皇妃の治療と、アサダ子爵家の誕生
~ギアルファ星系第四惑星周辺宙域(待機専用宙域)~
サンゴウは、病で重篤な状態の皇妃の受け入れから始まって、治療を完了させる目的と、艦長のジンへの、男爵の爵位を皇帝陛下から賜る叙爵式の日程が決まるのを待つ、待機目的の二つの理由から、引き続きギアルファ星系第四惑星周辺宙域にある待機専用宙域に居座っていた。
現在、そこには、通常だとあり得ないレベルの数で、ギアルファ銀河帝国宇宙軍の艦艇が滞在していた。
そのような珍しい状況となっているのは、帝国軍の監視目的の艦艇に囲まれているサンゴウのせいである。
現状の生体宇宙船は、ギアルファ銀河帝国宇宙軍の首都星を守るための、一個軍の常駐艦隊から抽出された、監視目的の艦艇に周囲を取り囲まれている状態だったりするのであった。
では、少々時系列を戻して、『如何にしてそのような状況が成立する運びとなったのか?』を振り返ってみよう。
むろん、サンゴウが帝国軍の監視艦艇に囲まれる事象発生の根っこの部分は、ギアルファ銀河帝国皇帝の正妃であるローラが謎の奇病を患い、死の足音が間近に迫る状態に陥ったからだ。
帝国内の最高の医療技術を持つ宮廷医師たちが束になって掛かっても、ローラを完治させるどころか、症状を緩和することすらもロクにできていない状況が続く。
医師たちの初期の見立ては、余命十日前後であった。
そこから、宮廷医師たちの懸命の努力によって、ローラに死が訪れる時を若干は遅らせることに成功している。
それでも、死を避けるすべはなく、皇帝が皇妃を失うのは、最早時間の問題かと思われた。
それに業を煮やした皇帝は、宰相に告げる。
「手段を選ばず、妃の病を治癒させることのできる方法を探せ」
結果的には、この命令が皇妃の命を救う切っ掛けとなったのである。
皇帝の命を受けた宰相は、藁にも縋る思いで医療とは無縁のはずの傭兵ギルドにすらも、ローラの治療に関する依頼を出す。
そこから暫しの時を経て、別件で帝国技術省の動きに対するクレームが出る事案発生により、宰相の直属の文官と、宮廷医師の一部がサンゴウに目を付けた。
「帝国のそれとは明らかに技術体系が異なっている、傭兵が所有する異形の宇宙艦の存在。その宇宙艦が運用しているシャトルもまた異形であり、しかも『異次元』と言って過言ではない超高性能を持つ証明となる事象が観測された。帝国技術省が動くほどだ。ならば、そこには。未知の医療技術だって、きっとあるだろう」
話し合いの末に、そんな内容の結論が導き出されてしまう。
その報告を受けた宰相は、傭兵ギルドのギルドマスター、マスギルに直接連絡をしたのであった。
こうした一連の流れで、前話のマスギルがジンへ連絡を入れる状況へと繋がる。
そこから、事態は劇的に動く。
マスギルは条件付きながらも、『ローラの病を治し、命を救える可能性のある情報』を宰相にもたらしたのであった。
「そのような条件など呑めるか!」
宮廷医師長は激昂して叫んだ。
「宮廷医師長、お主の気持ちはわかる。だが、他に選択肢があるか? 『このままでは、あと三日も持たない』と、そう言ったのはお主だ。手をこまねいたままでいて、ローラさまの命が失われるのを待つのか?」
嗜めるような発言をした宰相にしても、実は腸が煮えくり返っていたりした。
傭兵のジンなる者が出して来た条件は、如何にもこちらの足元を見ているふざけた内容に映る。
ただし、金銭的な部分についてだけは、特に言いたいことなどない。
仮に十倍の一兆エンが請求されても、それで皇妃のローラが助かるならば皇帝陛下は喜んで支払うだろうから。
では、ジンから出された条件の、どの部分が宰相の気に障るのか?
