相葉洋子 二年
帰宅部シリーズ第一弾、帰宅部の女帝「相葉」を描いた三部作。第二作目。
春
やっかいな事が起きた。
「姉ちゃん姉ちゃん!」
新しく入ってきた一年生。その娘の名前は愛美。私は普通に図書委員の仕事をこなし、普通にそこでの雑談に応じていただけだったのだが、どうやらなつかれてしまったようだ。
迷惑な話だ。私は後輩に親しまれるほどの人間じゃないし、ケンイチとクラスが変わった今でさえ、彼とは顔を会わせるだけで辛いような、自分のことで精一杯の女なのに。
後日、さらにやっかいな事が起きた。
「付き合ってください」
新入生の男子から告白された。しかも、昼休みの図書館で。図書館中の人間から注目が集まる。正直、恥ずかしい。
受けるも受けないも、私は恥ずかしさで閉口し、考えられなかった。
「姉ちゃんはまだ彼氏がいるんだから、駄目よ」
愛美が横から口を挟んだ。内容はともかく、助かった。冷静に対処できる。
一呼吸おいて、私からも断ろうとすると、
「やっぱりそうなんですね。石田さんなんですね」
向こうからもケンイチの名前が出た。言うなり、図書館を出て行った。
どうなってるの……?
疑問が頭を巡っていると、注目も去り、図書館のざわつきは消えた。消え際に周囲から、「やっぱり」という声を残して。
「愛美、どうなってるの?」
「どうなってるのって、石田先輩って姉ちゃんのカレシでしょ?」
否定も肯定もできない。厳密に言えば、別れてないが付き合ってもいない。どちらも意味が同じだ。
「で、本当のところどうなんですか?」
「何が?」
愛美が意気揚々と尋ねてくる。まったく見当が付かない。
「やっぱり石田先輩が浮気したんですか?」
「は?」
「あ、じゃあ姉ちゃんなんだ」
待って待って。
私はあわてて、司書室に愛美を連れ込んだ。あの場で問いただしてもいいが、図書館中の人間が本を読むフリをして、聞き耳を立てていたのが分かった。皆、不自然に体が傾いている。
「誰から聞いたの?」
念のために、愛美の耳元で囁いた。愛美もそれに応じる。
「噂になってますよ。石田先輩って一年の女子の間で評判になってるから、付き合ってるかどうか気になるんですよ」
それで、私の名前が出たのは分かる。でも、それだけじゃ浮気に行き着かない。
「それで浮気って?」
「はっきり言って、二人が一緒にいたことないじゃないですか。外では知りませんけど」
学外でも、付き合いはないのだけれど。こういう話になると、本当にもう付き合ってないことを実感する。そして、別れてないと心の奥から声がする。なんとも言えない痛みが走り、気が滅入る。
「それでどっちかが浮気してるって話?」
「はい。石田先輩ってプレイボーイじゃないですか。だから、石田先輩の浮気説が強いんですけど」
ぷれいぼーい……ねえ。
「ケンイチが?」
「え、だって、他の男子と違って、メチャメチャ女の子と話しますよ? 軽くセクハラ発言しますけど、優しいし。何より女性の名前を忘れないから、知り合った人にはちゃんと声かけてくれるんですよ」
確かに、ケンイチは女性の名前を覚えるのは早かった。一年の時に、クラスの女子の名前を一週間で覚えたし、一ヶ月で全学年の名前を覚えていた。そのくせ男の名前は覚えが悪く、人気のある男子に半年経っても名前を聞いていた。
今、思い出せばそれも単なるネタだった気もする。ケンイチが間もない頃に、クラスの男子を呼んでいたのを覚えている。正直に言って、影の薄い男子で私は覚えてもいなかった。(私は男女関係なく、一ヶ月もすればクラスメイトの名前ぐらい覚えられる。普通の方だと思う)
去年と同じことをやれば、今年はそういう評価になるのか。来年もきっと、同じことになるのだろうか。
それはともかく、
「で、どっちなんです?」
この噂話好きそうな後輩をどう処理するか、困った。
そういえばケンイチは変わった。
二年生になってからというもの、欠席が多くなっていた。彼が優等生だったという事もあり、その豹変ぶりに先生達は慌ててケンイチを生徒指導室に何度も呼びだしていた。だが、一向に治る気配は無い。私から見ると、彼の何かが吹っ切れたんだと思う。それが何かはっきりと分からないが、原因は明らかに私だろう。それには何の感慨も無い。私はそれが私の罪だと受け入れてしまった。そしてそれが償いようも無いことを。
図書委員は真面目にやればやるほど忙しい。今日も私は放課後になると、図書館に行って蔵書整理と生徒の本の貸し出しや返却のチェック。愛美も無駄口叩かずに、せっせと働いている。
プリントのコピーが必要で、職員室へ向かった。途中で男子に出会った。
