11 高鳴る胸
「あら、顔色が悪くなったわね。自分がどれだけ酷いことをしているか、やっとわかったのかしら? あんたにヴァンは相応しくないってわかったのなら彼を解放して――」
「聞くに堪えないな。その言葉をそっくりそのままお前に返してやろう」
「ヴァン……」
ヴァンはアンナさんの言葉を遮り、そして僕をぎゅっと抱きしめてくれた。無理しなくてもいいと言おうとしたが、ヴァンの顔にはくっきりと怒りの感情が現れていた。それを見て胸がなんだかドキドキと高鳴った。
「フィーとの間に子供が出来ないことはわかっている。そんなことはどうでもいいと思えるほど、俺はフィーを愛している。お前にとやかく言われる筋合いはない。それにフィーよりお前の方が相応しいだと? 初対面のくせに図々しく厚かましい女なぞ、最初から願い下げだ。他を当たれ」
「なっ……! そんな男より私の方がいいって教えてあげてるのよ!? どう見たってお金なんてなさそうじゃない! あなたがそいつのせいで苦しい思いをする必要ないって言ってるの!」
「はぁ……金は困らないくらい稼げている。この村で生きるならそこまで必要でもない。大体お前がフィーに勝っているところがあると思うか?」
「なんですって!?」
「顔か? 悪いがフィーの方が数倍可愛いな。性格もお前と違って慎ましく、謙虚で健気で努力家。人を思いやれる優しい心も持っている。人のことを悪く言うこともない。お前とは真逆だな。そんなお前にフィーに勝るところなどあるはずがないだろう」
え、え、えぇぇぇぇ!? ヴァ、ヴァンってば、僕のことそんな風に思ってくれていたの!? しかも、あ、愛してるってっ……! いや、偽の恋人を演じるために言ったことだってわかってるけどっ……!
例え嘘だと分かっていても、こんな堂々と言われて顔が火照っているのが触らなくてもわかる。あまりにも恥ずかしくて、両手で顔を覆った。
「な、なによ! 人が親切に教えてあげてるのにその言いぐさは酷いじゃない! そんな男とこんな廃れた面白味もない村がいいなら勝手に――」
「アンナッ!」
「っ……!? 父、さんっ……」
「いい加減にしろ! お前は自分が言っていることがわかっているのか! 二人だけじゃなくこの村の人まで馬鹿にしてるんだぞ! この人たちは父さんの商売相手だ! 客を馬鹿にするなど何をやっている!」
「あっ……」
商人のおじさんの一言でアンナさんは押し黙った。はっきり言ってこの村での稼ぎは多くはないだろう。だけどこのおじさんはそれでもこの村に必ず立ち寄ってくれるし、村の人との関係も良好だ。それはおじさんが村の人を大切にしてくれたから。
アンナさんも商人の娘だから、商人としての教えや考えをこんこんと聞かされていたのだろう。自分が言ったことがどういうことか、やっと理解したらしい。心の中でどう思っていようと、それを口に出したのは大失敗だ。
「アンナ、お前は馬車に戻ってろ。二度と出て来るな」
「はい……ごめん、なさい……」
商人のおじさんに一言小さな声で謝ると、意気消沈した様子で馬車の中へと戻っていった。だけどこの場はなんとも言えない空気が漂っている。
「二人共悪かったな。だがヴァンの言葉には痺れたぜ! いかに二人が熱く想い合っているのかわかっちまったじゃねぇか!」
「え!?」
そんなことを言われてなんて返せばいいのか……そもそも僕たちは嘘の恋人だ。でもこの場には村人がみんな集まっていたしほとんどの人に目撃されている。きっと本当に想い合った恋人同士なんだと疑う人はいなくなっただろう。とてつもなく恥ずかしい……
「そんな二人に今日は特大のオマケを付けてやろう! みんなにも迷惑かけたな! 今日は全部半額にさせてくれ! さぁ買った買った!」
