独白(後)
「これは……どこにでもありそうな、とある青年の話です」
永い沈黙を挟み、若い医師はそう切り出した。
「彼はそれまで、自分が医者になることを疑っていませんでした。親が医者で、その後を継ぐのが当然だと考えていました。しかし、彼が医大生になったころから、その考え方は変わっていきました」
絶対に老医師のほうを見ようとしない若い医師。それはまるで、眼下の集落へと語りかけているかのような姿だ。
「自分は本当に医者になりたいのだろうか。人命にかかわる仕事を、中途半端な覚悟で勤めようとしていたのではないか。そんな疑問が生じたとき、彼にとって『医師』という存在が違うものへとなっていきました」
まるで目の前に台本でもあるかのように、言葉が溢れ出ていく。そのおかげで、老医師は言葉を挟むことができない。それを狙って、言葉を流し続けているともいえるが。
「彼の心は、次第に追い込まれていきました。そして彼の中の理性が崩壊し始めた時……彼の前に『不老不死』が姿を現したんです」
「不老……不死?」
流石に面喰ったようで、老医師が復唱する。それでも冗談として笑い飛ばさなかったのは、自分も同じようなものに手を出しているからなのだろうか。
「答えを出すための時間がほしかった彼は、その『不老不死』を求めて彷徨いました。他人には信じてもらえないだろうと考え、誰にも何も告げずに『不老不死』を探しはじめたんです。そしてついに、彼は手の届く距離まで『不老不死』に近づきました」
「……」
「そこには、他にも何人かの『不老不死』を望む人たちがいました。彼らは、青年とはまた違った意味で、現状を打開しようと不死を求めていました。そのどれもが、青年のそれとは比べようのないほど重く深刻な理由だったんです。青年は迷いました。あと一歩で『不老不死』になれるという地点で、本当に不死になっていいのだろうかという疑問に駆られたんです」
「そいつは結局、不死になったのか?」
老医師の視線を受けている。どんな感情が含まれているか知る勇気が持てず、若い医師はそれから逃げるように顔を背けた。
「……なりませんでした。時間が欲しくても、それが世界の摂理に反していい理由になったとしても、自分は『不老不死』になる自覚が無いと気付いたんです。自分と同じように悩み、限られた時間の中で答えを見つけた人が沢山いたことを忘れていたんですね」
淡々と語られていたはずの言葉が、次第に小さく落ち込んだものになっていく。その結論に至るまでの過程は一切省いたにもかかわらず、経過した苦しみや切なさを老医師へと伝えようとしているかのようだ。
「だから……青年は知りました。世界を裏切る言い訳には、相応の理由が必要なんじゃない。それに見合った『覚悟』が求められるんだと……」
「人命を救いたいって理由でもか?」
明るい口調だが、老医師が真面目に問いかけていることは分かった。
少しの沈黙が挟まる。
「……それでもだと、彼は――僕は、思います」
そこで若い医師は考える。
結局自分は、こうして医者をしている。あの時の疑問について答えが出たのかと訊かれれば、とてもそうだとは言えないだろう。もしかすると、一生かかっても答えなど出ないのかもしれない。いずれにせよ、未だにあの疑問が頭から離れたわけではないのだ。
それでも、医者になろうと思った。それが逃げ道としてなのか、『彼ら』のように現状を打開しようとした結果なのか、自分自身でもよくわからない。
ただ一つ言えることは、医者になったことに微塵も後悔はない、ということ。
老医師との出会いも、自分が医者にならなければあり得なかったことだ。もちろん他の選択肢を選んだとしても貴重な出会いや別れは経験しただろうが、今この瞬間は、医者になったからこそ存在する。それは、決して嫌悪すべきものではないと断言できる。こうして山中の集落まで足を運ぶ事態になったのが良かったのかは判断できないが。
不安は今でも付きまとっているが、きっと後悔はしないはずだ。
それも一つの答えだと信じているから。そうして若い医師は、自分の決意を確かなものにした。
「お前にも、色々とあったんだなぁ」
どこか呆れたような老医師の言葉に、若い医師の意識が現実に引き戻される。
改まってじっくりと老医師の顔を見つめ、今しがたの熟考をじっくりとかみしめた。
「なんだよ、何見つめてんだよ」
「あ、すみません」
お互いに苦笑する。疑心暗鬼になったこともあったが、やはり若い医師はこの老医師を信頼していたのだと再認識した。
「ま、お前の考えはよく分かったよ。『薬』に過剰な嫌悪感を抱く理由までな」
「……じゃあ」
「ああ。あの『薬』をお前に託すのはやめる。ただの臆病者じゃないってことも判明したし」
今まで臆病者だと思われていたのだろうか。なんとも複雑な気持ちになったが、諦めてくれたことに対しては素直に喜ぶべきだろう。
「ありがとうございます」
老医師に向かい、心の底から素直に感謝を伝える。今ならば疑いなく、彼を尊敬すべき人物として見れる気がした。
「で、それにあたってお前にお願いしたいことが……ん、ん?」
言葉の途中で不意に、老医師が首をかしげる。
そのまま自分の喉をさすり、それから左胸に手を当てた。
「どうしました?」
「いや、大したことじゃ――」
ドサッ
「……え?」
呻き声すらも一切なく。
老医師の体は、地面に倒れていた。
「先生ぇっ!」
「!?」
真っ先に老医師に飛びついたのは、若い医師ではなかった。
どこに隠れていたのか、あの女性が悲鳴とともに駆け寄ってきたのだ。
「しっかり、しっかりしてください!」
若い医師さえも目に入っていないのか、ただひたすらに老医師の体をゆすって呼び掛けている。どうしてこんなところにいるのかも気になったが、ひとまず老医師を思い切りゆするのをやめさせた。
「ちょっと、落ち着いてください」
「でもっ、先生が!」
なおも老医師から離れようとしない女性に、若い医師は溜息をついた。それから医者らしく老医師の状態を確認し、女性に説明を施す。
「これは……詳しいことは分かりませんけど、一刻を争う状態ではないように思います。何か治療が必要だとしたら、まずは診療所に連れていかなければなりません。そこでなら厳密な対処法も分かると思いますし」
「……、そうですね。すみません、取り乱してしまって」
ようやく女性も落ち着いたらしく、老医師から離れる。医者の言葉だと分かっているからこそ、すぐに落ち着く事ができたのだろう。そのまま老医師の体をゆっくり起こすと、慎重に背中に担ぎ上げた。
「このまま診療所まで運びます。申し訳ありませんが、道案内を頼めますか?」
その言葉に、女性はすぐさま首を縦に振った。
「……訊いてしまうのは野暮かもしれませんが」
先導する女性に、若い医師が口を開く。
「僕たちの話……どこから聞いてました?」
「……」
女性は答えなかった。
それが、何よりも正直な答えとなった。
大学生活もようやく落ち着いてきたので(遅い)、なんとか更新を再開することができました。そろそろこの小説も忘れられてしまったかとヒヤヒヤしています。またしても遅れてしまい、申し訳ありません。と、この謝罪も何度したか分からなくなってきましたが……。
未だに新生活になれない部分があり、小説を書く余力を残せずにいる昨今です。あと数話にもかかわらず、この話がいつ完結するのか目途が立たなくなってしまったという悲劇。自分が読者なら絶対待ちくたびれてしまうだろうなぁ、と反省し通しですが、慣れない環境というのはなかなか精神的にも堪えますね……。
はて、後書きなのに結局言い訳を並べただけのような気が。ともあれ、あと数話です。隙間を見つけては完成目指して頑張っていく所存ですので、どうか応援よろしくお願いします。