6 僕とねぎ
もみじはブルーシートを敷き、うつ伏せでタブレットをいじっていた。ソーラーパネルがあるので電気には不便しなかった。僕もまたもみじと同じ蚊帳の中でスマホを見ている。
「テレビが無いと退屈だと思わない? カレンくん的に」
「さあ、僕もテレビは好きですけど。でもあれは嫌いですね、クイズ番組。家でクイズ番組を観ていると、母と妹が色々余計なことを話すんです。『問題! この中で海と接していない県はどこでしょう?』チクタク……。『山口って下の方だよね』『和歌山って広島の近くじゃない?』『ねえ蓮、福島って茨城と接してるよね?』『……知らない』大した興味も無いくせにさ。『第二問!』」
もみじは脚を揺らしている。
「そういう問題はうんざりなんだよ。ちっとも面白くない。学生の頃に散々やってきたんだ。いや、だって嫌なんだ。昔、僕は学校で優等生って言われていてさ、本当は面倒臭がりでおっちょこちょいなんだ。なのに、周囲から違うことを期待されているんだね。だからテストで間違えるたび『間違えたんだ、へー意外』、冗談を言うたび『冗談言うんだ、へー意外』。じゃあ何をしろって言うんだよ。僕は無口になったね。小学校、中学校の間大人しかったよ。限りなく。でね、一番嫌だったのが『答え見せて』って言われることだ。『136×56=?』。僕は筆算を書いて答えを導き出した。でもそいつは答えだけ見て書き写して、宿題終わり。意味わかんないよ。勉強は結果主義の仕事なのかって。でも、そうだったんだろうね。僕は誰かのために使われるデータベースなんだ。きっと社会に出てからも仕事をこなす便利なデータベースになるんだろうと思って、悲しかったよ。クイズ番組で家族に答えを訊かれたとき、僕は実は泣きそうになったんだ。小学生の頃の惨めな自分を思い返して……」
もみじは顔を上げて僕を見た。
「きちんと自己紹介すべきだと思う」
「?」
「ちゅーする?」
「え、いやいいよ」
就寝時間になっても、僕らの家に布団やベッドが送られることは無かった。雑魚寝しろということらしい。僕はニックに件のことについて尋ねたら、そう回答された。不運なことに猿はどこでも好き勝手寝るのさ。日本人だけだね。情緒を解することができるのはサ。なんてことだ、と感想を述べるとニックは「君をのみ恋ひつつ旅の草枕ってところだな」。馬鹿にしやがって、ち。
僕はその旨をもみじに伝えた。「うるさい」と罵られた。私はベッドか布団の上じゃなきゃ寝ないの。そうは言ってもですね。とにかく私は嫌だ、注文でも強盗でもして取り寄せて。無理ですよ、この村が即日配達の圏内なわけないじゃないですか、しかもベッドですよ。敬語やめてよ、うえーん。まあ、うん。
もう終わりだ、私は死んじゃうんだ、固くて冷たい地面の上で冷たくなって、そのまま冷えた棺桶に詰められて、冷たい海の上を通って冬頃寒い日本に到着して、冷たい顔をした家族に見送られるんだ、さて、悲しい哀しい通夜の飲み会の途中ですが、冷たいビールが美味しいですが、ここで問題です、もみじはどこで死んだでしょう? チクタク……チュニジア、ぶー、正解は猿の村でした、残念賞、カレンくんはそれで知らない女の子と結婚してしまうの、馬鹿で『女大学』でクイズ番組とメロドラマばっか観てるプライドの高い奥さんをお嫁に貰う、そして会社で摩耗して鬱病になって、冷たい転勤先で暗い顔して働いて、奥さんと子供に見棄てられて、ここで問題です、カレンくんが家を追い出されたときの気分は、お先真っ暗ですが、これから彼はどこに行くでしょうか、チクタク……実家、ぴんぽーん正解で~す、カレンくんは実家でママの介護をしながら冷たい事務所で小さな仕事をするのでした、ママは毎日クイズ番組を楽しそうに観て、じゃじゃん、ここで問題、カレンくんが移住したのは、名古屋ですが、カレンくんのお母さんはテレビを観て何と訊くでしょうか――
「あー、もうわかったよ。車で寝よう」
もみじの執着は、わがままなのかポリシーなのかいまいちわからない。でも僕に対して腹を立てているのではないことには気付いた。彼女は社会的構造を憎んでいるはずだ。そこにあるべき〈悪〉のようなもの、断定的で、量数的理解で、男性寄りで、一問一答式で、日本系に属するもの、あるいは「ねぎ」のようなものだ。
