大連監督列伝その2
五代目 成木文彦
現役時代は千葉でエース格の活躍を見せた。その後札幌に移籍してベテランの味を見せた。本来は82年限りで引退する予定だったが野神監督に勧誘されて大連に渡った。大連では10勝4敗と最後の意地を見せ、翌年に野神監督とともに引退。大連コーチ、解説者などを経て大連の監督に就任。「火中の栗を拾うようなもの」という声もある中、大連にとって初となる球団OBが監督就任となった。
まず手をつける必要があったのは内野陣の整備であった。そこで成木監督が注目したのが大卒ルーキーながら高い守備力を秘める鳥内隆幸で、彼をショートに定着させる。そしてファーストには松尾を置いた。加齢に加えて怪我による練習不足がたたって恰幅が良くなった松尾だが元々センスは抜群、ファーストの動きを瞬く間にマスターした。レフトには俊足巧打タイプのフレッド・バニアーが入った。しかし天沼頼りの先発陣が苦しかった。結局成木監督初年度は4位と、1つ順位を上げたもののBクラスに終わる。
そして2年目の99年、積極的な補強に出る。トレードで朴や浜岡を放出してリードに定評のあるキャッチャー劉瑞生、粘り強い打撃が特徴のサード田所路雄を相次いで獲得。また、戦力外になっていた王成海もリリーフとしてよく働いた。先発は呂勝公の覚醒と国本の復帰で天沼を支える軸が出来た。また、元気者の中森吉明やベテラン小早敷といった代打陣もここぞの場面で活躍。光州とのデッドヒートを制して5回目のカンファレンス制覇を成し遂げた。
監督のキャリア後期は劉や王の引退、松尾や田所の衰えといった高齢化問題に悩まされながらもリリーフに黄直哉を抜擢するなどの仕掛けを見せた、当時の黄は速球で牛耳るタイプだった。怪我からの復帰を経てサイドスローに変わったが現在でも大連のブルペンを支えている。しかし全体的な戦力の低下は否めず監督5年目にして4位に逆戻りしてしまうと、ここで潔く退任した。下町生まれらしいさっぱりした引き際だった。昨年死去。
98年 4位/6
8三浦
7バニアー
4クイン
9林
3松尾
6鳥内
5安正泰
2程志門
1天沼
99年 1位/6
8三浦
7バニアー
5田所
9林
3松尾
4クイン
6鳥内
2劉瑞生
1天沼
00年 3位/6
8三浦
7バニアー
5田所
9林
3松尾
4クイン
6鳥内
2劉瑞生
1国本
01年 3位/6
8三浦
6鳥内
7バニアー
9林
5田所
3松尾
4クイン
2伊勢田
1天沼
02年 4位/6
8三浦
6鳥内
7バニアー
9林
5田所
3松尾
4李慶智
2伊勢田
1天沼
六代目 飯島昇一
現役時代は大連の、というよりむしろ幸波大連に所属する社会人を代表する大砲という印象が強いかも知れない。強打の一塁手で、明るい性格からチームのムードメーカーとしても活躍した。86年あたりからベンチに座る場面も多くなったが、代打としても怖さのある選手だった。引退後も大連に残り、長らくコーチや二軍監督などを務めた。03年に満を持して監督に就任。大連生え抜きのOBが監督に就任した最初のケースである。
まずはベテランが多かった成木監督時代の清算をする必要があった。そこで獲得したのはユーティリティープレイヤーであるクラウド・ノーリーである。初年度はクインの代わりのセカンドとして獲得したが、内外野どこでも守る器用さゆえに便利に起用された。林が磐石のライト以外はシーズンを通して守った経験があり、しかも2年連続で同じポジションにはいないという万能さだった。ファーストには中森を起用したが、先発では代打の時のようには躍動できなかった。リリーフでは移籍加入の通順平がストッパーとして定着した。
2年目はバニアーを退団させて陽気なメキシコ人のフリオ・ケンペスを獲得。勝負強い打撃と美形で高い人気を得た。3年目にはルーキー近堂貴久が高い打撃力を見せてセカンドに、サードにはパワーのある白永平が定着した。また先発には呉章広、ウィラード・エスターリンが台頭したが天沼や国本に衰えが見られた。リリーフには西坂有司がストレートを武器に出てきた。しかし全体的に膠着した雰囲気の打破が出来ず、順位は5位4位と来て、8球団に増えた05年も4位に終わった事から退任が決定した。
監督自身のパーソナリティーもあるが、中森やケンペスといった明るい選手の躍動もあり、それまでの「各自が仕事をきっちりこなす地味な職人集団」というイメージから一転、「陽気な船長のもとに気のいい船乗りたちが集う」という雰囲気になった。飯島監督時代は順位こそ振るわなかったものの観客動員はむしろ増加したという意外な功績がある。現在は野球評論家として相変わらず陽気に大連を応援している。また、現在の主力選手がこの時代に多く加入しているのも見逃せないが、それらの選手が活躍するのはまた後の話である。
