V戦士インタビュー 松浦心・平野錦
大連投手陣に今季突如出現した新星であった松浦心と平野錦。幼稚園の頃からずっと一緒だったという両腕がプロ2年目にして先発にリリーフにとチームを支えた。今日はこの2人にインタビューを試みた。
インタビュアー(以下イ)「東洋一おめでとうございます」
松浦(以下松)「ありがとうございます。まだ実績もあまりないのにインタビュー受けるとは思っていませんでした」
平野(以下平)「2人合わせてやっと一人前と」
イ「そんな事はありません。松浦投手は先発、平野投手はリリーフを中心にチームを支えて勝利に貢献しました」
松「正直今年は出来すぎでした。ただ一生懸命投げていただけだったので」
平「実力というか流れに乗ってここまで来たというか、去年の自分に現状を説明しても分かってもらえないでしょうね」
イ「しかし松浦投手は10勝、平野投手は防御率1点台と偶然では出来ない好成績です」
松「正直10勝という実感はあまりないんです。それよりも夏場に崩れて連敗して二軍で調整を命じられた時のほうが頭に残っています。先発としては規定投球回数に到達する事は大きいので、自分の力不足というか1年間を戦う体力のなさを痛感しました」
平「まずはワンポイントリリーフという役割を与えられたのでしっかりこなしたら終盤には1イニングを任されるようになって。僕の基本は左打者をしっかり抑える事なので、それは通用したので良かった」
イ「2人は幼稚園の頃から一緒だったそうですね」
松「近所ですから。歩いて1分以内に家がある。で、家の近くに工場があって、その駐車場でよくキャッチボールして遊んでました」
平「ずっと友達でした。キャッチボールもそうだし、ココロン(松浦の愛称)は宿題とかあんまりしないからよく『写させて』って来たり」
松「はは、そんなのもあったかな。でもニッキ(平野の愛称)は僕と違って真面目ですから」
平「はっきり言って性格は全然違うんですけど、だからこそ性格がかみ合うという部分はあるかも」
イ「ところで2人が野球を始めたのはいつでしょうか」
松「それこそ幼稚園の頃からキャッチボールとかしてて、当時で言うと広島の山口(泰久 現広島投手コーチ)さんのフォームを真似したりしてましたね。小学2年生の時に一緒に野球部に入りました。他の選択肢はありえなかったというか、基本的に野球一筋でした」
平「最初はもちろん控えで、大体小学4年ぐらいからスタメンでも出るようになりました。ポジションは僕が大体ライトで」
松「小4の頃はセカンドが多かったですね僕の場合は。で、投手は5年生の時に監督にやってみろと言われて。6年の頃にはピッチャーかサードでした」
平「5年からはセンターが多くて、6年の時に左だからという事で投手もやりました。フォームは普通に上からで」
松「でも当時からボールに変な回転かかってたよね。打とうとしたら何かゴロになるような」
平「あれは握り方が分かってなかったから。自然に変化してたから試合中審判に声をかけられた事もあった。ルールでは変化球禁止なのに変化球を投げてるんじゃないかと。わざと投げてるんじゃないしどうしようってなった」
イ「中学時代はどうでしたか」
松「中学時代は外野が多かったですね。自分としてもその頃は投げるより打撃が楽しかったので、ピッチングはあんまり練習してませんでした」
平「僕は左なのでピッチャーでした。控えの」
松「僕も少しはピッチャーとかやってましたが身長がグングン伸びてきて、ピッチングの感覚がバラバラだった。ホームへの距離感がつかめなくて酷いノーコンで(笑)」
平「少し分けてほしかった(現在の松浦の身長は189cm平野は170cm)」
イ「高校時代について聞きますが、緑ヶ原高校に進学した理由は何でしたか」
松「近いからです」
平「同じく」
イ「えっ、それだけですか」
松「スカウトとか来る選手じゃありませんでしたから。野球を職業にしたいというのもなくて、ただ好きだから、楽しいから野球をやっているというだけでした」
平「野球は高校までだろうって思っていました。はっきり言って野球が盛んな高校でもなかったし」
イ「意識が変わったのはいつでしたか」
松「高校2年生の夏ですね。その頃は控えピッチャーでしたが、メインだった先輩が前の試合で怪我をして僕が登板する事になったんです」
平「しかも相手がその時甲子園に出場した広耀高校で、ピッチャーには今大学で活躍している都河大和さんで」
松「どう見ても敵う相手ではないので逆に力が抜けたというか、あの頃の実力からすると完全に出来すぎなピッチングでした。試合は」
イ「そのピッチングからスカウトの注目を集める存在となったわけですね」
松「ある球団のスカウトさんが雑誌で僕を都河さんより上のランクなんて書いてくださり、その秋からはスカウト的な人が増えてきて。でも実際自分にはそんな実力はないけどスカウトの人をがっかりさせたくない。僕が本格的に練習を始めたのはその頃からでした」
イ「平野投手の高校時代はどんな選手生活でしたか」
平「とりあえず投手で。でも身長があまり伸びなかったしココロンみたいなストレートはなかった。そこで打たれにくいフォームを研究しました。特に和谷投手の。和谷投手は来季からアメリカに行くそうですが、一番好きな選手だしきっと成功すると信じています」
松「アンダースローになったりナックルボール投げたり、いつも研究をしていた」
平「サイドスローにしたのは2年の秋。何かしっくり来たというか、最初投げてみると上から投げるよりもストレートが伸びてきたので。それに変化球も曲がりやすくなった」
