祝福されし者(1)
異様な眠気が全身を支配していた。
まどろみの中、目を開けようとして、全身の力が抜けるような心地よさに押しつぶされる。
温かい液体に全身浸かっているようだ。
湯船の中で眠ってしまったような。
しかし、息苦しくはない。
腕を動かそうとして、失敗し。
足を動かそうとして、失敗し。
せめて指を動かそうとして、失敗した。
それでも不思議と、焦りや恐れはなかった。
なんとなく、ここにいれば絶対に安全だという確信があった。
ふと、上の方から声が聞こえた。
なんと言っているのかは解らないが、声に含まれる優しさと心地よさに、意識を手放してしまった。
そんな眠りを何度も繰り返して、ようやく意識が比較的にとはいえはっきりしてきた。
手足も少し動くようになった。
それでも気を緩めれば、あっというまに眠ってしまいそうだ。
また、上の方から声が聞こえてきた。
何度も聞くうちに、なんとなく意味が解るようになってきた。
「あなたは女の子か男の子、どっちなのかしら」
「あなたの名前、実はまだ決めれてないの。いろいろ考えすぎちゃって」
「ねえ、早く生まれてきてね」
これは、あれだ。
つまり、その────転生というやつか。
マジか。
・・・・・・
・・・
マジか!
じわじわとテンションが上がってくる。
まさか本当にあるとは。
緩慢にしか動かない体がもどかしい。
頭が徐々に回りだしてくる。
聞こえてくる言葉に聞き覚えがないことから、どこか外国なのかもしれない。
体がある程度動くという事は、胎生二十週は越えたあたりだろうか。
それなのにまだ性別が分からないということは、日本よりも技術レベルが下かもしれない。
もちろん偶然ということもあるだろうが。
はたまた異世界という可能性も。
その場合は階級とかはどうなんだろう。
話しぶりからして気品を感じるので、貴族だろうか。
魔法とかはあるのか。
戦争は過去のものとなっているのだろうか。
(あ・・・・・・)
頭を使いすぎたのか、強制されたように思考が鈍磨する。
靄がかかったように、色んなことが抜け落ちてくる。
体の周囲に優しい振動が走る。
お腹を撫でたのか。
そこまで考えて、声が遠くなった。
それからまたしばらく、睡魔の海の中で過ごしていると、どうやら俺が産まれる日が来たようだ。
先ほどからずっと外が慌ただしい。
「早く早く、もっとお湯ときれいな布を持ってきて!」
助産婦らしい声も聞こえる。
「ああ、やっと、ね」
母親の苦しそうな声も聞こえる。
あれからずっと、母親は俺に話しかけてくれていた。
その言葉はどれも優しさに満ちていて、生まれてくる俺への期待を感じさせた。
時には本を朗読してくれた。
普通に考えれば意味はないのだが、それだけ待ちきれないのだろう。
本の内容には、いわゆる剣と魔法の世界を描いたものや、勇者の冒険活劇を記したものもあったが、それくらいならば日本にもあるので、異世界かどうかの判断はつかなかった。
たまに父親と思しき人物も声をかけてくれた。
聞く限り絶対にイケメンである。
これは容姿にも期待できるのではないだろうか。
父親の話では、やはりこの家は貴族らしい。
生活に困ることはなさそうだ。
時代は中世レベルといったところか。
その父親は今部屋から閉め出されて、廊下で待っているようだ。
「ふぅー、ふぅー、ふぅー」
母親の苦しそうな吐息が響く。
女は胎動と出産の痛みで、母親になることを自覚すると言うが、子供である俺としても母親が苦しみながらも俺を産もうとしているのを感じてようやく、息子になるんだなという実感が湧いてきた。
俺の本当の母親はこの人ではないというという思いはあるが、それでもこれだけ大切に思ってくれているのだ。
せいぜい親孝行をしよう。
ああ、でもちゃんと子供らしくできるだろうか。
歩くのは何歳からだっけ?