ローラ一人しか受け入れず、宮廷側の人間の立ち合いは認めない。
これも、秘匿技術漏洩の問題があるのは理解できるため、宰相として腹は立つが納得できないこともない。
治療方法の説明が、事前だけでなく事後でもされないことだって、技術漏洩を恐れているのなら、認めたくはないが納得はする。
だが、シャトル関連の許可の要求については、さすがに宰相の限度を超える。
傭兵が運用するシャトルなだけに、おそらくは最低限の武装が装備されているであろう。
それが、事前に武装への封印処理を施せる宇宙港を経ることなく、直接大気圏内に降下し、そのまま後宮付近へと迎えと称して乗りつける。
これは、後宮や宮廷の安全を脅かす暴挙以外のナニモノでもなかった。
だからこそ、宰相の腸が煮えくり返っていても、『さもありなん』と誰もが納得する部分である。
そして、宰相たちの権限内で、許可が出せる限度を超えている条件が含まれている話に、宮廷内は紛糾する。
しかし、時間がなかった。
無為に時が過ぎれば、皇妃はどんどん死へと近づいてしまうのだから。
結局、短時間で結論が出せない彼らは、『条件を受け入れるかどうか?』の最終判断を皇帝陛下に委ねるしかなかった。
そうして、この案件は皇帝決裁へと移行することになるのであった。
「話はわかった。他に方法がないのならば、『条件を受け入れる』か、それとも、『妃を見殺しにする』のか。そのどちらかしかないではないか! 『それで妃が助かる』というのなら出された条件は受け入れろ! ただし、帝国軍の監視艦艇は出せ! こちら側が監視を出すことは、ちゃんとその傭兵に伝えるのだ。それを忘れるな。ああそれと、シャトルの大気圏内における監視も。航空機の部隊で遠巻きに監視するのを怠るな」
皇帝はあっさりと言い切った。
その上で、決断ができなかった宰相や宮廷医師長に怒りさえ覚えた。
だが、一方で、彼らは彼らなりの最善を尽くしたことも理解できる。
よって、皇帝はこの件は不問とすることを決める。
その上で、ギアルファ銀河帝国の最高権力者は、考えていた。
「(こちらは要求を丸呑みするのだ。傭兵ジン。ローラの命を救えなかった時は、その場で艦もろとも吹き飛ばされることを覚悟しておけよ)」
皇帝の本音は、彼の置かれている状況ならやむを得ないものではあった。
けれども、誰にも知られない方が良い考えであることも間違いない。
結果的に少し先の未来において、そのような事態には陥らなかったのは、双方が喜ぶべきことであったのだろう。
かくして、事態は傭兵ギルドの長、マスギルの予測した通りに進む。
マスギルが最初にジンとの話し合いを終えてから、僅か一時間と四十分しか時が経過していないのに、サンゴウが操るシャトルは、後宮にその姿を現したのであった。
サンゴウが運用する『無人』の二十メートル級子機は、指定された後宮の中庭に着陸していた。
その場所へと、ローラが寝かされている移動キャスター付きのベッドが運ばれてきた時、二十メートル級の底部が音もなく開く。
そこからわらわらと飛び出した子機たちが、ローラのベッドを二十メートル級子機の内部へと運んで行った。
その様子を、あんぐりと口を開けて見ていた者ばかりだったのは、些細なこととして片付けると問題が大きいのかもしれない。
まぁそのあたりは、ジンやサンゴウには無関係で、ギアルファ銀河帝国側の問題でしかないのだけれど。
ローラを乗せ終えた二十メートル級子機は、ギアルファ銀河帝国の技術ではできない重力制御によって、ゆっくりとした垂直上昇を始めて離陸する。
そのまま速度を上げながら、二十メートル級子機は大気圏内からの離脱を危なげなく果たす。
超科学の申し子のような生体宇宙船が造り出した、二十メートル級子機の性能は伊達ではない。
離陸からたった二十分のみが経過した段階で、シャトルの役割も持つ子機は既にサンゴウの格納庫内に戻っていたのであった。
むろん、その状態になる遥か前の時点において、サンゴウは急遽派遣された監視用の艦艇に取り囲まれていたりする。
事前にマスギルからその旨の連絡を受けているだけに、ジンとサンゴウは少々不快には思っても、近衛艦隊から抽出された艦艇に監視されることを許容した。
