第10話 決意
リーネが集めてくれた木材に火をつけると、ぱちぱちと焚き火がはぜた。
「暖かい…」
一息つくと、途端に身体が重くなっていく。大蛇の鋭い牙と鎧のような魔物の爪を間一髪で避け続けた逃走劇で、私の体力も限界を超えていた。寒さと恐怖で冷え切った心と体に、火のぬくもりがじんわりと染み込む。
火の明かりに目をやると、リーネが肩を落とし、俯いているのが見えた。あの子の沈んだ表情は、領地にいた頃には見たことがないものだ。幼いながらも剣の稽古を楽しんで、よく笑っていたあの子が、今は息を潜めるようにじっとしている。
そんな彼女が、ぽつりとつぶやいた。
「私、強くなりたい…」
「えっ?」
言葉があまりにも唐突で、一瞬聞き返してしまう。
リーネは俯いたまま、拳をぎゅっと握りしめていた。彼女の小さな手に滲む強い決意が、私の胸に響く。
「お姉さまを守れるぐらい…私、強くなりたい!」
顔を上げたリーネの瞳には、真っ直ぐな光が宿っていた。
(…普通、これってお姉ちゃんが妹に言うセリフなんじゃ…?)
驚きと嬉しさが入り交じり、胸が熱くなる。たとえ小さくても、リーネの中で、私を守りたいという気持ちが芽生えているのだ。
「リーネ、ありがとう。でも私も…リーネを守れるぐらい、もっと強くならなきゃね」
リーネは満足そうに頷き、安堵したのか、そのまま寝入ってしまった。疲労と出血で、もう限界だったのだろう。
「もう大丈夫だよ。お姉ちゃんが守るから、ゆっくり休んで」
彼女の髪を優しく撫でると、穏やかな寝息が聞こえてきた。
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「さて…」
リーネが眠る間、私は警戒を怠らないように、辺りを見回した。土魔法で作った簡易な壁は一撃くらいなら耐えられるように固めている。だが、いつでも逃げられるように川に向けて逃げ道も確保しておいた。最悪の場合、リーネと川に飛び込んで流れに乗るしかない。流れが速いのは不安だけれど、命を繋ぐ可能性があるなら、そうするしかない。
(…本当に生き延びられるのか…?)
不安が静かに忍び寄る。そして、夜の静寂がそれをさらに強調するかのように重くのしかかってきた。遠くで何かが咆哮する音がする。魔物同士が争っているのだろうか。それとも、私たちを見つけようと辺りを探っているのかもしれない。
咆哮が響くたびに、大蛇が私に襲いかかってきた時の映像が頭の中で再生される。赤黒い目、冷たい鱗、鋭い牙。リーネを守ろうと必死に出した牽制の魔法が当たらなかった時、私は確かに死を覚悟していた。もしリーネが庇ってくれていなかったら、今頃この世にはいなかったかもしれない。その考えが頭をよぎるたび、全身が震え、呼吸が苦しくなる。
「…怖い…怖い、怖い、怖い!」
過去の記憶を合わせると35年以上生きているが、ここまで死の恐怖を感じたのは初めてかもしれない。脳裏に浮かぶのは、死の淵で感じたあの凍りつくような絶望だ。
(…生存本能、って言うんだっけ?)
人間が生きる上で最も強い本能が、生存本能だと聞いたことがある。今まで平和な環境に甘えていた私は、この本能を鈍らせていたのかもしれない。もしかしたら、この課題を出したブラックヴァン院長の狙いは、これだったのかもしれない。
だが、今の私は自分の生存だけを望んでいるわけじゃない。
「リーネ…」
まだ6歳の、愛おしい妹を死なせるわけにはいかない。たとえどんな危険が待ち構えていようとも、彼女を守り抜く。そんな強さが私には必要だ。
(絶対に…強くなる)
命を賭してでもリーネを守る、そのために私はもっと力をつけると決意した。
*
「お姉さま、起きて」
「はっ!しまった!」
リーネの声に驚いて飛び起きる。顔をあげると、ほんのりオレンジ色の光が薄暗い空を彩りはじめていた。
(一体いつの間に寝てしまっていたんだ…それに、どれくらい?)
昨晩、あれだけ恐怖に包まれていたにもかかわらず、どうやらいつの間にか深い眠りに落ちていたらしい。体中の疲労が限界を迎え、意識を手放してしまったようだ。
「よかった…」
まだ生きている。そのことがこんなにもありがたいと感じたのは、初めてかもしれない。一晩、魔物に襲われず無事に生き延びられた安堵感が体を満たしていく。
すると、「トントン」と土の壁を軽く叩く音が聞こえた。緊張が走る。
「リリアさん、リーネさん、生きてる?」
聞き覚えのある声に、顔を外に出してみると、爽やかな笑顔のアーサーが立っていた。彼は穏やかに手を挙げて挨拶してきた。
「アーサーさん、おはようございます…なんとか無事です」
「それは良かった。じゃあ、そろそろ帰ろうか」
アーサーは、指輪に魔力を込め始めた。すると、以前見た複雑で精緻な魔法陣が立体的に浮かび上がる。
(あの指輪が転移魔法陣を作るのか…すごいアイテムだな)
「さ、魔法陣に乗って。早く」
促されるまま私たちは魔法陣に足を踏み入れる。ふと、視界の端に異様な光景が映った。
(あれ…?)
遠く、森の方に何かが山積みになっている。よく見ると、それは大蛇や鎧の熊を含む、獰猛な魔物の死体の山だった。
「リリアさん、どうしたの?」
「いえ…あちらに、魔物の死体が山積みになっているように見えるんですが…」
アーサーはちらりと視線を送り、わざとらしく肩をすくめた。
「え?あー…気のせいじゃないかな?ほら、急いで。転移するよ」
何か、あからさまに話を逸らされた気がする。けれど、彼の言葉の端々にある余裕や、さりげない態度が気にかかる。もしかして、あの手強い魔物たちを…アーサーが一人で?
(それに、私たちが万が一にも危険な目に遭わないよう、ずっと見守ってくれていたということ…?)
アーサーが淡々とするその裏に、計り知れない強さが隠されているのかもしれない。あの優しげな笑顔に油断してしまうが、聖王軍学院の生徒足るべき強さがあるということだ。なるほど。そう考えてみれば、あの状況で無事でいられた理由もつじつまが合う。
(こんなにも強いなら、大蛇や熊に襲われたときに助けてくれたら良かったのに…)
そんなことを考えていると、ふわりと体に浮遊感が広がり、光に包まれていく。