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橘将悟という生徒 シーン1

 まどろみの中で、夢を見ていた。

 全校生徒が体育館に集められ、教師の演説を聴いている。

 いつもならば、床に直接座っているはずの生徒達だが、今は用意されたパイプ椅子に一様に腰をかけていた。

 言い知れない緊張感の中、軍服姿の学友たちは、背筋を伸ばし、握った拳を膝の上に置き、誰一人としてピクリとも動かずに教壇へと視線を向けている。

 ステージに立つのは、代わる代わるに生徒たちへと激励の言葉を投げる教師たち。

 歴史の教師が我らの正当性を訴え、現国の教師が情勢は我らに有利と情報を提示する。そして、美術の教師が我らの正義を主張したとき、観衆となった生徒一同が立ち上がり、沸き立ち、口々に我らの勝利を称えた。


 場面は一転し、焼け野原に佇む生徒たち。

 何が戦争だ。何が勝利だと、生きた無念の声だけが耳に届いてくる。

 その中で、綺麗な音がその場を包んだ。

 歌だった。

 それは、勝利を称えたものでなく、悲しみに暮れたものでもない。

 ただの日常を歌ったその声に、皆が聞き入り、それぞれが、その心に希望を見出した。



 妙な夢を見たもんだ。

 橘将悟が目を覚ましたのは、授業終了の予鈴とほぼ同時だった。

 まだうっすらと寝ぼけた眼をこすり、頬に伝った涎をシャツの袖口で拭った。

 もう、今日の授業はあれが最後だったか。

 教壇に先生の姿は既に無い。クラスメートは皆それぞれに、おしゃべりをしながら部活の支度をしたり、帰宅の準備に取り掛かっている。

 将悟の頭が、だんだんハッキリとしてくる。そしてふと気がついた。

 さっきの授業、僕だけ最後の挨拶してなかったんじゃないだろうか。

 しかし、あの英語教員のことである。普段から生徒も見ずに話を進めているのだから、今回もきっと見ていなかった。うん、そうに違いない。

 相手側の無頓着を、自分の都合のいいように捉えることにした。

「まぁいいか。なんでも」

 将悟は大きく欠伸をしながら、そうつぶやいて座ったままに伸びをした。

 この後のホームルームさえ終わってしまえば、特定の部活動に参加をしない将悟は晴れて自由の身だ。

 この県立姫篠高等学校は、基本的に生徒には部活動の強制をしていない。

 生徒の自主性を養うため。という名目なのだが、それゆえに、自然とやる気のある者が集まってくるせいか、文化部運動部共にその実績は高い。

 おまけに、世間では中堅校扱いではあるが、現役での一流大学合格者の多さでも有名である。

 部活動をしなくてもいいですよと、学校側が看板を出しているのだから、進学のために勉強したい者は堂々と勉強をする。

 学校外でも、例えば、社会人サークルや学校ではできない習い事、社会福祉活動などに参加するのも、もちろん自由だ。

 その際に活動報告を学校側に提出すれば、それも生徒個人の評価として扱われる。

 これも、活動内容とその有用性の証明さえできていれば、レポートだろうが写真つきの日記だろうが、その形式に指定は無い。

 生徒自身の青春は、生徒自身で選択し、各々がそれぞれの青春を謳歌すべきである。