相手側からすれば、ジンは素性のしれない傭兵になりたての人間である。
ローラを連れてジンが逃亡する可能性までを視野に入れざるを得ない、ギアルファ銀河帝国の皇帝側の心情を慮れば、だ。
その程度はジンたちも受け入れるべきなのだった。
まぁ、いざとなれば、だ。
監視を蹴散らして逃亡することだって余裕だったりするのが、『監視ぐらい、自由にやらせてやろうぜ』とジンに言わしめる根底にあるワケなのだが。
知らない方が幸せなことが、世の中には存在する。
そしてこのジンの側の余裕の理由については、間違いなく皇帝サイドは知らない方が良い。
もし知っていたら、皇帝の決断が不可の側となったり、可とされるにしても大幅に遅れた可能性があるのだから。
とにもかくにも、ローラの身柄はサンゴウの船内へと無事に届けられた。
時間効率の観点から、子機での搬送中に患者の滅菌処理をサンゴウは終わらせている。
それだけに、子機全体の洗浄を格納庫内で終えると、すぐさま手術用に用意された部屋へとローラは運ばれることとなった。
そうして、サンゴウによる検査と、ジンとサンゴウによる共同手術が開始されるのであった。
サンゴウの超科学由来の技術と、ジンの魔法。
それらのコラボは、あっさりとローラの病を駆逐する。
より正確に言うのなら、『駆逐したのは、ローラの心臓に癒着して寄生していた卵』と表現すべきかもしれないが。
ローラが失ったはずの手足ですらも、ジンのパーフェクトヒールは復元を可能にした。
もちろん、一度は大きく切り開かれた皇妃の胸部には、今や一筋の傷跡すらも残されていない。
ジンの魔法と、サンゴウの超科学技術による二重の麻酔の効果が未だ継続中。
そのため、手術を伴う治療が完了した現在も尚、ギアルファ銀河帝国の皇妃はジンたちに穏やかな寝顔を晒している。
これが、帝国軍がサンゴウに二十メートル級子機が格納されたのを確認してから、僅か三十分後の出来事なのだった。
「艦長。デタラメが過ぎませんか?」
「だから、『デタラメ』って言うな!」
最早、お約束の会話であろう。
「術後の患者の生体反応レベルは正常に上昇中。『意識の覚醒までは残り数分』といったところでしょうか。ところで艦長。『経費の請求』ってどうするのです?」
二十メートル級子機の往復稼働に必要なエネルギーは、全てジンの魔力によって賄われているため、経費らしい経費がない。
搬送後の検査から手術、再生治療の部分にしても、消費されたのはジンの魔力だけであり、その分はノーコストで瞬時に回復してしまう。
サンゴウの疑問はもっともであった。
「実態に即して『無料』にしても良いっちゃ良いんだが。でも、そうすると『金が掛からない手術と再生治療なんてあるものか!』って騒ぐのが出て来そうだよな」
「それはそうでしょうね」
「どうしたもんかな?」
良案がないジンはサンゴウに頼る。
そうした点の対処方法は、さまざまな事象、事例のデータを豊富に持つサンゴウの得意分野だ。
デルタニア星系で『生体宇宙船サンゴウ』を生み出した技術者は、『有機人工知能サンゴウ』としての性能を極限まで高めるべく、膨大な量のデータをぶち込んでいたのだから。
「艦長。今回の案件は治療方法の開示をしません。ですから『必要経費の明細』というか、『根拠の説明』が不要になります。ですので、金額だけ決めて請求すれば良いのではありませんか?」
「だなぁ。よし、上限の半額の五百億にしよう。それはそれとして、ローラの治療は完璧だと思うが。念のために一日くらいは船内に滞在させて様子を見るか? すぐに後宮へ送り届けても問題はないハズだが」
「そうですね。それくらいは『経過観察』ということで『無難だ』と考えます。宮廷医師たちの側は、『治療がこれほど短い時間で完了する』とは想定していないでしょうしね」
そのような会話の流れで、ローラの最低一日のサンゴウ船内での生活が内定とされる。
事態は次の段階へと移行しつつあった。
ここまでの流れが、冒頭のサンゴウの状況へと繋がって行くのである。
ジンは傭兵ギルドのマスギルへと連絡を入れる。
「治療は成功。念のための経過観察として、最低一日はサンゴウの船内にてローラさまを待機させる」
ジンが伝えたのは、そんな内容であった。
