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後悔と、ザンゲ

 老医師は現在、診療所の患者用ベッドに横にしている。医者が横になるなど滑稽だとも思える構図だが、実際に患者なのだから仕方がない。ベッドのほうも、長い間使われた形跡がなかった。

「どういう病気なのか、この診療所ではなんとも……」

 若い医師の横に並んで老医師を見下ろしているのは、初日に会った初老の勤務医だ。今は完全に医者の顔をしていて、目の前で意識を失っている老医師を心の底から心配そうに見つめている。

「あなたにも見当がつかないんですか?」

「ええ、全く……」

 首をかしげる初老の医師に調子を合せるように、若い医師も眉をひそめた。使えない奴だと判断されたのか、若い医師に向ける視線は冷たい色を含んでいる。

 だが、誰であろうとどうにもできない状況であることは間違いなかった。

 本人も目を覚まさないので、現時点でこれ以上の進展は望めないだろう。もともと『薬』で蘇った人間で構成された集落だ。本来の診療所が持つべ機能すら、ここに揃っているか疑わしい。彼の病名が特定できたところで、的確な対処ができるかどうかも怪しいものだ。

「すみませんね、お役に立てなくて。僕が見ているんで、少しお休みになってかまいませんよ?」

 皮肉げにそう言うと、初老の医師はあからさまに表情を強張らせた。だが何もできない現状に変わりはないので、反論することはない。

 初老の医師は溜息を一度だけつき、何も言わずに部屋を去っていった。



 離れていく足音が、実際以上に反響して耳に残る。それほどまで、診療所は不気味に静まり返っていた。

 部屋に取り残された、若い医師と老医師。背もたれのない丸椅子に腰かけた若い医師は、未だに目を閉じたままの老医師を見下ろす。

「……」

 それから周囲に他の人の気配がないことを確かめてから、彼は恐る恐る口を開いた。

「……気づいてますよね?」

 全く表情を動かさない老医師の顔を、若い医師の視線が刺し貫く。ただし侮蔑の意志は含まれておらず、初老の医師がいた時と同じような感情がそこにはあった。

 さらにしばらくの静寂が続く。

「……バレてたか。驚かそうと思ってたのに」

 無表情だった老医師の顔が、一瞬で残念そうな苦笑へと変わった。その変化を見届け、若い医師が呆れたように息を吐いた。

「ま、すぐにバレるとは思ってたけどな。気付いてないフリをしてくれたのはありがたかったな」

「……何やってんですか」

 怪訝そうに老医師を睨む。

 若い医師は気付いていた。老医師が倒れ、その状態を確かめた瞬間から気付いていたのだ。


 老医師が、『彼ら』と同じ病気なのだと。

 そしてその症状は、すでに手の施しようがないほどまで悪化しているということ。


「全く呻かないからヘンだとは思ったんですよ。正直、気合いで堪え切れるものとは思えないんですが」

「あの姉さんがこっそり話を聞いてるのに気づいたからな。これだけは絶対に知られちゃならないってだけ考えてたよ。いやー、実際キツかった」

 こともなげに笑う老医師に、若い医師は再び溜息をつく。

 あの場で老医師の意志を感じ取った若い医師は、女性に対し大した症状ではないと嘘をついた。それだけでも医者として底辺まで堕ちたとも言える背徳ぶりだが、後悔はしていない。

 老医師がどんな考えで自分の身体のことを隠そうとしたのか、なんとなく分かってしまったから。

 その判断を、自分が促したのだと分かってしまったから。

「自己満足……なのかねぇ」

 ぼそりと呟かれたそれは、しかし聞き逃すにはあまりに重い。

「俺が見ているうちはこの村を死なせない。それはつまり、俺が見なくなったらどうでもいいって言ってるのと同じじゃないか?」

 返事はしない。

「とんだ利己主義者だ。お前に『薬』の精製を継がせようとしたのも、それを否定しようとした保身の結果でしかない。いなくなった後の事まで考えてんだぞって、俺自身に言い訳してたんだ」

