第八話 勘違い
アクラムから振り下ろされた拳を、レナは避けると共に彼の後ろに回った。
彼の死角に入り、どうすれば彼を倒せるかと思考を働かせる。
足を払う、腕をひねる、爪で切り裂く……はアクラムが死にかねないので諦めた。
そして、彼女が最終的に導き出した答えはとても単純だった。
「ふっ!」
四肢に力を込めて、地面を踏み台としてアクラムの頭めがけてすさまじい速さで跳ぶ。
到底人の動体視力で捉えられる速度を超えており、人が見失うほどの小ささではない体が、ヴァンの視界からは消えて見えた。
レナの導き出した答え。
それは、人間は頭をぶったたけば気を失うから全力で殴ろう!だった。
人間がどのぐらいの力で気を失うか分からないので、レナは全力でぶん殴り気を失わせることにした。
全力であれば気を失わない事なんてないだろうと考え、またその全力を耐えるようであればすぐに次の作戦に切り替えられる。
だから、合理的だ!
そういう考えに行き着いた。
そんな素っ頓狂な考えに行き着いてしまった。
彼女のこの作戦の前提として、人間が身体能力の優れる獣人の全力に耐えきれる骨を持っていることが必要だ。
かつ、今回はそれが頭蓋骨に要求される。
彼女の狙いが足や腕なら、可能性があった。
自らの四肢が消し飛んだ激痛で気を失う。そのまま失血死で死んでしまいそうだが、まだ可能性があった。
が。
彼女が選んだのは頭部の殴打。
それすなわち死である。
人間に獣人の全力を耐えるほどの骨はなく、ましてや彼女が行おうとしているのは、はるか上空から鉄球を落とし、それに大岩が耐えきれるかと考えなくても分かりそうなことを実行しようとしていた。
耐えきれるわけがない。
運が良くて爆発四散。悪かったら、粉すら残らないだろう。
彼女はそれを選択した。
人を過大評価しすぎたのだ。
人の肉体をもう少し甘く見るべきだった。
大きく振りかぶられたその腕が、ぐにゃりとしなり風を切りながらアクラムの頭部へと振り下ろされる。
結末は悲惨なの一言。
人の頭部が砕いたクッキーのように砕け散り、中に詰まっているジャムがはじけ飛ぶ。
とは。
ならなかった。
「あっぶねぇなぁ!!!」
ただ一つ、彼女の作戦に問題があるとすれば、アクラムの戦闘経験の有無に対する対応であった。
アクラムは街では腕の立つ方であり、戦いの経験があった。
幾度も死ぬ寸前を経験してきた。
そのときに培った経験が、本能を通してアクラムに回避動作をとらせた。
視界から消えたレナを探すのではなく、自分から見えない位置にいると考え、彼女の位置を考えた。
自分の後方に回った場合と、自らの上空にいる場合。
だとすればどうすれば良いのか、あり得る攻撃は振り下ろし、振り上げ、または薙ぎや突きがある。
その場合に避けるにはどこ逃げるべきなのか、それを一瞬にして考え最適解をもってして彼女の攻撃を避けたのだ。
彼の戦闘経験のおかげで、ヴァンは目の前でレナが人殺しになる瞬間を見ることを避けることができ、またアクラムは自らの頭部が吹き飛ぶことを回避した。
「ちっ、勘が良い!」
一度仕切り直そう。
そう思い、レナは後ろに大きめに跳んだ。
その隙を、アクラムは見逃さなかった。
レナが跳んだ瞬間、攻勢へと転じた。
大きい体ながらも、それなりの速度で走り出す。
しかし、レナとの距離はかなりあった。
相手の出方をうかがい、隙があったらそこに拳をたたき込む。
レナは後手に回る選択をする。
が、アクラムがレナの元に来ることはない。
彼は、走り出してすぐに視線の先を変え、ヴァンの方を向いた。
「やられた!」
戦っている。
その意思が、レナを鈍らせてしまった。
一対一なのだから、こっちに来る。
その先入観を、アクラムはついた。
わけではないが、アクラムはすぐに逃げもしないヴァンの元へとたどり着く。
「こい!」
「邪魔だ!」
アクラムの大きく開いた手が、ヴァンに向かう。
レナが間に入ろうと地面を蹴るが、距離が遠く間に合わない。
有利のことを進めていたと思われていたヴァンたちが、一気に劣勢になった。
そう考えることのできる展開がやってきた。アクラムが攻撃を避けることができたように、ヴァンにもこの状況を切り抜ける方法が残されていた。
両手が塞がっていてはいけないと、ヴァンは大金の入った袋を投げ捨て、両手を力強く握って構える。
攻撃の構えをとるには遅すぎる。
とっくにアクラムの攻撃は彼に向かっていて、今から構えるようでは攻撃までに時間がかかりすぎて相手の攻撃の方が先に来てしまう。
それが当たり前だ。
だが。
今の彼にはその当たり前が通用しない。
「人間を一撃で落とすには……えっと……!!!」
「ちっ! 無駄に頭の回るっ!」
振り下ろされるアクラムの手を、ヴァンは真正面から受け止める。
左手でアクラムの力一杯振り下ろされた手を受け止め、今自分の右手が殴ることのできる弱点を探す。
人間の体の弱点を、視線を走らせて探る。
そして、捉える。
人の弱点である。
顎を捉えた。
「痛いようにはしないから!!」
右手に再び力を込め、アクラムの顎にアッパーをかます。
一撃で彼を気絶まで持って行けるように、彼もまた全力で。
「───っ!!!!!」
その一撃をアクラムは抵抗できずに受け止めてしまう。
避けることもできず、ヴァンのアッパーを完璧に受けてしまった。
何が起こったのか理解する前に、彼の意識は消えてしまう。
ぷつんと、痛みすら感じる前に意識が飛んでしまった。
「レナ! 逃げるよ!」
今が好機とみたヴァンは、袋を拾いレナを呼ぶ。
「はい、主人!」
街でも有数の実力を持つアクラムを翻弄した二人組は、即座にその場を後にした。
その後、倒れ込んでいるアクラムを見た街の住人たちは、また冒険者が酔っ払っている程度にしか考えなかった。
ここで戦闘が起こったとは思わなかった。
ただ、一人を除いて。