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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
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LEGEND OF NAVY BLUE

LEGEND OF NAVY BLUE:紅き月、偽りの銀河

「……ふーむ」


 とある静かな山の頂に、ひとつの家が建っていた。


 四方を斜面の棚田に囲まれた、素朴で可愛らしい丸太小屋だ。格好をつけるのならばログハウスと呼ぼうか。


 そのログハウスのベランダに、紙の擦れる音だけが定期的に聞こえていた。昼間であれば近くを駆ける動物たちの声が聞こえるが、夜になればこの地はとても静かである。


「ふむ、うん?」


 ベランダにはテーブル、そしてやや高めのハンモックがある。そのハンモックに楽に座っている少女の名はMotchiy(モッチー)。艶やかな短髪と、どこか愁いを帯びた琥珀色の瞳。血色が良く柔らかそうな頬には絆創膏が貼られている。


 彼女がこの地を守護する神だと、一目見ただけで分かる者はいないだろう。この地で静かに過ごしているだけで、どこか仙人じみた雰囲気はあるのだが、まさにそれだとは誰も気づくまい。


「……ふぅ。休憩にしようかな――遠くから取り寄せたおやつも悪くない」


 本をテーブルに置いた後、ひょいっ、とMotchiyが軽い仕草で皿から団子をつまんだ。新緑を思わせる淡い緑の団子だ。彼女の細い指でも難なくへこみ、握っても硬さを感じさせないほどに柔らかい。香りからして、よもぎ、では無いようだ。


 口に入れたが、あまり記憶にない味がする。なんと言えばいいのだろうか、確かに草木の爽やかな味がするし、特有の優しい香りが口の中に広がって――


「あ、竹だ」


 竹の団子だ。


 どういう製法をしたのかは見当もつかないが、竹を使った団子のようだ。一度そう思うと、味も香りもカンペキに竹と思えてきた。なかなか好みの味である。これを送ってきた遠方の友人のセンスに拍手をしてあげたい気分になった。


 流石に、本物の竹をかじっても甘い味はしないだろうけれど。


 幸い、友人が送ってくれたのはまだまだある。すぐに無くなってしまうだろうが、当分は楽しめそうだ。


 新しいひとつを口に入れるとハンモックに寄りかかり、大きく伸びをする。


「……あれ?」


 そして気づいた。暗雲の隙間から、三日月が覗いていることに。


 そしてその月が、紅く染まっていることに。


 バッ、と飛び起きたMotchiyの頭の中を、ひとつの言い伝えが巡る。これは、既に滅ぼされた神の一族の末裔から聞いた、一夜にしてすべてが滅びた話……。


 紅い月が昇れば、月より訪れし侵略者がすべてを蹂躙する。その力は神々ですら太刀打ちできず、既にその前に何人もの守護神が斃れてきた。故に、それを記録する者もまたおらず、幾多の神が同じ末路を辿るのである、と。


 Motchiyは飛び起きると、団子をいくつか口に突っ込み、残りを包みに入れなおしてから家の中へ走った。


 ……まず、対策しなくてはいけない。この地を守る神として、ここに住まう無辜の民を犠牲にするわけにはいかない。そして自分も倒されるつもりはない。またいつか訪れるであろう紅い月の悲劇を、できることならこの代で砕いてしまいたい!


 ならば、立ち向かわなくてはいけないだろう。


 Motchiyは自宅の武器庫、倉庫を、チェストををひっくり返し、いろいろな武具を探した。


 光輝く剣――切れ味もよく頑強だが、ただの剣だ。到底月になど届かない。


 氷晶のアトラトル――残念ながら届くまい。


 豊穣の鍬――農具だ。畑を耕すのには最適だが、戦いには向かない。


 残念ながら、Motchiyが持つ武器ではあの紅い月に一矢報いることすらできない。もしあれがまったくの不動でいてくれたとしても、そもそも手が届かないのだ。


「うっ、どうすれば……あ、そうだ」


 少し離れた地に、永き時を生きてきた者がいる。彼女なら、なにか知っているかもしれない。神なのか精霊なのかあるいは妖怪か、正直Motchiyでも彼女が何なのかは分からないが、とりあえず良き友人であることに間違いはない。