ねぎというのは、植物だった。ねぎは基本的に地面に近い場所で育つ。かつ、繊維のしっかりした身を持っていて青く真っ直ぐな葉をつける。日本人が一般的に思い浮かべるねぎはおおよそ二種類ある。一つは長ねぎ、もう一つは玉ねぎだ。種類としては二者は少し区別すべきものだ。しかし瓜二つだとも言えるかもしれない。まず両者は辛み成分を持つ。繊維を噛み切ると同時にぴりっとする辛みを感じることができるだろう。長ねぎの場合、根元の白い部分に近いほど固く、辛い。玉ねぎは生のままだと全体的に辛み成分が強く、揮発性も備えているので処置せず包丁で刻むなどすると、目を痛める恐れがある。ねぎの辛み成分を取り除くのはさして難しいことではない。辛み成分は熱に弱いのだ。炒めたり煮込んだりすれば辛みは抜け、大方糖分の甘みが残留する。
日本人にとって加熱されたねぎは甘いものであり、加熱しない長ねぎは基本的に薬味以外の用途で用いられない。いわゆる都会人(腐った生野菜や、頭がもげた昆虫を見たことが無い人々、と仮に言い換えても可)は知らない場合も多いけれど、ねぎは丸いお花をつける。主に白色で、長く伸びた茎の先端にちょこんと載っている。サンタクロースの帽子のてっぺんみたいに。
僕が小学生の頃、通学路横の畑でねぎを育てている農家があった。僕と同じ学校の女子生徒は、ねぎの花を可愛く思い、ある日の下校時にもぎ取ってしまった。彼女は大事そうにそれを見つめて、ポケットに入れた。翌々日の朝、畑にはこのような張り紙が掲出されることになった。
「ねぎの花を盗んだ人非人は名乗り出なさい。手首をハサミで切り落とします」
僕はその張り紙を見つけた女子をたまたま目撃した。彼女は青くなって震えていた。僕はどうして花を千切ったくらいでこんな物騒なことになってしまうのだろうと思った。花をもぎ取ることは、ねぎの生育に深く影響するのだろうか。日本酒の醸造所に納豆菌を持ち込むみたいな感じで。少なくともその女子は深刻な不安と精神的ダメージを受けたはずだった。それが必要なことなのか、そうでないのか小学生の僕には詳しく判断できなかった。
でもたぶん同情したと思う。彼女は明確な悪意を持っていなかったのだ。さらに自分が花を持ち帰ったと友人にも話し出せずにいた。何事も見なかったかのように歩いて行った。僕は恐ろしいと思った。現在でも何が起きたかはっきり把握できていない。今考えればパラダイムシフトだった。
「ねぎの花は切り落としてはいけない」のだ。
もみじが思うに今の社会的構造のようなものは〈悪〉だった。悪はたぶん猿を実験するだろう。未来永劫繰り返すだろう。ある日ある時から人間は猿を「実験」し始めたのだった。その動機は人間社会の構造の暗部に起因している。どうしてそのようなことが始まったのか、動機とは具体的にどういう感情から発せられるのか、いつくらいからどうして実験が始まったのか、それらは全て「何か」悪しきものが拡大したところが原因だとしか言えない。
けれどふとした冷たい何かがきっかけになって、悪というものが増長し、浸食を開始し、構造という形で顕現したのだ。僕は段々それがわかってきた。アフリカ猿たちを見ていると気付く。人間は猿と分離した。分離した結果、躍進したのか堕落したのかは誰にもわからないだろう。見方の問題なのだ。上下、左右、奥行きなどはここには無いのだ。自然選択説は優劣を問わない。いわば環境それぞれで適当な形質は変わる。猿は猿で素晴らしいし、僕らは僕らで間違っていない。それは「違い」があるのみだ。「差」ではない。
しかし選択する過程で人類は何かを失い(得た結果、失ったのかもしれないが)、結果的に(少なくとももみじや僕にとっての)悪を生み出した。僕らはその悪を放逐すべきだし、気付いた人がやるべきなのだ。これはいわばかたき討ちみたいなものだと思う。やらなくてはならないのだ。カウンターという生物的機能がもしあるとすればの話だが(地球温暖化などがまさにそうじゃないかと考えている)。も
みじやモンチーを泣かせる悪があるなら、僕は火でも棒でも手に取るだろう。そして相手を速やかに討ち倒す。F15戦闘機よりスマートに、「洗練されたかたち」で復讐を遂行する。相手はもちろん実体を持たない構造だ。
だけど、構造はびくとも倒せないものでもない。荻生徂徠もそういうことを言っていた気がする。戦い方は単一じゃない。殴るだけじゃない。最終的には殴らないといけないかもしれない。だが、まずは敵を見極めることだ。敵は社会を発展させ、どんどん複雑にして自身をカモフラージュしている。むやみ闇雲に殴ったんじゃきりが無い。それだと際限なく人に喧嘩を売る必要がある。
