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茂野 二年

帰宅部シリーズ外伝1

 茂野は授業を受けていた。電車の線路沿いに校舎があるので、時折の騒音が授業を妨害してくれている。

 霜が走った窓の側、寒さと騒音の最も眉をひそめるべき場所にいる茂野は、この寒さも騒音も好きだった。先生の声がかき消されてるたびに、小気味な爽快感が胸を通って、堂々と授業をサボる気になれる。寒さの方は昔から慣れた物だ。先生もこの電車の音で、やる気がなくなる生徒や茂野ではないが、それを利用して授業を放棄する生徒がいるのを知っているので、注意するだけ無駄だと開き直っていた。

 茂野が居眠りを決め込んでいると、隣の迫下が名を呼ぶ。せっかくの眠気を払われて、うざったい視線を向けるが、

「メイの事、知ってるか?」

 「このクラスになって半年が過ぎたんだぞ、知らないはずがないだろう、何言ってやがんだこの馬鹿」という表情を茂野は返した。迫下は分かったのか分かっていないのか、

「アイツこの前、ヤったらしいぜ」

 下世話なヤツだな、茂野は嫌気が差した。

 迫下はクラスで2,3を争う程の嫌われ者で、外見は太っているが、それ以外に問題があるわけではなく、こんな下世話な噂を広めたり聞き集めたりする所が、原因になっている。昔、迫下のそれを知らない女の子が付き合い、舞い上がった彼は有ること無いことを広め回って、一週間もしない内にフラれた。

 それでも、

「オレやったら、彼女なんていくらでも作れるわい」

 などとめげないのが、みんなの苦笑を呼び、ワースト1位にはならないのが幸いである。

「誰とヤったと思う?」

 茂野は迫下のこの点は嫌いだが、根は悪い奴ではないと思っているので、

「誰だよ」

 いつもこういう話の時は、適当な相づちを打って聞き流していた。

「兄貴らしいぜ」

 耳を疑った。

「あ?」

 ガラ悪く聞き返す。

 兄貴とはケンイチの事で、茂野達の一つ上の先輩である。ケンイチはいつも図書室にいて、いつの間にか茂野は彼と仲良くなっていた。兄と呼ばれるのはその慕いやすい本人の性格から来ている。そして、茂野はケンイチに憧れており、茂野の性格は大分彼に影響されている。だから、

