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愛美 二年

外伝1でトラブルを無事に解決できたメイ。その彼女にまた影が忍び寄る。しかし、その影は形すら成していなかった。

 愛美は茂野が好きだ。授業の合間の休み時間、昼休み、放課後、いつでも目に入ってしまう、探してしまう。告白はしていない、茂野が相葉のことを好きだと知っていたからだ。

(勝算のない告白はしたくない)

 自分に卑怯さを感じながら、だがそれでも、

「ね、茂野、たまには髪型変えないの?」

 そんな質問すれば必ず、

「バカ、これが気に入ってんだよ、分かんねーのか?」

 そう返して、口ゲンカのキッカケを懲りずに作ってくれる茂野。

(そんな風に付き合ってくれている今なら、急いて求める必要もないかな)

 そう考えていた。

 しかし、最近不安があった。茂野と同じクラスのメイ。先月くらいにメイが前の彼氏ともめた際、先輩のケンイチが巻き込まれ刺されるという事故があった。その時、メイが電話した先が茂野だった。

(ただの偶然かもしれない、自分の思い過ごしかもしれない)

 けれど、見てしまった。廊下で泣きじゃくるメイに胸を貸している茂野を見てしまった。

 疑う気持ちが膨れ上がる。


『放課後になったら、図書館の裏へ来て欲しい』

 そこは高めのフェンスと校舎に挟まれ、窮屈そうなスペース。暗がりのそこはよく、相談の場所や、煙がごまかせる事で喫煙所だった。

 呼ばれてきたのは相葉。相葉は一つ上の先輩、同じ図書委員、去年から世話になっていた。面倒見のいい彼女に、愛美はいつの間にか、

「姉ちゃん」

と慕い、仲良くなっていた。そして付き合っていくにつれ、その年齢とは不相応な考え方に愛美は惹かれ、今では一番の親友と思っている。その相葉が何やら目つき悪く、愛美を見つめている。

「アンタ、呼び出すんなら、私じゃなくてメイでしょ」

 最も信頼する者からの厳しい声。ぎゅうっ、と愛美の胸が締めつけた、相葉の意見は的を射ている。

「私に甘えるために私の側にいるの?」

 相葉は愛美を気に入ってはいる、それは自分の意見が正しいと思ったとき、誰を相手にしても、例えば自分を慕う者の前ですらも、一歩も引かない気概があるからだ。しかしそれは意中の男性を前にすると別になる。

「そんなセコい真似するコなの?」

 強い意志を見せる愛美だが、うろたえ、じりじりと引き下がっている。愛美のその様が、相葉の癪に障る。

「今のアンタがメイを呼び出せても、結局後悔するからね」

 相葉は言いたい放題に、愛美の意見も聞かず、去ってしまった。

(そんな愛美とまともに話す気はない)

 そう言いたげな背中だった。

 愛美は一人残され、ただ下を向くばかりだった。

(どうして私はこうなるんだろう?

 茂野に対して、もう一歩前に踏み込めない自分、姉ちゃんの言う通り、らしくはない。姉ちゃんが指摘した、

『呼び出すのは私でなくてメイ』

 自分がメイについて相談しようとしたのを見抜かれた。その上、内容が愚痴だと読んだ発言、言い返せない。そして姉ちゃんに言うことで、何かを解決してくれるかもしれない、例えばメイを呼び出して、事の真偽をハッキリさせてくれるとか)

 そんな考えがあった。

(セコい真似、と一蹴してくれた分、すっきりした、相葉がそこまで考えて叱ってくれている)

 愛美は確信した。1年以上における付き合いがそれを教えてくれる。そして、

「姉ちゃんの言いたいことが解る分、頼ってるんだ……」

 その事実を痛感した。自覚した上で、自分がどうするかを考える。

(メイと話すべきだという事。そうしないとスッキリしない、でも、メイと茂野のことを話すのは……)

(今までの関係を壊すかもしれない)

 それは愛美が最もタブー視していることだった。

「それが問題なのね」

 だが、

『例え聞いた所で後悔する』

 相葉の言葉が気になる。

(どういう事なのだろう?)