言葉を話すのは?
子供ってどんなだっけ?
さっぱりわからない。子供という存在に対しての疑問が次々に湧き出てくる。今は自分がその子供だというのに、おかしな話である。
でもこの両親なら大丈夫だろう。
それだけの安心感があった。
ぼんやりと光が見えた。
俺としても頭を器具でつかまれて、骨が変形してしまうのは避けたいので、自分でも光の方向へ進んでみる。実際に体が動いているかはわからないが、気持ちではそのつもりだ。
「ちょっと大きいな。もうちょっとだよ。もうちょっとで産まれるからね」
女性の声が近くなった。
この方向で合っているようだ。
さらに体を動かす。
すると、ずるりという感覚と共に体が下に引っ張られた。
ひんやりとした冷気に包まれる。
決して寒いわけではないが、温水プールから上がった時のような温度差が感じられた。
そして、飛んでいるかのように体が上に移動する。
誰かに抱きかかえられているらしい。
気分はガリバーに掴まった小人だ。
さあ、早く羊膜を破ってくれ。
なんだか苦しくなってきた。
体がぐるりと回される。
ぼんやりと、人の顔らしき肌色が見えた。
「・・・・・・・・・・・・」
なぜだか、空気が凍った気がした。
「きゃあああああああああああああああああああ!!!」
「がっ!」
一瞬の浮遊感の後、全身に痛みと衝撃が走った。
この女、どうやら俺を落としたらしい。
はずみで、羊膜は破れたようだ。
しかし、痛みで呼吸ができない。
頭の中が混乱で支配される。
なんだ?
なんで落とされたんだ?
この辺では羊膜は落として破るものなのか?
「魔神が、魔神が!」
その間にも、周囲のざわめきは大きくなっていく。
「旦那様、旦那様! 魔神が!」
「なに!?」
話からして父親であろう足音が、ドタドタと聞こえてくる。
顔が地についているので音が響き、脳を揺らされているようだ。
音がする方へ、なんとか顔を向ける。
首が座っていないので非常に難しい。
「これは・・・・・・・」
相変わらずぼんやりとしか見えない。
輪郭すらも分からない。
赤ん坊ってのはこんなに目が悪いのか。
「赤い目、黒い紋章・・・・・・『魔神の祝福』か」
父親の声が、初めて聴く単語を呟く。
なんだって?
『魔神の祝福』?
実はここは人間ではなく、魔族の国だったりするのか?
そして俺は魔神からの祝福というチートを持っていたり?
「・・・・・・こ────捨ててこい」
・・・・・・
・・・
は?
え?
うぇ?
捨てる?
捨てるってなにを?
俺を?
なぜ?
「いや、昼間では目立つか。夜になるまで待たなくては・・・」
そういう問題ではなくてですね。
いやいや。
だってそれ、ガチじゃん。
何も見えぬまま、何もわからぬまま、何も言えぬまま、俺の処遇を決める話が続いていく。
ようやく、恐ろしさが追いついた。
ゾッと、背筋に冷たいものが走る。
怖い。
恐い。
どうすればいい?
何ができる?
「半日も経てば夜になる。それまで・・・おい、お前が面倒を見ていろ」
「え、は、はい。わかりました」
嫌そうな声の後に、少しの間を挟んでから、俺の体が分厚い布のようなものでくるまれて、持ち上げられる。
俺に抵抗する術はない。
「うぅ」
嫌そうな呻き声まで聞こえてきた。
俺には何もできない。
体がぐるりと回る。
曖昧な視界に、動くものが複数映る。
その中で。
「あ・・・・・・」
誰かと目があった、気がした。
視力が小数点以下まで落ちたように何も見えない。
動くものが人なのか、それともただの揺れている布だったりするのかすら判別できない。
それでも、直感でわかった。
この人が、俺の母親だ。
「・・・・・・」
しかし、何も声をかけられず。
あの優しい声を聞くこともできぬまま、俺は暗闇に閉じ込められた。