 善は急げだ。Motchiyは刀だけを握りしめると、すぐさま棚田を駆け降りた。



 * * *



 Motchiyが辿り着いた地は打って変わって市街地にあった。数々の高層ビルが立ち並び、光り輝くディスプレイが市外に昼のような明るさを齎している。明るさゆえか、今の所紅い月はここからは観測できないようだ。守るべき民に混乱が起きないのは、Motchiyにとっても都合がいい。できるならば、神々の仕事は何も気にせず、いつも通りの生活を送ってもらうことが彼女の望みなのだ。


 人ごみを駆け抜けつつ、Motchiyはひとつのビルを目指す。その最上階に、友は住んでいる。


 交差点を抜け、この周辺の地図を必死に思い出しながら駆ける。すぐに目的地は見つかった。


「うぉおおおおお――っ」


 街を通る人々がその黒い風に目を丸くしているが、今はそんなことを気にしている暇はない。申し訳ないが、しばらく驚いてもらおう。これだけなら毎日の小さなサプライズ――あるいはハプニング――で済むだろうから。


 入口に『白羽根(しろばね)研究所』との号の掲げられたビルに、顔認証を使って踏み入る。


 この研究所は、その名の通り昼夜問わずさまざまな研究が行われている――例えば人の命についてとか、幸福についてとか。要は生物学だ。さすがにこのロビーからは実際の研究場面を窺うことはできないものの、スタッフはほとんどが白衣を着用しているから、雰囲気はよくある。例外は掃除をするスタッフとか、職員向けのカフェの店員なんかだ。


 Motchiyは一応オーナーの友人であるからカフェを利用することもできる。ここのミルクティーはかなり絶品だったな、などと思いつつ、上階へ行くための階段を探した。


「えーと、どこだっけ……」


 目を閉じると、ここの立体構造が頭の中で3Dモデルのように浮かび上がる。記憶を引っ張ってきたわけではない、神力である。階段及びエレベーターはすぐそこにあり、特段迷う場所にも無かったようだ。


 研究員に会釈をしつつ手を振りつつ、階段を駆け上がって最上階を目指す。Motchiyほど足が速くなれば、エレベーターより階段の方が短く辿り着ける。途中途中ですれ違う研究員を驚かせないよう、そこでだけゆっくりめに走るのはちょっぴり大変だった。


 そして数十階ぶんもきれいな階段を駆け上がると、ようやく目的の階へ辿り着いた。この研究所のオーナーであり、Motchiyの良き友人でもある少女――山本の家だ。


 至ってよくある苗字だが、それが本名なのかそれとも適当に冠した偽名なのかは、本人しか知らない。下の名前も、Motchiyは聞いたことがない。


 最上階は、これまでの白を基調とした清潔感ある研究所とは打って変わり、この階層は黒をベースにした高級感溢れる内装をしている。ところどころに美しい金の装飾もあり、素人が見ても相当な金額が掛けられていることがわかるだろう。


 とはいえMotchiyが今いるのは、ただの応接間でしかない。山本が本当に住んでいるところは、目の前にある大きな扉の奥なのだ。


「もしもし」


 コンコン、と扉をノックした。とはいえ、ここは顔認証――それと万が一のための物理キー――によってロックされているため、あまり意味はない。


 カメラがMotchiyの姿を捉えると、階段の前にあった黒い扉がゆっくりとスライドして開く。その開き方は荘厳な演出のようにも思えるが、今は面倒にも感じた。


「……よ、ちょっとぶり。山本」


「Motchiyか」


 コトン、と山本は手に持っていたカップを机に置く。中には飲みかけのカフェオレが入っている。


 山本は一面ガラス張りの壁から市街の夜景を見下ろしていた。これが彼女の趣味であるようだ。そしてMotchiyの声を聴くなり振り向き、柔和な笑顔を見せてきた。


 宝石のように美しい白髪が美しい少女だ。逆にその瞳は血の色のように赤いが、それも紅玉のように鮮やかである。天使と言われれば納得しそうな外観だ、とMotchiyは出会うたびに思う。


