相葉洋子 三年
帰宅部シリーズ第一弾。三部作最終話。
夢が終わる。私は今の現実に向けて、目覚め始めた。
「なんでこんな夢を」
卒業式
朝、ホームルームが始まる前。
「ケンイチ」
机に伏せて眠る男をたたき起こす。
「ッてーなぁ……」
ケンイチは寝ぼけ眼で、起きあがる。
「アンタ、卒業式って言うのに緊張感無いわねー。いつもと変わんないじゃないの」
「何を卒業するんだよ……」
「高校よ」
ケンイチは目を丸くする。
「え? 今日だっけ卒業式!?」
おいおい……。
「おいおい! まーだ寝呆けてんのかよ?」
同じクラスの富山が笑う。
「いや……卒業式の練習はよくやったが、まさか今日だったとは」
……本気で知らなかったな……。
「まあ、アンタらしくていいけどね」
「どういう意味だよ……!」
言われた本人が笑っている。
「そういう意味さ」
「うわ、富山までそういう事言うし……オレはよっぽど抜けてるように見えてたんだな」
ケンイチはしばし考えて、
「よし、これからの学校生活はしっかりやっていこう!」
「だから卒業式だって!」
ぱんっと、馬鹿なことを言うので、富山と三人で突っ込む。
は?……三人?……ぱん?
「てめ……!」
ケンイチが振り返り、ほぼ同時に私も隣に視線を移す。
「渡辺?」
別クラスの渡辺がいつの間にか来ていた。身長は高い方、人を食った様な顔と何かズレてる性格が特徴で、ケンイチとはよく口喧嘩される所をよく見る。
「おう、お早う」
爽やかに笑って挨拶する。いや、お早うじゃなくてその手に持った……
「お早うじゃねーよ、どっから出したそのハリセン?」
ケンイチが叩かれた頭をさすりながら問う。
「鞄の中に忍ばせて」
言って渡辺は鞄にそのハリセンをしまい込む。
「んなモン持ってくるなよ!」
「お前だって、携帯灰皿とか持ってんじゃねーか」
平然と返す渡辺。
「それは違うんじゃ……?」
私が首を傾げると、
「携帯灰皿ぐらい誰だって持ってるだろ!」
ケンイチが渡辺に反論する。
……それも違うんじゃ……?
……もー、突っ込むのも面倒臭い。
「だから、携帯ハリセンだっていいじゃん。便利だよ?
いつだってツッコミ入れられるし」
「だーかーらー!」
ケンイチと渡辺が意味のない論議を始まる。私はその議論に参加するのもウザいので、
「価値観が違うのかな? 単にバカなのかな?」
「いやー、両方だろ」
富山と二人で渡辺の思考を推理していた。
「同じクラスの連中もいつかはあんな感じになるの?」
「んー、そうだろうなあ、アイツと同じクラスだし……」
富山は重々しく頷き、私は反論する。
「それじゃ、ウチのグループの大半がそういう事になるんだけど……」
富山は考える間を置いて、
「あ……」
一言。悲痛な顔で言い合う二人を見つめるのだった。
その頃、ケンイチと渡辺は、『ハリセンのツッコミ方とボケの反応の仕方。その角度と重さ』について、本を出しかねない勢いでディスカッションしていた。
なんだかなあ……。
そんな緊迫感のない中、卒業式が始まった。
「三年A組、川上明」
誰かが名前を呼ばれ、
「はい」
返事をして壇上に登っていく。ステージの真ん中で待つ校長に渡された卒業証書は危険物のように扱われ、その誰かさんは自分の席に戻っていく。
「川添啓二」
「はい」
「水野 」
そんなやり取りが行われ続け、
「三年C組、相葉洋子」
私の番が来た。
「はい」
返事する私がステージに向かっていく。普通に歩いているつもりだが、何だか地に足が着いてないみたいで、思ったより緊張している。
ステージに上がった。卒業証書を持って迎え撃つ校長まで、あと何歩か。
「三年C組、相葉洋子。以下同文」
校長はえっらそうに紙切れ一枚私に向ける。
私はそれを、確か左手からだよね?
