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二人の出会い 〜過去のアリス〜


 クロエとヴィルジールの出会いは今から十年ほど前で、当時クロエが七歳、ヴィルジールは十歳だった。


 下級貴族のクロエの両親は洋裁師であり、この日は仕立てた衣服を届けるため親子三人で王宮に向かっていた。

 クロエも何度か王宮へ連れて来られたことがあったが、使用人が二ヶ月かけて覚える王宮の構造や敷地内の広さは子供のクロエにとって巨大な迷路でしかなかった。

 

 クロエの父と母が王宮から数百メートル離れた場所にある門扉の前で挨拶をすると、高さ三メートルはありそうな鉄の門扉が門番の手でゆっくりと開けられた。

 三人は出迎えの騎士に連れられながら庭園を歩き、王宮へと足を運ばせる。

 クロエはいつもはぐれないように母親のよそ行きのロングスカートの裾を握りしめ歩いていたのだが、この日は春の庭園の花々に見惚れてしまい、ふと母親のスカートから手を離してしまった。


(見たことないお花がいっぱい……!)

 

 気がつけば、花から花へと舞う蝶のようにひらひらと一人庭園を歩き回っていた。

 

 そうして辿り着いた先がアリスだった。

 花々と草木の中にひっそりと置いてあるテーブルと椅子は絵本から飛び出してきたかのような風景だと、クロエは一層目を輝かせた。

 だが、アリスには先客がいたようだ。

 その先客がヴィルジールだった。


 ヴィルジールは椅子の横で膝を抱えており、その膝に額をつけ丸くなっている。身体が時折微かに震えていた。

 土か砂で汚れくすんだ青いサーコートを身につけていながらも、さらりと垂れている金髪はシルクのようで、その髪質はそこらの貴族の手入れ方法では出せないものだった。


(王子さまみたいな髪の毛……)


 クロエの率直な感想だった。

 小刻みに震える身体に合わせて美しい金髪が揺れる。そして、彼の膝の中でこもった嗚咽音がしているのをクロエは聞き逃さなかった。


(この人……、泣いてる……?)


 クロエが心配そうな顔つきで目の前まで近づいた瞬間、人の気配を感じたヴィルジールが勢いよく顔を上げた。

 ばちっと目が合った二人は驚き目を見開く。

 案の定、彼のマリンブルーの瞳には涙が溜まっていた。その潤んだ瞳の神秘的とも言える輝きは、どんな宝石をも凌駕(りょうが)するものであった。

 

「だれ……?」


 そう先に口を開いたのはヴィルジールだった。

 クロエはたどたどしい棒読みの台詞で挨拶を始める。


「あ、えと、ごめんなさい。わたし、クロエです。七歳です。今日はパパとママのおしごとのつごうでおじゃましてます。えと……、こんごとも、よろしくおねがいします」


『王宮内の人に会ったらこう挨拶しなさい』と両親が口を酸っぱくさせ教えた挨拶だ。

 クロエは「よろしくおねがいします」という発言と共にぎこちない一礼をし、唇をきゅっと噛み締めはにかむ。彼女なりに「教えられた挨拶が出来た」と達成感と満足感を感じたようだ。

 だが、ヴィルジールは何も言わずにクロエから目を逸らし(うつむ)いた。


(わたしのあいさつ、だめだったのかな……)


 渾身の挨拶を無視されてしまい少々戸惑いながらも、また心配そうにヴィルジールを見つめる。ふと視線を落とすと、左腕の長袖が一部赤く(にじ)んでいるのに気がついた。

 

「血! 血が出てる!」


 その言葉に反応したヴィルジールは咄嗟(とっさ)に右手でその部分を隠した。


「こんなのなんてことない……。僕が未熟だから負傷した……」


 とても弱々しい声だ。

 しかしそんな彼に構わず、クロエは所持していた彼女の手のひらほどの小さい()ちばさみで自身のロングスカートの裾を切り始めた。


「君! 何をしているんだ!?」


 クロエの行動に驚いたヴィルジールは抱えていた足を解き膝立ちになっていた。

 慣れた手つきで幅十センチ長さ一メートルほどスカートの裾を切断すると、慎重かつ放胆(ほうたん)にヴィルジールの長袖を捲り上げる。


「これで血をとめるの!」


 露出した左腕は綺麗な横一文字に切れていて、やはりそこからは血がふつふつと湧き出ていた。ヴィルジールの白い肌と鮮血のコントラストが痛々しさを物語っている。

 クロエは彼の腕に切ったスカートを巻きつけると、その上を両手で挟み込み精一杯の力で押さえつける。


「しばらくこうしてるね」

 

 にこりと微笑み落ち着きながら彼を励ますように言う。彼女の手際の良さと大人びた一言に感服したヴィルジールは再度地面に腰を落とした。


「ありがとう。君も立っていると疲れるだろう、横に座って」


 ヴィルジールの腕を押さえながら横に座った。

 草の感触がスカート越し伝わってくる。乱雑に生え散らかしている街中の雑草と違い、クッションのように柔らかい草だった。


「クロエ……、と言ったかな。僕なんかのためにスカートを台無しにしてしまって申し訳ない」

「だいじょぶです。わたしのおうち、お洋服屋さんだから、このくらいならすぐに直せるのです」

「そうなんだ。はさみはいつも持っているの?」

「はい、ママからもらったのです。お洋服屋さんだから、さいほうセットはいつも持ってるです」


 ぎこちない口調で丁寧に話をするクロエに、ヴィルジールは愛おしさを感じ思わず笑ってしまった。そこにいるのは、つい先程大人顔負けの応急処置をしてくれたとは思えない、普通の可愛らしい幼女だったからだ。