「この前はすいませんでした」
立ちはだかるように廊下の真ん中に立ち、頭を下げてきた。ちょっと急ぐんだけどな。
「いいのよ、別に」
「お話は兄さん……石田先輩から聞きました」
ケンイチは私の兄じゃないけど。この子にとって、兄さんなのかな。っていうか、いつの間にそんな中になってるの。
「オレはそんなつもりじゃなかったんです。あの時は、もし兄さんが浮気してたなら、そんな人よりオレと付き合った方がいいと思って……」
何かまた新しい話ができてる気がする。しかも、吹聴したのが誰なのか明らかに分かる。
「本当にすいませんでした。オレは……本当に力になれないけど、お二人が幸せになることを祈ってます」
黙っていると、そのまま話を完結させて行ってしまった。あ、コピーに行かなきゃ。
コピーを済ませ、図書館に戻る。今度は誰に会うこともなさそうだ。
ガラス越しの景色を見ながら、来た道を戻る。体育館につながる渡り廊下が見える。体育館の入り口手前の階段に座っている男子が見える。ケンイチだ。
ケンイチがぼーっと座っている。
いい加減、何か話してもいいよね……さっきの子の話もあるし。
図書館にコピーを置くと、愛美に後の仕事をまかせた。不満を口にしたが、無視した。
ケンイチの背後に付けるよう向かうため、校舎内を大きく回って体育館の裏側に出る。
遠回りになったが、ケンイチはまだそこにいた。
鞄を後ろからぶつける。
「何ボケッとしてんのよ?」
何も違和感無く、(こーゆー考え方で話しかける事態、違和感があるんだけど)親しげに話しかけた。
しかし、返事はなく、ケンイチは後頭部に手を当てて震えている。
……あ。
そういえば、鞄の中にはハードカバーの本が三冊と、分厚い教科書類がぎっしり詰まっていた。
「ごめーん! 悪気はなかったのよ? ね? ね? 大丈夫?」
私は懸命にさする。すると、今度は階段でバランスを崩し、ぶち。髪の毛を引っこ抜いてしまった。
「…………!!」
ケンイチの表情は私の方からは見えないが、思いっきり静止している。きっと今、ものすごい顔をしてるに違いない。
私は取り乱しながらも心配して尋ねる。
「ほ、ホントに大丈夫?」
「ああ、大丈夫……」
ケンイチは平然と答えた。何か瞳に青いモノが見えるが……大丈夫そうだ。
「……で、どうした? そっちから話しかけてくるなんざ、珍しいじゃねえか?」
驚いてしまった。
用件を聞いてきたケンイチは、私の知ってるケンイチとは違っていた。例えるなら触っても痛みを感じないほどに厚く形成された瘡蓋。その傷を気付かないフリをしている感じ。
「どうした?」
同じ語句で、今度は様子を尋ねる。どうやら私はかなり呆けた顔をしたらしい。
「あ、いや、告白された男子の事で……」
「ああ……ワリィ、ちょっと嘘言っちまった」
ケンイチの話では私は親の借金で借金取りに付けらられてるらしい。それで、ケンイチに迷惑がかかると考えた私は、距離を置くように頼んだ。彼は悩んだ末、私から離れることを決意した。自分がまだ高校生で、お金も無く、守ってやれるような力も無い。また、自分が側にいることで、巻き込まれたときの彼女の苦悩を考えてのことだった。
さっき、私と告白してきた子の話をすると、
「最初は『守る』って息巻いてたんだけどな……。『本当によく考えて、出来ると思ったんなら証明してから告白しな』って念押したお陰かな。義理堅くて頭のいいヤツでよかった。ただの馬鹿なら通用しないからな」
微笑むケンイチ。私は納得するが、
「よくもそんな嘘を本当のように言えたわね」
デタラメを信じ込ませたケンイチの口に呆れる。
「モノは言い用だからな。警察に捕まっても、口任せで逃げられるぜ」
得意気に豪語。
……やっぱり違う、瘡蓋で本心が全く見えない。
「何だよ、さっきからボーっとして? 話すのは久しぶりでも、珍しい顔じゃねえだろ?」
「あ……いや、随分と話してない間に言葉使いが変わったなーって」
私はそのままの感想を言う。中身の違いは言わない、触れられるのを拒絶してるかのように見えたから。
ケンイチは意外そうに、
「そうか?」
聞き返すと、
「まあ、友達連中とバイトの先輩方が口悪いからな。慣れてく内にうつ感染っちまたんだろ」
今度は苦笑いして説明した。
「なんかさ、おっさん臭いわよ。まるで十年くらい話してなかったみたい」
「……十代の人間にンな事言うなよ。ただでさえ老けてんのによ、相葉にまでンな事言われたら、傷つくじゃねえか」
「アンタ、そんな事で傷つくタマじゃないでしょ」
「…………」
あ、なんかマズイ事言っちゃったかな……?
