呪いし眼(1)
あれから少し場所を移動して。
改めてフローダが話しかけてきた。
かえって胡散臭いまでに朗らかに笑う太った商人──フローダ──は、その体格もあって狸を連想させた。
「あなたが来てくださらなければどうなっていたか。重ね重ね、お礼を申し上げます」
近づいてきて、そのまま手を握って勢いよく振りそうなくらいのテンションだったが、手が届くか届かないかの位置でフローダはピタリと止まる。
一応警戒はしているわけだ。
顔は完全に笑顔だし、目も穏やかなのに、心では全く信用していない。
(なるほど、商人だな)
この過剰なまでの親しみやすさも、不審者には挨拶をしろという考え方と同じだろう。
自分に敵意が向かうことのないように、または敵意を向けるのをためらうように。
「いや、たまたま通りがかっただけだ」
当たり障りのない返事をして、反応を窺う。
フローダは特に反応することもなく大仰に手を広げて言う。
「いえいえ。そのたまたまがわたくしたちを救ったのです。あのままでは全滅して、商品も全て奪われていたでしょう」
とても、最初は見捨てるつもりでしたなんて言えないな。
そしてどうやら、異世界の魔族もちゃんと喋れるらしい。
「是非ともお礼をさせてください」
こちらが何か言い出す前に、自分から謝礼の話を持ち出す。
ふっかけられないようにするためだろう。
元の世界でもあるよな。
示談が成立する前にお金を渡して、交渉を有利にするという手法と同じだろう。
「お礼か。例えばどんなものが?」
しかし今は少しでも情報が欲しい。
フローダの話に乗って、会話を続ける。
お礼か。
(順当に金か? しかし今の俺には使い道がないし、相場も分からんな)
そう思っているとフローダは腰を少し低くし、露骨に申し訳なさそうな顔を作る。
「それが申し訳ないのですが、あいにく今は現金の持ち合わせがほとんどないのです」
ほう。
(本当かどうかは分からんが、俺にとって特に悪い話ではないな)
俺が言葉を挟む間もなく、フローダは一転して笑顔になると、後ろの馬車を手で示す。
「ですがご安心ください。知ってのとおりミューシング奴隷商会は国の認可を受けた奴隷商会の中でも大手の奴隷商会でございます。必ずやあなた様のお目に適う奴隷をご用意できることでしょう」
奴隷奴隷と連呼するなあ。
ゲシュタルトさんが崩壊しそうだ。
フローダの言う事はつまり、金がないから商品で払うと。
俺が差し押さえをしているみたいだな。
とりあえず、この異世界では国が制限付きとはいえ奴隷を認めているというのがわかった。
そして恐らく、国からの認可を受けていない奴隷売買があることも。
しかし認可があろうとなかろうと、元の世界では奴隷という単語とは縁遠かったので、どうにも忌避感がある。
「奴隷か・・・・・・」
俺が渋ったような声を出すと、フローダはまあまあと、俺を二台目の馬車の荷台に案内した。
「まずは見てください。お気が変わるかもしれません」
大きな荷台の扉を開けると、生暖かい空気が流れだしてきた。
風邪をひいて部屋にこもっているときと同じ空気だ。
湿気と埃と体臭と。
それらがないまぜになった臭い。
フローダに促され、後に続いて入る。
荷台は柵で仕切られており、十人分ほどの小部屋に仕切られている。
奴隷のスペースは狭く汚い、という先入観があったが、中は意外にも小奇麗にされている。
完全に奴隷を商品として扱っているのだろう。
全員が同じ服を着て、手枷や首輪は着けられているものの、暴行を受けた痕などもない。
男と女は分けられていないようで、数名の女も混ざっている。
奴隷たちも襲撃があったことは分かっているのだろう。
フローダの姿を見て、安堵したような表情を見せる者もいた。
しかし大半の奴隷は、自分がこれからどうなるか分からず、不安そうな目をしている。
そしてその両方とも、つまり奴隷の全員がフローダの後ろにいる俺の姿を見てぎょっとしたように目を丸くし、後ずさる。
まあそれが普通の反応だろう。
頭までフードのように布を羽織って顔を隠し、隙間から覗く手は異様なほど真っ白で、視線を下にやれば血みどろときている。
ホラーだな。
「どうでしょうか。例えば一番奥の男などは戦争によって故郷を失い、逃げてきた者です。体も丈夫ですよ。その手前の女は見栄の張りすぎで首が回らなくなった者です。その手前は────」
「いや。詳しい話の前に、他の荷台の奴隷を見てもいいか?」
放っておけば延々と続きそうなフローダの話を遮る。
フローダが笑顔のまま固まり、水を打ったような静けさが場を支配する。
