ファースト・コンタクト
眼下に広がるのは、古めかしいいくつもの木造家屋。建物同士の間は大きく取られ、その隙間はさまざまな種類の植物が埋め尽くされている。ほとんど真冬と言っても、生垣や常緑樹のおかげで鮮やかな緑色が残されているようだ。
車の音が耳に入ってこない。舗装された道路がほとんど見当たらないので、ここの住人は車を所持していない人が多いようだ。あるいは整備する予算が無いだけなのかもしれないが、それにしても車両の気配がない。静寂と表現するよりも、ただ寂しいだけの集落に思えた。
流れた時はほんの一瞬だったような印象がある。医者を務めているので、何もなかったと言えばそれは嘘になる。いろいろな患者を見てきたし、いなくなった先輩の事をじっくり考える暇などなかった。
もともとが激務であるため、仕事に没頭せざるを得ない。そんな毎日を過ごしているうちに、彼は先輩の医師の事を少しずつ気にしなくなっていた。
そんな折、その当人から一通の手紙が届いたのだ。
いなくなった時に残されていた手紙と字のクセが同じなので、本人の直筆だろう。やはりものすごく遠回しな言い方だが、自分のところへ来てほしいというのが要旨だった。手紙にはなにやら住所らしきものが書かれており、できるだけ急ぐようにとも書かれていた。
無視することもできただろうが、若い医師はそうしなかった。
迷うことすらせず、地図にあった住所を頼りに足を運び、とうとうこの集落へとたどり着いたのだ。
それは先輩に対する尊敬というより、手紙越しに感じた相手の異様な雰囲気に逆らえなかったからだった。
「さて……これからどうしようか」
手紙を見返した若い医師が頭を掻いた。そこに書かれているのは住所だけで、地図のようなものは書かれていない。どうもくわしい彼の所在は、自分の足で探さなければならないらしい。
立ち止まっていても何も始まらないので、足を集落へと進めていく。ひとまず誰かに会う事ができれば、その人に道を尋ねることができるだろう。
もっとも、誰かに遭遇する確率もそれほど高くないように思われたが。
「泊まれるところもなさそうだし……売店っぽいのも見当たらないし……」
考えを巡らせるほどに不安ばかりが大きくなっていく。空腹のまま野宿、などという事態だけは絶対に避けたいところだ。なんとしても目当ての人間を見つけ出し、そこでお世話にならなければいけないだろう。
そのためにはもちろん、誰かに尋ねなければならない。つまるところ、結論は堂々巡りをしていることになる。
「……むぅぅ」
思わず唸る。彼の頭には、もう良いアイデアが残っていなかった。
「あの……大丈夫ですか?」
「……あ」
呼ばれて振り返ってみると、一人の女性が心配そうに彼の事を見つめていた。ゆるいカールのかかった黒髪を、後ろで軽く結わえてある。
まだ若そうだが、農家の作業着のような格好も含めて地味な印象の人だった。都心ほど身だしなみに気を使う必要がないのだろう。農作業をしていたのか、彼女のズボンは土で茶色っぽく染まっている。
「いえ、困っていらしたようなので……」
「あ、その、ありがとうございます。実は、人を探していまして」
とはいえ、これこそ地獄に仏と言うべきだろう。これであの医師の話を聞くことができれば、ひとまず野宿をせずに済むことになる。
こんな経験は、彼にはなかった。都会の道も迷路のようだったが、それでも特徴的な建物が多かったので地図を片手に一人でなんとかできた。
ここのようにどこも同じような建物しかない場所は、ほとんど歩き回って経験がないのだ。
「そうですか。誰をお探しなんですか? 私の知っている方でしたらご案内できますよ」
なかなか気の利く女性のようだ。他に頼れるものもないので、ここは彼女の厚意に甘えるしかない。
「あの、最近こちらにお医者さんが来ませんでしたか? 赴任してきたか、もしくは突然やってきて住み始めたとか」
「お、お医者さん、ですか……?」
女性の反応は、非常に分かり易いものだった。
一瞬驚いた顔をし、それからひどく押し悩むように俯いてしまった。
訪ね人について何かしら知っていることは確定したが、何か妙な反応だった。正式な赴任にしろふらりとやって来たにしろ、探していると言った途端にこんな反応をされるというのは変だ。
「だ、大丈夫ですか? 顔色がよくありませんが」
「……え、ええ。大丈夫です」
そうは言うが、どう見ても苦しそうな様子だ。挙動不審なのはもちろん、こうしてみてみると血色もあまりよくない。
「体調が悪いなら言ってください。こんなナリしてますけど、僕、こう見えても医者なんです」
「え……あなたも、お医者、さん?」
「ええ、そうです。探しているお医者さんというのは、僕の先輩でして」
ひとまず自分の素性は明かした。これで少しは不信感をぬぐえただろうかと期待する。信じてもらえなければ、残念だが彼女にこれ以上尋ねても仕方がない。
「心当たりがありますか?」
あるのは間違いないだろうが、それを話してくれるかは別問題だ。
「……」
女性は黙り込んだままだった。
やはり話しにくいことでもあるのだろうか。だとしたら、訪ね人はここで一体何をやらかしたのだろう。そんなに悪いことをする人にも思えない、と若い医師は考えていたが。
長い沈黙。女性はおろおろしたままで、若い医師は彼女の返答を待った。
どれだけ経ったのだろうか。若い医師は、これ以上待っても彼女を困らせるだけだと判断した。
「あの……言いにくいならいいですよ。何とか自分で探してみますから」
見つけたら、この集落で何をしたのかきっちり聞きださなければならない。
見つけた時の対応を考えながら、女性に軽く会釈をして彼女に背を向けた。
「あの! ……この村のお医者さんでしたら、……私、よく知っています」
そう聞こえ、進んでいた足が止まった。
「あ、案内しましょうか」
「無理にしていただかなくても、僕は全然大丈夫ですよ」
「いえ、いいんです。あなたの捜している人は、この村の診療所にいらっしゃるお医者さんだと思うのですが……」
文末が小さくなっている。自分の言っていることに自信がないのか、後ろめたい何かがあるのか。
嘘を見抜く力があるわけではないが、若い医師には彼女が何か隠しているように思えて仕方がなかった。診療所の医者というのも、別人であると予測される。
「じゃあ、案内していただけますか?」
「は、はい。こちらです」
彼女がどんなつもりだろうが、ここで断る理由はない。ここで一人になれば、またさっきの状況に逆戻りだからだ。
そのまま女性に連れられ、若い医師はこの集落で唯一の診療所へと向かうことになった。
ごめんなさい、更新が遅れました。入試の直後に定期テストとか。なかなか辛いですね、受験生というのも。そういうわけで、この話の更新もまた遅くなりがちになると思います(言い訳)。見てくださっている方は、気長に付き合ってやってください。