 愛美は考えるが、その発言の意図だけが理解できていない。俯いてしまう。

「何してんの?」

 校舎とフェンスの間に小さく生えた雑草。踏みつけて現れたのは、梅田。クラスの違う、茂野の友人。愛美はあまり話したことはないが

悪い印象が持ちにくい男というのは覚えている。

「いや、何もしてないよ」

 愛美は口頭を少し、どもらせた。あんな事を考えている時に、人と出くわすのはつい、動揺を呼ぶ。

(迫下だったら無視で済むのに)

 そんな心中、梅田は微笑んで、

「もう授業が始まっとうとに、こげんトコにいて、何もないワケなかやろ」

 自分たちとはイントネーションが微妙に違う、方言を喋る。愛美は、

(余計なお世話)

 思う前に、

「梅田君って、出身地何処だっけ?」

 そっちの方が気になってしまった。すると、

「まーた、そげんこつ言うっちゃけん」

 不機嫌に頬を膨らました。その動作が不意におかしく、愛美の顔がほころびかける。

「人が長崎の島やけんって、バカにしとろー?」

 そのまま見つめてくる。とうとう吹き出してしまった。

(そういえば、茂野がそんな事を言って、梅田をからかっていたな)

 思い出し、

(じゃあ私のせりふ科白は確かに失礼だ)

 そこまで考えつくと、余計におかしい。

「あ。笑った、非道かー」

(うん、確かに非道い)

 そう思ったが、狙ってこぼしたわけではない。

「違う」

 口にするが、笑いが込み上げてか細く、聞こえない。

「かー、茂野ン彼女はおとなしか、思おちょったけど、そげん人とは思わんかったー」

 ぴたっと、愛美が止まる、それは笑えない。

「……違うわよ」

 否定すると梅田は不思議そうな表情をした。

「よく話してるトコは見たんでしょうけど、茂野が誰が好きなのかは、梅田君だって知ってるんでしょ?」

 さっきとは違った感じで笑う、偽りと自嘲混じりの。

「相葉さんとかいう先輩?」

 顔色を伺う梅田。

(マズイ事を口にした)

 そんな考えが受け取れる。

 愛美は座り込んで、

「うん……片思いなのよ、私の」

 ボソッと、地面を這う蟻を見つめた。下を向くと目に入って、理由もなく見つめたくなった。梅田は何も言わず、煙草を一本、口にする。

「……何してんのよ」

 視線を動かす。

「え、その、煙草ば吸おうかなー思うて」

 うんち座りになった梅田、

「煙草嫌いなんかな?」

 気まずくなっていた分、その声は揺れた。

「私にも一本くれる?」

 愛美は梅田にとって意外なことを言い、

(何だか妙なことになったな)

 梅田は何も言わず煙草を渡した。火を点けると、勢いよく煙を吹き出す。喉ががりがりする、

(みっともなく咳き込むよりマシか)

 愛美は涙目になって再び吸い込む。煙草は初めてだった、今吸う気になったのは、へいぜんと吹く相葉の事と、

『いい女は煙草ぐらい吸えなきゃいけない』

 随分前にこぼしたケンイチの言葉を思い出したから、肺に入れてみたくなった。何だか気持ちが悪い、

(なんでこんなもんが吸えるのがいい女なんだ)

 くらりとする感覚によろけるそうでつい、地面に手をついた。

「おい、大丈夫かよ?」

 梅田が心配になって声を掛ける。愛美の顔は真っ青になっていた。


「おいおい、大丈夫?」

 富山が心配の声を漏らす。ケンイチと同学年の男、十八とは思えぬ貫禄の外見を持ち、太い身体で、おっちゃんと称されている。あだ名のせいか、割にか、繊細な気性で、そのギャップだか何だかを同年代にからかわれたりする。

「すいません、心配かけて…」

 青い顔のまま、愛美が申し訳なく謝る。保健室に一度連れて行かれたのだが、先生が不在なので、図書室のソファーに横にさせてもらった。それに原因が原因だけに、不在の方が良かったかも知れない。

 そして、たまたま居合わせた富山が、それを手伝っている。

「なーんで、吸ったこともないのに、煙草なんか?」

 富山が尋ねるが、愛美は答えない。答えたくなかった、

(うるさい)

 言ってしまいたかったが、体の怠さが先にあるので口に出なかった。富山は、

(気分が悪くて答えられないのだろう)

 と勝手に納得する。

「おっちゃん、何とかできんとね?」

 梅田が懸命になっているが、富山は両手を上げてすくめた。

「お手上げ。せめてケンイチとかがおったら、何とかなんだけどなあ……」

 読みかけた本を取り、目線を移すと、

「アイツ、雑学王だから、こーゆートラブルはお手のモンやし」

 言って、そのまま読書に耽り始めた。

(ケンイチならそのうち来るから、待った方がいい)