「ケンイチ兄さんが何で…?」

 茂野は不思議でならなかった。

「なんでメイなんかと」

 メイは美人と評判である。ケンイチとも確かによく話す。しかしそれでも、ケンイチがメイと付き合うとは考えられない。

「相葉姉さんは?」

 ケンイチが図書室にいる理由。それがこの女性。唯一好きだと言い、しかも公言してしまっている。しかも相葉も好きという。だが、二人は交際することはない。

「何で付き合わないの?」

 茂野は質問したことがある。その時二人は笑い、

「そういやそうだな、付き合おうか朋代?」

「別にいいわよ」

 冗談か本気か分からない。けれど、そんな事をさらり、と言ってしまえるほど二人の仲は深くも見える。

 茂野は相葉が好きだった。このケンイチとメイの一件は無情にも、茂野に密かな幸運を感じさせたが、このケンイチのらしくない行動は、茂野に苛立ちも感じさせた。

「やっぱ兄貴はもてるなあ」

 迫下のしみじみとした声。茂野は、

「黙ってろ」

 八つ当たりに、制した。

 茂野が葛藤に悩まされる中、昼食のチャイムが鳴る。


「兄さん!」

 茂野と親しいメンバーが集まるお昼の図書室。怒鳴り声が静寂を崩す。

 そこに蔑みの眼はあるが、返事は無い。茂野がもう一度口を開く。兄…

「こら」

 ごん、と鈍い衝撃のあとに鋭い痛み。どうやら何者かに鈍器のような物でこづかれたらしい。

「姉さん……」

 振り返れば文鎮を手に、相葉がにやけている。図書委員の腕章が腕組みで歪んでいた。

「あんた、この前も注意されてんだから静かにしなさいよ」

 整理中の書類に文鎮を置いた。いや、戻した。

「ごめん、あのさ、姉さん、兄さんの噂聞いた?」

「何よそれ」

「メイと付き合ってるっていう……」

 茂野は口に出した瞬間ばつが悪くなり、尻すぼみになった。だが、

「へえ、そう」

 以外にも、相葉の返事はあっけらかんとしたものだった。先の会話とさして変わらない、茂野は何か不満が湧いた。

「へえって、何とも思わんの?」

「何を思えっていうのよ」

 茂野の苛立ちをものとしない。真正面からそう言われ、茂野は口ごもった。相葉はいつもこの調子の強気の女であり、茂野もそこが好きなのだが。

「あのね」

 面倒臭そうに、椅子に座る。

「いい、茂野? 私と大悟は確かに前、お互いに好きって言ったわよ。でも、それがどうだって言うの?」

「どうって……」

 苛立つように問いつめられる。怒られてるようで、つい下を向く。

「別に彼氏彼女って関係でもないのよ?」

(分かってますよ)

「大悟が誰と付き合おうが、私の知った事じゃないし、それこそアイツの勝手でしょ?」

(だったらお互いに好きとか言うなよ!)

「分かった?」

(分かりませんよ)

「分かりました」

 茂野は心情とは裏腹に答えた。言い出せない自分に嫌悪を感じた。

 二人の会話があらかた終わり、

「姉さん、キツいねえ」

 と、愛美。相葉に唯一文句を言える二年生。大抵、男でも女でも相葉はケチを付けられると、ビンタか罵倒で返されるが、愛美はお気に入りらしく、同性愛と冷やかされる程可愛がっている。

「だって、コイツ「納得いかない」って顔に出てんだもん、説き伏せたくなるわよ」

 今だって無理に納得したし、と付け加え、茂野をどきり、とさせた。相葉は時折その一言が鋭い。

「でも、メッチャへこんでるやん」

 愛美は心配そうに、言う。茂野は愛美の気持ちを知っていた。しかし茂野は、冗談めいて、

「いや、姉さんがキツイのはいつもの事だし」

 確かに落ち込んでいた、苛立ったはずの気持ちを、立ち直ったかのように見せた。愛美の気持ちに答えられない自分がいる、なるべく心配を掛けまいとする心が、茂野の気持ちをリセットした。

「何よ、私はいつだって優しいじゃない」

「あーあ、若いのにもう耳が呆けたんや」

 厳しいと優しいの意味は違うのに、そう言いかけた時、

「この……」

「ゴメン、ゴメン!」

 相葉の投げるスリッパを怖れ、茂野は飛ぶように図書室から逃げ出した。

 図書室を左に、外を右にした廊下を突き進むと講堂に出る。そこは広く、中央にある大きなガラスの天井が秋となった今でも眩しく、優しげな暑さを一帯に広げていた。

 そういえば、と茂野は思いだす。ここで相葉とケンイチ、初めて二人と出会ったのだ。楽しそうに笑って話す二人。その時の相葉を見、自分もあんな彼女を持ちたいものだと、勘違いしていたが、今、彼氏と勘違いしたケンイチを慕っている自分。何だか妙なことだよな、茂野はほくそ笑む。

 ふっと、今の二人のことが浮かんだ。少しも変わっていない、憧れて、慕っていく内に変わっていく自分と比べ、明らかに落ち着いている。他の上級生とも二人は異質な雰囲気を放っていた。

 だから、惹かれているのだろうと思う。先程叱られたときも、何かしっかりと芯のようなものをもって話すイメージを感じられた。部活動などでも、部長がそんな感じを持っているが、茂野は二人が何にも属さずにその芯を持っているということが、うらやましかった。

(あの姉さんがあんだけ言うんだから、オレ、余計なことしてんのかな)

 だが茂野にとってやはり、あの二人はベストカップルなのだと思わずにいられない。相葉の言うことはもっともだが、ケンイチの言動、行動を考えると同じ男として絶対に、他の女とは付き合えない。茂野はどうしてもその考えを捨てきれない。少しでもケンイチに近づきたい、その憧れの気持ちは今や茂野を頑固にする元になっていた。

(兄さん……そういえば兄さんは何処?)