 山本は黒いジャケットに手をつっこむと、その中からひとつの石板のようなものをMotchiyへ投げてよこす。


「えーっと、これは?」


「古代シュルヴァラン語で刻まれた古文書だ。状況はもう把握しているよ、紅い月が昇ったんだろ」


「よく分かるね。でも……」


 Motchiyは手元に目をやる。グレーの石板に丁寧に楔形の文字が刻まれている。


 かなりの熟練の技術者が刻み込んだのか、とんでもなく小さい字が石板にびっしりと敷き詰めてあった。すこし表面が削れれば、それだけで二度と読み取れなくなってしまいそうなくらいだ。


「自分、この言語は読めないな」


「ははっ、知ってる。だから俺が解説するよ。その言語はよく出てくるから、暇があれば勉強するのを勧めとく」


 相変わらず皮肉っぽいな、とMotchiyはため息をついた。


 山本は右袖のブローチを弄びながら、古文書の内容を諳んじる。


「かつて、紅い月に滅ぼされたひとつの国があった。その国は魔術を解し、未来を占う術に長けていた。ある日、占術府の長は深紅に染まりし月が国を滅ぼすと予言した」


「……」


「魔術府の長は、そうならぬよう対抗するための武装を用意した。空の奥のまた奥にある月を打ち砕き、悪夢を止めるための大弓を」


「…………」


「だが、結局月が昇り、一夜にしてその国は亡国へと変貌してしまった。使い手を与えられなかった月の監視者は、最果ての地で、悪夢を見ているのみだった――」


 ふむ、とMotchiyは石板を見ながら頷いた。


「つまりこの石板が正しければ、この世界のどこかにその弓があるわけだ」


「正しいさ。いや、確実とは言い切れないけど、十分な信憑性はある。俺は一時期その国の研究もしていたからね」


「そうなんだ。じゃあ自分は山本を信じるよ。……で、その弓はどこにあるのさ?」


 Motchiyが尋ねると、山本は返事のかわりに、壁に掛かったディスプレイに地図を映し出した。


 ぱちん、と軽い音を立てながら、棒で地図の一点を指す。それに合わせてディスプレイも当該部分を円で囲った。


「亡国の位置はこのあたり。つまり弓もこのあたり、というわけだよ。幸い、その国は狭かったし」


「……だいぶ広くない? その国」


 そう突っ込んだMotchiyだったが、山本は小さく笑って返した。


 ――ヒュルルルル……


「……うん? なにか聞こえない、山本――」


 ロケット花火が打ち上がるような、特徴的な音が轟いた。


 だがこの場合は何かが打ち上がるのではなく、大地へ向かって落ちてきている音だった。


 立ち込めていた暗雲はいつのまにか晴れ、紅い三日月がようやく全貌を表す。そしてそれと同時に、この地球へ向かって赤色の流星が降り注ぎ始めたのである。


 月と同じく紅い流星は重力に従い、まっすぐ地球へと降りてくる。世界の各地に着弾した流星はその大地を砕き、抉り、沈めてゆく。この地はMotchiyの守護により流星を避けられているようだが、それでも加護が破られるのは時間の問題だ。


「まずい……早く行かないと! その『弓』を取りに!」


「分かってる。俺も用意は出来てるよ、早く行くぞ!」


 山本は壁に掛けてあったライフルをひったくるように掴むと、Motchiyと共に窓の外へ躍り出て、目的地へのテレポートを発動した。



 * * *



 弓があると予想された地は、辺り一面の平原だ。


 かつては栄華を極めた大国だったのだろうが、今やその景色は見る影もなく、ただただ永遠に広がる大地だけが残っている。


 風に乗り、量子のデータがこの場にMotchiyと山本の姿を再構成する。ふぅ、とひと息ついてからMotchiyが目にしたのは――


「な……!」


 流星に破壊された平原の姿だった。


 絶えず赤い流れ星が空を舞い、そのいくつかは今もこの地へ降りつつある。湾岸近くの大地は割られ、沈められるとまるで海が広がったようだった。


「思ったより悪い状況だね。チッ、これじゃまともに弓の捜索なんてしようが無いな」


「――山本! 右だっ!」


 Motchiyが突然刀を抜き放ち、飛んできた白い何かの攻撃を刀で受け止める。


 だがその何かはそれで傷を負うどころか、さらに加速してMotchiyに鋭く追撃を仕掛けた。素早く対応し、一連の攻撃をパリィするとMotchiyは刀を大きく振るい、その白い何かを吹っ飛ばす。山本もそれに乗じてライフルをぶっ放した。的確に弾丸は命中し、鮮血が舞う。


