろ!!」
禁呪符が纏めてばら撒かれる。まだ背中のハリマはアクションを起こしていない。
好機と見るかどうかはともかく、複数はられた禁呪符のお陰で狗自体はその場に溶岩だまりを作って消失する。
その溶岩の上に、ハリマは立っていた。
何故動かないのか、またアクションを起こす前に老人の近くに移動する。
「お爺ちゃん、まだいける?…お爺ちゃん?」
老人は片膝をつき息を荒げたまま答えない。小刻みに震え、息をするのも辛そうに見える。
いや、これは震えているわけではない。
「お爺ちゃん…!」
波を使い過ぎたことによる反動だった。
(早く休ませないと…!でも…!)
老人を庇うようにハリマと対峙する。自分も内功を使い過ぎている、長くは持たない。
だが、まだハリマは動かない。
クロは疑問をそのまま伝えた。
「なんで何もしてこないんだ?」
「お…おでの任務…おわってる。おじ…おじいちゃん…、うごけない…。だから、なんも…し、しなくていい」
「………」
つまり自分は脅威ではない。暗にそう告げられているようなものだった。しかし実際はそうだ。二人併せても、狗を倒すのがやっとだった。
これで成果を上げるなど、思い上がりも甚だしい…。
「は…はは…、ちくしょう…こんなもんか…。結局…紅の言った通りなんだ…」
「それは…ちがう」
「…え?」
ハリマは固まった溶岩に触れる。
「おま…おまえ、まだ若い…。これから…の…のびる。おでも…そうだった、だから…大丈夫」
そう言ってハリマは地面に沈んで行った。
「あ、ま、待ってよ!どういうこと…行っちゃった…」
彼が残した言葉は、敵に向けるには余りにも暖かく、受け取ることを少しはばかられるものではあったが、それでも、少しは心に響いた。
「とりあえず、休もうか、お爺ちゃん」
その場に横たわらせ、内功を練って少しずつ流し込む。内功は身体に潜むエネルギーの変換によって使用することが出来る。内功に似た気でもそれは同じ事。つまり、今老人の体に不足しているのはエネルギーそのもの。それを多少なりとも供給することで今はしのげるだろう。
後は本営に戻って身体を休めるだけだ。
いつの間にか静かになった周囲を見渡す。陽も大分暮れ、空の端には闇が入り込んでいる。
その視界の端で、高速で移動する人影を見つける。
「あれは…カオナシ…?」
相手の本営を落としたという連絡は伝わっていない。だとしたら、彼は今何故走っているのだろうか。
老人を置いていくわけにもいかず、クロはその場に座り込んで連絡を待つことにした。
瞬間、白波が血に染まった。
ペンタゴンタワー内部、最上階、謁見の間。そこではマリアと一人の男が対峙していた。
「フリット…どういうつもりだてめえ」
「どうしたもこうしたも、見ればわかるだろう?ぉお前を殺しに来たんだよぉッ!クソガキィ!」
赤波が空気を染める。長時間白波を使っていたせいで、赤波を押し返せない。辛うじて自分の周りにだけ波を纏う。
「裏切りやがったな…!」
「裏切ったぁ?違うな、見捨てられたんだよ、お前は」
ザッと兵士に取り囲まれる。周りを見渡す。ここにいる全てが、敵に回ったようだ。
見捨てられた。つまり、彼女は無条件に剣聖の名を失った、ということ。
「…んな馬鹿げたこと…認められるかよ」
ツヴァイヘンダーに手を掛ける。
「国王、あんたの差し金か」
「さぁ、知らんなぁ。お家事情にまで首を突っ込める程暇じゃあ無いんでな。後はそっちで勝手にやってくれ」
「というわけだクソガキィ、貴様のその首、今日こそ狩らせてもらうぜぇ」
カットラスに舌を這わせ、剣を掲げる。周囲の兵士達が銃を構えた。
「邪魔すんなよ…邪魔すんじゃねえよ…!私はここで待ってなきゃならねえんだよ、みんなの帰りをよ。だから邪魔するんなら…王だろうが斬り飛ばす!」
ブオン!と鉄の塊が空を薙ぐ。それに乗った白波が周囲の兵士を一掃した。しかし、殺しきれない、数人が直ぐに立ち上がる。その数人を制し、フリットは悠々と彼女の前に立ちはだかる。
一振りしかしていないというのに、彼女の息は上がっていた。それが白波を使い続けた代償だということは彼女もフリットもわかっている。
だからこそ、フリットは前に出てきたのだ。
「ここは剣の家らしく決闘で〆ようじゃないか波でも何でも好きに使いたまえ。もっとも、使う力が残っていればだがなァ!」
赤い棘と共にカットラスが迫り来る。ツヴァイヘンダーを投げ捨て、小太刀で受け切る。だが上がった息がなかなか整わない。
加え、フリットも分家最強の名を冠するだけあって、剣筋に迷いは無く如何に大きく振ろうと波がそれを補助してなかなか攻め入れない。
(なら、今は攻め込むことを考えるな、大丈夫、落ち着け)
大きく後ろに下がり、小太刀を下段に構え直す。二式の訓練はカオナシと嫌という程やったはずだ。叩き込まれた感覚を、身体に染み込ませる。胸の中に空気を溜め込み、吐き出す。
フリットが下がった分の距離を詰める前に、彼女は受ける態勢を完成させた。体力の回復、相手の癖の解析、目を開く。
袈裟の斬り込み、半身で躱す。隙間を埋めるような波の棘、一太刀で切り落とす。返す刀で逆袈裟を弾かせ下がらせる。
(なんだ…、動きが変わった…?息も整い始めている…。まさかこの打ち合いで回復し始めているとでも言うのか…!)
