人間という生物に対して
嫌い
嫌いではあると言う風に言った方がいいのかも
自分の価値観ばかりを押し付けているようにしか見えない
私と言う1人の人間を殺している風にしか見えない
別に太宰治の書いた人間失格の主人公のように理解出来ないわけではない
理解はしているし、自分勝手な嗜好で好いている人もいる
人間という大きな枠組みで見れば嫌いという話だ
ここでまためんどくさいのが、一個人として見ていけば大体の人に対して
好きでも嫌いでもないという変な心情が浮かんでくる
ではなぜ嫌いなのかと言われると言葉が詰まってしまう
考えてみれば私というものを理解してくれないからかもしれない
仲良くなった友達でさえ好きと思えない感情の薄い人間に理解なんて誰もしてくれないだろう
こういう子なんだなっていうのは分かるけれど、それが理由で好きにも嫌いにもならない
本当に好きなやつは2人だけしかいないし、そう考えると私は好きになるまでに理解して、認めてもらって、全部を知ってもらうっていうめんどくさい工程があるからなのかもしれない
尊敬している人だっているし、面白いなって思う人もいる
果たしてその人たちのことを本当に胸を張って好きと言えるかって言われたら違うのかもしれない
まあそんなこと言ったって好きになることに対して何か執着があるわけでもないし、ただいれば安心する人といればいいっていう話なんだ
そうは思っていてもこれが私が浮いている理由なのかもしれないけれど
必死に人間のことを好きになろうとする時点で側からみれば滑稽だ
本当に好きになる相手だったらそんなことをしなくてもいいのかもしれない
今いる友達とは時間をかけてゆっくり好きになっていけばいいんだからって思っている自分がいることにも驚きだ
これを共感して、感想をくれて仲良くなれる人はこの世界で何人いるのか気になって仕方ない
こんなくだらないことを考える暇があるのだったら勉強して上を目指せばいいって思うけどね
ちなみに私の尊敬している人はたくさんいる
特に文豪
江戸川乱歩さん
人間椅子とかいう最高傑作
本当にそこにいる人間のように描かれているからびっくりする
太宰治さん
人間の心情を理解し、言語化して書いている作品が多く、そういう部分は私も影響を受けている
走れメロス、人間失格などは若いうちに読んで起きたい
中原中也さん
汚れちまった悲しみにで有名な方
中原さんの書く春日狂想のような少し壊れているような詩が好き
ここまでは文學だったが、人間として尊敬するならばという話
キュリー夫人
努力をして、女性で初めてのノーベル賞受賞者
何回もこの方の伝記は読んでいる
ヘレン•ケラーさん
三重苦を乗り越え、生涯を障害者の福祉と教育に身を捧げた素晴らしい人
恩師のアン•サリバンさんとの二人三脚で歩んだ人生は何度でも人々に希望を与えていくだろう