尚、直接皇帝側への連絡をしないのは、今回の案件はあくまで傭兵ギルドからジンが請け負った仕事であるから。
かくして、皇帝側の窓口となる宰相は、傭兵ギルド経由でその旨の連絡を受け、『治療完了』の結果を周囲に知らせた。
むろん、宮廷内には歓声が上がったが、事態はそれだけで終わらない。
続いて、宮廷医師たちからは異口同音に疑問の声が上がったのだった。
ただしそれは、治療の成功を疑うモノではないのだけれど。
「経過観察期間がそんなに短くて大丈夫なのか?」
このような内容の意見が噴出したのであった。
これは、『最低限ではなく、経過観察を万全の期間でお願いしたい』のが宮廷医師たちの本音だったが故の反応となる。
ローラが後宮に帰還してから、万一何かがあった場合。
宮廷医師長を筆頭とする宮廷医師たちには、サンゴウの艦内において『何をどう治療したのか?』がわかっていない。
だから、『対処不能になるリスクを避けたい』という、至極真っ当な理由からの『経過観察期間の延長』を目的とした疑義の噴出であったりする。
結果的に『ローラの経過観察』という名のサンゴウ船内への滞在は、当初の話の一日ではなく、七日間に変更された。
ちなみに、これはついでであるが、ローラの後宮への帰還時には、宮廷にてジンの叙爵が行われる予定とされたのだけれど。
「サンゴウ最高!」
ベータシア伯爵領を出て以降、何度も同じことを叫んで喜んでいたオレガ。
そんなベータシア伯は今、自身がいるサンゴウ内に皇妃であるローラが滞在しているという事実に恐怖していた。
それは、皇妃は公務以外では後宮に滞在しているものであり、夫である皇帝陛下以外の男性と接触することは基本的にないからである。
オレガとしては、『貞操関連で疑われる』とか、最高に避けたい事態。
で、あるので、ローラのサンゴウへの移送が決まってからは、自ら申し出てオレガ専用として割り当てられている一室に、籠っていた。
平たく言うと、『監視映像記録付きの監禁』である。
ただし、一口に『監禁』と言っても、室内から出れないだけなのだけれど。
娯楽も食事も十分に満足できる形で、サンゴウからは提供がなされている。
引き籠りが大好きなオレガにとっては、苦痛どころか嬉しいまであったかもしれない。
ちなみに、スチャンはオレガに同じ部屋での滞在を要求されてしまい、それに従っていた。
「(そこまでせんでも)」
ジンはオレガの申し出に対し、そう思わないではなかった。
「(まぁでも、それがお義父さんの希望なら)」
けれども、結局はオレガの申し出を叶えている。
ジンを除く男性陣二人は、皇妃のローラがサンゴウにやって来たことでそのように生活を変化させていたのだった。
そんなおっさん二人の話はさておき、だ。
治療が完了して、意識が戻るのを待つばかりだったローラのそれが遂に覚醒の時を迎えていた。
魔法による治療行為を済ませたジンは、ローラが横たわっていた部屋からとっとと退散して船橋へ戻っている。
しかし、ローラ以外誰もいない部屋であっても、彼女の状態はサンゴウによる注視が当然のように継続中であった。
「ローラさま。お目覚めですか?」
ローラへ呼び掛けたサンゴウの音声。
それは皇妃にとって、当たり前だが既知のモノではなかった。
それに加えて、声を発したと思われる人物が周囲には見当たらない状況。
誰もいない部屋に、知らない天井。
パニックになりかけたのはローラだけの秘密だ。
サンゴウは混乱しているであろうローラに対して、時間を与えて気持ちが収まるのを待つことはしなかった。
「(仮にも皇妃たる者、精神の強さは尋常ではないだろう)」
そうした考えを前提とし、サンゴウはいきなり状況説明に入る。
結果的にサンゴウの判断は正しく、ローラは要らぬ醜態を見せずに済んだ。
開始されたサンゴウの説明で、瞬時に頭の切り替えに成功したローラは、耳に届くサンゴウの音声のみによって、ここまでの経緯を把握したのであった。
ローラはサンゴウから丁寧に状況説明を受けたことによって、完全に落ち着きを取り戻す。
その状態になったのを、ジンはサンゴウからの報告として情報を受け取る。
しかし、ジンはローラの会話相手を務める自信など全くない。
ヘタレのポンコツ勇者にそんな技能はないのだ。
