第七話 信頼
顔は真っ赤になっていて、人一人分ぐらいの距離が開いているというのに酒臭い。
これはかなり飲んだようだ。
鼻を塞ぎたくほどの酒臭さに、俺は少し気分が悪くなる。
元々、俺はあまり酒が得意の方ではない。
が、酒の匂いだけで気分が悪くなるようなことはなかったはずだ。
それほどこの匂いがキツイのだろう。
もしかしたら誰が俺の夢だったことを実現させたのかもしれない。
それならこの喧騒や、彼がこれほど飲んでいることにも納得できる。
「その袋……何入れてんだ」
「じゃ、じゃがいもだよ。外に出たときにおばあさんを助けてね。そのお礼さ」
「はい! おばあさんのとても大きな荷物を運んで疲れました!!」
袋の大きさとしては、違和感はないはずだ。
見た目だけなら隠し通せる。俺が少しでも動かなければ、この中にあるものが金であることはバレない。
とっさにじゃがいもだと言えた俺の口に感謝しながら、俺は酔っ払ったアクラムがこの場から立ち去ってくれることを祈る。
早く、早くいなくなってくれと祈ることしかできない。
こちらから向こうに戻ることを提案するのは違和感の塊だ。
あくまで、彼が自分の意思で立ち漁ってくれなくてはならない。
「ふ~ん、そうか」
興味のなさそうな返答。
袋の中身が金であるとは思っていなさそうだ。それに袋への興味をそらせた。
袋に向けられていた彼の視線は、もうどこか遠くの方へと向けられている。
何か考えているのか? 一体何を?
「じゃあな、俺は忙しいんだ」
くるりと振り返り、アクラムは酒場へと戻っていく。
ふらふらと今にも倒れそうになりながら、ゆっくりとした足取りで。
「これで、一安し───
「うわぁ!!」
安心できる。そう思ったとき。
アクラムが倒れた。
ふらついた足取りに体が耐えきれず、その体重に引っ張られこっちに向かって倒れてきた。
よりにもよって、こっちに倒れてきた。
このままここにいては彼に潰される。
金と一緒に永眠なんてお断りだ!
彼に潰されないように、またそのときの余波にも当たらないように俺は大きく後ろへと跳んだ。
そして、じゃらじゃらと音を鳴らしながら袋の口の方にあった硬貨が数枚落ちる。
「イッテェ」
頭や背中をさすりながら、アクラムが起き上がる。
所々に土をつけて、衣服が汚れていた。
「しっかしまぁ、案外転んでみるもんだな」
彼の巨体がぐるりと回り、再びこちらを見た。
こちらというか、どちらかと言えば彼の視線は地面へと向けられている。
俺ではなく、地面に落ちている硬貨だ。
それをじっと何を言わずに見つめている。
もしや彼は、あの瞬間袋の中身を疑ったのか?
少しの時間であの袋に何があるのか気になると考え、またどうすればあの中身を見ることができるだろうと考えた。
そして、一瞬で転ぶことを考えついたと?
そんな馬鹿な!
「おまえ、その大金どうした」
「お、俺が手に入れたんだ。依頼……の報酬だ」
厳密に言えば依頼ではなく懸賞金だが、依頼ということにしてしまおう。
そっちの方が現実味を帯びる。俺が盗賊を倒したなんて言うよりも何倍も。
「依頼……ね。その光景のおかげで目が覚めたぜ」
彼の揺れていた瞳が、少しの揺れもなくなった。
目が覚めたというのはきっと、彼はあれだけ酔っていながらこの光景を見ただけで酔いが覚めた、とでも言いたいのだろう。
俺が大金を持っているという不愉快な現実に、頭をぶったたかれたからとでも言いたげな表情だ。
いくつもの感情が混ざり合っている。
怒りや、困惑や……悲しみも?
「主人!」
アクラムが暴れる。
そう思ったレナが、すかさず俺とアクラムの間に入った。
尻尾をこれでもかとたてて、爪も出している。
明らかな威嚇。彼の怒りを助長しかねない。
「やめろ!」
「いえ、主人の身を守るのも僕の務めです!」
レナならアクラムに勝てるだろう。
森の中をあの速度で駆けることのできる身体能力。ゴブリンをものの数秒で殲滅できる戦闘能力。
この二つがあれば、アクラムは間違いなく敵ではない。
それに、彼には愛用している武器が見当たらない。
レナが勝つ理由しかこの場では発見できない。
だが。
アクラムは酔っている。
目が覚めたと言っても所詮それは気持ちの問題だ。
酔っ払っている人間が一体何をするのか、それは誰の予想もつかない。
何をされてもおかしくない。
そんな状況下で、レナを戦わせるわけにはいかない。
じゃあ、俺が出るのか?
と、言われるとそんなことできるわけがなかった。
レナよりも弱いことは間違いない俺が、アクラムの前に立ったところで彼女を心配させるだけだ。
「レナ! あくまで逃げる隙を作るんだ! 目的は倒すことじゃないからな!」
「かしこまりました!」
レナの元気な返事。
それとともに、アクラムの拳がレナに向かって振り下ろされる。
地面が爆ぜ、砕けた土と土埃が舞った。
あっという間に二人の姿が見えなくなってしまう。
その光景は間違いなく。
二人の戦闘が始まったことを意味していた。