「……兎!?」


 それは、兎だった。純白の毛皮に身を包んだ、普通のそれより一回りも二回りも巨大な体躯を持つ兎である。Motchiyと山本の連撃を受けてもなおその兎は目立った支障が出る様子もなく、鋭い牙をむき出しにしてこちらの様子を窺っている。


 さながら狩人である。自分に抵抗し、逃げ惑う得物をどう捕らえるか目算している、狡猾で凶暴な狩人の眼だ。


 Motchiyは冷や汗をかきつつも、その意外な正体に内心、少しだけ笑っていた。たしかに古来より、兎は月で餅をつくものである。月より来る襲来者としては、なかなかにマッチした人選、いや種族選だ。


 とはいえ、これほどの威迫を持つ兎と対峙しては、そう冗談を言っていられる場合でもない。Motchiyは刀に神力を纏わせ、己の能力(マジック)をチャージする。


「『雅透式(ワゥンズ・ワン)』――『剣に迷い無くディシンヴァーク・スロウン』!」


 居合斬りだ!


 大地を抉り、後方の大地を消し飛ばすような踏み込みから生み出される圧倒的な速度、そして同時に振るわれる神威の一閃。


 ソニックブームさえも置き去りにするようなその一閃が、荒れ狂う兎の肉体を斬り飛ばす。


「ギィイ――」


「『剣の往く先へ(ファーム・ペイサー)』」


 その勢いのまま、Motchiyは大きく剣を振り上げる! 凝縮された神力が黄金の炎のように実体化し、暴力的なまでの紅蓮と化す。


 初めの一閃の傷を認識すらさせないうちに、Motchiyは兎へと怒涛の連撃を叩き込んだ!


「ギィィイッ!」


「逃がすかぁ!」


 かろうじて回避できた兎。だがそう思った矢先、地面に触れたMotchiyの刀の炎が大地を呑み、煌煌たる光が地を裂き溢れ出す!


 Motchiyの能力(マジック)は『雅透式(ワゥンズ・ワン)』! 刀、そして己の神力を五元の力へと変幻させ、自在に操る力だ!


 あらゆる敵を呑み、焦がし尽くしてなお消えぬ炎へと化したその神力は、凶暴な兎に断末魔の猶予さえも与えずに消し去ったのであった――!



 * * *



 ふっ、とMotchiyが小さく息を吐く。


 だが刹那、休む暇もなく、Motchiyの頬に鋭い裂傷が入った! 飛んできたのは、破損した山本のライフルだ。鋭く裂けた銃口が、まるで鋭利なナイフのようにMotchiyの頬を斬り裂いたのである!


「山本!」


「こりゃ、手厳しいな……!」


 山本は既に、二匹の兎を同時に相手していた。今までは拮抗を保ちつつ、少しずつ銃弾による攻撃を加えることができていたようだが……唯一の武器を破壊されてしまった今、その均衡は崩れつつある。


「喰らえ、『剣に迷い無くディシンヴァーク・スロウン』!」


 Motchiyは刀を握りしめると、山本に躍りかかった兎を斬り裂き、ぶっ飛ばした。


 光る剣筋が一度に幾多もの斬撃を叩き込み、兎を一撃で絶命させる。だが、加速度的に数を増やす赤い流星が、次々と兎の援軍をこちらへと寄越していた。


「まずいな、クソ」


 山本はもうひとつだけ持っていたスペアのライフルを構える。Motchiyが前衛として戦っているため、スコープを覗いて兎の急所を撃ち抜く余裕もある。


「死ね――『磔へ向え(フェターファイト)』っ!」


 山本の左眼に一瞬だけ十字のシンボルが出現する。照準を合わせ、トリガーを引く――


「ギィイイ!」


「『剣の齎す仁(ベストストラグル)』!!」


 一瞬で放たれた六つの弾丸がそれぞれの兎の眉間を貫き、Motchiyの業火が止めを刺す。


 山本の能力(マジック)は『弾丸の誓約』。自らの課した制約に従いきる限り、ありとあらゆる弾丸が圧倒的な暴力へと変化するのだ。


 今、山本がライフルで狙撃し、兎を即座に致死させることができたのならば、その威力は累乗のグラフのように上昇し続ける!


