// 009 - 師弟相剋
落ち葉が跳ねた。
その瞬間、老騎士の姿が消える。踏み込みは見えなかった。ただ、空気が裂ける。次の刹那――月光を裂いて鋼が走った。
スタンの剣が跳ね上がる。
甲高い衝突音が森を切り裂いた。火花が短く散る。刃と刃が交差し、重い衝撃が腕へ叩き込まれる。スタンの足が半歩沈み、腐葉土が鈍く潰れた。
速い。そう認識した瞬間には、二撃目が来ていた。
ガラクの剣は迷いがない。横薙ぎに払われた刃が、空気を裂きながら再びスタンへ迫る。スタンは剣を返す。鋼が擦れ、火花が弾けた。だが今度は押し切れない。刃が滑り、衝撃が肩へ抜ける。
老騎士の剣は、重くない。むしろ軽い。軽いのに、止まらない。
刃が流れる。突き。返し。斬り上げ。
一つ一つの動きは無駄がなく、流れるように次へ繋がっていく。止まる瞬間がない。剣が一度振られれば、次の軌道は既に生まれている。
スタンは後退しない。だが、押されている。
刃を受けるたび、足が半歩ずつ沈む。腐葉土が鈍く軋み、枯れ葉が舞い上がる。鋼が擦れ、火花が闇へ散る。剣を交えるたび、衝撃が骨へ伝わった。
カガンは、その光景を数歩離れた場所から見ていた。
動かない。ただ、視線だけが追っている。
ガラクの剣。速さではない。技でもない。あれは――経験だ。戦場で何百、何千と刃を交えてきた者の剣だった。余計な動きが一切ない。躊躇もない。斬るか、崩すか、押し潰すか。その判断が一瞬で終わっている。
スタンの剣が弾かれる。
次の瞬間、老騎士の刃が喉元へ滑り込む。スタンの身体が捻れた。刃が外套を裂く。布が裂ける乾いた音が夜に走る。切っ先は皮膚を掠め、僅かな赤が月光に滲んだ。間合いが開く。スタンは息を吐いた。深い呼吸。だが視線は揺れていない。剣を握る手も、震えてはいなかった。
ガラクは構えを崩さない。
剣先が、静かにスタンを指している。
「……腕は落ちておらんな。だが、迷いがある」
「迷いではありません」
剣を持ち上げる。静かな動作だった。
だが、その構えには、先ほどまでよりも深い重みが宿っていた。
「選んだのです」
その言葉と同時に、スタンの足が踏み込む。鋼が閃いた。刃が交差する。火花が散る。衝撃が空気を震わせる。今度はスタンの剣が先だった。踏み込みは鋭い。騎士の正統な斬撃。力も、速度も、迷いもない。
だが――ガラクの剣が、それを受け止める。鋼が鳴る。
次の瞬間、老騎士の身体が僅かに沈んだ。力を逃がすように刃が流れ、スタンの剣が僅かに逸れる。空いた軌道へ、ガラクの刃が滑り込んだ。
刺突。速く、重い。
スタンの身体が反射で捻れる。刃が胸元を掠め、鎧の縁を擦った。甲高い音が夜に跳ねる。火花が散り、衝撃が肩へ走った。止まらない。ガラクの剣は、そのまま流れる。突きの軌道を引き戻し、刃が半円を描く。鋼が唸り、返しの斬撃がスタンの首筋へ滑り込んだ。
スタンの剣が跳ね上がる。鋼がぶつかる。
重い衝撃が腕へ叩き込まれた。受け切ったはずの刃が、僅かに押される。足裏が沈む。腐葉土が鈍く潰れた。
ガラクの足が動く。半歩。その半歩だけで、間合いが変わる。老騎士の剣が再び走った。斜めに落ちる刃。受ければ崩れる角度。避ければ踏み込まれる軌道。逃げ場を塞ぐように、鋼が空気を裂く。
スタンは受けた。鋼が鳴る。衝撃が骨へ響く。
剣を支える腕が、僅かに沈む。重い。だが、重さではない。技でもない。刃の先にあるものが、まるで違う。
――経験。老騎士の剣は、すでに次の動きへ移っている。
スタンの刃が押し返される。ほんの僅か、隙が生まれる。その一瞬を逃さぬように、ガラクの切っ先が滑り込んだ。
突き。今度は深い。スタンの身体が弾かれるように捻れる。刃が鎧を叩き、火花が弾けた。衝撃が胸へ走る。息が漏れる。
後退。半歩。だが、それ以上は下がらない。
スタンは踏み止まった。剣を握り直す。呼吸を整える。目の前の老騎士を、まっすぐ見据える。ガラクは構えを崩さない。剣先が、静かに揺れている。風に揺れているのではない。次の動きが、既にそこにある揺れだった。
カガンは、そのやり取りを黙って見ていた。