しかしそれも一瞬だった。
「ええ、わかりました。では次の荷台へ参りましょう」
全く笑顔を崩さぬまま、フローダが言う。
荷台から出て、次の三台目の馬車に向かう。
(これはフローダのミスだな)
最初に四台目の馬車から案内していれば、多少強引だが、では次は最初の二台目の馬車の荷台を見せましょう、とでも言えたのだ。
しかし最初が二台目なら、次は三台目だ。
わかっているのだ。
フローダは先ほど、現金の持ち合わせがないと言った。
とはいえ国から認可を受けるほどの大きな商会が、困窮しているというわけではないだろう。
前の街で、何か大きな買い物をしたということである。
そんな貴重な品は、当然一番頑丈な馬車に乗せるはずだ。
三台目を見せる前に、なんとか奴隷を選ばせたかったのだろう。
俺が奴隷という言葉に気後れしたところから、免疫がなく、雰囲気に呑まれてしまうと踏んでいたのかもしれない。
しかし残念ながらそういう事を抜きにしても、俺の興味は元々三台目の馬車にしかない。
命を救われたくせに出し渋るな、なんてことは思わない。
フローダは商人で、人間なのだ。
フローダが荷台の鍵を外し、扉を開ける。
そこはもう空気からして違った。
先のような澱んだ空気ではない。
各部屋も広くなっており、五人ほどしか入らないだろう。
荷台の一番奥の部屋に、明らかに雰囲気の違う女がいた。
女と言うより少女か。
服は他の奴隷と同じくみすぼらしい物なのに、流れるような金髪がドレスのように体を包んでいる。
少女は外の騒動が聞こえなかったはずはないだろうに、そのようなことは俗事だと言わんばかりに目を閉じて、身じろぎもせずに背筋を伸ばして姿勢よく座っている。
まるで一枚の完成された絵画のようだ。
武骨な首輪さえ、この少女が身に着ければ高級なアクセサリーのように見えてくる。
その雰囲気だけで、自分が高貴な出自なのだと語っていた。
「美しいでしょう。その少女はエルフのさる貴族の家柄の出でしてね。お家が取り潰されたときに売りに出されたのです。ひどい話ですよ。そうなる前にどこかに嫁に出せばよかったものを」
フローダがまた説明を始める。
自分の話を勝手にされているのが気に障ったのか、少女がそっと目蓋を開き、顔を上げる。
その所作だけでも、気品が感じられた。
「・・・・・・・・・・・・」
人形のような顔を動かして、翡翠のような澄んだ目が俺を捉える。
確かに美しい。
だが俺がこの美少女をお礼として引き取っても、戻るのはあの廃村だ。
貴族の娘ということは、自分では何もできないだろう。
ミロのビーナスのように飾って置くしかない。
豚に真珠。
猫に小判。
廃墟に美少女。
非常に無価値だ。
もうことわざにすればいい。
(それに、こいつじゃない)
俺の心中を乱すのはこの美少女でない。
美少女がいる部屋より手前の部屋を見る。
一番奥の美少女が目立ちすぎて、最初にそちらを見てしまったが、手前の部屋にも少女がいた。
しかも二人だ。
一つの部屋に、なぜか二人の少女が入っている。
二人とも十代中頃といったところか。
先ほどの美少女を見た後だとどうしても地味に思えるが、それでも十分に可愛いらしい少女たちだ。
一人の少女が、もう一人の少女を庇うようにして、背中に隠している。
まるで姉妹のようだ。
守っている方が姉で、守られている方が妹。
二人とも髪を肩のところで切り揃えている。
姉の方は、不安そうにしながらも毅然とした態度を取っているが、妹の方はまるで気にならないというように微笑みを浮かべている。
「あ、あー。その二人は、正直お勧めいたしませんよ」
フローダが初めて否定的な事を言う。
明らかに現金がない理由である美少女を持って行かれないためには、この二人を勧めるのが道理だろうに。
意外に思って、フローダの方を見やる。
「実はその二人のどちらかが『呪い持ち』だと思われるのです」
「『呪い持ち』?」
俺のことを『魔神の祝福』と呼んだ声が脳裏に蘇る。
冷たい、蔑むような声。
どろりと、心の底から黒い何かが昇ってくる。
(ふう────)
少し、息を深く吐いて、過去を追い出す。
「ええ。周囲の者を不幸にするという『女神の呪い』です。わたくしも知らずに少女たちを買ってしまったのですが、それ以来不幸続きで。今にして思えば、大規模な農園を所持している富農が、自らの娘を売りに出すということが不自然だったのですが」
苦虫を噛み潰したような表情で、フローダが額を押さえる。
「不幸続き、というと?」