商人のおじさんが手を叩きながら大きな声で叫ぶと、その場はあっという間に明るくなった。半額だと聞いて、村の人がみんなわっと集まり商品を手に取り始める。
「あのっ……ありがとう、ヴァン」
「いや、正直言うと嬉しかった」
「えっ……?」
「ほら、早くしないと何も買えなくなるぞ」
「あ、う、うんっ……」
嬉しかった、ってどうして……? そう聞きたかったが、もたもたしていたら買いたかった調味料が何も買えなくなってしまう。顔の火照りを感じながらも慌てて商品を手に取った。
◇
家に帰り夕食。僕はいつも通り振舞おうとしていたけど出来ていたかどうかはわからない。だってさっきヴァンが言っていたことがぐるぐると頭の中を駆け巡っていたから。
アンナさんに迫られて迷惑そうにしていたヴァンを助けようと前に出たはいいものの、僕は結局何も言えなくなってしまった。アンナさんが言っていたことはその通りだと思ったから。
僕を助けるために危険を冒してでも助けてくれたヴァン。一緒に隣国へと逃げて来て、村に到着した後は僕を置いて自分の行きたいところへ行くことだって出来たはずだ。
だけど当たり前のように僕と一緒にこの村で生活してくれている。僕の力を当てにするとか、利用しようと思っていたのならわかる。でもヴァンはそれをすることは一度もなかった。それどころか僕の力がバレないように注意だってしてくれた。
そしてアンナさんとのやり取りで僕のことを嘘とはいえ「愛してる」とはっきりと告げてくれた。
どうしてだろう。そんなことをしてもヴァンが得することなんて何もないのに。
「フィー? どうした?」
「え? あ、いや、なんでも、ないっ……!」
お風呂も終わってベッドの上で今日あったことを考えていたら、いつの間にかヴァンもお風呂から戻ってきたみたいだ。ヴァンは何度か僕に声をかけたみたいだけど、一切気が付いていなかった。「寝よう」とヴァンがベッドに滑り込む。
新しいシーツや上掛けが手に入ったから寝心地は更によくなった。だけど相変らず二人で並べばゆとりなんてない。
「フィー、そんな端にいるとまた落っこちるぞ」
「う、うんっ……大丈夫だよ」
「この前落ちたのに何を言っているんだ。ほら、もっとこっちに」
「え、わっ……」
ヴァンはぐっと僕を引き寄せると腕の中に囲ってしまう。ギュッと抱き込まれて、ヴァンの体温を嫌でも感じる。逞しい胸板が頬に当たって、ヴァンの腕が僕の背中に回っていて……
どうしようっ……心臓が口から出そうな程に煩くなってるっ……!
商人のおじさんから石鹸も買えたから、ヴァンからはとてもいい匂いもしてる。温かい体温とヴァンの匂い。それに包まれている状況が恥ずかしくて体が熱い。
こんなに引っ付いたら僕の心臓の音が聞こえそう……ヴァンは僕がベッドから落ちないよう気を遣っているだけなのに、僕だけこんな風に意識していたらおかしいと思われるのに……
――あれ? 僕の心臓の音以外にもドクドクと早い鼓動が聞こえる……?
これ、ヴァンの心臓の音だ。ヴァンの胸に頬がぴったりとくっついているからヴァンの心臓の音が伝わってくる。それに僕と同じように鼓動が早い……? どうして……?
「……今日、あの女に向かって声を上げてくれた時は嬉しかった。ありがとう、フィー」
「え、あっ……うん……でも結局ヴァンに助けられちゃった」
「いや、本当に迷惑してたんだ。でもフィーが怖がりながらも『僕の恋人です』って言った時は強くなったなって思ったよ」
でも結局僕は言い負けてしまった。もっと強くならなきゃ駄目なんだって嫌でも痛感した。それに――
「……だって、なんか嫌だったんだ。ヴァンが迷惑そうにしてるのに、アンナさんは構わずヴァンに抱き着いてて……なんでかわからないけど凄くモヤモヤした」
「……フィー、それって嫉妬、だったりする?」
「え? 嫉妬……?」