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偽りの娘と、本当のオムライス ②

俺の「食事療法」はそれからも続いた。

毎日のように厨房に立ち、リリアの栄養バランスを考えたメニューを試行錯誤する。時には失敗することもあったが、その度に料理長に頭を下げて教えを乞い、錬金術の知識を応用して、新しい調理法を編み出していった。

ヴァイスハイス家の料理人たちは最初こそ俺の奇行を遠巻きに眺めていたが、俺が真剣に料理に取り組む姿を見るうちに次第に協力的になっていった。俺が開発した「錬金術的調理法」に興味を示し、意見を交換することさえあった。


そして、リリアにも明らかな変化が現れ始めた。

相変わらず感情の起伏は乏しい。だが、俺が作った料理を食べる時だけはその表情がわずかに和らぐようになった。

そして何より、彼女の顔色が見違えるように良くなったのだ。青白かった肌には血の気が戻り、目の下の隈も薄くなってきた。

栄養状態が改善されたことで、ホムンクルスとしての身体機能も安定してきたようだった。


そんなある日のことだ。

その日は俺の「食事療法」の集大成ともいえるメニューに挑戦していた。

子供が好きな料理の定番、オムライスだ。

もちろん、ただのオムライスではない。チキンライスには細かく刻んだ数種類の野菜を混ぜ込み、栄養価を高める。

卵には牛乳の代わりにマナ回復効果のある薬草を少量混ぜ込んだ特製のミルクを使う。そして、ソースはトマトをベースに隠し味として、疲労回復効果のある果実のジャムを加える。

味、栄養、そして錬金術の粋を集めた、まさに「ヴァイスハイト家特製・薬膳オムライス」だ。


我ながら完璧な出来栄えのオムライスを皿に盛りつけ、俺はリリアの待つ食卓へと運んだ。

「リリア、お待ちどう」

「これはなんですか?」

リリアは目の前に置かれた黄色い塊を、不思議そうに見つめている。

この世界にオムライスという料理は存在しないのかもしれない。

「オムライス、という料理だ。俺の故郷のな」

いやいや、故郷はここだろうに。

うっかり前世の知識であることを漏らしてしまったが、まあいいだろう。

「さあ、食べてみろ」


リリアは言われた通りにスプーンでオムライスをすくうと、小さな口に運んだ。

その瞬間だった。

彼女の紫の瞳が、これまで見たことがないほど、大きく、大きく見開かれた。

そして、その瞳から、ぽろり、と一粒の涙が零れ落ちたのだ。


「り、リリア!?」

俺は慌てて彼女のそばに駆け寄った。

「どうした!? まずかったか? それともどこか具合でも……」

パニックになる俺の前で、リリアは首を小さく横に振った。そして、零れ落ちる涙をそのままに震える声で、こう言ったのだ。


「……おい、しい、です」


「……え?」


「おいしい……。こんなにおいしいもの……初めて、食べました……」


しゃくり上げながら、彼女は必死に言葉を紡ぐ。

そして、涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、それでも彼女は笑っていた。

ぎこちなく、不器用で、引きつったような笑顔。

だが、それは間違いなく彼女が自らの意思で見せた、生まれて初めての「笑顔」だった。


その笑顔を見た瞬間、俺の中で何かが決壊した。

ああ、そうか。

俺はこの笑顔が見たかったんだ。

破滅フラグの回避だとか、自分の未来だとか、そんな事よりもだ。

ただ、この偽りの娘に心からの笑顔を取り戻してやりたかった。それだけだったのかもしれない。


俺はしゃがみこんで彼女の頭を優しく撫でた。

アレクシスの記憶の中では決してしなかった行為。だが、俺は自然にそうしていた。

「そうか……。美味しかったか……」

「はい……っ、はい、お父様……!」


リリアは俺の手にすり寄るようにして、声を上げて泣き続けた。

それは悲しみの涙ではない。

閉ざされていた感情のダムが、温かい食事によって決壊し、溢れ出した、喜びの涙だった。


俺は泣きじゃくるリリアを、ただ黙って抱きしめていた。

彼女の身体は小さくて、温かかった。

偽物の娘? 禁断のホムンクルス?

そんなことはもうどうでもよかった。


この腕の中にいるのは俺が守るべき、たった一人の大切な娘だ。

その事実が、何よりも確かな手触りをもって、俺の心を震わせていた。


(俺は父親になれたのだろうか)


答えは分からない。

だが、この温もりを失わないためなら、俺はどんな困難にも立ち向かえる。

そう、強く、強く思った。


食卓の上では湯気の立つオムライスが、俺たち二人を優しく見守っている。

それは偽りの親子が、本当の親子になるための、最初の儀式だったのかもしれない。


この日を境に俺たちの関係は少しだけ、変わった。

リリアはまだ口数は少ないが、俺と話す時に時折はにかむような笑顔を見せるようになった。食事の時間には「次は何を作ってくれるのですか?」と、期待に満ちた瞳で尋ねてくるようにもなった。

俺もまた、彼女との時間を、心から慈しむようになっていた。彼女の些細な変化の一つ一つが、俺にとっては何物にも代えがたい喜びだった。


だが、そんな穏やかな日々の裏で、破滅の足音は確実に俺たちに近づいていた。

俺が厨房に立つ姿は使用人たちの間で「若様はお嬢様のために人が変わられた」という好意的な噂として広まっていた。しかし、その噂は屋敷の外にも漏れ伝わっていく。

そして、その噂を、決して聞かれてはならない人物の耳にも届けてしまうことになる。


俺が最も恐れていた女。

アレクシスの元妻にして、リリアの母親。

そして、俺の人生を「汚点」と断じた、傲慢で自己中心的な権力者。


イザベラ・ド・ヴァレンティン。


彼女が俺の変化に興味を抱くのにそう時間はかからなかった。

俺が築き始めた、ささやかで温かい日常。

その上に巨大な暗雲が立ち込め始めていることを、俺はまだ、知らなかった。

俺とリリアの、本当の戦いはまだ始まったばかりだったのだ。

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