 自分たちではどうしようもないことを富山は態度で告げている。ケンイチは愛美や梅田の一つ上の先輩、富山や相葉と同級生である。ケンイチが梅田や茂野、その他学年下の者から兄と呼ばれるのは、親しみすい性格からきている。その中で茂野は最も彼を慕っており、愛美はケンイチに少し嫉妬もすれど、自分の好きな相手がそこまで心酔する先輩に尊敬も感じていたので、小さな嫉妬がそれ以上に膨らむことはなかった。

 具合悪く横になった愛美、どうしようもないと富山、梅田はその二人を視点に首を振ってうろたえていたが、結局、富山の意見に同意して本を読むことに落ち着いた。だが、愛美をちらりと見るとやるせなく、結局、側で愛美を見つめていた。

 秒針が何度回っただろうか。愛美の意識は未だ朦朧としていた。

 図書館の扉が開き、聞き慣れた声がする。ぶっきらぼうな言い回しで、親しみを感じる声、それは富山と梅田の言葉に混ざり、愛美の近くまで足音と共にやって来る。寝かせた身体を起こし、深呼吸、冷たいジュース、深呼吸と繰り返し要求される。途中、何か錠剤のような物を飲まされる。

(すっぱい)

 そう思う内に、頭の中で重くのしかかったものが、すうーっと抜けていく感覚。愛美の気分はどんどん透明になる。

 目を開けると、

「兄ちゃん?」

 富山と梅田だった。二人は愛美の顔を覗き込んで、笑っている。富山は、

「オー、起きた起きた」

 と感心したそぶりで、梅田は視線を移し、

「すげー兄やん、言ったとおりやん」

 愛美から右の方向へ賛美する。愛美もゆっくり顔を向けると、ブレザーの裾が出入り口に消えていくのを見た。梅田はそれを、

「あれ?」

 首だけで追い、

「兄やん、何処行くの?」

 呼びかけると、

「アイツ、相葉探してンだって」

 富山が答えた。聞くと梅田は顔を苦め、

「かー、昼間っから女の尻追っかけて、何しようとかいな?」

 それを聞いた富山が笑う。

 二人の会話で、愛美はケンイチが居たという事を確信した。急いで、図書室を出る。廊下は左右に長く、一人として姿はない。

「どうしたん、ケンイチに用事やったんか?」

 背後の声、梅田に言われて気付く。

(私は何の用があったんだろう?

 呼び止めて何かを聞いて欲しかったの?)

 思うが、そこに行き着いた途端、愛美の中に自己嫌悪が起きた。

「ちょっとグチ聞いて欲しくって」

 梅田に返事を返す。笑って返したが、今にも切れそうな理性の糸は鉛を乗せて、愛美の心に痛みが走る。

(姉ちゃんが駄目なら、兄さんか……私は何て、女だろう。

 今すぐ泣き出して、大声を上げればどんなに楽かな。でも、それは何の結果も出さない。気を晴らすよりも、今は自分の迷う事に踏ん切りを付けなきゃいけない)

 愛美はうつむきかけた頭を速く、起こし、

「梅田君、心配かけてゴメンね。おっちゃんにも言っておいて」

 歩き去る。うっすらと目尻に溜まった涙を、梅田に見られたことにも、そのせいで梅田が何も言えなかった事にも、気付かなかった。

 廊下を進むと講堂に出る。広く、中央にある大きなガラスの天井は冬を伝えたがっているように、雪の存在を見せた。

(そういえば)

 立ち止まり、思いだす。ここで茂野を見たことを。相葉と知り合って間もない頃、メイと二人で次の授業の話をしながら、講堂を通ると、ケンイチと楽しげに話す茂野、その時メイは、

「茂野君と話しよー人、カッコよくない?」

 ケンイチに興味を持ったが、

「そやね」

 いい加減な相づちで流した、愛美にとってははこの時の茂野の方が気になった。茂野がケンイチを見る目は、

(私が姉ちゃんを見る目と似てる気がする)

 強く印象づいた。そのうち、相葉がやってきて、その二人と雑談し、愛美にも声を掛けた。二人は話に参加したが、驚いたのはケンイチと相葉の奇妙な関係だった。

「お二人は付き合ってるんですか?」

 メイがケンイチに質問すると、

「そういやそうだな、付き合おうか朋代?」

「別にいいわよ」

 冗談か本気か分からない。

(そんな事をさらり、と言ってしまえるほど二人の仲がいいのかな?)

