第二話 経験値
「帰りました~」
誰もいないように見える冒険者組合に足を踏み入れる。
朝と比べるともう暗くなっているが、窓のおかげか施設内全体は見通せるぐらいの明るさはあった。
そして、受付の方に目を向けるとランタンに火をつけてうつ伏せで寝ている一人の受付嬢が目に入った。
見覚えのある金髪が視界に入ってきて、すぐに誰か分かった。
「ネヒリさん。もしかして待ってたんですか?」
「……ん、あれ。やっと帰ってきましたね」
重そうなまぶたを無理矢理開けながら、ネヒリさんは姿勢を正した。
さっきまで眠そうな雰囲気をまとっていたのに、すぐにいつもの受付嬢の顔へと変わる。これがプロというやつか、さすがだ。
「すみません、薬草採取の方はまた失敗しちゃいました」
「いえ、また頑張りましょうね」
「それとは別で、ここに来る時に盗賊を討伐したので討伐の確認と遺体の処理をお願いしたいのですが」
「はい、盗賊の討ば───え?」
ネヒリさんの手が止まった。
流れるように事務作業を行っていた彼女の手が、壊れたブリキのおもちゃのようにゆっくりと止まる。
彼女の俺を見る目が、何を訴えかけているのかよく分かる。
俺の発言が理解できていないようだ。
当たり前だ。
今まで薬草採取すらできなかったような人間が、急に盗賊を討伐したなんて誰が信じるだろう。
子供がする嘘の自慢話の方がもうちょっと現実味のある話ができる。
森でフェンリルを見たとか、ドラゴンのうろこを拾ったとか。
「ほ、本当ですか!?」
「はい、ステータス画面を見てもらえれば討伐記録に載ってると思います」
「そ、そうですね。見てみますか【ステータスオープン】」
俺を指した人差し指をくるりと回しながら、呪文を唱える。
すると、その指の先に俺のステータスが書かれた画面が表示された。
それをじっくりと、一言一句見逃さないように読むネヒリさん。
鋭い視線がさらに鋭くなる。野菜ぐらいなら切れそうなほどだ。
うーんとうなりながら、俺のステータスをひとしきり見終わったネヒリさんの視線が俺の方を向く。
その目に、もう俺の事を疑う雰囲気はなかった。
「確かに確認できました。懸賞金については後で確認するので、また明日これぐらいの時間に来てもらっても良いですか?」
「え、そんなに時間かかりますか?」
「いえ、渡そうと思えば朝渡せますけど、おそらく彼らがいると思うので」
「あーー」
そうか、朝早いとアクラムたちが依頼を求めてここにいるか。
もしも懸賞金をもらっている姿を見られでもしたら、何されるか分からない。
盗賊を討伐したからと言って、俺は強くなったわけじゃないんだ。
あんな弱い奴ら討伐したところで、ろくな経験値にもならないだろうし。
「それにしても……二人も討伐した記録があるのにレベルは上がっていないみたいですね」
「え、本当ですか? まあ、弱かったから俺よりもレベルが低かったんだと思いますよ」
剣があんなに遅く見えたんだ。
もしかしたらレベルは一桁かもしれない。
レベルが一桁だからって俺が勝てる理由にはならないが、それぐらいしかレベルが上がっていない理由は分からない。
自分よりもレベルが低い相手なら、得られる経験値が低くてもおかしくないし。
「そういうことなんですかね……と、とりあえず。懸賞金の方はまた明日の夜に、依頼の受けるなら朝来てもらってもかまいませんから」
「分かりました」
一通りやることは終わったかな……。
獣人の少女の預けようかと思ったけど。
少女の方に視線を向けると、彼女は服をつかみながら俺の後ろに隠れている。
心なしかネヒリさんを威嚇しているように見えるけど、気のせいだろう。
なぜか彼女に慕われているようだし、それに一人でこの街に来たんだ、置いていくのも酷な話だろう。
彼女がついてくるなら少しぐらい一緒に過ごしてもいいと思う。お金も入りそうだしね。
「あ、死体の方は東門に向かう通りを進んでえーと、こっちからだから……二番目の路地ですね。その奥にあります」
「東門に向かう通りの二番目の路地ですね。分かりました」
じゃあ、お願いしますねと言って、俺たちは冒険者組合を後にする。
懸賞金……いくらぐらいもらえるだろうか。
あれほど弱い奴らだと、そんなに期待はできないけどせめて宿代一日分ぐらいにはなってほしい。
じゃないと困る。せっかく命を賭けたんだ、その報酬としてそれぐらいは望んでもいいはずだ。
「主人、家に帰りますか!」
ああ、そういえばこっちの問題があったわ。
なぜ彼女が俺の事を主人と呼ぶのか。
そして、どうして一向に離れる感じがしないのか。
どこまででもついてきそう。
「ああ、君も一緒に来る……?」
「もちろんでございますよ、主人!」
一体何がもちろんなのだろうか。
そんな当たり前みたいな口調で言われても、全然意味が分からないけど。
「じゃ、じゃあ宿は西門の近くだからそっちまで行こうか」
「はい!」
元気よく返事をして、彼女はすぐに走り出してしまった。
気づいた頃にはそこに姿はなく、声が届くか届かないかの距離まで話されている。
「もうちょっと落ち着いて───って、そっちは北だ!!!!」
今日、ゆっくりと寝れなさそうだ。
☆☆☆
未だ、ネヒリの前に表示されているヴァンのステータス画面。
彼女は、それをにらみつける。にらみつけながら、必死に思考を働かせる。
もう既に就業時間を過ぎてはいるが、彼女は気になっていた。
眠くなることなく、あまりに気になりすぎて意識が覚醒していた。
「倒した盗賊はどちらもレベル30代。彼はレベル15……約二倍のレベル差がある」
それなのに、彼は二人も同時に倒して見せた。
十分不可解な現象だが、あり得ない話ではない。
例えレベル差が五倍あろうと、決して低い方が五倍差ある相手は倒せないわけではない。
石で潰したり、崖から落としたりすれば倒せないわけではない。
なので、彼女はヴァンが盗賊を倒したことは運の良い偶然だと処理できた。
が、もう一つの方が偶然では処理できなかった。
「なのに、どうして経験値は全く入らずレベルも上がっていないでしょうか」
レベルアップに必要な経験値分だけ入っているなら、レベルが上がっているはずなのだ。
しかし、彼はレベルが上がることはなく、まして経験値が入っていることもない。
それは、偶然では片付けられなかった。
敵を倒したら経験値が手に入る。それは、夜が来ればいつか明けて朝になるぐらい当然の出来事なのに、彼にはそれが起こらない。
「それに、二倍もレベル差がある相手が弱かった? そんなはずはない、レベルの差は一つ二つじゃないのよ。二倍、二倍もあるのに……」
何が起こったのか、それはその場にいなかったネヒリには分からない。
しかし、一つだけ何かいつもとは違うことが起こっていることだけは分かる。
『万年初心者』
その名を不名誉にも他の冒険者から与えられた彼が、何かを起こすことだけは彼女に理解できた。