V戦士インタビュー 林葉輔
昨年は大連の4番として打率.347に20本塁打106打点という成績で首位打者と打点王の二冠、そしてMVPを受賞しチームは東洋一と最高のシーズンを送った林。現役21年目にして今がピークと言えるような大活躍だった。今年40歳を迎えるがまだまだ衰えを見せない球界の至宝は今年をどのように迎えるのか。
インタビュアー(以下イ)「昨年は素晴らしい活躍でした」
林「ありがとうございます。まあ、去年はね、チームの勢いに釣られて気付いたらああいう成績だったという感じでしたね」
イ「むしろ林選手が若手の多いチームを引っ張って、それに触発されて若手が伸びたという印象でした」
林「そうですかね。まあ、いずれにしろ若い選手が出てくるのはいい事ですよ。僕ももういい年ですし僕がいなくても大丈夫ってなるぐらいでないとね」
イ「しかし実際問題林選手の成績は抜群なので今年も林選手が中心となるでしょう」
林「まあ、若い選手が伸びるのは刺激になるし、星渡君や棚橋君がもっともっと出てきたらそれがチームにとって一番いいことだよ」
イ「それにしても、昨年首位打者、打点の二冠に加えMVPまで獲得しましたが、ここまでの成績を残した要因は何だったのでしょうか」
林「まあ色々あるけどね。普通は長くやる事で技術を覚えるけど肉体が衰えるのでせっかく覚えた技術や感覚をフルに使えなくなる。でも去年は体がよく動いたので技術をよく発揮できたのが大きかった」
イ「体が動いたのはなぜでしょうか」
林「去年から新しく古武術を取り入れたストレッチをしているけど、これが僕にとっては良かったのかも知れない。それに若い選手が出てきて順位も良かったから精神的に張りが出たってのもね。どれかひとつが正しいという話でもないし曖昧になるけど」
林は兄の背中を追って野球を始めた。高校時代、甲子園に3回出場して実力派スラッガーと注目されるようになったが、その瞳には常に兄の背中が映っていたという。
イ「では、林選手のプロ入り以前の話を伺いますが、野球を始めたのはいつでしたか」
林「小学3年生の時でしたね。年が1歳上の兄が野球部に入っていたので僕もという感じで。兄は右だったけどじゃあ僕はその逆でという事で左にしました」
イ「生まれついての左利きではなくてそういう理由があったのですか」
林「まあ、ね(笑)。字を書くのも箸を持つのも右で、左利きなのは野球関係ぐらいですよ。野球部の練習に最初は左のグローブだったけど、ある時どうしてもグローブが見つからなくて仕方なく右のグローブで練習した事もあった。それぐらいちゃらんぽらんでしたから」
イ「小学時代のポジションはどこでしたか」
林「最初の2年は控えでしたね。兄はもう外野手でスタメンだった。兄みたいに試合に出たいと思って練習していました」
イ「林選手にとって兄は憧れのプレイヤーだったわけですね」
林「今でもそうですよ。兄は僕より野球がうまいって今でも思っているし尊敬している。で、僕は5年の時にライトになった。打順は8番でね」
イ「選手としてはどうでしたか」
林「まあプロなんて夢のまた夢のまた夢って感じでしたね。ほとんどヒットは打てなくて。ただ四球は多かったからそれなりに使ってもらえたんでしょうね」
マイペースな野球人生を送っていた林だが転機が訪れたのは冠崎高校に進学してから。林の入学と前後するように急激に力をつけてきた同校は林が2年生の時のセンバツ準優勝、続く夏の甲子園では全国制覇と「冠崎旋風」を巻き起こし、クリーンナップとして活躍する林の長打力に注目が集まった。
イ「選手としてプロから注目され始めたのはいつからでしたか」
林「これはもうはっきりしていて高校からですよ。もっと具体的に言うと高校1年から2年に変わるとき、春のセンバツで活躍したからです」
イ「圧倒的な打撃力をバックにセンバツは準優勝となり冠崎旋風と言われました」