「そもそも、わたくしどもは本来なら三日前にこの街道を通過していたはずなのです。それが延びたのは、いつも雇っている護衛が食中毒で倒れてしまい、急遽代理の護衛を探さなくてはならなくなったからなのです。その雇った護衛も、山賊を見るとすぐに逃げ出してしましました」
フローダはこぶしを振って力説する。
「だが、それだけではただの偶然じゃないのか」
俺が疑問を投げかけると、フローダはとんでもないとばかりに首を振った。
「それだけならば偶然で済まされるでしょう。ですが、ここは山賊が出るような街道ではないのです。それも魔法を使えるような腕の立つ山賊が。おそらくあの山賊は隣のオーレで暴れていた『烈風盗賊団』でしょう。一週間前に勇者様に討伐されたと聞きましたが、その残党が逃げ込んできたのでしょう。今までこの街道で山賊に襲われたという報告はありません。つまり、わたくしどもが初の被害なのです」
「勇者、か」
出てきた単語に、つい反応する。
やっぱいるのか、という言葉は飲み込む。
「はい。『女神の祝福』を受けし勇者様でございます」
山賊のリーダー格を逃がした無能勇者はともかく。
「それは・・・・・・すごいな」
思わず言葉が漏れる。
それが本当に『呪い』の力なら、それは運命に干渉することができるということである。
強力な力だ。
「ち、ちがいます! 私たちは何もしてません!」
「こ、こら! 静かにしなさい!」
姉の方が今にも泣きそうに、しかしそれを押し隠したように声を上げる。
フローダが慌てて黙らせようとするが、姉は黙らない。
「ずっとずっと、そんなことを言われて、村も追い出されて・・・でも、私たちは何もしていません!」
そんな騒ぎの中でも、妹はずっと黙ったままだ。
微笑みを浮かべた口元も変わらない。
ふと、妹が俺の方へと顔を向ける。
(ああ・・・こいつか)
その目を見て、俺は悟った。
こいつだ。
この少女が、俺を呼んでいたのだ。
このドロドロとした目と同じものを、俺は知っている。
俺がこの異世界に連れてこられ、捨てられてからずっと、心の底から湧き出しているものと同じだ。
(間違いない。この妹が『呪い持ち』だ)
わかったところで、これからどうするか。
「お礼と言うなら、こっちの女を貰えないか?」
考えるより先に、口が動いていた。
「え? いや、えっと、よろしいので?」
フローダが一瞬止まってから、困惑したように問いかけてくる。
「ああ。こっちの女だ」
俺が妹の方を指差すと、姉が慌てて妹に抱き付く。
「わ、私も行きます!」
「いや、二人も面倒を見切れないぞ」
「そ、それでも。連れて行ってください!」
説得を試みるが、どうにも離れそうにない。
フローダに言えば無理やり引きはがすこともできるだろうが、あまり好ましくないように思えた。
「まあいい。二人ともでいいか?」
別にフローダも断りはしないだろう。
フローダにしてみれば、どちらが『呪い持ち』かわからないのだから。
「構いませんが・・・。むしろそちらがよろしいので?」
「なら食料を少し分けてくれ」
こちらのメリットがわからないといった風のフローダに、わかりやすい要望を付け足す。
逃げた護衛の分が余っているだろう。
一応の納得はしたのだろう。フローダはまた例の胡散臭い笑顔を貼り付けた。
「わかりました! ではさっそく手続きを行いましょう! こちらが契約書となっております」
どこに持っていたのか、フローダが契約書を差し出してくる。
手に取って、その手触りに驚く。
「紙か?」
「おや、よくご存じで。そうです。わが商会では最先端の紙を扱っております」
知っている物よりもごわごわしていて、色も白一色ではないが、確かに紙だった。
懐かしさを感じさせる手触りを楽しみつつ、内容に目を通す。
が。
(読めない)
アルファベットに似ているものの、見たことのない文字だ。
俺が困っているのがわかったのだろう、フローダが説明しだす。
「まあ契約書と言ってもほとんど形式的なものです。奴隷を人的資源として扱い、無下に扱うことはしないといった内容です。確認しましたら記名をお願いします」
またもやどこからか、インク壺と羽ペンを差し出してくる。
なるほど、契約書の最後の方に余白がある。
ここに書けばいいのかと、羽ペンを受け取り、先をインクに浸す。
内容を正確に把握せずにサインするのには少々考えたが、まあどうせそのうち元の世界に帰ってやるのだ。
この異世界での立場がどうなろうと知ったことではない。
フローダが出してきた板の上に紙を置き、代筆を申し出たところでようやく気づく。