 二人のやり取りを、茂野がやっぱりといった風に、

「兄やん、絶対それ言うと思った」

 ニヤけた。クラスでは無愛想なイメージと全然違う、今、初めて会った人のようなギャップが愛美の気をさらに惹く。

 気付けば、いつでも目が茂野を追っていた、探していた。そして気付いて、悩んだ。

(昔、中学校の頃の恋愛感情と何か違う、私は茂野の事が好きだから気に掛けているだけだろうか)

 愛美は何気に深呼吸をした。冷えた空間に白いもやが現れ、消える。

 愛美はこの気持ちを怖れている。

(これは欲情ではないだろうか)

 茂野のことを考えると、淫らな自分が想いの影に存在する。茂野と一つに繋がろうと画策する自分が居る。

(私はそんな女じゃない)

 否定するが、

(この頭を、胸をよぎっているものは何だろう?)

 愛美は苦しんでいた。それは茂野が相葉の事を好きと知っている今でも、変わらない。

「茂野もこんな感じで姉ちゃんを見てるのかな」

 独り、つぶやく。茂野を一瞬軽蔑しそうな心が出てきたが、自分にそんな権利はないと、口を一文字に閉じて講堂に背を向けた。


「メイ」

 ホームルームが終わる。クラスの大勢が教室を抜け出るざわめきの中で、愛美は教壇に向かって声を掛ける。黒板を拭くメイが、振り返った。

「それ終わったら、相談があるんだけど」

 メイの右手を指し、

「待ってるからね」

 大勢に紛れて教室を去った。メイは、

「返事も待たずに行かないでよ、場所も言わないでさ……!」

 拗ねたが、

(急な用事でもあるのだろう)

 大して気もせずチョーク白墨をこすり取る作業に集中した。

 メイは愛美とよく相談し合うが、今の彼女の微妙な雰囲気の違いにメイは気付かなかった。

 日直の仕事も終わり、

「先生」

 職員室で日誌を担任に届ける。担任はやや脹れた腹をしゃりしゃりと掻いている最中で、

「おお、ご苦労さん」

 メイの存在に慌てながらも、笑って受け取る。

「お腹痒いんですか?」

 メイが聞くと、教師はバツ悪そうに苦笑し、

「なんかなあ、蚊に刺されてなあ」

 自分の聞き違いかな、メイは、

「蚊…ですか?」

 妙なことを自分は聞いているな、と顔をしかめた。

「夏やなくても蚊は出るんやで」

 教師に言われ、

(言われてみれば出てきたような……そんな気がする、いやでも……)

 メイが思考を巡らせていると、

「嘘や」

 教師は意地悪く、舌を出した。その教員らしからぬ行動にメイは笑い、手で突いた。

「癖や癖。わざわざ聞くなや」

 中西も笑う。笑うと、今日の学校生活、最近の学校生活、クラスの授業態度などの話をし、

「ちゃんと勉強するんやぞ」

 決まり文句を受けて、職員室を出た。

(愛美が相談といったら、あそこかな)

 メイは次の目的地を決めた。

「待った?」

 図書館の裏、高めのフェンスと校舎に挟まれた、窮屈そうなスペースの奥。午前中、愛美が相葉を呼びだした場所である。

「ちょっとね」

 案の定、愛美が待っていた。

 メイが悪気無く笑い、

「ゴメン」

 聞いて愛美は、

「気にしてない」

 ぞんざいなやり取りが行われ、沈黙の間が開く。

愛美はじっとフェンスの方を見つめていた。

(言い出しにくいような深刻な問題なのかな)

 メイは愛美が言い出すまで待つことにし、その内容を予想してみる。

(茂野のことかな、そうだろうな、他に何かあっても愛美は自分で解決しちゃうし)

 今までの相談の経歴が、勝手に決めていた。

(だったら……)

「もー、そんな深刻な顔して、どうせ茂野のことなんでしょ?」

 明るく言う。

(「そんな簡単に言わないでよ」

 きっと愛美はそう返してくるわ、機嫌悪そうにね)

 メイは愛美が自分の予想通り返して来るであろう反応を、にこり、微笑んで待った。

 ところが、

「愛美?」

 愛美の顔を見て、メイの顔色が変わった。

 愛美が泣いている。

「どうしたの、何があったの?」

(違う、何もないの)

 言いたいが声にならない。メイが愛美を思って言った、さっきの科白。

(メイは何もない、私の思っているような……)

 さんざん疑って、呼び出しても、聞き出す前に解ってしまった。相葉が最後に言い残した後悔とはこれだったのだ、

(姉ちゃんはそこまで解ってて……)

 頬を伝う涙が悔しい、歯ぎしりするが、音を轢き出す位の力は顎にはない。握った拳の方に爪が痛々しく、くい込んでいる。

「愛美って、何か言ってよ」

 メイは優しく肩を揺さぶるが、愛美は情けないと思うばかりだった。やっと口から漏れたのは、相葉への非難。

「姉ちゃん……ひどいよ」

(何で、そこまで言ってくれなかったの?)

