幕間 奴隷の一日
(ご主人様はとても変わった人だ)
それが、ここ数日間寝食を共にしたご主人様に対する感想だった。
ご主人様の異世界から来たという話を頭から信じているわけではないが、それを差し引いても、変わった人だ。
(奴隷商会に居た人たちには散々脅されたけど)
やれ、身も心もボロボロになるまで働かされて、あげく墓地に捨てられるとか。
やれ、夜中に天井のシミをひたすらに数えさせられて、二倍に太らされるとか。
やれ、地下帝国の建造に駆り出され、最後は一本橋の上から突き落とされるとか。
それが今では、こうして姉妹とご主人様との三人で穏当に日々を過ごしている。
自分たちは幸運なのだろう。
(ご主人様のおかげだ)
そのご主人様はというと、朝からただひたすらに魔法陣を描いては、形を変化させて消すということを繰り返している。
何をしているのかさっぱり解らなかったので、訊ねてみると。
「異世界と言えばオリジナル魔法だろ」
「はあ・・・・・・」
前半の『異世界と言えば』と後半の『オリジナル魔法』。そのどちらともが頭に馴染みづらかったので、つい曖昧な返事をしてしまう。
するとご主人様は「冗談だ」と笑った。
「数で負けるときに、性能で勝つ必要があるからな。とりあえずは呪文の無詠唱及び短縮、あるいは魔法陣の簡略化をするつもりだ」
「・・・・・・すごいですね」
呆けた末に、ようやく言葉を絞り出す。
つい数日前に初めて魔法の存在を知ったばかりというのに、あっという間に魔力の感覚を掴み、魔法の発動まで至り、あげくに魔法の改造をするというのだ。
「そんなこと、今まで考えたこともありませんでした」
魔法と女神の関係について簡単に話すと、ご主人様は面倒臭そうに顔をゆがめる。
「つまりは前例がない、あったとしても無かったことになってるってわけか。ってことはやっぱり地道に調べていくしかないのか・・・」
「えっと、どうやって調べるんですか?」
「完成した状態の魔法陣から構成要素を一つずつ減らしていって、どの段階で起動しなくなるか。まあ、『砂山のパラドックス』みたいなものだ。・・・・・・むしろこの場合は減らすより足していった方がいいのか」
「パラドックス?」
ぶつぶつと自分の世界に入りかけるご主人様に、初めて聞く単語について訊ねる。
ご主人様はたまに聞いたこともない言葉を使うことがある。
「あー、えっと曖昧に使ってる言葉だから説明しづらいな。単純に言うと、一見正しそうに思えるが、間違った結論って感じかな。『砂山のパラドックス』はこのような砂山から────」
話しながら、ご主人様は小さな手で砂を集めて砂山をこさえる。そしてその山から、器用に一粒だけ量を減らす。
「このように一粒だけ砂粒を取り除いても、まだ砂山だな?」
「それは、そうですけど・・・?」
ご主人様の意図していることがわからず、困惑してしまう。
そんな自分をよそに、ご主人様はまた砂粒を一粒指で摘まむ。
「もう一粒減らしても、まだ砂山だ。だが、この調子でどんどん減らしていって、最後の一粒だけになっても、まだ砂山だといえるかな?」
砂山をさっと手で隠し(隠しきれていないが)、反対の手を差し出す。そこには砂粒が一粒乗っていた。
「え、ええと。それは砂山じゃないですよね」
「じゃあ砂粒と砂山の境はどこにあると思う?」
問われて、考える。
(なんとなく解ってきました)
たしかに、砂山から一粒ずつ取り除いていくのだから、どこかに砂山と砂粒の境界があるはずだ。だが、その境界はいったいどこにあるのか。
地面の砂をじっと見つめて、ごくごく小さな砂山を想像の手で作る。
「じゃあその砂山から一粒ずつ減らしたら、それは砂粒か?」
頭の中を見られたように、ご主人様にまた問いかけられる。
想像の砂山にご主人様の手が延びて、砂粒を一粒摘まんでいく。
それはまだ砂山だった。
(逆から考えてみよう)
砂粒が一粒あるところから始めて、何粒足せば砂山になるのか。
ボールのような砂粒を思い浮かべる。
一粒では当然砂粒だ。
指を一本折って数える。
二粒では山は作れない。
もう一本指を折る。
では三粒なら?