 返事はしない。

「お前まで巻き込んじまったのは悪いと思ってる。俺の事を軽蔑してくれて構わない。弁解の余地すらない最低の人間だよ、俺って奴は本当に――」

 言葉が途切れた。

 横になったままの老医師の頬を、若い医師の張り手が炸裂したのだ。

 静かな診療所の中に快音が響きわたった。

「……いい加減にしてください」

 重く、苦しげな声が口から洩れた。

「もう、あなたの叫びは……聞きたくない」

 体中を冷たいものが駆け巡り、思ったように声が出せない。それが怒りなのか悲しみなのか、判断はつけられなかった。


 ここまで積み重ねられてきた老医師の言葉。そこには確かに軽口も含まれていたかもしれないが、若い医師の耳に届いたそれらは、どれも苦しむ老医師の言葉に聞こえて仕方がなかった。

 自分でも止められなくなってしまった己自身を、誰かにとめてほしかった。自分の作り上げた後悔の姿を、誰かに消してほしかった。――そんな、無音の叫び。

 若い医師も、始めから気付いているわけではなかった。これが彼からのSOSだと気付いたのは、つい最近になってからの事だ。もっと早く気づけたかもしれないと、後悔ばかりが募ってしまう。

 だからこそ、老医師の言葉は聞くに堪えなかった。


「……俺は、間違っていたのか?」

 力の無い老医師の言葉が、長い静寂に時間を呼び戻した。

 老医師は相変わらずベッドに横になったまま、目は天井に向けて虚ろ気に開いている。すぐ横に立ちつくしている若い医師にも、彼の眼には何も映っていないことが分かった。

「ここの人たちを蘇らせたのは、間違いだったのか?」

 自らに向けられたような質問が、ほとんど独り言のように紡がれる。

 彼は自身を『壊れた』と表現した。自分が自分でなくなっていくことを自覚しながらも、なんとかしてこの集落を救いたかったのだろう。結果的に、誰も幸せにならないとしても。

「蘇らせれば、『生きる喜び』を再び感じることができる。一度死んでいれば、それはなおさら強く感じられただろう。それが彼らを幸せにすると、俺は信じて疑わなかった」

「しかしそれは、彼らに『死の恐怖』を再び味わわせることでもあった。一生に一度の、既に通り過ぎたはずの『死』が再びやってくる。……一度経験しているがために、その恐怖は一度目の比ではないでしょう」

 どちらが良かったのか、二人には判断できなかった。それこそ本人たちでしか分からないだろうし、人によっても考え方は違うだろう。

「俺は間違っていたのか?」

 何かをあきらめたような声で、もう一度。

 それに対して何か答えることはせず、若い医師は老医師に背を向けた。

「……俺には、分かりません」

 彼の顔を見るのが、何よりも辛かった。

「けど、あってるかどうかは分かりませんけど……少なくともこの集落の人はみんな、あなたの事を恨んではいない……と、思います」

 自分の発言が何か助けになるとも思えず、若い医師は俯く。

 自分が無力であるような気がして、ひどく惨めだった。例え間違っていても、自分から行動を起こした老医師のほうがずっとマシに思えた。

「……」

 自分に何かできることは――今さら、そんなことを言えるはずもない。

 彼の生みだした『薬』が許されざる存在だという認識は今も変わっていない。かつて目の当たりにした別の『奇跡』を考慮すれば、今後も揺らぐことはないだろう。

 では、代わりにどうすればいいのか。そう問われれば、途端に返答に詰まる。

 結局はそういうことだ。綺麗事を言っておきながら、肝心の代替案を持っているわけではない。思いつきもしない。とんだ偽善者だと、自分を殴りたい衝動に駆られる。

 何か手伝えないか。そう考えることさえ、エゴにしかならないのだ。



「……なあ」

 沈黙を貫く若い医師の背中に何を感じたのか、老医師が声をかけてきた。

 自己嫌悪の渦の中にいた若い医師は、ゆっくりと振り返る。

 何について考えていたのか、老医師が分かるはずもない。にもかかわらず、彼の優しそうな笑顔は若い医師の心にわずかな安堵をもたらした。

「……なんでしょう」


「お前の覚悟を見込んで、頼みがある」

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