V戦士インタビュー 星渡晃兵
今季大日本リーグ28球団の頂点に立った大連バトルシップス。その大いなる覇権に貢献した選手たちの様々なドラマをインタビューを通じて迫る。今日は不動のトップバッターとして活躍した大連の若きスピードスター星渡晃兵外野手に話を聞いてみた。
インタビュアー(以下イ)「東洋一おめでとうございます」
星渡晃兵(以下星)「ありがとうございます。目標としてきたので本当に嬉しいというか、やったぞという感じですね」
イ「まず、今季を振り返ってみて、星渡選手にとって今季はどのようなシーズンだったでしょうか」
星「とても充実したシーズンでした。チームが優勝を争う中で自分もチーム全体もどんどん良くなっていくのを感じたし、それで結果も出たので。その点はすごく満足しています」
イ「個人成績については?」
星「今季は統一球なのでホームランという点ではやはり減りましたね。それは来年以降の課題ですけど、それ以外の、特に打率に関しては3割を目標にしてきたので。それに盗塁もとりあえず40ってのはあったので、達成できて良かったなと思います」
イ「今季はプレーがより積極的になったように感じました」
星「ええ、それは自分でもかなり意識しました。もう24になりますからね。そろそろ期待じゃなくてしっかりした実績を残さないといけない時期。今のままに固執してはいけないと思って」
イ「その結果が今季の成績につながったわけですね」
星「いやあ、まだまだですよ。来年はタイトルも取りたいし、そのためにはもっと鍛えないといけない。現状に浮かれたらあっという間に取り残されるのがこの世界ですからね」
イ「さて、お話は変わりますが、星渡選手が野球を始めたきっかけは何でしょうか」
星「父はラグビー、母は陸上、兄はサッカーというスポーツ一家なんです。父は何でもいいから熱中するものを見つけるようにとよく言っていました。で、僕が小3の時に野球やりたいって言うとすぐグローブを買いに行った。兄はサッカーで周りの友達も静岡だし結構サッカー派が多かったんですけど、自分は自分だしってのもあって。松枝東ファイターズってチームでした」
イ「小学時代のポジションは?」
星「結構色々やりましたね。レギュラーになったのは4年で、その頃はライト。5年でセンターやレフト、それにピッチャーもしましたね。6年はピッチャーメインだった。でもそんなに強いチームじゃなかったし、遊びの延長みたいなものでした」
イ「打撃については?」
星「内野安打が多かったですね。足は速かったし左(打席)なので。小学生の頃は全然パワーなくて、やせてたから長打はほとんどなし。ワイヤーみたいな手足ですよ。変わったのは中学時代からですね」
イ「中学時代はどう変わったのですか?」
星「成長によってパワーがついてきたのもありますが、一番大きかったのは2年の時に県大会で勝ち進んだ事ですね。これでやれるじゃんって思った(笑)。それとこの活躍が雑誌に載ったんですよ。バネが凄いとか将来有望とか書かれてて、はっきり言って調子に乗りました(笑)。見られてると意識されるともっといいところ見せようとなるし、そのためにはどうすべきかってのもだんだん見えてきたような気がする。とにかく、自分は注目されたほうが燃えるタイプなので」
中学時代にそのたぐいまれな身体能力を見込まれ、各地から注目を浴びるようになった。中には東京の高校からのスカウトもあったという。その中で星渡は、地元と言える富士見ヶ原高校に進学した。
イ「中学時代に静岡中の評判となり、東京の高校からもスカウトされたそうですが、富士見ヶ原高校に決めた理由は何でしょうか」
星「まあ兄と同じだとか家から近いってのもあったんですけどね(笑)、最後の決め手となったのは鈴木守弘監督です。兄からも話は聞きましたが『いい監督さんだぞ』って(笑)」
イ「入ってみてどうでしたか?」