横に並べた二粒の上にもう一粒を乗せれば、山のように見えるかもしれない。
「この砂山と比べて、それは本当に砂山か?」
ご主人様が、隠していた砂山から手をどける。
それを見てしまった後で想像の砂山を思い浮かべると、三粒ではただの砂粒の集まりにしか思えなかった。
「ふふふふ。さあ、早く境などないことを認めて、この一粒が砂山だと認めるのだ。さすればその苦しみから解き放たれよう」
悪役のように笑いながら、ご主人様が砂粒を乗せた手を近づけて、迫ってくる。
「で、でも。それはどう見たって砂粒です」
ご主人様の手をかわしながら、なんとか反論する。
言っているうちに、何が何だか分からなくなってきた。
砂粒が砂山でなくて砂山は砂粒で山は粒で砂は砂で粒は砂なのだ。
「じゃあもしこの砂粒が、見上げるほどに大きかったら?」
混乱する自分の前に、突如として巨大な砂粒が立ちはだかる。まさしく山のようにそびえるそれは、他に言いようもない。
たしかに、この砂粒ならば山と言えるだろう。山のような砂粒で、砂山だ。
だがこれだと、最初の話から随分とずれてくる。
思わずじとっとした目でご主人様を見つめると、にやにやといたずらっ子のような笑みで返された。
(からかわれている・・・)
目を回していると、ふとご主人様の首元に後ろから腕が回された。
アージンだ。
また気配もなく、ご主人様に抱き付いている。
「ねぇねぇ、なんの話ー?」
「アージン、問題は解き終わったのか?」
初めのころは、べたべたとくっついたりちょっかいをかけてくるアージンへの対応に困惑していたご主人様だが、今では慣れたように引き剥がして隣に座らせる。
「あんなのとっくに終わったよ~」
「・・・あとで応え合わせするからな」
アージンはご主人様から基本的な算術を学んでいる最中だ。今日もご主人様から何問か問題を出されていたはずだが、解き終わって暇になったらしい。
「で、なんの話だったのー?」
「ええっとね────────」
アージンに今までの経緯を説明する。
ふむふむと頷きながら耳を傾けていた彼女だったが、最後まで話し終えないうちに、きょとんとした顔で首を傾げる。
「その砂の集まりを見たときに、多くの人が砂山と言ったら砂山に。砂粒だと言ったら砂粒になるんじゃないのかな」
「おお! すごいなアージン。それは解決策の一つだ。なんといったかな、集団的合意だったか」
「にへへー。ほめろほめろー」
アージンの答えは正解だったらしく、ご主人様が驚いている。
目を丸くしているご主人様に撫でろ撫でろとアージンが頭をこすりつけている。
「解決策の一つということは、他にもあるんですか?」
「ああ。例えば砂粒はどれだけ集まっても砂山にはならないとか、砂山という状態からどれだけ砂粒を取り除いていっても砂山という状態は保存されるとかいった解決策だ」
「・・・・・・そんな考え方でいいんですか」
アージンに腕を掴まれ、頭を撫でさせられているご主人様に、釈然としない気持ちで肩を落とす。
「しょせんパラドックスだからな。どこかしら間違っている以上、その結論ありきで考えてしまうとドツボに嵌ってしまう。軽い頭の体操だと思えばいいんだ」
「はあ・・・・・・」
なんだかどっと疲れてしまって、ため息なのか返事なのか分からないものが口から抜け出る。
そんな自分をよそに、ご主人様とアージンはなにやら騒いでいる。
「こ、こら! 服をめくるんじゃない」
「・・・・・・ふく?」
「言うな! 悲しくなるから」
ほとんど裸に近いご主人様がまとっている布をまくろうとしているアージンから、ご主人様が必死に逃げている。村には小さな男の子もいたので、ご主人様の裸を見たくらいで思うところは何もないが、本人からすれば、やはり恥ずかしいのだろう。
ああやって、ちょっかいをかけたがるのはアージンの悪い癖だ。
試しているのだ。どれくらいで怒るのかを。
あるいは、怒ってくれるのかを。
他人との距離の測り方が分からないから、直接的なのに、ひどく遠回りなことをしているのだ。
「ねえ、、、ところでさ、、、、、」
かすかに変わったアージンの声のトーンに、はっとして向き直る。
見れば、ご主人様を捕まえたアージンがまた後ろから抱き付いている。しかし先ほどと違い、アージンの目からはおふざけの色が消えて、ずっとご主人様の顔を見つめている。
ご主人様は気が付いていないようだ。
「名前、、、考えなくていいの、、、、、、、、、、?」
「ん? ああ。別にいいだろ。なんとかなるさ」