 姫篠高等学校初代校長の言葉だが、これがそのまま学校方針を表していると言ってもいい。

 このように公立高校には珍しく、あまりに自由な校風として知られていた姫篠高校だったが、その実、入試倍率はさほど高くは無かった。

 その理由の一つは、その自由な校風ゆえにだった。

 姫篠高校には、入学希望者が校内を見学できる、その機会が毎年二回ある。

 入学説明会と一般開放の文化祭。

 入学説明会では、学校の全体的な案内を受けることと、日常の授業風景を見学することができる。

 そして、文化祭では、主に力の入った各部活動の出展を見て回り、また体験することができる。

 授業自体は極一般の中堅高校レベル。しかし、個人的な学習レベルを見ると、上にいる者は限りなく上にいる。

 部活他、授業以外の活動においても、それが好きでやっていますという連中の集まりなのだ。

 その生徒のほとんどが個性派揃い。自然とそうなってしまう。

 なんとなくとか、周りに合わせてといった考えで、うっかり入学してしまうと、孤立してしまうのが目に見えて分かるわけだ。

 自由な校風とは、必ずしも生徒個人にとって楽しめるものではない。

 これ分かってしまうと、自由という言葉に釣られただけの入学希望者は、大体挫折してしまうのだ。

 だが、逆に考えれば、人間関係や成績のコンプレックスをものともしないような者がいるとしたら、そういう人にとっても楽に過ごすことのできる学校なのである。

 この橘将悟も、そういった校風が気に入って入学した生徒の一人であった。

 放任主義とも言えるこの教育方針であれば、わざわざ周りに合わせたり、流されることもしないで済む。

 何かをする自由があれば、何もしない自由もある。この学校に関して言えば、そういう集団生活の送り方というのも認められてしまうのだ。

 だが、何もしないというのは、客観的に見れば周囲のからの評価は当然落ちることになる。

 将悟にはそれも承知の上だった。

 だから、最低限の課題はこなすし、考査の成績も全教科を上の中くらいでキープする。

 こうしておくことで、当たり障り無くプラプラしていることができるのだ。

 授業の後は、スケジュールが真っ白。

 それが将悟の日常なのである。

 今週は掃除の当番でもないし、さっさと帰って、課題だけやってゲームでもしようか。

 教材はいつも机とロッカーに常駐させている。鞄の中に、最低限の筆記用具と課題に必要のある教材、そして弁当箱が入ってるかだけ確認し、将悟はホームルームの始まりを待った。

 クラス担任がいそいそと入ってきて、ホームルームが始まる。

 特に校内の日程に変更は無し。

 暑くなってきてるから、体調管理に気をつけろ。

 担任のからの連絡はいつも通り。要するに特別何も無いということだ。

「じゃあ、みんなこの後も気をつけて」

 お決まりになったセリフで最後を締めくくり、当番の号令で生徒が挨拶をしてしまえば、これも終わり。

「きりーつ」

 将悟とクラスメートが一斉に立ち上がる。

「あ、そうそう」

 担任が、最後に一つと号令を遮った。

「なんだか、他校の話なんだけどね。最近、家出とかで、家に帰らなくなっちゃった生徒がいるそうなんで、何か知ってる人がいたら私か誰でもいいから教員に耳打ちでもください。以上です」