よって、モニター越しで最低限の挨拶を早々に済ませると、それ以降の対応はサンゴウとロウジュ、メイドの二人に丸投げを決め込むのであった。
ロウジュはジンからローラへの対応を丸投げされ、最初の一日目は『接触不可の経過観察』という措置だったこともあり、モニター越しでの会話相手を務める。
直接会うことが解禁された二日目以降は、アルラとジルファを傍らに控えさせてのお茶会だ。
尚、ローラがサンゴウに滞在している間は、アルラがローラの傍付きを務めることが決まる。
これは、メイドの序列的に当然の配置でもあった。
「それにしても、サンゴウの中は快適ね。皇帝陛下の御座艦でも、こうはいかないわよ?」
「そうですね。私の婚約者の所有艦が、ローラさまに認められるのは大変喜ばしいです(ジンは私のモノです! そしてサンゴウはジンのモノです)」
発言のあとの部分に、さらりと声に出さない意味を込めるロウジュであった。
「あら? まだジンの叙爵がまだ済んでいないのでしょう? ならば、婚約の登録はされていないはずですけれど?」
ちょっといじめたくなったローラは、チクリとロウジュの痛いところを突く。
その発言で、とたんに表情を曇らせたロウジュの姿を見せられて、慌ててフォローに入ったりするハメにもなるのだけれど。
「大丈夫よ。恩人の想い人との仲を引き裂くほどわたくしは愚かではありません。ジンを皇家に迎え入れたい気持ちは、もちろんありますけどね。ジンとの婚約の件については、他から横槍が入らないようにわたくしからも口添えしますよ」
「ありがとうございます。私は彼を愛していますので」
ローラの言葉でホッとしたロウジュ。
何故、婚約が内定している状態であるのに、ローラのちょっとした発言だけでロウジュが表情を曇らせたのか?
それには相応のワケがあるのだ。
まず、『ロウジュとジンの婚姻』というのは、傍から見たら、『実質的にジンの功績に対しての金銭報酬の代わり』と認識される面がある。
そうである以上は、『お金で解決できる問題』という解釈が成り立ってしまう。
「その分のお金は我が家が払ってやる。だから、ロウジュとジンとの婚姻は取り止めで良いな? ジンはうちの娘と結婚させるから!」
このような感じの横槍は、貴族社会だとあり得るのである。
政略結婚が普通に行われるので、この手のことはよくある話。
つまるところ、ロウジュはそうした他者の動きに対して、警戒せざるを得ないのであった。
実際、この時のローラは『お金でロウジュの婚約を取り消す手段を、実行に移すか否か?』を検討はしていた。
けれども、ジンとロウジュとの関係が、『政略結婚による利害関係のみで結ばれた絆ではなく、両者の仲が冷えたものではない』という事実に気づく。
そのため、『それは悪手である』と悟ったのだった。
そうこうしているうちに、七日の時は過ぎて行った。
経過観察における特段の問題発生はなく、ローラのサンゴウでの生活は無事終了となる。
ちなみに、ジンがこの間にやった仕事らしい仕事と言えば、『経費の請求金額を確定させ、マスギル経由で宮廷に知らせたことだけ』だったりするが、そんなことは些細なことであろう。
要は、ほとんど何もしないで、ジンは遊んでいただけだったのだ。
経費は実際のところ、ローラがサンゴウ船内に滞在した際に発生した諸々の生活関連の費用だけとなる。
具体的には、ローラの食費と彼女の傍付きにしていたアルラの人件費が大きな項目となるであろうか。
付け加えると、光熱費の類はジンの魔力がサンゴウに供給されることによって賄われているため、費用は発生しない。
まぁ明細を出すわけではないので、そうした部分にちゃんとした数字を出す意味はない。
結局思い付きで決めた五百億エンをそれっぽい数字として、そのまま請求することにしたのであった。
もし、難癖を付けられるようなことがあれば、『手術の技術料』として押し通す算段だ。
尚、ここでは直接関係がある事柄ではないものの、ローラの一件の間に未来のジンにとっての事案がベータシア星系の主星で発生している。
オレガの領地の主星にあるベータシア伯爵邸では、リンジュとランジュが寝ている間にジンがプレゼントしたイヤリングが自壊消滅し、紛失騒ぎが起こっていた。