自分に問いかけて、深くお辞儀をしながら受け取った。
「おめでとう」
校長は建前上だか何なんだか、祝いの一言。
私はそれを、
(……めでたくもなんともない)
「ありがとうございます」
心の声と裏腹に礼を述べる。
ありがたいその紙を持って、振り返る。目に入ってきた風景、体育館は卒業する三年生と、学校の決まりで見送る二年生がきれいな列で敷き詰められて、その後ろに保護者が並んでいる。
圧巻。
もう明日からここには居ない。
そう思うってしまうと、なんか、泣けて来ちゃうなあ。
私は自分の席に戻った。
卒業式が終わり、皆は講堂に集まった。
放課後(私がこの高校で、まだそう呼んでいいのか分からないが)にこうやって集まるのも最後。でも、誰もその事を言わない。
「相葉、相葉」
富山が呼ぶ。私は卒業証書の入った筒に巻いてあるリボンを結び直す(結び方が気に入らないかったので)手を止めた。
「あれあれ」
彼の指す方向を見る。誰かが少し離れた所で胡座をかいている。よく見れば、
「……ケンイチ?」
ケンイチが真っ赤になって前を一点に見ている。時折歯を食いしばり、震えながら。必死に泣くのを耐えている。その様に、
「ぷっ」
今まで見たことのないケンイチの可愛らしさが可笑しく、吹き出してしまった。
「面白いやろ?」
聞く富山はニヤついて、ケンイチがいつ泣き出すのか期待している表情だ。
「うん、見たことなくて意外。でも、ケンイチらしいね」
「そだな……」
富山。表情は普通だけど、目が潤んでるぞ。男ってこういう事に涙モロイわねえ……
ちょっと優越感の女の私 でも、思い出すことなら山程あるよね 今もケンイチを笑ったけど、昔の私では笑えなかっただろうな。あの時のままだったら、また怒ってたかどうだか。
ん?
ふと見れば、ケンイチの後ろの方に、メイ・梅田・迫下と二年生の男連中。帰宅部でもよく集まる主翼のメンバーが何やらこそこそしている。ケンイチに気付かれないように柱の影に隠れ、何かを期待した顔で彼の様子を窺っている。
「アイツら何やってんの?」
富山に聞くと、
「ん? ああ、あれ? ケンイチが泣くか泣かないかで賭けてんだって」
呆れた風に言う。確かに呆れたことだが……。よく見れば、ケンイチが震える度に全員で身を乗り出し、
「ああー……!」
メイと迫下、そして梅田が悔しそうな溜息を吐き、
「よし! よしっ、よし!」
梅田が嬉しそうなガッツポーズを取っている。
……確かに呆れるわね。
「梅田が泣かない方に賭けてんの……?」
ウンザリしながら聞く。富山は無言で頷き、表情も私と似たようなモノだ。
暇。というワケではないが、なんとなくそうなので、その五人の動きを見てみる。すると、
『あ』
私と富山が同時に口走った。ケンイチが連中に気付いたのである。
「あ、近づいてった」
私の冷めた状況説明に、
「目が怖いね」
富山も続いた。
「逃げた」
「ビビッてるね」
人の感情にお金を賭けていた後輩たちは、その罰を本人から受けるような まさしく自業自得。
「ケンイチ走った」
「キレてるね」
後輩は散り散りになって逃げる。ケンイチは誰かを追いかけては誰かへと後輩たちに翻弄されていたが、そのうち 太っているのが不幸だった一人。
「迫下捕まっちゃった」
「みんな助けるつもりないみたいだね」
追いかけられていた連中は言葉通り、ケンイチから一番離れた柱に集まって、ケンイチが捕まえた迫下をどうするのか観察していた。
……非道いなぁ……。
「まー、迫下だからねー……」
富山はしみじみと納得している。それもそうだ。問題はケンイチがこれからどうするかだ。迫下の顔に何かしてるみたいだけど……?