 茂野は講堂から去る、授業開始のチャイムはとうに鳴り終わっていた。

 授業に遅れ、説教を喰らい、笑われてる内に放課後になった。そんな午後の授業だった。

「兄さん、今日来てないのかな」

 いつも帰るメンバー。今日は五人と少なく、いつもなら十人近くが集まる。部活や、授業の補講などが長引いて、結局この人数になった。下駄箱前である講堂に集まっているが帰らない、茂野が五人目の予定にしているケンイチを待っている。

 迫下が笑う。

「一歩違えば、ヤンキーとかチーマーみたいな人だよな」

 ケンイチは平気で高校を休む、授業はサボる、煙草は吸う。そのくせ、先生には愛想がいいと変わった人種であった。

「あいつが一歩間違う事はないわよ」

 相葉がつまらなく言う。

「なんで?」

 愛美が首を出してきた。

「馬鹿だからよ」

「姉さん、それ、答えになってない」

 愛美が笑ったが、相葉は真面目だった。

「アイツは馬鹿だから間違え方を知らないのよ」

 なるほど、二人は冗談にとった、茂野には笑えなかった、相葉の言い方に何かの含みを感じた、それが何かはよく分からない。

「茂野、いつまで待つのよ?」

 相葉が問う。先と表情は変わらない。

「もう帰るわよ」

 そう付け加えて。茂野は黙っていた。

「もう帰ったのよ」

 ケータイが鳴る。相葉が応答した。

「あ、ケンイチ。うん。分かった…うん、それじゃ」

「姉さん、代わって!」

 茂野が急ぎ、相葉のケータイを取る。通話は途切れていた。

「今、メイの家にいるんだって、教室にいないと思ったら」

 どうしようもないケータイを茂野は返しながら、

「兄さん、何してるんですか?」

 厳しく尋ねた。その言い草は相葉を非難しているかのようだ。

「だけん、兄貴とメイは」

 迫下の横やりが茂野の緒に触れた。

「やかましい!」

 迫力に押され、迫下は閉口させられた。茂野はそのまま帰った。

 メイの家に行ってみようか、そんな気も起きたが、知らない。探す気も調べる気も起きない。ただ、この苛つきを眠って解消しようと考えた。


 深夜、ケータイのメロディが鳴る。茂野は結局眠れずにゲームで夜を潰していたせいで、相手を待たすことなく、通話ができた。

「もしもし」

 メイの声。何の用だ、茂野は何となく不機嫌に応答した。今日のことが響いている。メイは気にせず、

「ケンイチさんが」

 いや、それどころでなく、同じ固有名詞を何度も呟いている、その声はかよわい悲鳴に感じる。

「どうしたんだ」

 茂野はその気配を感じ取った、質問には緊迫感の色が含まれている。

「死んじゃう」

 場所は遠いが、自転車を飛ばした。

 くたびれた駅の近く、さほど小さくも大きくもない駐車場。そこは妙に明るかった。人だかりとそれを遮る警官、ストロボや強めのライトが眼に痛い。茂野が背伸びをすると、そこには白いテープが人の形を模して地面に這っている。その脇腹には、血溜まりができていた。

(「ケンイチさんが……死んじゃう」)

 茂野がまさかと顔を青ざめていると、

「茂野」

 呼ぶ声がした。

 左隣の小さな公園を見る、奥のベンチに相葉と愛美がいた。そういえば、この辺りは相葉の近所だったことを思い出した。暗がりのそこへ行き、軽く手を挙げた。

「何でここにいるのよ?」

 いきさつを話し、二人の様子を見た。相葉の顔が曇り、愛美の眼が揺れているのは暗くて、茂野には見えなかった。

 ただ、空気を伝わる気配だけで動揺をしているのだと思いこんで、

「姉さんたちは?」

 普通に聞き返した。


 あの血溜まりはケンイチのモノだろうか?