「れーい」

 ありがとうございましたー。クラス皆で担任に一礼。

 そして。

「帰るか」

 ゾロゾロと教室を出て行くクラスメートの流れに乗って、将悟も教室を出ようとした。

「ちょっと、将悟くん!」

 後ろから聞こえた女子の声に足を止める。このクラスにショウゴという名は一人しかいない。

 必然的に自分に向けられた声だとは分かったが、はて。

「どしたの、曽根崎さん」

 振り返り、見知ったその顔に返事をする。

 短く切った栗色の髪。意思の強そうな瞳に、ほどよく引き締まった体系。ボーイッシュなイメージが強いのに、不思議と女子制服が似合って見えるその女生徒。

 曽根崎若菜。将悟とは、一年生の時からのクラスメートだ。

 さすがの将悟でも、同級生とくらいはそれなりに付き合いがある。

 しかし、その中でも、女子で将悟を名前で呼ぶのは若菜くらいだった。

「どうしたのじゃないよ!今、帰ろうとしてたでしょ!?」

 元運動部だけあって、声がでかい。

 明らかに怒った様子の若菜。さて、何が原因か。

 将悟の頭の中では、今日の記憶がイメージスライドとなって、可能な限りの最高速度で再生される。

 今日、若菜としゃべったのは確か。

「いやいや、掃除の邪魔になるかと思って」

 昼休み。

「廊下で待ってようかと」

 昼食を終えて、昼寝をしてたときか。そのとき若菜が言ってたことは。

「それで、僕に会いたいとかって人のとこに行くんでしょ?」

 うん。確かこんなことを言ってた。寝ぼけていたとはいえ、我ながらよく覚えてたもんだと、先ほどまでそのことを記憶から完全に抹消していた人間は思った。

 ひとまず、本当に教室掃除の邪魔にならないよう、ジェスチャーで若菜に促し、廊下に出る。

「将悟くん。絶対忘れてたでしょ?」

 ムスッと頬を膨らませた若菜は言った。

「いやいやいや、今言ったでしょ?覚えてましたよ?」

 自分の行動には適当なそれらしい理由もつけたし、寸前ではあるが記憶はありますと弁明もした。

 しかし、将悟自身、分かっていた。若菜を誤魔化しきることができない理由がある。それは。

「嘘。さっき、帰るかって言ってた」

 若菜の席は、将悟の斜め後ろだった。

「すいませんでした」

 あっさりと非を認め、潔く頭を下げる将悟。

「許す。面を上げぃ。さ、行くよ!」

 若菜も本気で怒っていたわけではない。彼女は、将悟のいい加減さを理解していた。

 それでも、わざわざ昼寝をしていた将悟を起こしてまでこの予定を取り付けたのである。

 この男なら忘れてしまうだろうと、始めからわかった上で、だ。

 将悟なら、放課後も予定を入れず、いつもさっさと帰宅してしまうことも知っていた。

 将悟が帰ろうとするのを引きとめるところまで想定済み。万一、うっかり別の予定を入れてしまっていても、約束したと引っ張っていける口実も作った。

 これはよほどの人に頼まれたのか。あるいは、よほど大事な用事が待っているのか。

 さっきとは打って変わって、ウキウキと前を歩く若菜を見ると、さほど深刻な用件ではなさそうだが。

 将悟は黙って若菜の後ろを付いて歩いた。彼女はズンズン進んで、校舎の離れた特別棟へと向かっていく。

 特別棟。ここは校舎の中でも、常時開放をしていない理科の実験室やら、視聴覚室、パソコン教室。

 そして、今たどり着いた、この学校の図書室などがある建物だ。

「ところで」

 そのままの勢いで入室しようとした若菜を止めて、将悟はここでようやく疑問をぶつけた。

「結局誰なの?僕に会いたがってるって人」

 若菜は一瞬考えて。

「言ってなかったっけ?」

 この子も割りと大雑把だよなと将悟は思った。

「会いたがってるってよりは、連れて来て欲しいって言われただけなんだけどね」

 それにしては変な念の入れようだ。将悟は首を傾げたが、ここまで来てしまったのだから。

「まぁ、会ったほうが早いか」

「そゆこと。たぶん、さすがの将悟くんも知ってる人だよ」

 そう言って、引き戸を開けて図書室に入っていく若菜。それに続いて、口をへの字に曲げた将悟も入室した。

 図書室はまだ清掃中だった。どこのクラスか知らないけれど、いそいそとモップをかけたり、机を拭いたりしている生徒たち。

 これはまだ早かったんじゃないかと将悟は思ったが、若菜はそれにお構いなしといった風に受付のカウンターへと向かっていく。

 そして、カウンターのすぐ脇。司書室の札が掲げられた部屋の扉をコンコンとノックした。

 ドアノブを回し、ちょっと室内を覗き見てから。

「失礼します」

 扉を開けて中に入る。そこには、椅子に座って本を読む一人の女生徒がいた。

「あら」

 ワンテンポおいて、将悟たちへ目を向けたその女生徒は、読んでいた本にしおりを挟んで机に置く。そして静かに立ち上がった。

「若菜さん。さっそく連れて来てくれたのね」

 長く艶やかな黒髪をちょっとかきあげる。その仕草がお嬢様っぽいイメージを与えてくる。

 少し釣り目だが、全体的に整った美人顔。目元には泣き黒子がある。

 長身で、制服のブレザーを着ていても、そのスタイルの良さが分かる。

 膝下まで丈のあるスカートと、所作の一つ一つが実に優雅だ。

「はい!本多先輩!」

 元気よく返事をする若菜に微笑を返す本多先輩。

 確かに、さすがの将悟も、この人を知っていた。

 モデルのようなその外見でも、十分有名になれたであろう目の前の女生徒。

「ボサボサ頭にやる気の無さそうな眼。龍聖の言ってた通りね」

 ニッコリ笑いながら、何気に失礼な発言。しかし、怒る気になれない。そんな雰囲気を持ったこの女生徒。

「初めまして。橘将悟くん。私、本多明日華と申します」

「いえ、お久しぶりです。本多先輩。生徒会選挙以来ですね」

 彼女は、歴代でも特に優秀と言われる現姫篠高校生徒会の才色兼備のツートップ。その一人である生徒会副会長であった。



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