(名前・・・・・・)
俺には名前がなかった。
異世界での名前も与えられず、元の名前も奪われたままだ。
とはいえ、咄嗟に偽名が浮かぶわけもない。
雰囲気が変わったのを察したフローダが、さっと別の紙を差し出してくる。
「まあこんなものはどうとでもなる書類ですので、ご安心ください。しかしこちらは奴隷の証明書となっておりますので、気を付けてお持ちください。奴隷の正当性を問われた際に所持していなければ、最悪罰せられることもあります」
「すまない」
フローダとしても藪をつつく気はないのだろう。
この場でやっかいを清算しておきたいという考えが透けて見える。
二人の手枷を外し、馬車の外へと連れて出る。
「これは首輪の鍵となっております。首輪には魔力を通しておくことによって、自分の所持している奴隷だと証明できます」
小さな鍵を渡された。
よく見ると、たしかに首輪に鍵穴がある。
魔力を通す、というのはよく解らないが。
「鍵があるということは、別に首輪として活用する必要はないということだな」
「はい、その通りです。ですが、常に手放すことの無いようにさせてください」
護衛の一人がおそらく食料が入った麻袋を三つ持ってきた。
三人分ということか。
それなりに量があるらしく、俺の身長の半分くらいの大きさだ。
「他に何か気になることなどはございませんか?」
「そうだな・・・。奴隷を所持することで、何か特別な手続きなどが必要になったりしないか?」
「基本的にはありません。ご安心ください。泊まる宿などによっては、奴隷を断られる場合もありますでしょうが」
「なるほど」
つまり奴隷は一般にも浸透しているということだな。
「他には大丈夫ですか?」
「ああ、そうだな・・・。これでも旅の途中なんだが、ここから一番近い街までどれくらいある?」
馬車の進行方向とは逆の街道の伸びる先を示す。
「馬車なら一日。徒歩なら二日か三日といったところですね」
どう見ても俺の格好は旅には不向きだが、疑問を顔に出さずにフローダは答える。
「わかった。助かるよ」
「いえいえ、こちらこそ。重ね重ねお礼申し上げます。ありがとうございました」
これで手続きは終わり、フローダと別れることになった。
「今後ともどうぞミューシング奴隷商会をご贔屓によろしくお願いします」
できれば二度と関わりたくないだろうに、そんなことを言いながら、フローダたちは去って行った。
「あ、あの」
馬車が見えなくなったところで、姉の方が声をかけてきた。
姉はひたすら不安そうな顔で、精一杯の勇気を振り絞ったようだ。
妹の方は・・・・・・なんだかふらふらしていた。
「私はハーミー。妹はアージンといいます。よろしくお願いします。あの、それでなんとお呼びすればいいでしょうか?」
名前を尋ねられ、またも言葉に詰まる。
その隙をつかれた。
「よいしょー」
「!」
フードを後ろから思い切り引っ張られ、顔が完全に露出してしまった。
(見られた!?)
正面にいたハーミーとまともに目が合う。
「その目は・・・・・・!?」
ハーミーが驚いたような声を上げる。
フードを手で押さえつつ、後ろに振り向く。
へらっとした微笑みを浮かべたアージンがすぐ後ろにいた。
「奴隷という立場が分かっているのか?」
アージンを睨む。
トラウマが刺激され、つい攻撃的な物言いになってしまう。
あの無言の排斥が、
あの森の暗闇が、
死を覚悟しながら眠る夜が、次々と脳裏に蘇る。
「でもー」
その記憶による責め苦を止めたのは、アージンの目だった。
どろどろとした目が俺を映す。
「べつに奴隷として引き取ったわけじゃないんでしょ?」
アージンの目によって冷静になり、その言葉に考えさせられる。
ちなみに、ハーミーは妹を庇いながらひたすら謝っている。
「・・・・・・それもそうだ」
俺は別に奴隷が欲しかったのではない。
アージンがまだ謝っているハーミーを止めて、俺の頬に手を当てる。
そのまま俺の顔をそっと動かして、姉の方へ向けさせる。
「ほら、大丈夫よ、お姉ちゃん」
アージンも俺と頬を合わせるようにして、その目で姉を見つめる。
「わたしとおんなじ目をしてる」
姉は──ハーミーは泣きそうな顔になり、それを隠そうとして、不器用に笑い、そのいずれにも失敗し、結局。
「あ・・・・・・」
何も言わずに、そっと妹を抱きしめた。
なぜだ、短くならない。
ようやくヒロイン登場です。
え、ヒロインじゃない方が描写が長い?
気のせいであってほしい。
次話は明日の12時過ぎに上げます。