 聞きたい自分を抑える。もし、口にすれば更に動揺しそうな気がしたのだ。おかげで相葉と愛美の反応がそれだけで無いことに気付けなかった。

「うちらは野次馬よ。コンビニの帰りにあれが見えたけん」

 相葉は人だかりを一瞥しながら答えた。愛美が相葉の袖を掴み、

「姉さん、もしかしてケンイチ兄ちゃんが」

「ンな事ねーって、兄さんな訳ないやん」

 怯える愛美を茂野は笑った。内心、わざとらしいかなと、危惧しながら。

 少しの間に沈黙が入った、茂野は何だか気まずくなった。

 相葉が溜息を鳴らした。

「ま、メイの事も気になるけど、いないのなら、しょーがないわ。ウチ来る茂野?」

「そうね、どうする?」

 相葉の意見に愛美も同意する。茂野は行こうか迷ったが、

「いや、なんか気になるから、もうちょっと回ってみる」

 逃げ口上をしてしまった。今の状況で、相葉の家で遊ぶなどと、自分の中で気が咎めた。

「じゃあ、付いていこうか? ウチらも暇だから?」

 相葉の問いに愛美がこくり、と同意する。茂野は手を振り、

「いいですよ、こんな時間に連れ回したらそれこそ、兄さんに怒られます」

 冗談で断った。相葉は笑う。

「あー、変なトコでうるさいもんねー、アイツ」

 相葉が納得したのなら、もう帰ってもいいな。茂野は失礼します、と一声掛けて自転車に乗り込む。

「気をつけんのよ」

「はい」

 相葉の注意に返事をし、

「明日学校でねー」

 愛美の声に手を振りながら、

(今夜の疑問は明日になれば分かる、メイは物事を大きくするトコあったし)

 そう思いこんで帰った。


「メイの事、知ってる?」

 翌朝、迫下の第一声は挨拶ではなかった。

「朝っぱらから何だ?」

 茂野はやれやれといった風で、聞き返す。

「おい、真面目に聞けって! …とりあえずこっち来いよ」

 お前の存在自体が真面目じゃない、そんな冗談を言いながら、二人は教室の隅に身を寄せた。迫下が肩を掛け、噂だけど、と、前置きを言う。

「メイ、妊娠したらしいぜ」

 耳にした途端、茂野は吹き出しかけた。昨日の話と統合すると、

「兄さんの……?」

 そういうことになる。

「噂や噂、けど、昨日とか産婦人科の前にいたしな……」

 フォローなのか、証明なのか、聞いてる側をえらく不安にさせる迫下。

「いただけだろ? 入ったとか出て来たら、問題やけど」

 内心の動揺を抑えながら、尋ねる茂野。

「だったら、メイが(産婦人科を)ジロジロ見たり、急にうつむいたり、兄貴がなだめてたらは変だろ?」

 なんで、わざわざそんな細かいトコまで見て来るんだこの馬鹿は。茂野はそう言いたくなったが、まさか、の声が頭にこだまするのを感じて黙り込んでしまった。

 HR開始のチャイムが鳴った。少し間を置き、担当の教師が教室に現れた。皆が席に着き、恒例の挨拶を終えると、

「伊藤、遠藤、加藤……」

 出席確認が終わった。生徒の私語も、話を聞く気があるのか、なんとなく静まった。茂野も授業に専念することにした。

「えー、今日、一限から先生の授業があるが、休みになる」

 小さなざわめきが走った。歓喜……だな、茂野はそう思って苦笑した。しかし、小さく舌打つ、先生の休講理由は茂野にとって、とんでもないものだった。

「実は夕べ、このクラスの梅井が、警察に補導されたらしい」

(………!)