 唇が八の字に歪んでいくのを感じる。この気持ちをぶつける相手は決まっている。けれども、今は、胸を借り、泣く自分と頭をただ撫でるばかりのメイとの快さに、

(今だけ、今だけは)

 憎悪を抱きながら、甘えた。


(姉ちゃんは何故?

 こんなに辛い思いをさせてどうしたいの?

 私はこれからどうすればいいの?)

 愛美は一人、ベットに身体を投げたまま考える。

 気だるい、指一本を動かすのが、今はとんでもなく大変な作業に感じる。

(結局、メイには何も言えなかった。

 でも私は明日から、いつも通りにメイと話せるとは思えない。

 茂野にも、姉ちゃんにも、兄ちゃんにも、他のみんなとも話せないだろう)

 瞼を閉じる。

(私は、どうすればいい?

 誰かのことを考えれば、別の誰かがどうでもよくなる。

 考えるのを止めれば、全てがいい加減に思えてくる)

「さっきみたいに泣こうかな?」

 メイに泣きついた自分を思いだし、独り言。

 目尻がじわり、濡れ始めた頃、

(日に二回もなく様な甘ったれじゃない)

 強く瞑り、こらえた。

(人を好きになるって、こんなにややこしい事だったかな?

 茂野が他の人が好きだから遠慮する。何て臆病なんだろう私は、何て臆病なんだろう茂野は。

 何なのだろうあの二人は。

 周りの気持ちを考えず、白とも黒ともハッキリしない。

 でも、その二人に惹かれたのは誰?

 二人のその部分を魅力とさえ感じたのは私)

 寝返りをうち、目を開いて、天井を見た。ギザギザの模様が愛美の視界には揺れていた。

(何かしたい、誰かとしたい、茂野としたい、茂野と話したい)

 今、とてつもなく茂野の声が耳に欲しくて、切ない。

 茂野のPHSが鳴る。

「もしもし? 愛美?」

 いつもの茂野の声。胸が落ち着くようで、ときめくような、甘い感覚を愛美は感じた。

「うん」

 涙ぐんだ音で茂野の耳に伝わった。

「どうした? 何かあったのか?」

 心配そうな茂野。思わず、

(想いを全て吐いて、寄りかかれたら楽なのに)

 それは無理だと分かっていながら、考えてしまう。再び自分が情けなくなる。

「ううん、やっぱ何でもなーい」

 作った明るい声を茂野にぶつける。

 妙な態度の移り変わりに、

「何かあったんじゃ無いのか?」

「んー? 心配するかなと思って」

 茂野の疑問を演技で一蹴した。気付かず、

「なんだよ、そんな電話するなよ」

 笑って叱った。

「あはは、でも気付くんだねー、エライエライ」

「何言ってんだ、用事が無いなら切るぞ」

「あ、待って」

 不意に止めてしまった。

「何?」

 別に言うことはない。

「明日の授業、宿題有ったっけ?」

「無いよ、じゃ、また明日」

 茂野が電話を切る瞬間、

「茂野、私のこと…」 

 どうおもってるの?の声は、

「兄ちゃん、ちょっと待ってよ!」

 かき消されて、ツーという音が何度も鳴り響いた。

(兄ちゃんと一緒なんだ。なんか、ムカツクー)

 愛美は電話を掛け直す。

「あ、もしもし、姉ちゃん?」

 相手は相葉。

「ちょっと聞いてよー。どうして男ってさ、こっちの事情も考えずにさ、目先の楽しいことに走んのー?」

 一部始終を説明され、相葉は笑う。

「愛美の心中を察して、長く話して欲しいって事?

 そりゃ、アンタ、甘えてるわよ。それに男はね、目に見えるものが優先されやすいのよ」

 言い放つ相葉に疑問を持つ。

「え? でも前、夢とか理想とかそういうのを重視するって言っとったやん、あれって見えない物でしょ?」

 過去の話を持ってこられ、相葉は考えた。その顔は楽しそうである。

「愛美はさあ、男を単純に見過ぎよ。周りは単純単純って言うけど、こっちが複雑なように向こうだって複雑なのよ」

(姉ちゃんの意見の中では意外だな)