松「元々揺れる球だったけどサイドにしてからは威力があって大きく揺れる球になったという印象。打撃練習では全然打てなかった」
平「だから評判悪かった。フリーバッティングなのに全然打てないからと。でも僕の場合はそれを狙ってやったから」
松「ああ、やっぱりわざとか。『もっと打ちやすい球を投げろ』って言うと打ちにくい球投げてたよね」
平「まあ、性格悪いから。今更ながらごめんなさいと謝罪しますが、僕もあんな身長でもプロを狙っていた。松浦を見るスカウト振り向かせようと手抜きをしたくなかった」
高校3年時、大連は松浦を単独1位指名する。それまでは広島に隠れた好投手ありと密かに流れる程度の知名度しかなかった男が一躍全国区に登りつめた瞬間であった。一方平野はその年の育成枠で入団。待遇は異なれど同じ大連であった。
イ「そして高校3年生のドラフトとなりますが、松浦投手は1位指名でした」
松「驚きしかありませんでした。熱心だったのは京城と福岡で、3位や4位であるかもという話は聞いていました。自分としては広島だったらいいなとぼんやり思っていましたが本当の所はどこに何位で指名されても行くつもりでした。もちろん1位なんて思ってもいませんでした」
平「授業中に野球部の監督だった辻先生が血相を変えて『おい、松浦お前1位だぞ』って飛び込んできて。最初は何の話か分からなかった」
松「辻先生はそういうジョークは言わないタイプでした。でも嘘や冗談だと思った。でもインターネットで確認したら大連1位指名の欄に『松浦心 投手 緑ヶ原高校』ってあってやっと信じました」
平「それからマスコミの人が来てヤラセ撮影した(笑)。授業中に辻先生が来て『大連1位指名松浦』って言ったら僕らがワーって大騒ぎして(笑)」
松「それから会見もしましたが全然考えてなかったので困った(笑)。『大連の印象は、港です』とかちゃらんぽらんな事言ってた(笑)」
平「正直うらやましかったり悔しかったりはあった。でもこれでドラフトは終わりじゃない。秋に向けて頑張ろうと誓った」
イ「平野投手は秋に育成枠で松浦投手と同じ大連入団が決まりました」
平「ココロンが指名されてからは色々な感情が出てきて大変だった、と今なら言えます。指名されてなかったらどうなってたか、ちょっと考えたくない」
松「それまでに増してフォームが独特になったよね。ちょうど鳥が羽ばたくような感じで派手だったのとか」
平「あのフォームはあまりコントロールがつかなかったのですぐやめた。ストレートの威力よりもっと丁寧なところを求めていった」
イ「そして昨年がプロ1年目でしたがプロはどう感じましたか」
松「きつかったですね。体力も技術もないけど期待されているのは。夏場まではずっと走っていた記憶しかありません」
平「ただいきなりきつくしごかれたお陰でかなり体力がついた。フォームの軸が安定したのが大きかった」
イ「そして松浦投手は7月28日に二軍で初登板。7試合で3勝1敗防御率2点台となかなかのピッチングを披露しました」
松「高校時代は10球中2球程度だったいい球を5球は投げられるようになったのが夏頃でした。城下(淳之)コーチからは『自分の武器で勝負しろ。逃げるな』と励まされて、基本的にはストレートで押すピッチングでした。秋のキャンプで盧光重コーチからスライダーを教わりましたが、それまでは本当にストレートぐらいしか知らなくて」
平「僕はその頃フォームについて色々試行錯誤していて、大分形が見えてきたところでした。二軍での登板は確か3試合ぐらいだったはず」
イ「その通り、3試合3イニングで2失点でした」
平「9月には今のフォームでいこうとなりましたが、足腰でしっかり自分の体を支えられないといけないので秋季キャンプやオフはずっと走りこみでしたね。これもトレーナーの陳遠朋さんがメニューを作成してくださったので実行すると確かに強くなりました」
松「もう高校時代のズボンは入らないからね」
平「元々打ちにくい球を投げているのでもっとひねくれよう、もっと嫌らしいフォームになろうと常に考えています。来季はまた違うフォームになっているかも知れません」
2年目にしてブレイクを果たした彼らだが、真のプロ野球人生はむしろこれから始まる。来季は何を目標にするのか、そしてこれからはどのような姿を目指すのかを最後に尋ねてみた。
イ「来季の目標はどのようなものでしょうか」
松「まずは1年戦い抜く事が大事です。もちろん防御率や勝ち星といった数字は今年以上にってのはありますが、体力をつけてイニング数を伸ばしたいですね。規定投球回数まで投げたという事はそれだけ信頼できるという事なので」
平「僕も信頼という面は大事に思っています。今の大連は抑えが比山さん、セットアッパーにも野藤さんや小松原さんがいる。その中で自分という存在をアピールするには課せられた仕事をきっちりこなすしかない。特に左打者には打たれたくないですね」
イ「最後に、来季に向けて一言お願いします。」
松「大連の目標は連覇です。これに向かって僕にやれる事なら何でもやっていきたい。先発なら規定到達で2桁、防御率も今季の2.40より良くしていきたい。研究される中でどれだけやれるかで真価が問われると思っていますが、必ず勝って見せますので、ファンの皆様は来年も大連をよろしくお願いします」
平「言いたい事は大体言われましたが、スタジアムでの声援が僕らの力になるので、来年も暖かい声援を私たちに届けてくださると幸いです」