だが、その手段を取ってしまうと僕はじきに治安組織に逮捕されて負けるだろう。そうじゃない。僕はまず社会を眺めて見るべきなのだ。そうして敵を炙り出し、なるべくシンプルなかたちで相手を倒すだろう。ねぎはアンビギュイティ(両義性)を備えていた。僕はねぎを構造として分解できるし、悪の面も知っている。倒し方もわかっている。社会だって二十年間眺めてきた。もみじだってそうだった。
僕は必ずや悪を見つけ出し、一対一でくじくつもりだ。僕はそれを悟っただけでもチュニジアに来た意味があると思う。僕はそっちに行くぞ。そしてこっちの世界に引きずり込んでやる。僕は闘ってもぜったいに負けない。今の僕は目を見開いている。
僕は車の運転席でもみじの肩を抱いた。もみじは相変わらず何を考えているのかわからない顔で前を向いていた。つまらない映画を観賞しているようにも見える。車内灯だけが頼りの夜だ。薄暗く、世界中が眠ってしまったんじゃないかというくらい静かだった。
車は集落の外れに停めてある。シートはお世辞にも柔らかいとは言えない。だが、貸し与えられた家よりはましだった。もみじもそれ以上文句を言わない。黙って何かをじっと考えている。サウナに入っている人みたいだ。僕は心地良かった。もみじの肩をとんとん優しく叩いていた。赤ん坊をあやす母親の気分だ。ふと手を止めると、もみじは僕を不安げに眺めた。僕は再びもみじを撫でた。喋らないな、この人は。僕の責任なのかな。チュニジアの青い地平線はただただ憂鬱だった。
「こんにちは!」
もみじが目を見開いた。助手席の窓が外から叩かれたのだった。こんにちは! 悪夢は突然訪れる。もみじに鳥肌が立つ。僕の背筋に冷たいものが走る。毛むくじゃらの手は猿の手であるとわかった。猿たちが大人数で僕らの車を囲っているらしい。
「誰ですか? 夜分遅くに」
「我々は、全国猿学生連合の者です。通称全サルといえば有名でしょう。貴方がたの事情は存じ上げませんがね、とにかく我々の主張を聞いてくれないですか」
もみじは言うまでもなく嫌そうに見ていた。
「武器らしいものは持ってないみたい」
もみじは透視して猿たちの危険度を知らせてくれた。普段よりずっと小声だ。猿たちはどれも寝巻きみたいな服を着ている。葉巻を吸っているやつや、変な髪型をしているやつもいる。
「いいから帰ってくださいよ。興味が無いんですから」
「うん。そういう無関心は何より暴力的ですね。ファシズムは君たちのような貧弱な大衆を扇動したんですよ。ですからね、思想の基軸が無い人間はいつの時代も馬鹿だ。考えることをやめた生物は皆ごみだ」
僕は茂みの近くに車を停めたのを後悔した。ここじゃ集落の猿たちに発見してもらえない。猿たちは無表情のまま僕らを説得しにかかる。
「君たちは日本から来たようだが、未だに皇帝を抱えている気分はどうだ。階級的奴隷拘束を受けた差別主義者たち。いやすまないね。少し挑発したかっただけだ。日本人が内向的で同調性が強くて陰湿なのは、官僚的身分制度に支配されているからじゃないのか。愛も娯楽も知らない不幸な民族め。考えることをやめたら、いいか、終わりだ。それは悪だ」
「そんなインターネットで拾って来たような語句を並べたって考えていることの証左にはならないよ。僕は少なくとも日本とアフリカどちらも見た。この目で見た」
猿は僕を許したくないらしかった。僕も当然彼らに従うつもりは無い。
「資本主義者に手なづけられたやつは仕方ないな。君たちは先進国に安住している。自分たちの生活に満足して、汚物から目を逸らしている。人間は何も見ちゃいない。自分の腕の外にいる人間のことは見ているようで見えていない。今の世界のどこが幸福だ。誰が主体的だ。何を反省してきたと言えるのだ。世界は間違っている。しかし世界は変えることができる」
「僕は世界を変えることに興味は無い。ただ社会が間違った方向に向かっているかもしれないというのは、一理ある。問題は方法をどうするかということだけど」
猿たちは確信を得たみたいに窓を叩いた。
「やはりそうだ。世界は間違っている。間違った制度は漸次解体されなければならない。この村の旧式な伝統もそうだ」
「それは違うね」