「男を単純って言う女はね、男の複雑な部分に触れたことがないのよ。そりゃ、上辺だけで左右される男がいるから、そうなるけど、その逆だっているじゃない?」

「メイとか?」

 愛美が例を出す。

「そうそう」

 相葉が同意する。メイは以前、いい加減な男に左右された事がある。

 二人でメイを笑いながら嘲った後、相葉が続けた。

「だからさ、基本的に『どーして男は』じゃないのよ。『どーして女も』なのよね」

「お互い様って事?」

 愛美の受け取り方に相葉は唸る。

「私その、恋愛でお互い様って嫌いなのよね。例えばさ、彼氏が浮気してさ、問いつめたら、『お前だってこんな事した』とか言うじゃない、でさ、ケンカの挙げ句、その常用句よ。なんか嫌じゃない?」

 聞かれて愛美は困る。そんなケンカをしたことがない。

(でも、想像してみると嫌だよね。結局それで済んじゃうのは…)

「うん、言われてみれば」

「でしょ? お互い様って言葉は逃げ口上なのよ」

 言い切る相葉。

 けれど愛美は、

(どちらに対してなんだろう?)

「女の? 男の?」

「お互いに決まってるじゃない。どっちかにさ、非があって別れたりしたらさ、『向こうだってあそこが悪い。だからお互い様だ』って、自分の慰めにも使われるしね。そうなったら、終わりよ。次の恋愛にもそんなのが出てきて、悪循環を繰り返して、諦めてしまうんだから」

 疑問が湧く。

「姉ちゃんはお互い様って、今、使ったよ?」

「バカね、使い方の違いよ。そんな揚げ足とってたら、私は一生、其の言葉を使えないじゃないの」

(スゴイな、姉ちゃんは。何で断言しちゃうんだろう?)

「なんでそんなハッキリ分かるの?」

 愛美の問いに相葉は柔らかい声で、

「そう言うことをしてきたからよ」

「もしかして兄ちゃんと?」

 愛美はそれをからかい気分で探った。

 相葉は静かに笑い、

「ケンイチとはそうなる前に別れたわ」

 愛美は意外な新事実を聞いてしまった。

「姉ちゃんと兄ちゃんって、やっぱり付き合ってたの?」

 相葉は一瞬、考え、

「言って無かったっけ?」

 素朴な疑問を漏らした。

「だって聞けないじゃん、『付き合ってんの?』って聞いたら、兄ちゃんは『付き合おっか?』って言い出すし、姉ちゃんも『別にいいわよ』って二人とも素で言っちゃうだもん! そんなんで前の事とか聞けないよ」

 勢い付けて言う愛美。さらに、

「じゃあさ、じゃあさ、今兄ちゃんが『付き合おう』って言ったらどうすんの?」

 前からの疑問も出してみた。

「別にいっかな」

 相葉は普通に答える。

「うそー! じゃあ、兄ちゃんが言わなかったら、姉ちゃんから行く?」

「何一人で盛り上がってんのよ」

 勝手に興奮しだした愛美に、おかしくてつい、注意する。

「それはないわね。ケンイチはさ、考え方がおっさんくさいから、女からの告白は絶対させないし、好きでもない女からされそうになると、どっかに逃げてやり過ごすから」

「なんか兄ちゃん、かっこいいね」

 愛美が思った通りを口にすると、

「単なる時代錯誤のバカよ」

 相葉がさらり、一瞥する。

 愛美は言葉を失うが、

(やっぱりこの二人はすごい)

