表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/9

相葉洋子

相葉洋子 卒業後―後編。最終話。

「姉ちゃん、私たちここで帰るね」

 次の角を曲がれば、私の家に着く。確かに、家に泊まるという話はしていないが、カラオケボックスから家と駅では反対方向だ。

「帰るって、電車ないわよ?」

 愛美の発言は無茶だ。何を思って言ったのか。


 視線を追ってみる。

 家の前にケンイチが立っていた。


 私は言った。

「じゃあ、愛美の家に行こうか?」

 待てコラ。自分でも思ったし、二人からも言われた。

「どおりで、今日は変だなって思ったんですよ」

「姉ちゃん、それはずるい」

 メイと愛美、口々に責め立てる。

「違うわよ。別に今夜だって会う約束してたわけじゃないし」

 言うと、愛美はわざとらしい溜め息を吐き、メイは頭を小さく振った。

 そんなあからさまに、呆れなくてもいいのに。

「とにかく、私たちは自力で帰る。心配しなくても大丈夫」

「姉さんにカラオケおごってもらったから、愛美の家までなら二人でタクシー代出せるし」


 それじゃあ。

 二人は止める間も与えず、去ってしまった。


 二人には後で、謝んなきゃな。

 私は深呼吸して、ケンイチの方へ向かった。

「何でいるのよ」

 彼は戸惑いながら、

「来なきゃいけないって思ったから」

 不器用にはにかんで見せた。

 彼の前を通り過ぎ、家の門を開けた。

「入ったら? 寒いでしょ」

「いいのか?」

「いいわよ」

 家は普段から誰もいない。母はとうの昔に死んでたし、父は仕事でろくに帰ってきた試しがない。姉すら、男のとこに入り浸っている。

 私が男を入れたところで、咎められる言われも無ければ、咎める人すらいない。

 昔、愛美に羨ましがられたっけ。

 ケンイチを、男の人を、初めて家に入れた。

 変に胸が高鳴る。


 ケンイチを居間に通すと、すぐにコーヒーを出した。ケンイチは猫舌で、時間をかけて飲んでいた。私は飲み終えるまで待った。

 コーヒーを半ばまで飲むと、

「ごめんな」

 優しい声が痛かった。謝るのは彼じゃない。

「別に」

 どうして、素直になれないのだろう。謝ってしまったほうが楽なのに。

「別に謝る理由なんかないでしょ」

「あるよ」

 聞きたくて、目を逸らした。

「ずっと、待たせてた」

 待ってた。本当に待ってた。言われて気付いた。

「今更?」

 せせら笑った。正直言うと、涙が出かけた。

「今まで気付かなかった」

 違うな、ケンイチは訂正した。

「確信が無かった。だから、気付かないフリをしてた」

 二人の離れた時間が長すぎて、私の中ではもう終わったものと、ケンイチは思っていた。でも、心のどこかで待っているんじゃないか。でも、それは自分のエゴじゃないのか。私に確かめて、自分が傷つく結果になることを恐れた。彼はそう説明した。

「卑怯だとは思った。そして、相葉が何も聞いてないのに、自分の確信だけで今、話してることもズルいと思う」


 だから、すまない。


「ずるいよ」

「うん」

「なんで、いっつも大人ぶるの」

「ごめん」

「なんで、アンタだけ大人なのよ」

「そんなことないよ」

「私だけ、子供みたいじゃない」


 抱き寄せられていた。


 私はそのまま、ケンイチの胸に甘えていた。不思議と居心地がよかった。

「また付き合うかどうか、オレにもよく分からない」

 優しく頭を撫でる手が、心地よかった。

「このままでいい気がする。そう思う反面、より深く付き合いたい気持ちもある」

「……したいってこと?」

 ケンイチは少し慌てた様子だったが、少し、考えて、

「そうかもしれない」

 耳元で囁いた。確信犯だ。狙って囁いてきた。その手馴れた感じが、安心するけどムカつく。

「相葉の部屋に行く?」

 ケンイチの問いかけに、私は無言で頷いた。ケンイチは面白がるように、微笑んでいた。

「何?」

「いや、相葉が黙って頷くの初めて見た」

 可愛いと付け加えられ、可愛くないと怒って見せた。

 二人で笑って、ケンイチがもう一度尋ねる。

 私はまた、無言で頷いた。(意識したから、若干ぎこちない気がする)

