特別SS 船上のスタジアムその1
昨年の11月23日の事であった。この日は大連が沖縄で行ってきた秋季キャンプ打ち上げの日。午前にストレッチやキャッチボールが主体の、軽く体を動かすだけの簡単なプログラムをこなした後で、星渡晃兵の音頭によるキャンプ打ち上げの三本締めが行われた。
「ふう、終わった終わった。今年はきつかったぁー」
「ほんと、今シーズンは本当に色々あったよな」
「そりゃホッシーやターナーは1年戦ったからな。俺なんて実質1試合だけだぜ」
「でも優勝できたのは健さんのおかげですよ。いいなあ、僕もホームラン打てれば」
「いやいやお前には向いてないからやめといたほうがいいだろカッパよ」
「そりゃ、そうですけどねえ。やっぱりゼロじゃさみしいですよ、ねえ」
「まあでもそれで率残せなくなったらやばいだろうし、難しいよねバッティングは」
長きにわたるシーズンの戦い、そして敗北を許されない短期決戦を制した後に即キャンプ行きを命じられた若手選手たち、星渡晃兵、棚橋和隆、大上徳博、李健太郎の同年代4人組がグラウンドの片隅に集まって雑談をしていた。2月のキャンプインからずっと野球野球野球のまま11月まで来たので、話の内容も野球中心になるのは当然であった。
「でもようやく終わってほっとしたわ。今シーズン」
「おいお前ら、なに終わった気でいるんだ」
不意にバリカンのような重低音が響いた。4人は声の主は大連の守備走塁コーチである小早敷俊悟だと本能的に知覚した。小早敷コーチは熱血指導で知られるベテランコーチで、特に目をかけた選手は徹底的に「かわいがる」。特にノックは絶品で、右へ左へ早く遅く打球を飛ばしまくり、ヤマを張ろうにもうまくかわされるのでノックから解放されると足がふらついてバッタリ倒れこんでしまうのが日常である。小早敷コーチの声イコールノックの掛け声ということで、大連の特に内野手の全員が恐怖の声として脳に刷り込まれている。
「ええっ、コーチこそ何言っているんですか。だってもう三本締めもしたし、終わりじゃないんですか」
「おいおいボケるなよ星渡。最後に大事なイベントがあるのを忘れたのか」
星渡の疑問をシャットアウトすると小早敷コーチは一枚のチラシを4人の前でピシッと広げた。そこには「戦場は船上 11月23日 大連VS吉林」という文字が大きく書かれており星渡、赤坂と吉林の若き切り込み隊長である京寺紳一郎(21)とキャッチャー綱木昌吾(24)、そして両軍の監督が腕を組んでいる写真が躍動していた。
「ああ、そうか。お前らはシリーズに脳味噌を使いすぎたからこっちをインプットできてなかったんだな。ちょうどいい、全員集合しろ」
小早敷コーチの大号令の元にぞろぞろと選手が集合してきた。具体的にはルーキー赤坂忠徳、2年目の松浦心と平野錦、途中加入のドラグノフと池田武治、大日本シリーズで大活躍した水内賢といった面々。最年長は29歳の宮畑圭助で、30代が皆無のまさに若手集団である。
「どうも知らなかった奴がいるようなので言っておく。俺たちはこれから大連に戻る。そしてそれと同時に試合も行ってもらう」
「はわわ、それどういうことです」
「おい松浦よ。お前も知らなかったのか」
「すみませんまったく知りませんでした。ねえ、知ってたかい錦?」
松浦は隣にいる小学生以前からの幼馴染でもある平野錦に問いかけた。平野は表情も顔の向きも変えずに目線だけをちらと松浦のほうに向けてから小声でつぶやくように答えた。このような陰気な話し方は平野の性格そのもので、開けっぴろげな松浦とは対照的だが、この2人は小さい頃から不思議と馬が合っていた。
「ああ、船の上で試合するんだろ。相手は吉林。というかお前、知らなかったのか」
「へえ、知らなかったなあ。って、船の上で試合ってそんなのできるん?」
「だからそれは」
「ああ、平野、もういい。説明はこれから俺がする」
平野の言葉をさえぎって小早敷コーチが説明を開始した。それによると大連の親会社である幸波グループが船の中にスタジアムを搭載した新型の超大型客船を建造したので、そのスタジアムの杮落としが今日これから行われるという事だった。しかも、どうやらこの話を知らなかったのは松浦、李健太郎、棚橋、星渡だけであったらしい。大上は知っていたが流れ上訂正する時間がなかったとの事。
「やっぱり知らなかったのはウチが誇る馬鹿4人だけか。ある意味さすがだな。それにしても東洋一のチームがこんな体たらくとは」
「それにしてもすごいや。金持ってるなあ、さっすが幸波グループ」
「そういえば揺れとか大丈夫なんですか」
「最新の船揺れ防止装置がついているから大丈夫、との事だ。それに航海にも細心の注意を払うようだ。ただ揺れに弱い奴はあらかじめ言っておけよ。観客の前でゲロゲロされると迷惑だからな」
小早敷コーチの隣にいた田所路雄打撃コーチが補足説明と警告をしたが、野球選手である以上グラウンドでプレーしたいのは当然である。水泳の授業とは訳が違う。名乗り出る者は皆無であった。それを確認すると一旦解散し、選手たちはロッカールームに引き上げて荷物を整理した。間もなくチームのバスは空港ではなく港に向かって出発した。