 メイが補導された。担任の話では、昨日にあった事件の参考人として、補導された。時間も遅かったので、今日の朝にまた事情聴取のため、出頭することになったようだ。

 茂野は昨日の午後といい、今日の午前の授業といい、何一つ耳に入る余裕が無かった。

 昼食の鐘が鳴る。


「兄さん!」

 連日で、図書室の沈黙を破り、

「昨日も言ったわよ」

 ごん、と今日も相葉にこづかれた。すでに来ていた迫下と愛美が笑う。が、今日の茂野はめげなかった。

「姉さん、それどころじゃないんだって!」

「知ってるわよ」

 興奮する茂野に、相葉は冷たく言い放つ。同じクラスの人に聞いたから、と茂野を納得させた。

 しかし、結局、相葉はそれを裏切るような内容を口にする。

「ケンイチが刺されたってんでしょ?」

 茂野は自分が遠くに行ってしまいそうな錯覚を起こし、よろめいた。

「何やってんのよ?」

 そこまでやるか、と眉をひそめた相葉に、

「オレの話聞いたら、姉さんも同じ事すると思う」

 茂野は自信もって返答した。相葉は迫下の噂とHRの話を聞くと、

「精神性発汗ってホントにあるのね」

 頭を抱える。確かに毛穴が開くような感じではあったなと、茂野も同感する。

「分かってくれた? オレの気持ち」

「すっごい認めたくないんだけどね」

 いきなり疲れ果て、腰掛けた机にそのまま突っ伏した。茂野も椅子に座って、前のめりにうなだれる。

 そんな時氷迫下が、神妙な顔をする。

「姉さん」

「何よ? 変な顔して」

 やる気なさ気に返答する。

「二人の話聞いてたらさー、メイが兄さん刺したって事なのかなあ?」

 茂野と相葉と愛美は一瞬、冷や汗が全身に流れた気がした。

「それ、冗談にしといて。お願い」

「オレも」

 二人は悲しい声で頼むが、迫下はまだ考える。

「じゃあ、兄さんは誰に殺されたの?」

『殺すなー!』

「じゃあ」

「いや、もう考えないで」

「聞いて想像するのが辛いから」

 相葉、茂野ともう泣きそうになってくる。愛美に至っては、迫下をじっと睨んでいた。

「分かった」

 迫下は気圧されたのか、素直に承諾した。

「そういや、お前の方が先に来てるのに、何で言ってねえんだよ」

 噂を広げるコイツが珍しいな、と茂野が聞く。迫下はにこりと笑い、

「いや、寝てた。なんか先生の声ってみんな眠くない?」

『お前だけだよ』

 溜息をつく三人に、重い午後が流れ始めた。

 放課後、三人は気を持ち直して、

「みんな、最近忙しいわね」

 今日も都合で昨日と同じメンツで帰る。

 帰りの話題は言わずとも知れた物だった。

「ケンイチは今、入院してるわよ。退院は一ヶ月以上かかるらしいって」

 茂野がケンイチについて聞いたので、相葉が答える。メイは?そう聞き返して。

「メイの方は明日にでも出てくるって、帰りのHRで言っとった」

「じゃあ、メイが刺した説は消えたね」

 迫下は無視された。

「実はケンイチが通り魔に刺されてて、それをたまたまメイが発見して、警察に事情聴取って形が一番いいわねー」

 と、相葉の仮説。

「結局兄さんは不幸っすね」

「事実が事実やけんね」

 茂野と愛美が笑う。

「だったらさ、メイは何で補導されたんかな?」

 迫下はまたも無視された。

「最悪はメイがホントに刺して」

「兄さんが、か」

 相葉の二つ目の仮説に茂野が続ける。

「もー、止めてよ、二人とも」

 愛美が不機嫌に訴えた。

「それ、さっきオレが言った。へへっ……」

 迫下は無視。三人の中で暗黙の了解が成されていた。愛美などは、次に言ったらカバンを投げると決め込んでいた。だが、迫下はやっと空気を読めたのか、それっきり口を閉じ、愛美のカバンが活躍することはなかった。

「とにかく明日になったら、メイに聞きましょ」

「そうっすね」

「さんせーい」

 相葉の案に茂野、愛美と続いた。迫下は大人しく、その話が別の話題に変わるまで黙っていた。

(しかし、昨日の見通しが甘かったなと、思わせる一日だったな)

 ケンイチならばどう考えどう動いただろうか、そんな事を想像しながら、茂野は帰った。


 ケンイチとメイが学校に来なくなって、3日目になった。季節と、人が集まらない時間帯とが合わさる中、

(メイはもしかしたら今日も来ないかも知れないな)

 茂野はそんな事を教室で考えていた。幾人かが震えている。誰かが平然とする茂野を否めたが、鍛え方が違うと茂野は笑った。


 ばちーん!


 威勢の良く、何かの音が飛んできた。廊下の方か、何の音だろう、と茂野や何人かが扉まで移動して頭だけや体ごとと、各々が廊下に出れば、何人かの人だかりと、涙ぐんだメイがいた。その足下には、迫下が尻を着いて頬を押さえている。

(ああ、ひっ叩かれたな)

 そう理解するには充分の条件と雰囲気が感じられた。

(どうしたんだろ?)

