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クロエとヴィルジールの茶会時間

 

 いつもと変わらぬ昼下がり。

 アリスでひと時の優雅なティータイムを過ごしている一人の女性がいる。

 

 立ち(えり)の真っ黒なワンピースを着ている彼女は首元までしっかりとボタンを閉め、そこに左右対照に整えられた大ぶりの黒いリボンを首輪のようにしゃんと身につけている。

 そのリボンの中央には翡翠色の楕円形のブローチがついており、足元を風船のようにふわりと覆い隠しているロングスカートと、それとは反対に腕にぴたりと張り付いているような長袖。その上から白いカフスと白いエプロンをつけている彼女は、この王宮の使用人の一人だった。


 春風が彼女の胸下まで伸びている琥珀(こはく)色の髪をなびかせながら芽吹いた花々の香りを運んでいる。その香りは紅茶の匂いと混ざり合い、高級茶葉に劣らぬ幸福感を与える。

 彼女はその香りを一息吸い込んでからティーカップの紅茶を飲んだ。

 

「春だわ……」


 口の中に広がる紅茶の旨みや渋みに加えて、春の甘くてトロっとした蜜のような飲み応えを感じた彼女はそう呟やいた。

 ティーカップを両手に包み、春の余韻に浸っている。

 

 彼女はテーブルに置いた懐中時計にふと目を配った。

 時刻が十五時三十分を指していたのを確認すると、透き通った紫色の瞳は不純物を混ぜた紅茶のように(にご)っていった。

 彼女はティーカップをテーブルのソーサーの上に戻し、ため息を一つつく。


「そろそろね……」


 ほぼ毎日決まった時間になると、このアリスにもう一人の人物が現れる。

 その人物はいつもアリスに一番近い王宮の出入り口からひょっこりと姿を見せる。そして、今日も例外なくその出入り口の扉から現れた。

 その人物は彼女の方へ一度手を振り、そのままアリスへと向かった。

 


「やあ、クロエ。今日も薔薇のように美しいね」

 

 開口一番にそう言った彼の切れ長な目の奥にあるマリンブルーの瞳はまさに海のようで、その水面に太陽の光が反射しキラキラと煌めいている輝きをしていた。

 

 歯の浮くような台詞を平然とのたまう彼は、この日のように爽やかで晴れ渡った笑顔をしている。

 一見子供のような笑顔だが、それでもその立ち姿には芯があり、しなやかな身体は服の上からでも日々の鍛錬がうかがえる。

 (つや)のある金髪に負けない整いきった顔立ち、そして純白の貴族衣装を着こなす彼は王族の生まれでもあった。


「こんにちは、ヴィルジール殿下。四日前と全く同じお褒めのお言葉、感激いたします」

 

 クロエはにこりと精密機器のような狂いのない笑顔を返す。


「これは失礼した。どうやら、クロエの美しさを表現するにはこの庭園の花々では足りないみたいだ」


 ヴィルジールはまた爽やかな笑顔をする。

 今の時期で彼が知っている庭園の花は、薔薇とカーネーションとマリーゴールドとラベンダーくらいだろう。花に例えてクロエを褒める時はこのローテーションで回っていることから、それは容易に察せられた。

 当然花はそれだけではないのだが、クロエはあえてそれを黙っていた。

 

「クロエ……、今日こそ結婚の申し出を受けてくれるかな?」

「またまたお戯れを。私と殿下がご結婚なんて恐れ多すぎて、とても首を縦に振れません。もっと他に、殿下にふさわしい令嬢がおいででしょう」

「クロエ以外の女性と結婚なんて俺には考えられない。クロエと再会出来たことがどんなに嬉しかったことか」


 何度目のやり取りだったかはクロエも覚えてはいない。

 最初こそクロエも狼狽(うろた)え舞い上がってしまったりもしたが、下級貴族の出身であるクロエは王族であるヴィルジールの求婚においそれと返事は出来なかった。

 それでも三ヶ月も求婚され続ければそれは日常となり、あしらい方も板についてくる。そろそろ諦めるかと思ったりもするが、ヴィルジールはこうしてアリスへやってきては口説き続けていた。


 ヴィルジールの申し出を断り続けて約一年。

 そしてそれは、クロエが王宮で使用人として働いている期間でもあった。


「とりあえず、お座りになりますか? 殿下の分の紅茶は今日もございませんけれど」


 にこりと微笑むクロエの笑顔は(めん)のようにずっと張り付いたままだった。


 

 クロエの隣に腰掛けたヴィルジールは、テーブルの上に置かれた懐中時計に手をかける。

 懐中時計の銀の蓋には王族の紋章である不死鳥が刻まれている。クロエの持っている懐中時計は相当年季が入っていて、細かい傷が文字盤の方まで多数についていた。

 仕事中にどこかにぶつけてしまったり雑に開閉をしてしまったりとまあ丁寧な扱いはしていないが、それでも十年と時を止めずに動いているその時計はまさに不死鳥のようだとクロエは思っていた。


「今日もこの時計を見てくれていたんだね」

「時間がわからなければ仕事になりませんもの。使用人は決まった時間で動いていますから」

「それでも、こうして今も使ってくれていることが嬉しいよ」


 懐中時計に目を落とすヴィルジールは、いつもどこか懐かしい目をしていた。

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