むろんそれは、帝都には何の影響もない、あくまでジンだけに関係のある別の話である。
この件が原因で、ジンが主星に戻った時、責められ、泣かれ、ミスリル製のイヤリングをレンジュ、リンジュ、ランジュの三人にプレゼントさせられるハメになるのであるが、それは未来の出来事であり、今は関係がない。
現時点においては、全く問題はないのである。
ローラの帰還に合わせて、ジンたち一行も二十メートル級子機で一緒にギアルファ銀河帝国の首都星へと向かい、地上に降り立つ。
ローラとは後宮の中庭に子機が降りて、以降にお別れとなった。
続いて、ジンとオレガが参加者となる、叙爵式が行われる運びとなる。
叙爵式が終了し、ジンはその日のうちに子爵となってしまう。
叙爵推薦は男爵で申請されていたので、ジンの男爵への叙爵は滞りなく行われたのだが。
それに続いて、陞爵も行われたため、ジンはなんと『アサダ子爵』になってしまったのである。
今回の皇妃ローラへの治療の功績を以って、ジンの陞爵はギアルファ銀河帝国皇帝の決裁により決定されていたのであった。
また、ジンの推薦人のオレガへも皇帝陛下からの感状と、別途報奨金が出されている。
これは、ジンを叙爵目的で帝都へ連れてきたこと自体が、功績として評価されたから。
叙爵推薦がされていなければ、皇妃は助かっていない。
そう判断されたワケだが、これは、棚ぼた以外のナニモノでもないであろう。
そんなこんなのなんやかんやで、男子の後継ぎがいない伯爵家の長女との婚姻相手として、爵位的にはそう問題視されない子爵となったジン。
アサダ子爵は、ロウジュとの婚姻許可申請を提出し、無事に許可を得た。
これにより正式に二人は婚約状態となり、残るはベータシア星系の主星に戻ってから結婚式を行い、婚姻申請へと進む流れとなる。
当初の予定より滞在が延びたため、オレガは早々に自領へと帰らねばならない。
その旨をジンと相談して、今日中に傭兵ギルドでの依頼完了手続きを終える段取りとなる。
そんな流れで、明日にはベータシア星系へ向けて、サンゴウが出発することになったのであった。
ジンたちの動きとは別で、ギアルファ銀河帝国皇帝と皇妃ローラは動く。
一連の流れの中で、帝国は傭兵ジンとサンゴウの戦闘能力の片鱗を知り、ローラが患った他の誰にも治すことができなかった奇病を、あっさりと治して見せる技術を持つことも見せつけられた。
滞りなくジンの叙爵式関連の政務を終えて、皇帝と皇妃はジンとサンゴウについての話し合いを行っていたのであった。
二人の議題は『ジンとサンゴウの、ギアルファ銀河帝国への取り込み』というか『関係の強化策』についてである。
ベータシア伯爵の社交嫌いなことが幸いし、ジンの叙爵推薦の内容に興味を持つ貴族は皆無だったため、現在のところジンやサンゴウについて注目している貴族はまだ少ない。
ジンについては、『高性能の『異物』とさえ言える外観のシャトルの所持』と『皇妃の治療を行った』という点で、少数の貴族が興味を示し始めた段階である。
本日行われた『男爵の叙爵推薦』というのは、『伯爵の子飼いの部下への報酬』という面が多分にあった。
そのため、そのような叙爵式にわざわざ参加する酔狂な貴族は通常少ない。
そして今回は社交嫌いなベータシア伯の推薦であり、そうした酔狂な貴族たちでさえも誰一人として参加していなかった。
その式のついでで陞爵が行われたため、ジンの存在が目立たなかったのである。
皇家の二人の視点からすれば、『幸い、ジンを帝国貴族に叙すことができた』ということになる。
現在のジンの立場は、帝国貴族であるが故に皇帝の直臣の扱いであり、法衣貴族としてベータシア伯爵の部下として働くように皇帝が任じた形となっている。
ただし、いくら皇帝の直臣とはいえ、強引にベータシア伯爵からジンを取り上げるような真似は慣例からできないのだが。
そういった事情により、ジンとの更なる関係の強化は、注目されていない今が絶好の時期であり、すぐにでも行うべきなのである。
だが、もっとも簡単な手段のはずの『皇女をアサダ子爵家へ降嫁させる』というのが、さすがにマズイことはローラの話から皇帝にもすぐに理解できた。
となると、打てる手としての狙い目はロウジュの妹の二人しかいない。
