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歩く死亡フラグ(ヒロイン)とのエンカウント ②

数日後。

俺は旧校舎の工房で、新たな錬金薬ポーションの精製に取り組んでいた。

ティアナ・ミルフェを救うための一歩だ。

魂喰いの揺り籠のバイパス構築にはまだ時間がかかる。それまでの間、彼女の消耗したマナを補い、体力を回復させるための、応急処置的な薬が必要だと判断したのだ。


「……『太陽の雫』をベースに『月の涙』で安定化させ、隠し味に『妖精の粉』を少々……」


俺は錬金術の知識と、前世の栄養ドリンク開発の経験を融合させ、独自のレシピを組み立てていた。材料はどれも学園の薬草園で採取できる比較的一般的なものだ。だが、その配合比率と、錬成時のマナの込め方に俺だけの特別な工夫を凝らしている。

完成したポーションは淡い黄金色に輝き、ほんのりと甘い香りを放っていた。これならば、薬が苦手な者でもジュースのように飲めるだろう。


問題はこれをどうやってティアナに渡すか、だ。

俺が直接渡せば、確実に怪しまれる。特に彼女の親友であるシエルに。

誰か、第三者を介して渡すのが最善だろう。だが、俺にはこの学園にそんなことを頼めるような親しい人間は一人もいない。


「困ったな」


俺が完成したポーションの入った小瓶を手に腕を組んで唸っていた、その時だった。

工房の扉が、控えめにコンコン、とノックされた。


「誰だ?」

俺は驚いて扉の方を見た。この工房の場所を知っている者はごく僅かなはずだ。

返事はない。だが、扉の向こうに誰かがいる気配は確かにする。

俺は警戒しながらもゆっくりと扉を開けた。


「何の用だ?」


そこに立っていたのは俺が今、最も会いたくないと思っていた人物だった。


「あ、あの……ヴァイスハイス先生……」


おずおずと俺を見上げてくる大きな瞳。ポニーテールに揺れる赤みがかった茶色の髪。

シエル・クロウリー、その人だった。


「なぜ、ここが分かった?」

俺の声は自分でも驚くほど、冷たく響いた。

シエルは俺の威圧的な態度にびくりと肩を震わせたが、それでも何かを決意したようにぐっと唇を引き結んだ。

「その……先生を探して、学園中を歩き回っていたら、偶然……」

「偶然、だと?」

「ははい! この扉から、なんだか美味しそうな……甘い匂いがしたので、もしかしたら、と思って……」


俺は自分の手の中にあるポーションの小瓶に視線を落とした。確かにこの薬は甘い香りがする。彼女の鼻はどうやら犬並みに利くらしい。

食い意地だけは張ってるな、このヒロインは。


「用件は何だ。俺は忙しい」

俺は早く彼女を追い払おうと、冷たく言い放った。

しかしシエルは一歩も引かなかった。彼女はその大きな瞳で俺を真っ直ぐに見つめると、深々と頭を下げた。


「先生にお願いがあって、来ました!」

「願い?」

「はい! どうか、どうか、私の親友の、ティアナ先輩を……ティア姉を、助けてください!」


その悲痛な叫びに俺は息を呑んだ。

彼女は俺がティアナの体調不良の原因であることなど、知る由もないはずだ。

ではなぜ俺に助けを求める?


「どういうことだ。説明しろ」

俺がそう促すと、シエルは顔を上げ、涙をいっぱいに溜めた瞳で、必死に訴えかけてきた。


「ティア姉は…、ずっと原因不明の病気で苦しんでいます! お医者様にも診てもらったのですが、どこも悪くないって……。でも日に日に弱っていくんです! このままだと……!」

彼女の言葉は途切れ途切れだった。親友を思う切実な気持ちがひしひしと伝わってくる。

「先日、先生がわたしを助けてくださいました。あの時、先生はすごく……すごく、強くて、頼りになる方だと思いました! それに先生は天才錬金術師だって、噂で聞きました! 先生なら、ティア姉の病気の原因を突き止めて、治すことができるかもしれないって……そう、思ったんです!」


藁にもすがる思い、とはまさにこのことだろう。

彼女は俺が先日、偶然彼女を助けたという、ただそれだけの事実を根拠に俺に全てを賭けようとしているのだ。

そのあまりにも純粋で、無防備な信頼に俺は言葉を失った。


(なんてことだ)


俺の胸を激しい罪悪感が貫いた。

彼女が救いを求めて必死に手を伸ばしてきた相手はその親友を苦しめている元凶、その本人なのだ。

これ以上の皮肉が、あるだろうか。


だが、同時に俺はこれが千載一遇の好機であることにも気づいていた。

彼女が自ら俺に助けを求めてきた。

これならば、俺がティアナを助けるための行動を起こしても怪しまれることはない。むしろ、彼女の依頼に応えた、という形になる。


(乗るしかない、この話)


俺は心の中で覚悟を決めた。

それは危険な賭けだ。彼女と深く関わることは破滅への第一歩かもしれない。

だが、この涙を、この必死の願いを、見過ごすことなど、俺には到底できなかった。


俺はため息を一つついてみせると、わざと面倒くさそうに言った。

「分かった。話は聞こう。だが、俺が助けてやれるとは思うなよ」

「! ははい! それで、十分です! ありがとうございます、先生!」

俺の言葉にシエルの顔が、ぱあっと輝いた。絶望の淵から、一筋の光を見出したかのような、眩しい笑顔だった。


その笑顔に俺は再び、胸の奥がちくりと痛むのを感じた。

俺はこの少女を、騙している。

だが、今はこうするしかないのだ。


「立て。中に入れ」

俺はシエルを工房の中に招き入れた。

彼女は興味深そうに工房の中を見回している。


俺は手の中のポーションの小瓶を、彼女の前に差し出した。

「とりあえず、これを君の親友に飲ませてみろ」

「え……? これは……?」

「俺が作った、試作品の栄養剤だ。気休め程度にはなるだろう」

「こ、こんなに早く!? 先生、もしかして、わたしたちが来ることを……?」

「自惚れるな。たまたまだ」


俺は彼女の鋭い勘を、冷たい言葉で捻じ伏せる。

シエルは俺から小瓶を受け取ると、それを宝物のように両手で大切に包み込んだ。

「……ありがとうございます、先生。絶対にティア姉に飲ませます」

彼女は再び俺に深々と頭を下げた。


こうして、俺は意図せざる形で、歩く死亡フラグとの共闘関係(?)を結ぶことになってしまった。

俺の破滅フラグ回避マニュアルはいきなり大幅な修正を迫られることになった。


『第一条(改訂版):シエル・クロウリーと協力し、彼女に正体がバレないようにティアナ・ミルフェを救済すること』


矛盾に満ちたこの目標を、俺は果たして達成できるのだろうか。

先の見えない未来に俺はただ、静かにため息をつくことしかできなかった。

俺の波乱に満ちた学園生活はまだ始まったばかりだ。

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