 迫下が女子に平手を喰らうのは、普段珍しいことではない。しかし、理由も無く叩かれることも無い。

 メイが口を開く、茂野は耳を澄まして、その口の動きを注目した。

「……何も知らないくせに、いい加減な噂しないでよ!」

 怒鳴った瞬間、ぽろぽろと涙がこぼれた。女の子のこんな姿は、否応に茂野の胸を締めつけ、周りもシン、となった。

「アンタ、ケンイチさんが何したのか分かってんの? 知らないんでしょ、知らんないんでしょ……!」

 一発、二発、三発と、がむしゃらに両手を振るう。茂野は懸命に防御する迫下の後頭部を見て、気付いた。メイの左手にカバンがあり、それで殴っていることに。メイのカバンの端は鉄で補正されている。そんなもんで殴られたら…、と茂野はぞっと、危険を感じた。

 数人をかき分け、

「メイ! 止めろ」

 茂野は厳しく言い放ち、メイの両手を捕まえた。

「迫下! とりあえずお前も謝っとけ!」

 茂野が首を後ろにひねると、鼻血を垂らした迫下が何度も頭を下げる。茂野が肩を動かし、メイにそれを見せる。メイは途端に両手の力が抜け、2回3回鼻をすすると茂野に寄りかかり、小さな嗚咽を漏らして泣き出した。

 困ったな…でもとりあえず、と、

「いつまで見てるんだ!」

 人払いをし、茂野は人気のない場所へ泣きじゃくるメイの手を引っ張った。図書館の裏、そこがいいと二人は、高めのフェンスと校舎に挟まれた、窮屈そうなスペースの奥に座り込んだ。暗がりのそこはよく、人に言えない相談の場所や、煙がごまかせる事で喫煙所になっていた。

 茂野はメイの背中を撫でて、落ち着かせようとする。

「何があった?」

 メイは幾分か落ち着き、声をひきつかせながらも、事情を話し出した。


「……それで夕べね、朋姉さんから、電話があったの」

 あらかた話し終わり、茂野はただ、聞いていた。メイは大分落ち着いたが、

「それで、さっきの話をして、迫下の噂とか教えてもらって、私も悪いから、どうも思わなかったんだけど……アイツ、私がガッコに来た時……。

兄貴セックスが上手かった?」

って、聞いてきたの。それで、カッとなって」

 言い終えると涙がぶり返し、ふさぎ込んでしまった。茂野は黙って聞いていた、何を言ったらいいか分からない、ただ、茫然とするしかなかった。

 一時限目の授業は終わっていた。


 放課後、茂野は相葉を呼び出し、朝にメイと話した場所に来てもらった。相葉は来るなり、

「メイとあの馬鹿の事でしょ?」

 問いには怒りが混じっている。

「そうだけど、姉さん、何怒ってるの?」

 茂野はちょっと怯えて、尋ねた。

「頭にも来るわよ」

 続けて、

「いくら、メイが元カレにいいようにされてたからって、そのカレシに文句付けに行って刺されるバカが何処にいんのよ?」

 早口に叫き、校舎に蹴りを入れる。

(いや、巻き込まれたってゆーか、首突っ込んだってゆーか……)

 茂野はそう思ったが、相葉の機嫌が悪そうなので、思うだけに留めた。


 メイは昔の交際相手にセックスを強要されていた。メイも気が弱く、されるがままにされていたのだが、それでも、

「もうやめよう」

 と口にはした、しかし、

「うるせえ」

 殴られ、暴力で押さえ込まれた。そんな人種に他人を巻き込むわけもいかず、躊躇しているうちに、生理が遅れるという事実が発覚した、元カレに言えば、

「知るか」

 と、二度と姿を見せなくなった。それは良かったが、妊娠疑惑はどうしようもなく、途方に暮れていたメイに、ケンイチが気付いて相談に乗った。ケンイチは妊娠検査の器具などを購入したり、産婦人科に付き添い、メイは泣きながら礼を言った(迫下に見られたのがこの場面らしい)。幸いにも妊娠は無かったが、その日にメイの元カレから電話が来た。

「責任をとるから、また付き合おう」

 先の行動からして、メイにとってそれは白々しく、

「嫌」

 と、はっきり断る。だが、彼はしつこく、

「会うだけでも」

 無理に約束をさせられ、それにもケンイチは付き合った。

 メイは、

「信用できないし、ヨリを戻したいとも思ってない」

 とだけ言い、去ろうとした。彼はキレて、メイに殴りかかろうとした。が、止めに入ったケンイチとケンカになる。ケンイチは強く、彼は手も足も出なかった。そして、彼は切羽詰まり、