「・・・・・・そっか」
答えを聞いたアージンは、そっとご主人様から離れる。
アージンはたまにああやってよくわからない質問をすることがある。
いつもとはほんの少し変わった声で、相手の顔をじっと見つめて。
どういう答えを返せば、彼女の要求を満たすことになるのかはわからない。
(一度だけ、私にも聞いてきたときがあったっけ)
確か質問は『お姉ちゃんは、、、、、、、、、、わたしを「呪い持ち」、、、、、、、、、、だと思う、、、、?』だっただろうか。
どんな答えを返したのだったか。
思い出せない。
「さて、そろそろ今日の晩ごはんを集めに行くか」
ご主人様が立ち上がり、ぐっと伸びをする。
気が付けば、お昼をだいぶ過ぎてしまっている。
「そうですね。早くしないと、また暗くなってしまいますからね」
アージンの真意が解らない以上、私も何も言うことが出来ない。
そうして、今日も一日が過ぎていく。
食材や薪を調達して家に戻るとちょうどいい時間だったので、そのまま晩ごはんの準備をする。
(食材といっても、ただの野草だけど)
ご主人様には悪いが、あの罠にかかる動物はいないと思う。
食べられる野草を採取し、水を張った瓶に浸けてアクを抜く。もちろん、気持ち程度だ。アクを抜いたからといって、おいしくなるわけではない。商人から貰ったピクルスもあるが、何が起こるか分からない以上節制していくというのがご主人様の方針だ。
食べられる野草を見分ける方法を知らなかったご主人様が、今までどうやって生きてきたのかはわからないが。
今日採ってきた野草は、このまま一日置いておく。今から使うのは同じように昨日の晩から浸けていたものだ。
(こういうときはなんて言うんだっけ? こちらにあらかじめ一晩置いておいたものをご用意しております、だったかな)
ご主人様に教わったことだ。
なんでも、サンプン以内に調理を終えるコツだとか。
かまどの残骸らしき場所に薪をくべて、魔法で火をつける。
その上に、水を入れた底の抜けそうな鍋らしきものを置いて、アクを抜いた野草と干し肉を入れる。
(そういえば、ご主人様が愚痴をこぼしていたっけ)
初めて魔法で点けた火で調理をしたときだ。
愕然とした顔で火を見つめて、『俺がきりもみ式で火を点けるのに何時間かかったか・・・』と肩を落としていた。
そんなご主人様は、アージンに出していた問題の答え合わせをしている。
羊皮紙などはないので、地面に直接書いた問題集だ。
「・・・・・・全部あってる」
「ふふーん。すごいでしょー」
どうやら全問正解だったらしく、釈然としない面持ちのご主人様の横で、アージンが胸を張っている。
「ううーむ。もしかしてけっこう頭いいのか?」
「ちょっとー、それどういう意味~」
「うわっ!?」
うっかり失言したご主人様に、アージンが後ろからもたれかかって押しつぶす。
そんな二人のじゃれ合いをほほえましく見ていると、お鍋が食べごろに煮えたので、器に移す。
「二人とも、できましたよ」
「おお、できたか。ほら、アージンどきなさい」
「え~」
文句を言いつつもアージンはご主人様の上から降り、皆で鍋を囲む。
「またこれかー」
「文句を言うんじゃない。一汁一菜、健康の秘訣だ」
「ぶ~」
「すいません」
「ハーミーが謝ることはないさ。でもやっぱり、なんとかする必要はあるな」
今の材料では料理の種類を増やすことはできない。しかし二人には悪いことだが、この生活でも十分満腹になっている。
「じゃあ、いただきます」
「「いただきます」」
ご飯が終わればすることはほとんどない。
正確に言えば、できることはほとんどない。
お湯で濡らした布で体を拭いて、後は寝るだけだ。
季節は夏。太陽の月だ。
まだ当分、体を凍らす寒さはこない。
皆で大きな布をひいた地面に横になって、上から別の布をかけ、静かに眠りが訪れるのを待つ。
そうしてまた朝を迎えて、三人で一日を過ごすのだ。
立派な家はない。
満足な食事もない。
それでも、たしかなものがここにはある。
(こうやって、ずっと三人で過ごしていければいいのに)
声にされない想いは、睡魔の中に溶けていく。
やっと書き終わった。危なかった・・・。
書いてて、この話を投稿するタイミングを完全に間違えたと悟りましたので、次話を投稿する際に、この幕間を明日の模索の前に移動させます。
今回は初ルビです。
うまくいっているか心配です。
そんなに時間もないのでこのへんで。
次話は明日の12時過ぎに上げます。
ではまた。