林「その時は5番でした。4番は元京城で今は解説者の生田部(渡海)さんで。1年の秋ぐらいから打球が飛ぶようになったのでスタメンに使われるようになった。今思うと手首の使い方を覚えたのがその時だったね」
イ「当時からポジションは外野手でしたか」
林「そうですね。左投げですから。でも僕は不器用だから仮に右投げでも内野はとてもできなかったと思いますよ。今でもゴロの処理とか不安になりますから」
イ「そしてセンバツの決勝戦で先制となるホームランを打つなど大活躍でした」
林「あの試合はねえ。今でも思い出すことがありますよ。奈良県の天智高校とでしたが実力差は明らかだった。僕がホームランを打てたのはまぐれだったし、チームとしてもそれ以外の得点は取れなかった。でもその悔しさがあったからこそ夏はさらに頑張ろうと思えるようになった」
イ「そして夏は全国制覇を達成しました」
林「その時の1年の一人が立石(篤志)で、立石はいきなり守備も打撃も抜群だった。夏が終わり、生田部さんが引退した後は僕がキャプテンになりました。正直あんまりいいキャプテンじゃなかったと思いますが」
イ「それはどうしてでしょうか」
林「自分の事ばかりに精一杯だった気がする。チームのことは副キャプテンの竹部(俊次 元社会人PDL電器所属の内野手)にまかせっきりで迷惑をかけました。『背中で引っ張る』というといささか我田引水ですが、まあそんな感じで」
イ「プロを志望していましたか」
林「なれればなりたかったけど指名がなかったら大学でと考えていたので勉強も欠かしませんでしたね。ドラフトでは大連から3位で指名されましたがまったく迷いはありませんでした」
そしてプロ入りした林。当時の大連は、それまでの6年で2度の優勝を果たした森沢監督が退団し、新たに矢尾村監督が就任という時期だった。矢尾村新監督は林の素質に目をつけて一軍で育成を開始、林はそれに応えて一流選手の階段を登っていった。
イ「大連はどのような印象でしたか」
林「あの頃はまだチーム自体がプロになってそんなに間がなくて、加盟したというニュースを僕が何となく覚えてるぐらいでしたから。でも大陸では強いほうと聞いていたし、野球をやるならどこでとかは全然なかったし、機会をくれてありがとうございますとしか思っていませんでしたね」
イ「矢尾村監督はどのような監督でしたか」
林「僕にとってもプロは最初だったのであの頃は何も考えずただ一生懸命頑張ってただけでした。ただそういった姿勢が矢尾村監督に気に入られたのかも知れませんね。当時の外野にはレフトに大物打ちの(ウォルター・)ディクソン、センターは松尾(涼)さんで、ライトは今コーチの高橋(秀紀)さんや永岡(泰範)さんでしたが、僕は割と贔屓されて起用されていました」
イ「矢尾村監督は常々『林を育てる事が俺の仕事だ』とおっしゃっていました」
林「その頃はまだ実績もなかったので期待が怖いと感じる事もありました。しかしそのお陰でここまで来たので矢尾村監督には感謝しています」
イ「その起用に応えて初めて規定打席に到達した3年目には優勝を果たしました」
林「でも成績はあんまり良くなかったはず(.254 21 54)。5年目にようやくタイトルを取って矢尾村監督に報いたかなという所で監督は光州に行きました」
イ「続く松山監督の時代は球団史上初となる最下位を経験するなど苦しい時代を過ごしました」
林「チームが世代交代の時期だったし怪我人も多くてなかなか歯車がかみ合わなかった。松尾さんも確か怪我で1年を棒に振ってましたし。固定されていたのは4番ライトの僕と1番センターの三浦さんぐらいだったはず。打順はそれこそ毎日のように変わって色々試していました」
イ「その中でホームラン王を獲得しました」
林「確かに毎日が嵐のように大変な状況でしたが自分は伸びていたし、その時その時は無駄にしたくないといつも思っていました。そうやって伸びることが出来た結果がタイトルもそうだし今でも現役というところにつながっているはずです」