「キャー!」

 ナイフを持ち出し、ケンイチを刺した。

「………!」

 血に驚いた彼は、そのまま逃げ出す。そして、立ちすくんだメイ、腹を抱えて倒れたケンイチだけが残された。ケンイチは意識がまだあり、メイに救急車を頼み、担がれていった。その後、ケンイチは通り魔に刺されたと一点張り、メイもそれに合わせた。救急車の来る間にメイと打ち合わせしたらしい。


「でも、オレらが見た事故現場が、ホントに兄さんの刺された場所とか、思わなかったね」

 相葉の機嫌が悪いままなので、本人が乗ってきてくれるような話をしてみる。内容が笑えない。

「あと、メイが茂野にだけ電話したのは、ケンイチが救急車の来る寸前に意識を失って、メイがビビッたからとかね」

 言われて、茂野はぎくりとした。特に後ろめたいわけでもないのに、なんだか、そんな気がする。茂野には何故だか解らない。少し考えた結果、それは流して、話を変えることを考えた。ケンイチへの疑問が思い出された。

「元凶は元カレなのに、何であんな事したんですかね」

 そう呟く。メイに話を聞かされたとき、この事が一番強かった。相葉がフェンスを見つめる。

「多分、後のカレシの報復を怖れたのよ。少年院とか鑑別所とかに入れられても、ちゃんと更正されるとは思えない、それよかビビッたままの方がいいってね」

 だが、視点はもっと遠くにあった。

「それが一番正しいんですか?」

 メイの昔の相手に同情する余地などあったのだろうか、そんな匂いを含ませて、聞いた。

「そんなの分かんないわ。大人なら、捕まえた方がいいって言うかもしれないけど、あのバカはもっと違うトコで見てるから」

 相葉の答えは勿体ぶったものだった。

「兄さんは何処を見てたん?」

「知らないわよ。ケンイチがどう考えて方はさっき言ったし、それも合ってるかどうかも分かんないんだから」

(姉さん、兄さんの考えることなんて手に取るように分かるって言ったのに)

「姉さんでも、分からんと?」

「私は茂野と同じよ、付き合う時間が長くても、よく分からない事もあるわ」

 どきり、とした。後ろめたいとかそういう類でなく、その言い回しやフレーズに妙に大人っぽい魅力を感じて、だ。そして、一年半近くに及ぶ付き合いの中で、ケンイチがよく分からなくなり始めている自分を見通されたような目が、なんとも言わせない。

「姉さんと同じワケないよ、オレより姉さんの方が知ってるって、同じワケない」

 茂野は揺らいだ気持ちを殺して否定するが、

「うるさいわね!」

 相葉の逆鱗に触れたらしく、怒鳴られた。

「とにかく、ここまで来たら私の出る幕なんて無いわ」

 再びフェンスを蹴りだす。相葉のこんな姿、初めて見た。

「ったく、人の、心配も、放っといて、あの、バカ!」

 このままだと開くはずのない穴を、壁に開けそうな勢いである。何だかよく分からなくなってきたが、茂野はまあまあ、となだめ、

「とりあえず、オレの話は済んだし、そろそろ、みんな集まってると思うから、玄関に行こうよ」

 などと誘ってみる。こっそり、相葉は以外と子供なのかな、という思いを秘めて。

「先に行ってて、後からすぐ来るから」

 茂野は一緒に行きたかったのだが、相葉の雰囲気になんとなく従い、みんなの元へと歩いた。


「茂野、姉貴は?」

 当の問題の人、迫下が其処にはいた。他にも愛美とあと何人か、その中にはメイもいる。そういえば、メイは何故オレだけに電話をしたのだろうか、疑問が湧く。聞こうとするが、無視された迫下が邪魔をした。

「おい、茂野って」

 じっと迫下を見る。鼻には今朝の件で張られたガーゼと穴に押し込まれた綿が見える。本人は何だよ、とたじろいだ。コイツのガセネタにも振り回されたのか、そう思うと、痛々しさへの同情よりも、腹立たしさの方が優先されてきた。