けれども、それはそれで難しい部分がある。
その二人を皇族籍にある男子と結婚させるのを手段とするワケなのだが、皇太子でない皇子であっても、正妃として迎えるには家格が足りないためモメる。
もし家格を考慮に入れて、第二や第三の夫人として迎えるとなると『関係強化』という観点から行くと、『やらないよりはマシだが微妙』となってしまう。
ウルトラCとして、嫁がずにずっと独身のまま残ってしまっている皇族、皇帝の妹をベータシア伯爵に降嫁させる手もあるのだが、どう考えてもソレは歓迎されないであろう。
「良い案が浮かばぬ。だが、このままでは伯爵家の次女と三女は大変であろうな」
「そうですね。どこかの貴族家に利用されるぐらいなら、いっそジンに二人とも任せますか? つまり、アサダ子爵家の第二夫人と第三夫人として。幸いあの家の三姉妹は『すごく仲が良い』と情報が入っています。長女として受け入れやすいと思われますよ。そして、今ならば皇帝の勅命として出せばそれができます。ジン自身を入り婿扱いで次期ベータシア伯爵としても良いですし、男子が生まれたらその子をベータシア伯爵家の養子とする手もあります」
「伯爵たちは明日には帝都を発つ予定であったはずだな? ならば今日呼び出すしかないか。すぐに迎えを出させる。この案件は直接三人と話し合うしかあるまい」
そのような皇帝側の動きで、オレガとジン、ロウジュの三人が宮廷へと呼び出されることになった。
さすがに通信でやり取りする内容ではないので、これは仕方ないのである。
皇帝、皇妃、宰相、オレガ、ジン、ロウジュの六人が一室に集まり、他者を排しての密談をすることとなるのだった。
尚、皇帝、皇妃、宰相の三人はジンたちの案件とは別で、皇帝と皇妃の息子、つまり皇家の長男である皇太子が重大なやらかしをしていることに、この段階では気づいていない。
むろん、それは少々先の、未来の時点できちんと問題化されるのだが、それは別の話となる。
いきなり皇帝陛下からの呼び出しを喰らったオレガには、元々自家の後継者に対する明確なビジョンがなかった。
このあたりは、オレガが若く健康な時期の長いエルフ族である部分も影響しているのだけれど。
「(娘たちが良い相手を入り婿で捕まえて来ればそれも良し、最悪はうちの陪臣から適当に見繕って養子縁組して結婚させる。なあに、三人もいるからなんとでもなるだろう)」
この件に関しては、貴族としてだと少々アレなレベルの楽観的な考えしか、オレガは持っていなかったのだ。
そんな風だからこそ、自身の領地が窮地に陥った時、資金援助と引き換えでいくら『金持ち』とはいえ男爵ごときに、娘たちも領地をも奪われそうになったワケなのだが。
前提として、皇家はジンとの関係を強化したい。
だが、良い案がない。
そして現状では、リンジュとランジュの二人が、他家から政略結婚の対象として狙われる可能性が高くなってしまっている。
国の視点に立った赤裸々な内容が、オレガ、ジン、ロウジュの三人へ率直に伝えられた。
当面、せめてリンジュとランジュが狙われる部分だけでも回避したい。
回避策の一つとして、リンジュとランジュを同時にジンが娶ってしまう手が存在する。
一応の解決策も同時に示されたのであった。
解決策の提示を受けて、ロウジュは考え込むのだけれど。
「(リンジュとランジュの二人には、できることなら幸せな結婚をして欲しい)」
ロウジュは妹二人と仲が良いだけに、そう思ってしまう。
そして、それがロウジュの本音でもあった。
明らかに利用されるだけの目的で他家から求められる結婚よりは、ジンの元へ嫁いだほうが遥かにマシであろう。
その上、ロウジュは二人の好意がジンに向いていることも知っているのだから。
「(今後、ジンへの婚姻外交が別途行われようとした場合、『ジンの妻の席に三姉妹が揃っていること』は強烈な抑止力になる)」
この時のロウジュには、そのような打算もできたのである。
オレガはオレガで、『いろいろな案の一環として『皇帝陛下の妹さまがベータシア伯オレガへと降嫁する』という案も出た』のを聞かされ、それはもう言葉では言い表せないほどの衝撃を受けていた。