「ケンイチは迫下の顔に何してんの?」
富山は目が良く、見えているようで、
「落書き。おでこに何かとか書いてんじゃないのかな?」
「……その内、目にバーコードとか書き出すわよ」
私がそう進言すると、富山は笑う。
「そんな危ないことまでしないだろー?」
突然、迫下が叫ぶ。
「兄貴、マジでゴメン! それだけは勘弁して!」
「うるせえ! とっとと目ェ出せやコラァ!」
ケンイチの声を聴いて富山は、笑った顔のままで止まった。私は予想通りだったので満足気な顔をする。しかし 最初、冗談と思っていたケンイチは本気で迫下の眼にバーコードを書こうとしていたのが分かり、そこに居る者総勢でケンイチのマジックを取り上げた。(油性だったことに更に驚いた)
その後、ケンイチは自分をダシに賭け事をした連中に昼食として、ホッとドックを驕った、みんながそれを受け取る際、
「マスタードかけてやるよ」
サービス心たっぷりの笑顔でホットドック一本につきマスタード一本を使い切り、それを見て顔の青ざめた後輩に与えた。四人には二つの意味で『辛い』卒業式になってしまったのは言うまでもない。
その間、卒業式の片づけ係に行っていたEとCが私たちと合流した。二人は私と目があった途端、
「姉ちゃん行っちゃ嫌だー!」
二人揃って泣き付いてきた。愛美は覚悟してたけど、メイまで泣いたのは意外で、
「バカッ……! そんな泣かなくても、いつだって会えるでしょ……! ……こんな事で泣かないでよ……」
つい私まで涙を流し、三人で抱き合った。(後に思い返して一番恥ずかしかった出来事だった……)
でも、女の子が三人泣いてる傍で男四人が目を真っ赤にして黄色いホットドックを食べて、それをにこにこしながら見てる人がいて、凄い光景だっただろうな……。
泣き止んだ後は帰宅部全員でカラオケ行ったり、ゲーセンに行ったり、卒業式の後はこんな感じでいつも通りにはしゃいだ。一つ違うと言えば、愛美と梅田がやたらくっついていた気がするが……ひょっとして……?
愛美は茂野じゃなかったっけ……?
遊び回って終電間際の時間となっただけに、さり気なく急いで向かう中、
「ねえケンイチ」
「何?」
隣にいた彼へ、やっぱり並んで歩いてる二人組を指す。
ケンイチはニヤけて、
「裏切られた?」
……言うと思った。
「そんなんじゃないわよ、バカ」
どういう事なのか知りたかっただけよ……。
「オレも分かんねーよ」
私の心を読んだかのように呟くケンイチ。
「ただ、そういう事になってんだったら、勘繰らずに受け入れりゃいいんじゃないか?」
……何かむかつく。でも、ここで怒っても大人気ないし、
「そうね、野暮だしね」
表面上、ケンイチに賛同する。
「そうそう」
彼も相槌を打ち
…………。
私はケンイチの頭を鞄で殴った。
「痛っ? 何すんだよ?」
「前から言おうと思ったけど……アンタ、ムカツクのよ。真面目な話をすると、いつも私が小さく見えるから嫌になるわ。何様のつもりよ?」
私が睨むとケンイチは頭をさすったまま、
「いきなり何様って言われてもなあ……。まあ、自分が小さいと気付くことは良いことだと思うぞ」
口調と表情は苦い。けれど、それがふざけた演技であることが判る。
……ダメだ。コイツは一生はぐらかす……。でも、それはそれで嫌だなあ……。いつかはどんな問いでもいいから、ちゃんと答えて貰わないと。
取り敢えず今は、愛美と梅田 二人が予想通りだと良いなと思うだけで、ケンイチについては今度にしよう。
そう、必ずいつか
駅に着いた。私達と駅員以外は見あたらないので、嫌な予感がしたが、最終の一つ前の電車に間に合っていたのが分かり、取り越し苦労で終わった。
ホームの屋根に吊されたライトは白く鋭く、ベンチに座る私達はとても孤独な場所にいる気がした。
みんなの顔を見る。
殆どが下を向いている。これでもう本当にお別れ。少なくとも明日からはこの制服で会うことはない。
けれど、別れる間際さえ、
「さよなら」
「じゃあね」
「ばいばい」
「またな」
いつも通りのことしか言わなかった。最後でも誰もその事を口にしない。けれど
いつか誰かが後ろを振り返った時、後悔じみて言うだろう。それが何時で誰かは分からないが。
続きます。