つまり、剣の熟練度に圧倒的な差がある。
自分の剣では絶対に倒せない。
何かが崩れ落ちる音がした。
「…舐めてんじゃねえええぞおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
赤波が氾濫する。周囲の兵士達を飲み込んで意思を奪う。
「殺すぅ…!殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺すコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロス…………!!!」
呪詛の様に口を動かすフリットに呼応する様に、赤波が膨れ上がる。舌打ちして波を払う。
「お…おい!フリット君!待ちたまえ!これでは私まで…!」
「うるせええええええええ!オオオオオオオオオっ!ォオオ!」
波の氾濫は止まらない。むしろこれは、フリットが波に飲まれている様にも見える。闘争を運ぶ赤、その赤は、次第にその色を濃く、別のものへと姿を変えていく。
フリットから溢れる波がピタッと止まる。兵士達を飲み込んだ波も含めて、それらを残してフリットの元へ収束していく。ギュルギュルと身体を締め付ける様に波が固まっていく。
「黒い…波…?」
聞いたことの無い色だった。特性も何もわからない波だが、一つ言えることは、もはやフリットではないということ。
漆黒の鎧に囚われた彼に意識があるとは思えない。それに加え、兜の隙間からは闇が覗いている。
それなら、何がソレを動かしているのだろうか。
『…殺す』
踏み込んだ身体が、目前に迫っていた。
「ッ!」
辛うじて剣を避ける。空を切った剣はそのまま地面に突き刺さる。
(目が追いつけない!速すぎる!)
地面に突き刺さったその剣を見て、その剣に込められた想いを見る。
怨恨、嫉妬、殺意。
負の感情のみで固められたその剣は、マリアの顔を映した。
ゾク…と背筋が凍りつく様な感覚に襲われる。一瞬、体が強張る。
その一瞬。
「っ!しまっ…!」
黒波がマリアの足を捕らえる。動揺してうまく波が練れない。何より、何よりも、恐怖が全身を支配する。足を這う黒波の感触がそれを増長させる。小刻みに震える体を止められない。
ズシ…、と足音が響く。
動けなくなったマリアの下へ、闇が這い出づる。
後ずさりできずに地面に座り込んだ、その目の前。
振り上げたその剣は真っ直ぐ、振り下ろされた。
ギャンッ!
『…!』
目をつむることすら出来なかったマリアの目には、何が起きたのかさっぱり理解出来なかった。見れば、黒鎧の手に剣は無く、弾かれたように横へと振られていた。
その黒鎧の視線の先、少し上の壁に、剣が小太刀によって縫いとめられていた。続けて、弾丸が黒鎧の脇腹をぶち抜く。少しよろけたその隙に、何かに攫われた。優しく、暖かい黒で視界が埋まる。
視線を上げる。どこかホッとした顔の、彼がいた。
「…よかった」
帰ってきた。帰ってきてくれた。
彼は震えるマリアの震える体を抱きしめ、視線を黒鎧に向ける。
撃ち抜かれた箇所から黒く粘り気のある液体を垂れ流しながら、それでもこちらを、マリアを見続けるその黒鎧に、彼は、ムラマサはマリアを自分の背に、静かに大太刀を構える。
身剣合一、仁王太刀。
剣を失っても、身体を貫かれてもなお、その目の揺らめきは消えていない。
ならば、こちらとしてもやることは一つ。
(指一本たりとも、触れさせやしない!)