「(皇帝陛下の妹? 冗談じゃない。それよりは、リンジュとランジュがジンに嫁ぐのを認める方が良い)」
オレガは、自家の跡継ぎの問題も、皇家からの提案について吟味する。
「(三人の娘たちとジンとの間に、二人以上の男子を授かることができたら、うち一人をベータシア伯爵家の養子にする。もしくは、ジンをそのままベータシア伯とする。そのどちらかの方法で問題ない)」
意地でも皇帝陛下の妹(行き遅れの超難アリ物件)との婚姻を回避したいオレガの考えは、そう纏まってしまう。
ジンはジンで、思うところがあるワケであり。
「(一瞬、『ロウジュだけじゃなくて、俺が『妹二人も娶る』ってどうなんだ?』とは思ったものの、みんな幸せ、俺幸せ! なら問題なくね?)」
そこまで考えた段階で、ジンは思考停止。
日本にいた時も、勇者時代にも、全く女性にモテることはなく、『複数の女性、それもエルフの美女たちと結婚するハーレム状態』などは、ジンには現実感が感じられなかったのである。
とにもかくにも、この場にいた関係者の三人全員がリンジュとランジュの婚姻の件に賛成した。
そうして、リンジュとランジュの婚姻許可申請がオレガの名で提出されることが決まり、即実行、許可となる。
これらの手続きは、『皇帝陛下の意向』が思いっきり関与していたので、有無を言わさぬ最速の処理が事務方でされたのは言うまでもないであろう。
このような経緯で、ジンはハーレム野郎一直線になったのだった。
また、それとは別で、皇家とジンの関係強化が話し合われる。
その結論は、当面、帝国軍にジンの立場が新設されることで話が纏まった。
帝国軍近衛艦隊所属、独立遊撃隊、単独遊撃艦艦長、アサダ子爵。
サンゴウ単独で動く自由が、公式にジンへと認められたのであった。
この新設の立場は、命令権が皇帝陛下にしかなく、なんとジンの側に拒否権までも一応認められる。
ただし、拒否権行使には正当な理由が必要となるのだけれど。
ジンに与えられた、帝国軍の階級は准将。
しかも、皇帝陛下の命令がない限り自由行動であるにもかかわらず、子爵の年金とは別に准将の俸給を受け取る状態。
ジンにとっては美味しい話である。
ヒモ付きにされるけれど。
これらの特別が認められたのは、宇宙獣に対する戦果実績により、『単独艦で一個軍相当の戦力を有する』と認定されたからこその、特別措置だったりする。
「ジンを優遇するのは、皇家との関係が固く結ばれてるからですよ!」
そう公言しなくとも、暗黙の了解でそれが伝わる処遇であり、それのアピールも兼ねているのだ。
このケースでは、『宇宙獣を殲滅できたのは、サンゴウの性能のおかげである』と誤認されていたのは些細なこととなる。
むろん、『実際に宇宙獣を抹殺、消滅させたのはジン個人の火力』なのは言うまでもない。
いろいろと各人が思い悩む話し合いが終わり、決めるべきことが決まって解散となる。
ジンたち三人が帝都の伯爵邸の前に着いた時、スチャンが客人と思われる人物、若い女性への応対をしているところだったのは、勇者の特性が引き寄せた運命だったのかもしれない。
「お願いです。あのシャトルの持ち主にお願いがしたいのです。会わせていただけませんか?」
こうして、勇者ジンとサンゴウは、皇妃ローラが患っていた謎の奇病をあっさりと完治させ、失った手足の再生も施して五体満足状態でギアルファ銀河帝国皇帝の元へ帰すことに成功した。
その案件の繋がりで、ジンは男爵に叙爵されてからその直後に子爵へと陞爵を果たす。
また、皇家のお墨付きでロウジュとの婚約を確定させることができた。
それとは別で、サンゴウの価値と能力が皇妃経由で皇帝に知られることとなり、サンゴウの所有者であるジンの囲い込み策が講じられることへと繋がってしまう。
なんとかそれらが片付いたところに、新たな事案発生を匂わせる人物の登場で事態はどう動くのか?
未来を知る者は誰もいないのだけれど。
ロウジュとの婚約を確定させ、皇妃関連の依頼を完遂したことで千五百億エンが懐に転がり込んだ勇者さま。
ロウジュの他に、リンジュとランジュとの婚約まで決まってお腹いっぱいなところに、新たな厄介事の発生を予感させる女性の出現で、「俺、お祓いでも受けた方が良いのかな?」などと、思わず呟いてしまうジンなのであった。