警戒して様子を見ると、プッと吹き出し、
「ははははは……! オマエも老けたこと言うなあ!」
「失礼ね!!」
言って私も笑う。二人でしき頻りに笑う。そんなに笑うような話ではない。
この笑いはどっから来たモノなんだろう?
それを問いつめるのは怖ろしくて、二人でただ笑った。
その後、二人で何を話したかは覚えていない。
きっとこれが私たちの『さよなら』。
そしてこれが私とケンイチの新しい『こんにちは』。
それから私とケンイチは再び、放課後の図書館で話すようになった。
そうして、
「誰?」
ある日、ケンイチが連れてきた一年生。告白してきた子だ。
「ああ、茂野って言うんだ。未だに、お前の事が……」
茂野と紹介されたその子はいきなりケンイチの口を手で塞いだ。
「んー?」
ケンイチはしかめっ面をして抗議するが、
「兄さん、それは言わない約束!」
茂野は小声で注意している。背中越しになんだか懸命なのが分かった。
「んー、ん」
ケンイチは了解したのか、何度も頷いている。茂野が納得して手を放すと、
「んでコイツがお前のことな……」
「兄さん!」
茂野が追っかけ、ケンイチが逃げる。逃げながら、
「相葉のことなー!」
わざとらしく何かを伝えようと大きく口を開き、
「わー! わー!」
その何かを誤魔化そうと大声で叫ぶ茂野。……もう何が言いたいか分かるって。
しばらく走り回ると帰ってきて、
「もー、兄さん!」
茂野が泣きそうな声でケンイチを呼び、
「わーった、わーった。言わねえよ」
ケンイチは茂野の意図を理解する。だが、
「でな、コイツがお前……」
懲りずにまだ言うケンイチ。
「もう、いい!」
諦めて講堂を去る茂野。ケンイチは慌てることなく、私の横に座っている。
「追わなくていいの?」
私は面白がって聞くと、
「ああ、帰ってくるよ。見てろ」
間。
「来ないね」
「あれ?」
ケンイチは不思議がった顔で講堂出口まで様子を見に行く。すると、
「スキあり!」
出口の横から足が出てきて、ケンイチが蹴っ飛ばされる。茂野が姿を現し、
「やーい、ひっかかった、ひっかかったー! バーカ!」
倒れたケンイチにお返しとばかりに貶すと、こっちに戻って来る。
「お久しぶりです、茂野って言います。普段は兄さんと遊んでるんですけど、相葉先輩とはまた話がしたくって、兄さんが相葉さんを紹介するって言うんで、付いてきました」
今までのことは無かったかのように、自己紹介してくる。凄い子だ。……なんか意地悪したくなっちゃうなあ。
「話って、どんな?」
私は声色を変えて、なるべく相手が戸惑いそうなイントネーションで尋ねた。
「え? いや、その、まあ、色々とあって……」
茂野は私のそれが通用したらしく、しどろもどろに言葉を濁し始めた。……面白い……。
「もっと詳しく言って」
甘えた声で言う私。なんか誘惑してるみたいだなぁ……。
「いや、そのー、なんて言うんですかね……そのー」
茂野が真っ赤になって困り果てている時、
「はじめてキャバクラに行った男か、お前は?」
後ろからこっそり近づいたケンイチが、ごきごきごき!っと一気に茂野の首をひねる。
「うっわ……」
スゲー鈍い音……。思わず声を上げる私。
「おおおおお……!」
茂野は首を両手で抑え、痛さなのか音の凄さなのか、とにかく膝を突いた。
「首の間接を鳴らしたぐらいで、大げさな……」
ケンイチは呆れるが、
「いや、フツービビるって……」
ツッコミを入れずにいられなかった。
こうやって。
二人で話してたら、茂野が来て。
三人で話してたら、愛美が来て。
どんどん人が増えて、いつだったか『帰宅部』と呼ばれるようになった。
帰宅部なら同じ人間はいくらでもいるのに、私たちのグループはそう呼ばれた。
ケンイチがいるからできたモノだろうか、私がいるからできたモノだろうかそれとも、ケンイチと私でできたモノだろうか?
要因はどうでもいい。ここに、みんなはいる。きっと誰かが、私の知らないところで私とケンイチみたいに恋をし、私とケンイチではできなかった支え合いをして、私とケンイチに相談を持ちかけてくるのだろう。
今、時間はゆっくり、そして、早く過ぎていく。
えーすいません。後半、走ってしまいました。
後に主流となる帰宅部のテンションがこんな感じになると思っていただければ、ありがたいです。