「はぁっ! ……ちぃ、いつまで出てくるんだ、こいつら」


 一見、兎の群れに対しMotchiyたちは優勢に立てたかのように思われた。だが、それは大きな誤りである。


 Motchiyの責務はこの地を、この世界を守護すること。延々と波のように押し寄せる兎たちを、根源から殲滅しなくてはその責務を果たすことはできない。


 神力を遠くまで飛ばし、この広大な平原に隠れているであろう弓をMotchiyは探し続ける。だが、未だに手がかりのひとつも見つかっていないのが現状で――


「ぐっ……クソッ!」


「まずった……!」


 山本の握っていたライフルが、横から飛びかかってきた兎に吹き飛ばされ、完全に破壊される。そのまま重い一撃を腹部へ受けると、山本は血を吐きながら吹っ飛ばされてしまった。


 一瞬のうちの出来事に動揺してしまうMotchiy。だが、戦場に置いての迷いは、仮に一瞬であっても命取りとなる。


 ――ドォンッ!


「かはっ……!」


 捌き切れなかった……!


 俊足の兎はそれを見逃さず、Motchiyまでも吹き飛ばしてしまう。同時に肋骨が砕かれたのか、地を転がるたびに突き刺すような激痛が襲い掛かってきた。


 だが、Motchiyは仮にも神だ。こんな兎ごときに、敗北してたまるものか!


「――『剣に迷い無くディシンヴァーク・スロウン』!!」


 地を伝い、金色の爆炎が吹き上がる。風に乗って遠くの兎にも火種は拡散し、次々とその肉体を燃やし、焦がして消してゆく。


 Motchiyが、剣を杖にして立ち上がった。


「……『磔へ向え(フェターファイト)』……! 貫け!」


「フゥウウウ……『剣の齎す仁(ベストストラグル)』!」


 スペアのスペアのライフルによる弾丸の合間を潜り抜けながら、さながら熟練の舞のように敵を斬り捨ててゆく。


 鮮血を吐きつつも、転びそうになりながらもその歩みは止まることはない。Motchiyの背負っているものが、彼女を突き動かしていた。


「同じ轍は……十分さ……!」


「ギィイイ……!」


 兎の攻撃を喰らっても、ただで吹き飛ばされはしない。一度Motchiyが攻撃を受けるまでに、優に数十の兎が消滅していく。


「ギィッ!」


「甘いっ!」


 もはやこれは狩人と獲物の戦いではない。既に獲物だった少女は狩人と同じ高みにまで上り詰め、逆に相手を獲物として牙を剥くのだ。


 そして戦いは再び拮抗へと縺れ込むかと思われた、その時である。


「っ……!」


「ギィイイイイ――!!」


 がくん、とMotchiyの右足から力が抜け、倒れてしまった。


 度重なる衝撃と極度の疲労により、Motchiyの肉体はもはや限界寸前だった。


 その隙を見逃さず、無数の兎がMotchiyへと強襲する。


「ぐぁ……!」


 Motchiyは血を転がりながら、自分の血で赤く染まった視界越しに、それよりもずっと紅い月を見た。


 ――これが……紅い月の災厄。もはや体に力が入らない。


「Motchiy――っ!!」


 自分のライフルを自らぶん投げてでも時間を稼ぎ、駆け寄ってきた山本。自分は今どんな顔をしているのだろうか、とMotchiyは思った。


 いくら剣を握ろうとしても、手は弱々しく震えるだけだ。感触もほとんど途絶えている。


「山……本……」


「バカが! 弱気になってどうするんだよ!?」


 バチン、と強く引っ叩かれた。そして次の瞬間、また山本は兎の攻撃で遠くへ飛ばされてしまう。


 ――あぁ、そうだ。弱きになっちゃいけない。仮にも守護者である自分が、一番弱気になってはいけないのに!


「ぅぅうううう――うぉおおおおお……!!」


 紅蓮を纏う。心を燃やす!