 頻りに感心していた。


 通行中の道には桜のつぼみが見えている。

 登校中に集まった人間は1ダース、三つぐらいのグループに分かれ、狭そうに歩道を歩いている。

「もうじき三年生かー」

 茂野が呟いた。その周りには相葉、愛美、メイ、迫下、梅田、富山。

「そーいや、そろそろ卒業だよなー」

 茂野の呟きに、富山が相葉へつなげた。

「あのバカは留年しようかなとか行ってたわよ」

「兄ちゃんが?」

 メイが笑う。そこへ

「そしたら兄ちゃんさ、一緒に俺と族(暴走族)やって、一花咲かせるんだぜ」

 迫下がしゃしゃり出るが、いつものように話題がついていけないので無視され、

「あー駄目駄目。留年しても、俺が追い出すから」

 梅田が得意気に断言する。

「梅田、まだ根に持ってんの?」

 茂野は以前、梅田がケンイチからさんざん田舎者呼ばわりされたことを指摘する。

「違うって、兄やんこの前、迫下と俺、呼び間違えたんだって」

 言い返す。が、

「何だよ、結局根に持ってんじゃん」

 富山が笑う。周りもニヤついている。

「みんな何だよ、俺が逆恨みしてるって言いたいのか? ああ、そうですよ。逆恨みですよ、へ!」

 いじける梅田だが、それが滑稽なので、結局みんなに笑われてしまう。

「みんな、梅田いじめちゃダメだよ」

 いきなり藤田が割って入ってきた。梅田とは同じクラスの親しい間柄である。

 彼はおっとりした口調で、非道いことを言う。

「優しい目で見てやろうよ、こいつはただの田舎者なんだから」

 どっと、弾けるように笑い声が起こる。

「おまえ、ちゃんとフォローしろよ!」

 梅田が藤田につっかかるが、

「え? だってフォローする義理無いモン」

 さらっと言ってのける藤田。藤田の口の悪さはケンイチと互角といわれている。

 それを受けた梅田は先頭に立って、周囲の人間に向けて、

「お前ら、みんなサイアクだ!」

 走って去ってしまった。

「待てよ梅田!」

 数人が追いかけて、捕まえる。

 そして――

「う・め・だ・う・め・だ……!」

 何故か梅田コールが湧き上がり、

「何で胴上げしてんの?」

 相葉や他一同を呆れさせていた。

 勝手に盛り上がってる梅田連中を脇に、雑談しながら通り過ごす相葉達の中で、メイが愛美に気付く、

「愛美、どうしたの?」

 愛美は先程から何も喋ってはいない。周りもそれに察し、体調でも悪いのかと不安げな顔で注目した。

「ううん、何でもないの」

(姉ちゃん達がいなくなった私たちは、その後、どうなるのかな?)

 言葉には出せない、ただ一つの疑問が、茂野の進級を示す口振りで起こったそれが、怖ろしい。

(姉ちゃんがいない。それは学校で、頼りにする人がいなくなるということ。きっと、茂野も同じ。兄ちゃんがいなくなることを茂野はどう思っているんだろう?)

 愛美はこれから先、自分がどうしていけばいいのかを悩む。

 メイは知らず、

「姉ちゃんは卒業したらどうするの?」

 相葉の将来を探ろうとする。

(何言ってんの? いなくなっちゃうんだよ! どうしてそうバカな事が聞けるの?)

 愛美にとっては脳天気な質問に受け取れた。しかし、聞きたいことでもあったので、何も言わず耳を傾けた。

「就職よ。冠婚葬祭の会社に」

 相葉はとっくに進路を決めていた。

「へー、姉ちゃん進学しないんだ? 頭いいのに」

 メイにとってその答えは以外で、

「頭よけりゃ進学しなきゃいけないって道理もないわよ」

 相葉にとっては当然の行動だった。

 富山は苦い顔で、言う。

「何だよ、決まってねえの俺だけかよ」

「アンタ、卒業まで後2ヶ月ってのに何やってんのよ」

 富山のもたつきに相葉が非難を投げる。

「んな事言ったって、受ける会社受ける会社落っこっちまうんだもん、しょーがねーべよ」

 すねる富山を、

「そういや、兄ちゃん今日が大学受験だよね」

 茂野が思い出し、口にする。そこに、

「え?」

 波紋が起きる。ケンイチが朝からいないのは日常茶飯事、

「社長出勤の男」

 と噂されるほどなので、この場に存在しないことに違和感はないが、まさか受験とは。

「兄ちゃん、進学するの?」

「嘘、聞いてないよ?」

 と、メイと戻ってきた梅田。ケンイチから何も聞かされていないことを物語る。

 茂野も、みんなが知っているとばかり思っていたので、この反応に戸惑う。さらに、

「どこの大学?」

 相葉が言うと、

「え?」

 さらに周りが驚く。

「姉ちゃんも知らなかったの?」

 茂野が代表したように言った。

「進学するようなことは言ってたけど、どこに行くかは聞いてないわよ」

 その答えは不機嫌そうに、愛美は聞こえた。

「誰にも行き先言わんと、なーにやってんのケンイチは?」

 眼を細める富山、普段が細いので、閉じてるようにも見える。

「富山、何寝てるの?」

「やっかまし!」

 周りの感想は賛否両論でざわつくが、茂野はとりあえず話を進めた。

「河村大学に行くって言ってたよ」

「聞かないわね…」

 相葉が呟く。少し、考えて。

「東京のバカ大学だって」

 茂野はここがどんな大学かは知らないが、

(俺の行くような大学だからバカ大学だ)

