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星降りのシエル ①

三度目の夜。悪夢から目を覚まし、悪夢に戻る。

手にはじわりと熱い血の感触がする。

地下工房の中は死の匂いが満ちていた。

俺自身の血の匂いと、もう機能しなくなりつつある肉体の、腐敗に似た匂い。

魔法陣の紅い光だけが煌々と、この世の終わりを照らし出すかのように輝いている。


俺の意識はもうほとんどなかった。

二日間、自らの血と魂を捧げ続けた代償。

身体は鉛のように重く、指一本動かすことさえ億劫だった。

視界は白く霞み、耳鳴りが絶え間なく続いている。

胸の傷はもう何度も抉りすぎて、感覚がなくなっていた。ただ、そこから俺の命が絶え間なく流れ出ているという事実だけが、ぼんやりと認識できる。


(……もう限界か……)


俺は壁に寄りかかったまま、荒い息を繰り返していた。

水を飲む力さえ、もう残っていない。

喉は干上がった砂漠のようだった。


だが、不思議と心は穏やかだった。

魔法陣の輝きは安定している。

それは儀式が順調に進んでいる証拠。

二つの命が俺の犠牲によって救われようとしている。

リリアのあの苦しそうな寝顔はもう穏やかなものに変わっているだろうか。

ティアナは長い眠りから、目を覚ましてくれただろうか。


(……ああ、そうだ。俺はこれを、したかったんだ)


アレクシスの果たせなかった願い。


『この身をもって償い、死をもって苦痛から解放される』


その願いを、今、俺は確かに果たしている。

自分の命と引き換えに二人の少女を救う。

そして自らはこの永遠の苦痛から解放される。

これ以上の贖罪と喜びがあるだろうか。


これで、いい。

これで、終わるんだ。

俺の、罪深い、第二の人生も。


俺の脳裏にリリアとの短い、しかし幸せだった日々の記憶が、走馬灯のように駆け巡っていく。

初めて俺の料理を「温かい」と言ってくれた、あの夜。

初めて「美味しい」と、涙を流しながら、笑ってくれたあのオムライス。

庭で、邪気に蝶を追いかけていた、あの日の姿。

「お父様と、ずっと一緒にいたい」と、俺の服の裾を、小さな手で強く握りしめてくれた、あの温もり。


(すまない、リリア。約束、守れそうにないな……)


ぽつり、と。

乾ききっていたはずの瞳から、最後の一粒の涙がこぼれ落ちた。

もっと、一緒にいたかった。

もっと、色々な場所に連れて行ってやりたかった。

もっと、たくさんの、美味しいものを、食べさせてやりたかった。

父親らしいことなど、何一つ、してやれなかったな。


(でも俺はお前の父親をやれて、幸せだったよ……)


その思いだけが、冷たくなっていく心の中で、唯一、温かい光として、灯っていた。

俺は静かに瞼を閉じようとした。

二度目の「死」を、穏やかに受け入れようと。

その瞬間だった。



―― ドォォン!! ―――



工房の固く閉ざされていたはずの扉が、凄まじい音を立てて弾け飛んだ。

何事かと、俺がかろうじて薄目を開けると。

そこに息を切らせて、立っている一人の人影があった。


逆光でその表情はよく見えない。

物騒な事に小さい猟銃のようなものを構えている。

あれでドアを壊したのか?

だが、そのポニーテールに揺れる赤みがかった茶色の髪は。

俺が忘れるはずもない。


「……シエル……?」


かすれた声で、俺はその名前を呼んだ。

なぜ彼女がここに?

この場所は誰にも知られていないはずだ。


「……はぁ……はぁ……。よかった……、間に合ったぁ……!」


シエルは肩で大きく息をしながら、工房の中の、惨状を見渡した。

血の海。

禍々しく光る魔法陣。

その中央で、血塗れになって、死にかけている俺。

彼女の大きな瞳が信じられないものを見るかのように絶望と、恐怖に大きく見開かれていく。


「お前は…、いつも、呼んでもないのに来るんだな……」

「なにを言ってるんですか。いつも呼んでるのは先生ですよ、助けてくれって」

「そんなの…、言ったこと…」

「星に願いをって言うじゃないですか。星術って誰かの願いが見えるんです。さぁ、助けに来ましたよ」


その震える声に俺はなぜか、安堵している自分に気づいた。

ああ、そうか。

俺は誰かに見つけてほしかったのかもしれない。

この孤独な贖罪の最期を。


俺は朦朧とする意識の中、最後の力を振り絞った。

そして彼女に向かって、微笑んでみせた。

俺が彼女に伝えなければならない、最後の言葉。


「あぁ、そうか。なら、ちょうど、よかった……」


俺の罪の告白を。

最後の願いを。

聞いてくれる相手が、来てくれたのだから。


俺はこの歩く死亡フラグに俺の全てを、委ねる覚悟を決めた。

結局俺はこの女の前で死ぬ定めだったのだ。

決められた破滅ルートは変えられなかった。

でもそれが俺にできる最後の、そして、唯一の甘えだったのかもしれない。

ラノベ1冊分にプロットを絞った結果オミットされた設定ですが、シエルの武器はイカれた魔力任せで撃つ銃です。お母ちゃんは猟師で、お父ちゃんの店の客でした。シエルは身を隠して獲物を狙いつづける技術に長けている子です。

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