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プロローグ

 風にあおられて枯れ葉が地面を転がっていく、立冬のある昼下がりだった。

 よく晴れているのに、木製のベンチは氷のように冷え切っている。遊具で遊ぶ子供の数もまばらで、公園の中に人間の姿はほとんどない。遠方から届く車のエンジン音は風の音にも負けていて、聞こえないのとほとんど同義だ。静寂と表現するにはあまりに殺風景な、廃れた印象を持っていた。



 二人の男が車避けをまたいで公園に入ってきた。どちらもコートを着込み、時折吹く風に反応して体を震わせている。二人の手には缶コーヒーとコンビニのパンが握られており、それを簡素な昼食にしようとしているようだ。

「どこか適当なところに座りましょうか」

「そうだな」

 広くない公園で、二人がベンチを発見するのもすぐのことだった。先に歩いていた男が促し、そそくさとそちらへ向かう。

 ベンチに腰掛けると、早速そろってコーヒーのふたを開けた。小さな口から湯気が湧き出し、持っていた二人の顔がわずかにほころぶ。空気の冷え切っているこの場所では、その蒸気の熱も安らぎを与える物だ。

 熱された缶の端に口をつけ、二人して一口。

「……はぁ」

 溜息が二人分重なった。

 数秒ほど硬直し、それから片方の男がパンの袋を開けた。空腹だったのか、大口でかぶりつくその姿をもう一人の男が呆れたように見つめていた。

「緊張感ねえなぁオイ」

 もう一方の男が苦笑した。髪の毛は残らず白く染まった、五十代ほどの男だ。一見すると温厚な性格ともとれる風貌だが、放つ言葉には遠慮がない。

 彼と相対する男は、彼と比べるまでもなく若い見た目をしていた。三十歳にも満たないだろう彼は、医師になって間もないのだろう。しかし、先輩に対する敬語こそ用いているものの、気の置けない友人同士のように気軽なやり取りを繰り返している。

「腹減ってますからね。時間があればもっと欲しいところですけど……」

「金もないだろ」

「ひどいですね」

 苦笑いしつつ、若い医師がパンをもうひとかじりする。これでパンの殆どが姿を消してしまった。食べるペースは速く、あと一口分ほどになったそれを口に運ぶのもすぐのことになるだろう。

「喉に詰まらせるぞ」

「その時は助けてくださいよ。医者ですよね、あなたも」

「お前も医者だろうが」

 頭を小突かれ、恥ずかしそうにしながらも最期のひと欠片を口に放り込んだ。そのままコーヒーも口に含み、まとめて飲み込む。

 短い食事を終えると小さく嘆息し、上を見上げた。ベンチが桜の木の下にあるため、血管のような枝が空を覆うように広がって見える。葉は殆ど着いておらず、本格的な冬が近いことを予感させた。

「……また、大勢死んだな」

 そんな彼のすぐ横から、苦しそうな一言が耳に入った。

「はい」

 相手のほうは向かず、視線を枝葉に向けたまま答える。

 それが何を指しているのか、彼には痛いほどよくわかっていた。


 このところ、妙な病が流行っていた。症状は風邪と大差ないのだが、ひどく治りにくい。一度かかると高熱と吐き気に襲われ、命まで奪われるケースが多くなっているのだ。

 幸いなことに対処法が見つかったので不治の病というわけではないが、近くに大型病院の無い地域などは死亡率が高くなっている。その日の朝にも、山中の小村で大流行して多くの死者が出たと報じられていた。

「むなしいな」

 独り言のように呟かれる。それを聞き流すのは、どうしてもはばかられた。

「医術は万能じゃないし、医者は神じゃない。仕方ない事なんでしょう」

 視線を向ければ、相手はコーヒーもパンも手にしたまま口にしようとせず、真正面の果てを虚ろ気に見つめていた。

 その目は、まるで死んでいるかのように濁っていた。

「医術ってのは、行きつけば神に届くのかもしれない」

「?」

 それが自分に向けて言われているのか、若い医師にはすぐに判断ができなかった。

 なにしろ相手は遥か遠くを見つめたまま口を開いているのだ。完全な独り言ともとれるが、こちらを見る気がないだけかもしれない。どのみち口を挟む訳にはいかないようで、言葉だけは休まずに紡がれていく。

「進歩した医術は、かつて不治って称された病気も治せるようになったな」

「は? はあ……」

「今は治せない病気も、きっと未来じゃ当たり前のように完治できるんだろうな」

 矢継ぎ早に放たれる言葉に反応が追いつかなくなっていく。その様子は、普段を知っている彼にとって不気味にも感じられるものだった。

 どうかしたのか。そう尋ねようとしたが、彼の横顔からは話しかけられることを拒否しているように感じられた。開きかけた口をつぐみ、沈黙を挟んだ彼の続きを待つ。

「医学はもっと進歩する。人間はそれに比例して長命になっていくだろうな」

 それは必然だった。過去に比べて人間の平均寿命が伸びているのに医術の進歩が関係しているのは、医者である彼らにとっては常識も同然だ。

「いつか、死の概念のない世界が来るのかもしれない」

「だとしても、それは俺たちには行きつけない未来でしょう」

「それはそうだろう。だが……その最果てにあるのは……」

 そこで言葉が切れた。

 どうかしたのかと、横を向いたときには、彼はもう立ち上がっていた。座っていた場所には手つかずのパンが残されていた。

「やるよ、それ」

 困惑しているのを見抜いているかのように、白髪の医師は足早に去って行った。

 何を言いたかったのか、その時の彼にはくみ取ることができなかった。



 その白髪の医師が姿を消したのは、それから間もなくだった。


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