「なんで笑うんですか?」


 幼いクロエにはなにがおかしかったのか全く理解できなかった。


「いや、すまない。可愛いな、と思ってしまって」

「かわいい……ですか? うれしいです」


 クロエは子供らしい無邪気な笑みで返す。

 理由がわからずとも、「可愛い」と言われて嬉しくない女の子なんていないだろう。それも、こんな王子様のような人に言われれば尚更だ。


「どうして、ケガをしたんですか?」


 また少し大人びた顔で心配そうに尋ねる。


「……、慣れない短剣で一人稽古をしていたら手から短剣が抜けてしまってそのまま……。僕は強くならなきゃいけないのに……」


 ヴィルジールの声は悔しさと焦燥でいっぱいだった。膝を抱え泣いていたのも、傷の痛みより心の痛みが理由だったに違いない。


「だいじょぶです!」


 ヴィルジールの陰気を振り払うかのように、持ち前の明るさと笑顔で(はげ)ました。


「わたしも、お洋服がせんぜん上手くぬえなくて、よくママにおこられます! でも、れんしゅうしていくと、上手になったのがわかります! だから、つよくなります! だいじょぶです!」


 そう言った彼女の表情からは一切の曇りが見当たらない、本音の言葉だった。

 (つたな)い言葉でも熱心な気持ちが伝わり、ヴィルジールの(すさ)んでいた心が少し穏やかになった。

 

「……ありがとう」

「はい!」


 二人の間を吹き抜ける春の風はとても暖かかった。

 

「ねえ、クロエ。そんなにかしこまらないで、普通に話して大丈夫だからね」

「でも、パパとママからおうきゅうの人とおはなしする時は『です』『ます』をつけなさいって言われた……です」

「僕が大丈夫って言うんだから大丈夫だよ。クロエとは……、普通に話してみたいんだ」

「じゃあ……。普通にする!」


 二人は子供らしく屈託のない笑顔で話に花を咲かせる。

 

 クロエは三歳の時に両親から裁縫を教わり始め、今は小さなぬいぐるみくらいなら作れるようになったそうだ。

 ソーイングセットを持ち歩いているのはやはり両親からの指示だった。いざという時に役立つ、と言うよりも、いざという時に商売に繋がるかもしれない、と言った方が彼女の両親的には正しいのかもしれない。

 そして、ヴィルジールは自分が皇太子であることを告げた。しかしクロエにはそれがなにかよくわからなそうだったので、『この国の王様の子供』と簡略的に伝え直した。


「わー、すごい! ほんものの王子さまだった!」


 この日一番の笑顔を見せた。

 身分違いの恐れ多さなどは皆無であり、ただただ憧れや尊敬の眼差しをしていた。


「王子さまだから、つよくなりたいんだね!」

「そうだね……。いつか僕は国を背負う。それまでに、鋼のように強い身体と精神を持たなくちゃいけないんだ」

「んー? よくわかんない……。けど、ぜったいなれるよ!」

 

 ヴィルジールは無邪気で素直で明るいクロエにどんどんと惹かれていった。

 (よわい)十の子供とは言え、皇太子である身なので王宮内では誰からも一線を引かれてしまう。昔は普通に話していた友達でさえも、分別がつくようになり距離を感じるようになっていた。

 だからこそ、ありのままの姿で対等に話をしてくれているというクロエの存在が嬉しかった。


 とりとめのない話を数分ほどした後、クロエはヴィルジールの腕からゆっくりと両手を離した。


「もうだいじょうぶ。血も止まったね」

「ありがとう。本当に、なんとお礼をしたらいいか……」

「おれいなんていいの!」


 その時、彼方からクロエの名を急き込んだように呼んでいる声が微かに聞こえてきた。


「ママの声だ……!」


 クロエはすくっと立ち上がる。


「そうか、両親の付き添いで来ていたんだね。何やら慌ただしそうだし、もしかしたらクロエを探しているのかも」

「そうかも! ごめんね、もういくね」


 そう言って立ち去ろうとするクロエの右手を「待って」と掴んだ。


「せめてものお礼に、これを」


 クロエの右の手のひらに銀色のハンターケースの懐中時計を乗せる。綺麗に磨かれた銀の蓋は鏡のようで、そこに刻まれている不死鳥の紋章は今にも飛び立ちそうなほど優美なものだった。

 幼少のクロエにはそれが時計であるということはまだわからなかったが、不死鳥の瞳に埋め込まれているダイヤモンドを見るに、これが高級品であるということは理解できたようだ。


「こんな高そうなもの、もらえないよ!」

「僕が今できる精一杯のお礼なんだ。手当てをしてもらって『はい、さようなら』なんて、一国の王となる者ができるわけないよ」

「でも……!」

「どうか受け取ってほしい、そして……」


 ヴィルジールは懐中時計とクロエの手を挟むようにして両手でぎゅっと握りしめた。


「クロエ……。いつかまた、絶対会おう」


 そう言ったヴィルジールの表情は春風のように暖かく、舞い散っていく花びらのように刹那的だった。

 クロエはもう「受け取れない」とは言えなかった。そのまま左手をヴィルジールの上に重ねる。

 

「……ありがとう。だいじにするね! また会おうね!」


 スカートをひるがえし、春の花々のような笑顔を残したままヴィルジールの元から去っていった。


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