第08話 初めての魔物
修行の地に来たと思ったら、気づけば森の中に放り出されていた…。それに加え、魔王の復活や魔物の増加、強くなるための動機探し…次々と情報を詰め込まれ、頭が追いつかない。
「お姉さま…これからどうする…?」
リーネが不安げに私の手を握り締めてくる。彼女の手は冷たく、かすかに震えている。
「大丈夫、リーネ。まずは、この森を調べてみよう。生き抜くことだけに集中しよう」
今は魔王や動機の話は忘れよう。目の前の未知の森で一晩生き延びることだけを考えればいい。
「…わかった」
私たちの周りには、5メートルを超える巨木が密集していて、昼間なのに薄暗い。木々が邪魔をして、日差しはほとんど届かず、空気には不気味な静寂が漂っている。
「少し歩いてみよっか」
このままじっとしていても何も変わらない。私はリーネの手をしっかり握り、周囲の様子を探るように歩き始めた。
「リーネ、木の根がたくさんあるから足元に気をつけてね。転ばないように」
森の中に道らしきものはない。木々の隙間を縫うように進むと、足元には石や根が絡み合い、慎重に歩かなければ簡単に足を取られそうだ。
「お姉さま、これ…何?」
リーネが指さした先には、一本の木に深い引っかき傷が刻まれていた。まるで巨大な手が木をえぐり取ったかのように、5本の爪の痕がくっきりと残っている。
「…考えたくないけど、何か大きな魔物がいるかもしれない…」
その爪痕は直径30センチ以上あり、見ただけで、そいつが並外れた大きさと力を持っていることがわかる。
(これは…やばい。絶対にやばいやつだ)
全身の神経が危険信号を発し、冷や汗が止まらない。心臓が早鐘のように鼓動し、息が苦しくなってくる。
「足跡も…」
リーネが声を震わせながら足元を指さす。そこには20〜30センチほどの獣のような足跡が続いていた。
「…よし。この足跡とは逆の方向に進もう。急ごう、リーネ」
リーネの手はさっきよりも冷たく、かすかに震えているのが伝わってくる。私も彼女の不安に押されるようにして、手を強く握り返した。
(絶対に生き延びる。ここで諦めたら…私たちの未来なんてない)
薄暗い森の中、私たちは言葉を交わす余裕もなく、ただ静かに恐怖を押し殺しながら、ひたすら進んだ。
*
どれくらい歩いただろうか。体感では1時間くらいだろうか。幸いにも、まだ魔物とは遭遇していない。
「ん?…なんか、水の音がする?」
疲れがじわじわと体にしみこんでいたが、かすかな水音が希望の光を灯してくれた。胸が高鳴るのを抑えながら、その方向へ歩を進める。
「お姉さま、あれ…川?」
少し開けた場所に、川が流れているのを発見した。冷たく澄んだ水が光を反射し、安心感が広がる。
「よかった…ここなら、しばらくは魔物も来ないかも。休憩しよう」
土魔法で簡易的な椅子を作り、私たちはようやく腰を下ろした。
「魔物、他にもいるのかな…」
リーネの不安そうな声に、さっきの爪痕が脳裏にちらつく。
「どうだろうね。院長は“小動物が出る”って言ってたけど…」
まさか、あの爪痕の主が「小動物」に含まれる...なんてことはないよね?その可能性を考えたくなくて、私は首を振った。
「小動物が出たら、倒す?」
リーネが無邪気に物騒なことを口にする。
「うーん、もし倒せそうならね。でも相手の強さがわからないうちはやめておこう」
「うん、わかった」
無理は禁物だ。今回の目標は“生き延びる”ことであって、魔物退治じゃない。安全第一が大事。
そういえば、川の水ってそのまま飲むと危ないんだっけ。動物の排泄物とか、感染症のリスクもあるし…。でも、水魔法で飲み水が作れるから、水不足には困らない。
「はい、リーネ。どうぞ」
土魔法で作ったコップに水を満たし、リーネに手渡すと、彼女は喉が渇いていたのか一気に飲み干した。
「お姉さま、ありがとう。…でも、お腹も空いてきた…」
リーネがお腹をさすりながら言う。そういえば、私も朝から何も食べていない。太陽もまだ真上にあるし、食料を確保しておかないと。
(川に魚とかいないかな…)
川をのぞき込んでみるが、魚らしきものは見当たらない。そもそも、魚がいても捕まえる方法がない。別のものを探したほうがよさそうだ。
「森のほうで木の実か何か探してみようか。」
リーネの手を引き、再び森の中へと足を踏み入れる。食べられそうなものといえば、木の実や山菜、もしかしたらキノコも見つかるかもしれない。根元や木の上などを注意深く探していると…
「あっ、赤い果実だ!」
背の低い木に、りんごより小さめの赤い果実が二つなっているのを見つけた。リーネの目が輝き、思わず手を伸ばす。
「あっ、待ってリーネ!まだ食べられるかわからないよ」
ひとつもぎ取り、じっくりと観察する。見たことのない果実だから、毒があるかもしれない。
(もし毒があったらどうしよう…)
今は解毒アイテムも魔法もない。少しかじるだけなら…大丈夫かな?恐る恐る水魔法で洗浄し、一口かじる。
「…すっぱいけど、たぶん大丈夫そう。」
もうひとつも同じように洗い、リーネに手渡す。
「お姉さま、ありがとう!」
リーネは空腹だったのか、果実を美味しそうに食べ始め、あっという間に完食してしまった。
「私の分もあげるよ」
正直、恐怖と不安で食欲が湧かない。それにしても、この状況でしっかり食べられるリーネはすごい。
…その時、
「ガサッ…ガサッ…!」
背後の茂みが揺れる音がした。瞬間、私たちは静かに固まり、音の方向に意識を集中させる。心臓が早鐘を打ち、息が止まりそうになる。
「しっ…!静かに。何かいる…かも…」
ゆっくりと距離を取り、茂みをじっと見つめる。かき分ける音が近づいてきて、何かがこちらへ向かってきている気配がする。
すると突然、赤黒い影が茂みから姿を現した。