 部屋に向かう途中、無言だった。というより、私はすでに頭の中が真っ白になりかけて、階段を登る足取りも覚束無いほど、緊張していた。

 自分の部屋のドアが、やたら耳に響く。ケンイチは気になってないだろうか。


 ああ、しまった。お風呂に入りたい。

 今更言っても、しょうがないのかな。

 言っていいのか、分からない。

 下着はこの前買ったばかりの物でよかった。

 お風呂が気になる。電灯消さなきゃ。



 あいば。



 ……コーヒー臭い。さっき飲んだから、当たり前か。でも苦くは無い。

 随分、前に愛美とふざけてしたことがあるけど、唇や舌だけでも男の人って力強いんだ。

 頭を撫でる手、背中をさする手。耳にかかる吐息。優しくて、くすぐったい。

 !

 首筋を何かが這う。思わず退いてしまった。それが分かっているかのように、追い掛けてくる。

 首をかしげたまま、硬直してしまう。


 止まった。


 ケンイチの動きが止まった。ケンイチの時間だけ止まったように。

 私は自分が嫌がったのが原因だと思った。

「ごめん、違うの」

 ケンイチは止まったままだった。目には、彼自身の手が映っている。私の胸を触ろうとする寸前の。

「ケンイチ?」

 ケンイチはいったん目をつぶり、力なく笑って、

「ごめん」

 私を抱きしめた。何がごめん?

「寝ようか? 一緒に寝てもいい?」

 いや、もともとそのつもりだったんだけど。

 違う、このニュアンスは本当にただ、一緒に寝るだけだ。

 どうなってるのか、分からない。

 ケンイチは早々に、人のベッドに潜り込んでしまった。私も追いかけるように、入っていく。

 私、何か悪いことしたのかな。

「私のせい?」

「いや、違うよ」

「本当に? 正直に言って、怒らないから」

「いや、本当に相葉のせいじゃない」




 木造の天井。電気は消えていて、埃っぽい木目は見えない。窓を見ても暗く、近くの公園で咲いていたはずの桜は不気味な影になっており、私は目を逸らしていた。敷かれた布団は暖かく、切ない。私一人ではないから。

 ふと顔を横に向けると、隣の男はまた布団からはみ出ている。寝相ではない、起きているのは分かっている。

 避けているのだ  私を。

 何で……?

「ねえ……ケンイチ」

 私は横にいる彼の名を呼んだ。

 続けて、聞いた。  

 訴えに近かったかもしれない。

「どうして何もしないの? 私が汚いから?」

「違う。そんな事は、言わないでくれ」

 搾り出したような声が返ってきた。

「違うのなら、何故? いいじゃないの、抱けば」

 だって、私は好きよ。このまま、訳のわからないまま、夜を過ごすのは嫌。

「何故拒むの?」

「触れない」

「……おっぱい小っちゃいから?」

 吹き出しながらも、答える。

「ぜんぜん関係ない」

 一瞬、緩和した空気はまた張り詰めた。

「どうして触れないの?」

 遠くから、電車が通る音が聞こえる。こんな時間に走るのだから、貨物列車か寝台列車だろう。静かな空気に滑車の音がよく響いた。聞こえなくなるのを待って、会話を戻した。

「黙らないでよ」

 ケンイチは答えない。

「初めてってワケじゃないんでしょ? 私知ってるんだから」

 むしろ初めては私なんだし。その私がなんで、ここまで気を使うことになってるのか。

「せめて……答えてよ」

 もう、答えてもらえないのか。諦め始めた時、

「大好きなんだ」

 ……え?

「聞こえないわ」

 聞き違いと思った。それはできない理由にならないから。

「好き過ぎて、触れないんだ」

 ケンイチが適当な嘘をついたようではなかった。むしろ、適当でもなかった。さらに厄介なことに、その気持ちが私には分かってしまった。

 そんなの、そんなの今更になって……。

「じゃあ、なんでしたいなんて言うのよ?」

「ごめん」

 オレもこうなるまで知らなかった。言われなくても、続きが分かった。

 ケンイチは震えていた。

 私は泣けなかった。


 ただ哀れで、泣くよりも胸が痛かった。ケンイチの背中を抱いて、眠った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