03年 5位/6
8三浦
6鳥内
4ノーリー
9林
3中森
7バニアー
5田所
2伊勢田
1天沼
04年 4位/6
8三浦
6鳥内
5ノーリー
9林
7ケンペス
3田所
4江良九
2金銘新
1天沼
05年 4位/8
8三浦
6鳥内
3ノーリー
9林
5白永平
4近堂
7ケンペス
2伊勢田
1呉章広
七代目 潔原勇仁
現役時代は主に2番ショートとして活躍。広い守備範囲に正確な送球はアメリカでも通用すると言われ、小早敷と組んだ二遊間は鉄壁と評された。打撃はホームランは少なかったものの小技に優れ、選球眼が良かったのでよく四球を選んで出塁していた。現役最終年となる95年にもレギュラーとして100試合以上に出場したが守備力の衰えを理由にこの年限りで引退。現役引退後は守備走塁コーチとなり、飯島監督時代にはヘッドコーチとして腕を振るった。そして飯島監督の後任として監督に就任した。
潔原監督は飯島監督が手がけたチームの世代交代をさらに進めた。磐石の1番センターだったが高齢化した三浦の後継者、キャッチャーとファーストのレギュラー不在といった問題に手をつけた。ここで抜擢したのが今もレギュラーとして活躍する清水尚起と柳中平である。それまでは二軍でくすぶっていた選手を発掘してチームを活性化させた。そしてセンターには星渡晃兵がまさにスピードスターとして君臨するようになった。先発投手は天沼から吉野大吾に王位継承が行われた。
一方なかなか固定できなかったのはリリーフとレフトであった。リリーフは黄が負傷した後、野藤秀親や趙雅憲などを起用したが決定的なパワーがなかった。監督最終年に小松原泰誠を見出してようやく西坂に回すセットアッパーが固定されたが、小松原は怪我が多く磐石とまではいかなかった。レフトは06年にケンペスが不調に陥って以来、折口元文や水内賢といった新戦力、ノーリーや三浦をコンバートさせるなど色々試したがこれといった選手が出ず、活躍したとしても長く続かなかった。
08年は3位に入り、8チーム制になってから初めてプレーオフに進出したが翌年は近堂の不調、鳥内の怪我と二遊間の人材を失った事で7位に低迷。この年限りで潔原監督体制は終わりを迎えた。温厚な性格で誰からも慕われ、若手や二軍暮らしが長い選手も分け隔てなく起用することで本当に使える人材を見極めた事で昨年の栄冠の土台を作ったと評される事が多い。采配面では動きが少なく、勝負師という面は薄かった。現在は独立リーグ旅順の監督を務めながら解説者としてテレビに出演する事もある。
06年 4位/8
8三浦
6鳥内
7ノーリー
9林
5白永平
4近堂
3柳中平
2清水
1天沼
07年 5位/8
6鳥内
8ノーリー
4近堂
9林
5白永平
3柳中平
7三浦
2清水
1吉野
08年 3位/8
6鳥内
5ノーリー
4近堂
9林
7折口
3柳中平
8星渡
2清水
1エスターリン
09年 7位/8
8星渡
4ノーリー
6本郷
9林
5パウロ
3柳中平
7水内
2清水
1エスターリン
八代目 劉瑞生
大連の現監督である。現役時代は移籍を繰り返す控えキャッチャーだったが大連では優勝に貢献した。現役引退後はアメリカでのコーチ修行を経て台北、吉林などのコーチや二軍監督として腕を振るった。大連の監督になったのは一昨年で、就任2年目となる昨年はチーム史上初となる東洋一を達成した。大連の監督で一番在籍期間が長いのは森沢監督の6年だが、それを破るか注目されている。
鹿取奉善GMと二人三脚でチーム作りをしており、大胆なトレード策が特徴である。西坂、白、鳥内など主力であろうと容赦なくトレードで放出する事でチームにダイナミックなうねりを作り出しつつ張尊、瑞穂智幸など実力のある選手を獲得してチームの軸を固めた。さらに昨年は赤坂忠徳、松浦心、平野錦、比山仁、棚橋和隆などの若手を抜擢。彼らの活躍なくして勝利はありえなかった。レフトはロッド・ヤード、カルロス・アンジェロなどの外国人に任せていたが今年はトレードで呉清元を獲得して固定を目指す。
采配に関してはあれこれ指示するよりも選手の実力を信頼して自主性に任せている部分が多い。しかしここぞの場面では勝負を賭けた采配も見られる。また、理論家でありながらその理論を情熱的に伝える事が出来るので選手から信頼されている。まだまだ歴史は続くのでこれからの記述がどうなるか分からないが、現時点においては大連の歴史に残る名将となる資格十分である。
10年 4位/8
8星渡
6ノーリー
5パウロ
9林
3柳中平
7ヤード
4森茂
2清水
1吉野
11年 1位/8
8星渡
3柳中平
6棚橋
9林
5パウロ
7アンジェロ
4近堂
2清水
1吉野
12年 1位/8
8星渡
4大上
6棚橋
9林
5パウロ
7呉清元
3柳中平
2清水
1吉野