「オレも殴っといた方がいいかな?」

 茂野がぼそっとそんな事を言ってみる。迫下は慌て、

「勘弁してくれよ、オレ、朝から「鼻血ブー」とか「高木ブー」とか、ずっとからかわれてたんだぜ!」

 そのまんまだと、皆が笑う。迫下が懸命に笑い事じゃない、と言うが、それが返っておかしかった。笑い終えると、再び聞かれる。

「ところで姉さんは?」

「姉さんは後から来るから、待っててって」

『はーい』

 皆でタイミング良く返事をした。それを見、相葉は伝言だけでも威圧感があるのだなと、茂野は人知れず笑う。

「なあ、兄さんじゃなくて、オレが入院したらどうする?」

 と、茂野の思いつきで出た問いに、

「兄さんが笑って見舞に来ると思うわよ、何でも面白がる人だから」

 と、明るく愛美。

「私は何とも言えないね、ケンイチさんだったらかばってでも止めると思うよ」

 静かにメイ。

「兄さんは自分が刺されても面白がってそーだよな」

「うん、どこまでもヨユーありそう」

 と、何人か言った。

「オレだったら?」

 迫下の意見はくだらなかったので、誰も聞かなかった。その後、無駄話に変わっていったが、その中、茂野はメイにこっそり尋ねる。

「ケンイチさんは何でしたん?」

 メイは一度、目を下に、考えて、

「多分……アイツだけを悪人にしたくなかったと思う。ケンイチさんは誰からも憎まれない性格な分、誰も憎めないんじゃないかな」

 自信なさげに語った。

「私、ケンイチさんとあんなに長くいたの初めてなんだけど、「自分よりも他人」みたいな考えがものすごく強い人なんだなあって思った」

「優しい人って事?」

 茂野が首を傾げると、

「それは茂野の方がよく知ってるじゃない、そんな事聞かれても…」

 こっちが困ると下を向いた。メイとしては懸命に答えたつもりだ。自分よりケンイチと親しい茂野にケンイチの性格みたいな事を説明するのは自信がない。

 茂野としては、

(長く付き合っても、よく分からないから困ってるのに)

 と、溜息をついた。メイは少し、辛そうな顔をした。誰も気付かない。

「何の話してるの?」

 愛美が二人に寄ってきた。メイが身を引き、三人の円ができる。

「んーと、兄さんの正体かな」

 嘘は言ってないよな、茂野はメイを見る。頷き答えた。すると愛美は腕を組み、

「甘い男なのよ、自分は殺せても、絶対、他人は殺せないの」

 と、知った風なことを言った。相葉が言ったことだろう、と茂野が指す。バレたか、と舌を出して笑った。

「でも昔はそうじゃなかったらしいよ、姉さんが言ってた」

『へえー』

 茂野とメイが関心を漏らす。じゃあ、昔はどうなのか、茂野は口に出し、メイは顔に出すが、

「いや、そこまで聞いてない」

「使えん奴だなー」

 愛美の返事に、茂野は心から言った。

「ひっどーい! 大体、なんでいっつも兄さんと一緒にいるアンタがそんな事知らないのよ!」

「バカ、男は過去にこだわらないんだよ!」

「まーた、そんなトコばっか、兄さんと似るんだから、汚い!」

 言い合いの中、愛美の言葉が茂野の胸に刺さる。表に出さず、

「何言ってんだ、大体そんな事、答られない奴が悪いんだろうが!」

 と、上手くはぐらかした。

「あんたも人の事言えないでしょ!」

「だから、聞いてんだろうが!」

「何それ! バーカ!」

「へ! 言い返せないんでやんのー、お前の方がバカだ!」

「二人とも不毛だから」

 口ゲンカになり始めた二人に、メイが恐る恐る止めに入る。

 その時、

「あ」

 愛美が相葉を発見した。相葉は皆の元に来るなり、

「ケンイチからさっき電話があったわよ」

 そして、

「あのバカ、暇だからみんな見舞に来るように伝えてくれだって」

 みんな、おおよその経過しか知らないが、結果は知っている。

「何持っていこうか?」

 とか、

「見舞、勝手に食べようぜ」

 とか、笑っている。

 でも、相葉は行かないだろうな、茂野は思った。多分、自分も行かないだろう、とも。

「何考えて、何やったかは知らないけど、みんなを振り回す人だなあ」

 と、誰かが口走り、誰かが、そうだなと笑う。茂野と相葉は苦笑していた。

 そのとおり、こんだけ振り回してくれたんだから、寂しい思いをしてろ、あんな訳の分からない人は。そう思って。


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