 そしてMotchiyの目の前で、まるで太陽が弾けたかのような光が生まれた!


 一瞬の静寂が辺りを包む。Motchiyも、山本も、兎も、すべて止まった。言葉を失ったかのように、魂を鎖で縛られたように……。


 そして、光が明けるとそこには。


「この弓を造った人は……この、決して折れない心を求めていたんだ」


 Motchiyの手の中に、蒼空のように輝く剛弓――『月の観手(ムーンサイター)』があった!!


 圧倒的な神性が場を支配する。Motchiyはフラフラになりながらもしっかりとその足で大地を踏みしめ、侵略者たちを、そして深紅の月を見据える!


「確かにこの弓はとてつもない威力を秘めてる。引くことも儘ならないくらいにはね」


 Motchiyが弓を構えた。矢はいらない、想いこそが何よりの武器なのだから。


「でも、一番大切なのは、決意だったんだ!」


 決意に満ちた神力によって、天は鳴き、大地は震える。この力の前に、兎たちの中には逃亡を試みるものさえも現れた。


 だが、いまさら遅い!


「さぁ……! 決着だ!!」


 見る者にあらゆる賛美をも抱かせるような、美しい光の矢が形作られてゆく。


「遍く敵を射抜き、明日のためにすべての暗雲を消し去ろう! もう二度と、この世界が悲劇によって滅びることはないと宣誓しよう!! なぜならば――」


 飛んだ矢が、空にかかる血色の霧を晴らし、そして月へ迫る!


「――ここで月が、砕かれるからだっ!!」


 繰り返される紅い月のトラジェディは、これで終止符を打たれたのだった――!!



 * * *



 ――一週間後、山本の自宅にMotchiyは集まっていた。


 Motchiyの療養が終わり、再び平穏な日常が訪れたのである。


「ふぅ、夜景はきれいだね。俺はやっぱり、太陽より月の方が好きだな」


 山本は優雅にカフェオレを飲みながらそう言った。向かいに座るMotchiyは、持参の竹団子とここのコーヒー団子とを食べ比べしつつ、うへぇ、という顔をした。


「自分、しばらくトラウマになって寝れなくなりそうなんだけど。だって肋骨バキバキ、内臓もズタズタだし」


「神座に就く前に、そんな決意なんていくらでもしただろ。今回は死ななかっただけラッキーだと思うよ」


「まあ、それはそうだけどさ、なんで月がトラウマにならないの……」


 さぁね、と肩を竦める山本。いつものように、彼女はそう多くを語らない。


 結局、月が砕かれたことで一時は大騒ぎになった。紅い月はどういう現象だったのか、一度沈んだ後にまた月が昇った時は、いつも通りの白い月に変わっていたが、Motchiyが『月の観手(ムーンサイター)』で木っ端みじんにした紅い月は一晩の間空に浮かんだままだった。直後に気絶したため目にしたわけではないのだが。


 山本は無事だったらしく、赤い彗星が融けるように空に消え、そして兎たちも消滅していくのを見ていたらしい。実際、とんでもない光量の矢が突き刺さった月が、一晩中空に昇っていたとも。


「そう気に止むなよ。いちいち気にしていたら神なんか務まらないよ、Motchiy君?」


「偉そうに……」


 実際に、圧倒的な上位存在として君臨すべき神はそうであるべきなのかもしれない。市井に溶け込み――といっても主に無人の山麓にいるのだが――、時に街を歩き、時に定命者とも親しく語り合うMotchiyという存在はかなりの異端だ。


 でも本人は、それでいいと思っている。畏れ敬われるより、神と知らず親しく接してくれる方が良い。


「そうしないと、こんな美味しいものはそう食べられないからね。自分の知り合いはイノシシの死体ばかりしか捧げられずに困っていたとも言ってたし――とあるおばあちゃんが毎日捧げてくれるミカンだけが楽しみだったとも」


「へぇ、それは窮屈そうだ」


「自分も詳しく知らないけど、逆に、自分と同格以上の存在の山本が、一介の企業者として活動してるのも変だとは思うよ?」


 ジト目でそう返すMotchiy。痛いところを突けたかな、とも思ったが、山本はやはり、静かに笑みを零すだけだった。

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