「違わない。我々は言論と数によって新しい秩序を築き上げるだろう。世界史は新しいプリンシプルを期待している。初期人類の歴史は西ヨーロッパによる封建勢力と宗教的圧力によって固定化されていた。第二の人類史は軍事資本主義と専制的権威主義との衝突の時代だった。それが今、まさに転換期を迎えているのだ。世界史は新たな秩序を求めている。それは新鮮で、清潔で、健康で、力強い全く別の世界観である。これを担うことができるのがアフリカの、人間ではなく猿の持つ道義的生命力、いわゆるモラリッシェ・エネルギーだ。アフリカ猿の持つ若々しい道義心こそ新時代を開拓し、第三世界を成立させる。それを可能とするのは我々若き猿しかいまい。旧世界の日本人は残念ながら旧世界を維持しようとする虚しい前時代の遺物に過ぎないのである」
それを告げるためにわざわざ来たのか。おかしな猿だ。
「君たちも長老のくそみたいな儀式を見せられただろう。ああいった旧態の非倫理的行動原理が世界を変えていくと思うか。アフリカ猿のシャーマンが現状の腐敗を打破し、尚且つ新しい世界史を紡いでいくことができると思うか。あの老人たちは結局のところシャーマン的世界観を乗り越えることができない」
「それでもいいじゃないか」
「何がいいものか! 我々は革命を求める。世界史も改革を必要としている。それは倫理観に基づいた清新な戦争である。非暴力的で潔癖な言論による世界大戦によってのみ、改革は断行させられる。言論的核戦争で、日米も中露もヨーロッパ世界も再起不可能なまでに崩壊するだろう」
「だから、僕たちには革命も進化も関係ないですよ(We’ve nothing to do with revolution or evolution.)」
猿たちは軽蔑するように睨んだ。まるで僕たちをセントヘレナに閉じ込めたとでも思っているようだ。
「悪いけど、君たちは一生かかっても勝てないと思う。僕はそれを知っている。なぜなら僕は他ならぬ日本人だからだ。日本史の教科書を読んだことがあるかい? その様子じゃ無いんだろうね。数あるうちの一つ、いい教訓を教えてあげよう。自らを特別だと思い込むことは傲慢の域を出ない。君たちの大好きな世界史でも同じことが書いてあるはずだが、エクストリーム・ナショナリズムは最終的に破滅に陥った。究極的排外主義は、どんなに徹底しようとしても抵抗する者を生む。それは戦時の一時期だけ、押さえ込むことは可能かもしれない。ホロコースト、君たちが言いたいのは、言論的ホロコーストかな。とにかく一時的に封殺することは可能だ。しかし、押さえ込むということは、同時に斥力も発生している。反発は怨恨や復讐心を餌に、強く押さえ込めばそうするほど拡大していく。言うなれば、火山に蓋をしているようなものだよ。頑張って塞ごうとすればするほど内部圧力は高まり、危険物と化し、丁重に取り扱わざるを得なくなる。治安維持法とか特高警察って知ってる? 知らない? あ、そう。圧力が高まり誰も手を付けられなくなったところに、外部から刺激を加えられるとどうなるか。もうわかったよね――爆発する。噴火して筑波山まで真っ黒に灰を降らせる富士山のようにさ。翻って――」
「黙れ」
「語るに落ちたね」
「……ゴウ・チュウ・ヘラゥ」
猿は拳で窓を殴った。ドンという音が響いて、もみじが耳を塞いだ。くそどうしてくれるんだ。僕はやむを得ずキーを差し込んでエンジンを掛けようとした。しかし、その必要は無かった。威勢のいいクラクションが大音声で鳴った。そうして車の右側ギリギリ傍につけた。決して遅くないスピードで、猿たちを跳ね飛ばして行った。その燃費が悪そうで、だけれどもクラシックで粋なアメ車はニックのものだった。ニックは「悪い、遅れた」と笑顔を浮かべている。
「アメリカかぶれの若輩者めが。お前なんかをぶち殴るのは朝飯前なんだからな」
「ふん、寝言は寝て言えってんだ」
猿たちは互いに支え合って、辛うじて立ち上がった。
「我々は勝つだろう。必ず統一意思を表明し、全国の猿たちは一致団結する。猿は一つであり世界も一つだ。誰にも否定させない」
リーダー格がまだ何か言っている。ニックは北アフリカ的に笑った。
「そりゃあいい。じゃ、猿がみんな合体したら教えてくれ。それだとお前らの大好きなセックスもできなくなっちまうけどな」
猿たちは憎々しく僕らを見つめてどこかに歩き去ってしまった。再び静かな空気がどこからか戻って来る。ニックは照れくさそうにハンドルを撫でた。
「あばよ。俺はなかなかどうして嫌われ者だネ」
「僕は好きだよ。僕の猿もきっと君を兄貴と慕うさ」
「ありがとう我が友。夜は二人きりでお楽しみだね」
ニックはエンジンをふかすと、バックで器用に引き返した。夜のドライブは楽しいかい。