イ「そして成木監督にバトンタッチします。その2年目には現監督の劉瑞生らベテランが加わり優勝を果たしました」
林「劉監督は1年目からチームの精神的支柱と言いますか、軸になっていた。今もそうですが当時からとにかく選手の心を掌握するのがうまかったですね。何でもわかっているような懐の深さがあって、誰からも信頼されていました」
イ「次の飯島監督が就任した頃から林選手はベテランとして精神的にもチームの中心となっていきました」
林「20代まではただ突っ走って行くだけでしたが30代になるとそれだけではいきませんからね。振り返ることも多くなった。でも結局は前進を続けないといけない仕事だから、色々と小さな変革は常にしてきました。古武術もそうだし、トレーニングもウェイトトレーニングを増やしたり食事に気をつけたり。まあ何でもしましたね」
イ「その中で打点王を獲得するなど相変わらずの実力を発揮しました」
林「まあタイトルなんてそういう数字になりましたというだけですからね。若い頃の勢いはもう出せない中でどれだけ自分を高める事が出来るか、自分の全てを出し切る事が出来るかが重要になっていきました」
イ「潔原監督時代に2000本安打を達成しました」
林「そういうのもね、監督に愛されてきたという数字ですよ。でも達成したときは長くやってきたなとは思いましたね。でも自分より年上の生田部さんや小金井さんがまだまだやれている限り自分だってまだまだこれからとは思ってきました。生田部さんは一昨年引退しましたが、自分はまだやれるしチームが必要と思うまでは現役でやり続けたい」
かつては30代後半には力が衰えて引退する選手が多かったが現在では40歳を超えても活躍する選手は多い。林もそういった鉄人の列に加わるのだろうか。そして不惑を迎える林に今年にかける意気込みを聞いた。
イ「現在の劉監督になってから若返ったというか、さらに野球選手としてステップアップした印象を受けます」
林「それは潔原監督時代からずっと若くて素質のある選手が出てきていい刺激となっているのもあるし、劉監督を胴上げしたというモチベーションもあった。自分のためより人のためとなったほうが力が出る、そんな気がします」
イ「さて、今年に40歳を迎える林選手ですが、今年にかける意気込みを教えてください」
林「気付いたら40という感じですね。不惑と言いますが全然そうなる気配がないですね。まあ、年齢も目安の数字みたいなもの。40歳でも体が動くならスタメンで使われるし動かなくなったら使われなくなるでしょう。そういった部分は劉監督に任せるだけです。ただチームに害をなす前に潔く引退したいですね」
イ「ファンとしては林選手のプレーはずっと見ていたいところでしょうから今年も活躍を期待しています」
林「そりゃあね。できる事をやるという姿勢でここまで来たし出来ないことは出来ません。僕の場合は足はないし守備も平凡だから打撃が落ちたらもう終わり。まあそれが逆に目標をクリアーにしている感じもありますが」
イ「今季の目標について、具体的な数字はありますか」
林「とりあえず去年の数字ですね。ただ去年は正直できすぎという部分もあったので、打率はとりあえず.280ぐらい、ホームランは2桁に打点は70って所かな。4番ならば打点にはこだわりたい。星渡君とかトップバッターはいいんだし、中軸がしっかり点を取ってあげないともったいない」
イ「今年も4番を守っていきますか」
林「まあ打順は別にいいんですけどね。僕をぶっ飛ばすような選手が出てきたらそれが一番いいですよ。そのときには心置きなく引退できるでしょうね」
イ「最後に、ファンに向けて一言お願いします」
林「長い間応援していただき本当に感謝しています。今年も勝利によってファンを喜ばせたいですね。そして球団史上初となる連覇を目指して頑張りたいです」