星「厳しかったですよ、それはもう。毎日帰宅すらままならないほど疲れました。鈴木監督は『お前をプロにするのが俺の仕事だ』っていつも言ってましたから。監督のお陰で自分も『絶対高校からプロになってやる』と思うようになりました」
イ「プロのスカウトから注目されるようになったのはいつ頃でしょうか」
星「2年生の夏の大会ですね。県予選でピッチャーとして決勝戦まで行きました。背番号は10でしたが、凄い素材がいるみたいに言われて。ただピッチングよりも俊足とかバッティングフォームに癖がないみたいな事をよく雑誌に書かれてましたよ。投手としての評価はほとんどなかった」
イ「投手としてはどうのようなタイプだったのでしょうか」
星「投手としての技術は全然なかったですね。それこそ身体能力だけで、それでも143キロ出るのは凄い、みたいな感じで。ただ自分でもピッチャーとしてはそこまででもないというか、プロとなると厳しいかなとは自覚していました。投手に未練はありません」
一度も全国大会に出場できなかったため一般的な知名度は低かったが、大連のスカウトは外野手の最有力候補として追跡を続けてきた。そして第2次ドラフト会議の1人目、全体で言うと棚橋に次ぐドラフト2位で指名した。
イ「ドラフトでは大連の2位指名でしたが」
星「正直2位は驚きました。中位指名だと聞いていましたから。聞いたのは授業中でしたが大連の2位指名って先生から聞いたとき『嘘でしょ』って言っちゃいましたから(笑)」
イ「大連の印象はどうでしたか」
星「日本列島以外に言ったことはなかったので多少は不安でしたけど、プロになれるのだから場所がどうみたいなこだわりはなかったですね」
星渡2位指名はファンやマスコミにとってまったく寝耳に水の指名であった。本人の実力よりサッカー選手星渡利一の弟であるといった報道が目立った。しかし間もなく「星渡利一の弟」ではなく「星渡晃兵」としてファンの耳目を集めるようになる。プロ1年目から二軍のセンターに定着。打率は.238と1年目にしてはなかなかの数字を残した。また、チーム最多の26盗塁を決めるなど早くも高い身体能力を見せた。
イ「プロ1年目の印象はどのようなものでしたか?」
星「まず二軍キャンプの初日から全然違いました。とにかくみんな大きい。それで速い。僕は今でも小さいほうだし新人の頃はもっとでしたから、どうしよう、居場所なんてあるんだろうという怖さがありました」
イ「しかしシーズンでは二軍のセンターに定着しました」
星「監督が使ってくれたのが大きかったですね。でも自分としてはもっとこうやりたいのに未熟だから全然できなくて。野球をやってて一番きつかったかも知れません」
イ「それは具体的にどういうことでしょうか」
星「それまではただ身体能力だけで野球をやっていたんだと思い知らされましたね。林(葉輔)さんが怪我から復帰して二軍で調整するのを見ましたが、力を入れている風でもないのに打球が凄い勢いで飛んでいく。それに比べて自分は力任せで不恰好なフォームで恥ずかしかったですね。フォームに関しては未だに満足していません。林さんは流れるように美しいフォームだけど僕のはもう全然ぎこちなくて。野球技術を貪欲に追求するようになったのは1年目がようやく終わりかけてからですね」
イ「じゃあ1年目の成績については」
星「ええ、全然満足していませんでした。それに野球選手は一軍でやってなんぼですから。でも自分はそれに値しないと分かっていた。成長するしかないのになかなか進めなくて、怪我しなかったのは幸いでしたよ」
2年目、当時大連の監督を務めていた潔原勇仁(52)によって春季キャンプ一軍スタート組に抜擢される。俊足を買われてのことだった。この頃、大連は盗塁王を獲得した経験のある三浦修吾(39 現在解説者)の足が衰えを見せており、新たなトップバッターが求められていた。
イ「そして2年目には一軍で起用されるようになりました」