やがて、黒鎧が一歩、また一歩と踏み出してくる。それは段々とスピードを上げていく。
それに合わせ、剣を抜く。
【華ノ太刀 百花繚乱】
幾つもの剣撃を体に受けながらも、黒鎧は止まらない。身体中から黒い波を噴き出しながら、まだ足を止めることをしない。
一歩。
『ぉ…ォオっ!』
一歩。
『オオオオ!!!』
一歩。
『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!』
「ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!」
互いの叫びが交錯する。
黒鎧が、その手を、伸ばす。
【無二ノ太刀】
ムラマサの太刀が煌めく。
【天断】
その日、多くの人が、空が裂けるのを見たという。
§
「まさか私が事後処理するなんて…、あの狐…何してくれんのよ…しかも勝手に死んでるし…どれだけあのスーツ作るのにお金かかったと思ってるの…」
「ぶつぶつ言ってる割には、清々しい顔つきですね」
リッキマンが文句を言いながら書類に目を通す灰色の髪の女性、ノイエ・クッシューに笑いかける。
「私じゃ無くて書類見てなさい。それより、あの国どうするのよ。国王もいないし、剣聖もグランバレットも行方不明、カオナシは…ブラックフェザーに入ったのね。それはいいとして、トップがいない国が勝手にまとまるとは思えないけど?」
「あぁ、近いところを国が分割して吸収します。とはいえ、既に区画が整備されている土地をわざわざ分断するのは面倒なので、各方面に領事館を置いて貿易の拠点として機能してもらいます」
「そう、考えてたのねよかった」
「それより私は組織のトップである私に向かってタメ口なあなたの態度が気になりますねぇ」
「貴方も私も正式な手続きを踏めなかった成り上がりでしょ、同レベルよ同レベル」
「ぐうの音も出ないですな。それより、あのNINJAたちはどうするので?」
「どうするもこうするも、私は彼らと繋がってないわ。彼らは彼らで、また勝手にやるでしょ。その書類取って」
「はいはい。ま、そこは不干渉ということで。しかしまぁ、難儀ですねぇ、このカオナシ君も」
ノイエが手を止めてリッキマンを見る。手を組んでその上に顎を乗せため息をつくリッキマンは、一枚の紙をノイエに流した。
「これは…カオナシにかけられていた嫌疑に関するタレコミ?」
「そうです。結果的に、我々が調べても何も出てきませんでしたから、これを信じる他無いでしょう。それにその名前、貴方宛てに届いてたんだから、知っているんでしょう?」
「…えぇ」
イガ。その二文字だけで浮かぶ人間は一人しかいない。
このタレコミといい、戦争前のあの問いかけといい、彼はカオナシとどんな繋がりなんだろうか。そしてキュウビがそこまで拘ったカオナシはどんな人間なのだろうか。
考えたところで答えが出るわけでは無い。そう思って紙を置いたところでリッキマンが口を開く。
「気になります?カオナシ」
「え?あぁ、まぁね」
「じゃあ気分転換がてら見に行きましょう、BFのところに行けばいるでしょうから」
「え、ちょっと!」
書類を放り出して歩き出すリッキマンに呆れながらも、伸びをして立ち上がる。いつまでも減らない書類を眺めているよりは、確かに気分転換にもなる。気になることを放置していたところで解決するわけでも無い。
そう思うと、足取りは少し軽くなった。
リッキマンの四人乗りスラスターホイールに乗り込み、流れていく景色に視線を流した。
「あなたはどんな人物だと思いますか?」
「カオナシの事?」
「えぇ。想像したことはあるでしょう?」
「そうねぇ…。例えるなら、修羅かしら。NINJAの里を丸々一つ潰したり出来るんだから、相当強いのは確かだし、それに、裏切られた恨みって形に出やすいと思うから」
リッキマンは納得したようにへぇ、と声を出すと、彼は面白そうに笑う。
「なおのこと楽しみですよね、どんな人物なのか」
「あなたはどう思ってるのよ」
「私?私は、普通の人間だと思います」
「普通の人間…?」
「そう、喜怒哀楽があって、家族のために働いたり、お祝いしたり、愛を育んだり。そういうことが出来る、普通の人間だと思います」
まぁ、実際見て見ないとわかりませんけど。そう零して、リッキマンは赤信号にホイールを止める。
ノイエは驚いたようにリッキマンを見てから、また窓の外に視線を投げる。
「そう…かもしれないわね」
彼自身が欲したモノは、手に入れられたのか。恐らくリッキマンはそれを確かめにいくのだろう。
青信号が早く行けと暴言を吐く。ホイールはまたゆっくりと発進する。その直ぐ横、ノイエの視線の先に手を繋いで仲良く歩くカップルがいた。ノイエが平和ねぇ、なんて考えているうちに、ホイールはその場でUターンして来た道を帰っていく。
ノイエが不思議そうにリッキマンを見ると、リッキマンは満足そうな笑顔で口を開いた。
「思った通りの人でしたね。よかったよかった」
「え?…まさか今の二人…」
「そうですよ。カオナシ君の顔は初めて見ましたが、剣聖が一緒だったので恐らく彼らでしょう」
身体を捻ってあの二人の背中を追いかける。じゃれつきながら、楽しそうに道を歩く二人の手には、恐らく夕飯の材料が入っているのだろう。シートに身を預け、大きくため息ついた。
「ホントに…普通の人だったわね」
頬杖をついて、窓の外のペンタゴンタワーに目を向けた。天井部分が綺麗に半分に裂けたタワーの頭上には、もうすぐ夜の帳が降りようとしている。
「結婚…したいなぁ」
「ここに余り物がいますよ」
「あんたに福なんてあるわけ無いでしょ。却下」
「そこまで言われると凹みますねぇ。それじゃあまあ…」
協会支部の前で車を止めて、シートベルトを外した。
「仕事に戻りましょうか」
「そうね、ちゃっちゃと終わらせて今日は飲みましょう」
いいですね、とリッキマンは相槌を打ちながら、ホイールから降り、一度だけ振り返った。
「どうしたの?」
「いいえ」
首を振って微笑んだ。
「あの月、まるでカオナシだ」