 ケンイチに説明を受けた時のこの答えをかいつまんで伝えた。

 そこにいた皆は茂野の表現を、ケンイチがそう言ったのであろうと、何となくに察し、

「東京かー」

「こっちに戻ってくるときにおみやげ頼もうかな?」

 地名の方だけに話題を持っていった。口々に東京への感想や流行の店を話していると、愛美が、

「でも都心に行くって兄ちゃんらしいよね」

 皆もそう思っているであろう事を言った。

 だが、

「何で?」

 あろう事か、茂野がその事に突っ込んできた。今までの会話の中、最も意外な声で。

 愛美は戸惑う。

(何でだろう? 私はいままで兄ちゃんを見て、話してそう思ったから言ったんだけど。茂野に返す答えはこれじゃない、多分……)

 答えは出た。言えば、何かが起こるそんな気がしてならないが、愛美は覚悟を決める。

「アンタはいっつもくっついてるから、そういうトコが見えないのよ」

(言った、言ってしまった。私にとって茂野への、ある意味最大の助言、ある意味最大の非難。受け取り方次第で、茂野は私を好きになることはないだろう、私に向かって『愛してる』とは十年経っても言わないかもしれない)

 愛美は茂野がどう返すかが、そのほんの少しの間に様々なことを考える。

(茂野の目がうろたえてる……まさか、朝からこんな事を言われるとは思わなかったでしょう? 私もまさか、朝からこんな事を言うことになるとは思わなかった。でもね、さっき私思ってたの、私に姉ちゃんがいなくなるように、茂野も兄ちゃんがいなくなるのよ? それがどういうことか、私の今の言葉にあなたが返すことで分かるような気がするの)

 茂野は閉口し、ちょっとだけ、上を見る。考えるときによく出る彼のクセ。愛美にはとてもスローに見えた。

(お願い、私への非難でもいい。何か言って!)

 茂野の口が開く。

「そっか」

 愛美の、その瞬間までの、時間が普段に戻る。

 周りの歩みは早く、愛美が早歩きでなければ追いつかない、いつものスピード速度。

 愛美の思考が一瞬止まり、足取りも止まり、皆が遠く離れていく。茂野も。

 目に映るその場景が頭に伝わる。置いて行かれる自分に、慌てて、思考する以前に、

(待って)

 無意識に急ごうとするが、自分の意志と身体と感情はバラバラで、上半身だけが前に出ただけだった。

(そっか…って、『そっか』って何? 『そっか』で済ますの? 兄ちゃんどころか、あなたの好きな姉ちゃんもいなくなるのよ? 『そっか』で済むの? 分からないわ、茂野! そうやって済ませられる、あなたが!)

 愛美はゆっくりと、

「…茂野はこの2年間を幻とでも思っているの?」

 声は小さく、愛美は皆の最後尾で、誰一人としてその問いは届かない。

 メイが、いつの間にかに愛美が遅れていることだけに気付き、声を掛けようとするが、

「ほっときぃ」

 相葉に制され、雑談に戻った。

 足の遅い愛美が校舎に入ったのは、

(鐘が鳴る。さよならの時間を一つ一つ告げるように。先輩達との2年間は、時間は、なんだったのだろう…)

 始業のチャイムが鳴り終わる頃だった。

 愛美が下駄箱を開くと、中には端の乱暴にちぎれたルーズリーフが一枚。

 殴り書きのその字を、読む。


 過去は速く

 濁流ばかりを見つめ

 現在は早く

 清流ばかりを探し

 未来はゆっくりと

 何の色を施すこともなく流れている


 誰が送ったのか、名前は書いていない。

(姉ちゃんかな?)

 愛美の記憶では、この字と相葉のそれとは当てはまらない。だが、

(誰だろう。人が落ち込んでるのを見計らってのことだろうか、キザな事をするわね)

 犯人がどうこうよりも、こんな行為をしてくる人間が自分の周りにいることが笑えてくる。

「バカな奴がいたのね」

 思わず微笑んで独り言。一人笑っていると、

「愛美さん、何しょっと?」

 ひょいっと、梅田が下駄箱の端から顔を出した。

(待っててくれたんだ)

 急ぎ履き替え、廊下に飛び出る。

 梅田に礼を言おうとすれば、

「行くよ!」

 そんな間も無く、手を引っ張られた。驚きながらも、

「ちょっと、そんなに引っ張らなくても自分で行くわよ!」

 梅田に文句を付けるが、

「あー、うるさいうるさい」

 彼はお構いなしに走っていく。

(強引な人ねえ……)

 思いながら、愛美も足を速めていくのだった。





外伝1・2の読破ありがとうございます。

この二つの話のコンセプト、ご存知でしょうか。

「シルエット兄さん」です。


うまく隠れてるといいのですが。

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