星「足の速さは確かに上のほうだったので、まずそれを切り口に一軍出場できれば、ぐらいの考えでした。打撃に関しては全然でしたし未熟なのは自覚していましたから。でも紅白戦やオープン戦で偶然ヒットが出て開幕まで残った」
イ「初出場はいつでしたか?」
星「それが開幕戦だったんですよ。相手は新京で、7回に李安重さん(現台北二軍打撃コーチ)の代走で。今は安東にいる野瀬(久幸)さんがピッチャーでした」
イ「結果はどうでしたか」
星「その時は特に何もなくて。でも凄く緊張しましたよ。牽制も凄い勢いで迫ってきて、ビデオで見ると帰塁が明らかに変な動きで(笑)。初打席は次の試合でピッチャーは久慈(一正)さん。何も出来ずに三振でしたね。監督にとにかく振って来いと言われたので、それは実行しましたけど(笑)」
イ「結局この年は67試合に出場して打率.220でした」
星「ほとんど代走とか守備固めだった気がします。試合感覚を身につけるために二軍の出場も多かったので忙しい年でした。でもこの年は色々学べました。一軍のスピード、それについていくにはどうすればいいか。ウェイトトレーニングを始めたのがこの年のオフからですね」
3年目は星渡にとって飛躍の年となった。レギュラーとして123試合に出場、打率.274本塁打3盗塁21とブレイクを果たした。また、この年限りで三浦が京都に移籍して2年後に引退。それ以降、大連の1番センターは星渡で固定される。
イ「3年目からレギュラーに固定されました」
星「この年のキャンプで三浦さんが怪我したので潔原監督はオープン戦で多く使ってくれました。これはチャンスだという事で今まで以上に積極的にアピールしましたね。打撃も守備も一歩が大事というか、とにかくミスをしても前へ前へと意識しました。確か打率は3割超えて開幕戦スタメンまで行きました」
イ「その開幕戦で今や伝説となっているファインプレーが生まれました」
星「バッターはハルビンのマテオ・ソサ(32 現マイナーリーグ)で、長打に警戒して下がっておけという指示は出ていました。打球は左中間へのかなり強いライナーで、走っても届くかちょっと不安でしたが、それを振り払うように走って無我夢中でジャンプしたら取ってて。もうこの時点で頭は空っぽ、全部吹っ飛んでました。でも内野を見るとランナーが結構離れていたので、とにかく届けと二塁に投げると意外といい球で(笑)、とにかくすべてにおいてうまくいきすぎでした」
イ「これで潔原監督は星渡選手を使い続けようと決心したそうです」
星「そういう意味では本当に大きかったですね。自分としてもこういう無我夢中に頑張っていくしかないと改めて思いました。それで1年、途中息切れもしましたが一応持ったというのは自信にもなりました」
イ「そしてその翌年となる一昨年は3割到達、劉監督に代わった昨年は20本塁打と打撃も開眼しました」
星「自分としては去年の20本より一昨年の3割のほうが嬉しかったんです。1番打者ですから、もちろんホームランも必要ですが塁に出てなんぼですから。そういう意味では四球が少ないのはもっとどうにかしないと、とか思っています」
イ「星渡選手の理想とする選手像は?」
星「とにかくファンからの信頼が大事ですね。星渡なら大丈夫だろうと思われたいです。そしてそれを長く続けたい。大連といえば星渡のいるチームと思われるぐらいに。林さんはそこまで行っていますが自分は全然。目標は林さんですね」
イ「最後に、来季に向けて一言お願いします」
星「今季はチームとしても個人としても納得できる成績を上げられましたが、まだこれが完璧ではないと思っています。目標としてはまず打率3割、その上でホームランも狙っていきたいし盗塁もガンガン仕掛けていきたい。そうした積み重ねによってチームの目標である連覇も見えてくるはずです。ファンの皆さんの応援は本当に力になりました。来季も変わらぬ声援をよろしくお願いします」