剣が鳴る。火花が散る。落ち葉が舞う。
森の中で、その二つの刃だけが動いている。
カガンは小さく喉を鳴らした。
差は、僅かだ。だが、確かにある。スタンは食らいついている。技も速さも劣っていない。だが、老騎士の剣は止まらない。刃を受けるたび、ほんの僅かずつ押されている。その差が、じわじわと広がっていく。
ガラクの足が沈む。
踏み込み。鋼が閃く。縦。横。返し。
三連の斬撃が流れるように走った。
スタンの剣がそれを受ける。鋼が連続して鳴る。火花が散る。だが三撃目を受けた瞬間、腕が僅かに遅れた。その遅れを、老騎士は見逃さない。
刃が潜る。低い軌道。足を払う斬撃。
スタンが跳ぶ。刃が腐葉土を裂いた。落ち葉が舞い上がる。その瞬間、ガラクの身体が沈み込み、次の踏み込みが始まっていた。
突き。喉元。一直線。鋼が、夜を裂いた。
その瞬間、カガンの口元が僅かに歪む。
「……遅ぇな」
呟き。次の瞬間だった。
スタンの剣が、ほんの僅かだけ角度を変える。ガラクの突きを、真正面では受けない。流す。鋼が擦れる。火花が弾ける。刃が逸れる。そして――スタンの剣が、初めて老騎士の懐へ滑り込んだ。
ガラクの眼が、細く絞られる。鋼が、唸った。スタンの刃は迷いなく伸びる。踏み込みの重みを乗せたまま、一直線に老騎士の胸を捉えに行く。速い。今この瞬間だけは、確かにスタンが先だった。
だが。ガラクの身体が、僅かに沈む。
それだけだった。ほんの指一本ほど、重心が落ちる。刃の軌道が僅かに空を掠める。その空隙へ、老騎士の剣が滑り込んだ。
鋼が擦れる。甲高い音が森へ跳ねた。スタンの刃は胸を貫かない。老騎士の剣がその軌道を押し流していた。刃と刃が絡み、金属が低く唸る。
次の瞬間、ガラクの肩が回る。
短い動き。だが、それだけで刃の向きが変わる。押し流されたスタンの剣が外へ逸れる。空いた懐へ、老騎士の肘が入り込んだ。
衝撃。鈍い音が響く。
スタンの身体が後ろへ揺れた。息が漏れる。体勢が崩れる。だが、完全には崩れない。足裏が腐葉土を掴むように踏み締める。
それでも。刹那の遅れは、生まれた。
ガラクの剣が走る。返しの斬撃。横。鋼が月光を裂く。
スタンの剣が跳ね上がる。受ける。だが完全には間に合わない。
刃が鎧の縁を叩き、火花が弾けた。衝撃が肩へ走る。足が半歩、滑る。老騎士の踏み込みが止まらない。距離を詰める。近い。近すぎる。
ガラクの刃が、短く走る。
突き。腹。スタンの身体が反射で捻れる。切っ先が鎧を叩く。鈍い衝撃が腹へ伝わった。呼吸が一瞬だけ止まる。
そして、次の刃が既に動いている。
カガンは、それを見ていた。静かに。まるで他人事のように。
だが視線は、老騎士の足へ落ちている。
踏み込みの癖。重心の沈み。刃の戻し方。
すべてを見ていた。そして、理解する。
――ガラクは、強い。
カガンは小さく息を吐いた。
視線を戻す。スタンが押されている。完全には崩れていない。だが、削られている。ほんの僅かずつ。確実に。このままなら、いずれ届く。
老騎士の刃が――スタンの喉に。
カガンは肩を竦めた。
「……面倒くせぇ」
小さく呟く。
そして、腰の剣の柄を、軽く叩いた。
次の瞬間、ガラクの剣が再び走る。
縦。鋼が落ちる。スタンの刃が受ける。火花が散る。衝撃が腕へ走る。
だが――その刹那。別の鋼が、夜を裂いた。
甲高い音が弾ける。
ガラクの刃が、弾かれていた。老騎士の目が、僅かに動く。その前に立っていたのは――カガンだった。片手で短剣を持ち、気だるそうに肩を回す。
「水を指して悪いが……」
軽い声だった。
「コイツには、死なれちゃ困るんでな……」
月光が刃に落ちる。
その刃先が、静かに老騎士へ向いた。
「ここからは……俺も参加させてもらうぜ」
森の空気が、静かに張り詰める。
老騎士の視線が、ゆっくりとカガンへ向いた。その眼に、初めて僅かな興味が宿る。スタンは息を整えながら、剣を構え直す。
そして今度は――二人並んで、老騎士と向き合った。
落ち葉が、風もないのに一枚だけ落ちる。
次の瞬間、三つの刃が――同時に動いた。




