第二十七話 弱者
太陽に反逆でもしているかのように黒い衣服を身にまとい、大罪人として指名手配でもされているのではないかと考えてしまうほどに深く帽子をかぶったヴァンパイアハンターは、人目を避けるために、路地を歩いていた。
先日の一件以来、自分の存在が公になってしまったことも相まって市民や冒険者から注目されている。
憲兵から逮捕こそされないが、明らかに認識して見られていることに気づいた男は完全に姿を隠すことにした。
「こうも路地を歩き回されるのは久しぶりだな。まあ、あの日は太陽なんて拝めなかったが」
ぶつぶつと独り言をこぼしながら、道を進む。
夜間でもない限り路地にいる男は、わかりやすく汚れており一見死体にすら見えた。
ほこりをかぶっている帽子のつばは、男がどれほどここに滞在し続けているのかを示していた。
これといった計画も建てられず。
また、吸血鬼を狙う隙すらも見つけられていない現状、男はばれないようにするのが精一杯だった。
行うべきは瞬殺であり、持久戦に持ち込まれては配下を呼ばれてしまうからだ。
吸血鬼特有の人間を下に見下す性格のおかげで生き残れてはいるが、それもあくまでお遊びなのだ。
いつまで彼の道楽が続くか分からない。
だから、何かしらの手を打ちたかった。
「あの二人組の冒険者はなんとなく分かってきた。が、問題はあの受付嬢だ」
夜、対峙したときのことを思い出す。
到底人間の成せるわざとは思えないアレを。
無から有を生成し。
世界の理に異を唱えているその技。
「あれをどうにかする術がいる。もしくは、彼女を無力化できる切り札が」
手札がない。
戦闘において場に出せる手札が、今の自分には足りていないと理解する。
情報も、道具も、時間も、人も味方はしてくれない。
使えるのは自身のみ、体以外は自分の命令に従順ではないのだ。
万全を期し、圧倒的な力によって叩き潰す。
吸血鬼に対して人間が許されているのはそれのみだ。
知恵を使い、その知恵の量で格上の存在を潰す。
完膚なきまでに、チリも残さずに。
そのため夜は情報収集のために外を練り歩いている。
しかし、所詮は人が活動をやめる時間。昼と夜では全く景色が変わってしまうので、得られる情報も偏りがあった。
もし、人がいたらどうなるのかが分からない。
どこに人混みができて、どこに人がいないのか。
それらは、あくまで男の想像でしか得られない情報になっていた。
予想によって得られた情報ほど使えない物はない。
「応援でも呼んだ方がはやかっ───ッ!!」
刹那、体が硬直する。
何の予兆もなく、体が強い拘束感に襲われた。
身動き一つ取れず、固定された視界から先ほどと変わりない景色こそ見えるが、それ以外の全てに異変が生じていた。
唯一信じられる体でさえ動かすことができず、正体の分からない恐怖が襲いかかっていた。
しかし、それも一瞬。
死を覚悟すると同じぐらいのタイミングで、体の拘束は解かれた。
「今のは……一体……」
右手を何度か握り、体が動くことを確認する。
体に不備はなく、一部が欠損しているなんて異常事態も発生してはいなかった。
しかし、先ほどあったことは間違いなく事実だ。
男が一方的に抱いた幻想から来る無意識下への急降下ではなく、世界に間違いなく存在した圧倒的恐怖だ。
今まで相対した吸血鬼からも感じたことのない覇気。
心臓に手を添えられる感覚に、男は冷や汗を流す。
「……何か起きる……大きな何かが」
きびすを返し、男は路地の暗闇へと消える。
大通りからの光が差し込む路地には、もう誰もいない。
☆☆☆
目の前に並ぶ書類に次々と書き込む。
その手は止まることはなく、少しの迷いもない。
流れるように動く手のおかげか、書類は次々と隣に山積みにされていき、ある程度したら後ろを通った職員が回収していく。
速すぎる仕事の処理能力から、周囲の人間からそれなりに───ほんの少しだけ距離を置かれるようになったのだ。
もちろん、それは彼女が対応すべき人間達も例外ではない。
「相変わらずすごい剣幕だな」
「ん?」
そんな彼女に勇敢にも話しかける二人組がいた。
大柄な男と小柄な女。
「何ですしょうか。アクラムさん、ステアさん」
「何って、冒険者が受付嬢に話しかけるときは依頼の話に決まってるだろ。ネヒリさんよ」
接客業であるはずの受付嬢とは思えないほど笑みのない顔から発せられる、これといった配慮も感じない言葉。
完全に下に見ており、敬意もへったくれもなかった。
「あなたたちが私に話しかけてきたのはずいぶんと久しぶりですね」
「誰にも興味なさそうなのにそういった事は覚えてくれているんだな」
「まあ、忘れるほど人と関わらないので」
時折アクラムの方を見てくれはするが、八割は書類の方へと向いておりあっちいけオーラが強い。
これに負けた冒険者達であふれかえっているのが今の組合である。敗者の山だ。
「万ね───じゃなくて、ヴァンの方は元気なのか。昨日は外で過ごしたらしいが」
「平気そうでした。特に外傷もなさそうでしたし、最近彼とパーティーを組んだレナさんが守ってくれているようです」
「あの黒狼族の子か」
視線を上へと向けて、彼女の姿を思い出す。
大きな尻尾を逆なでさせて威嚇してくる姿が浮かんできた。
特に関わりのないステアは、興味なさそうにどこか他のところに視線をやっている。
会話に入る気はなく、あくまで付き添いという体を壊す気はないのだ。
「それなりに腕も立つようで、安心できます」
「ま、それは俺も同意できる。アイツは根性だけしっかりあるせいで、なかなか諦めが悪かったからな。身の安全を確保できたようで良かったよ」
「それで、どういったご用件で」
書類の上で踊っていたネヒリの手が止まり、透き通った青い瞳がアクラムを見つめる。
引き込まれそうな瞳を前に、顔を振り意識をはっきりとさせたアクラムが話し始める。
そのとき。
「「ッ!!!」」
何かに体が襲われた。
得体の知れない、圧倒的な恐怖によって体がすくむ。
びくともせず、ネヒリのことを見ている視線すら動かせなかった。
そんな中。
ネヒリはすくっと立ち上がり、アクラムから視線を外した。
未だ体が動かず、心の中でしか感情と吐露できていないアクラムを置き去りにして、何かへと意識を向ける。
ネヒリは組合全体に視線を巡らせ、自分以外の誰も動けていない事を理解する。
職員が持っていた書類は手から落ち、床に散らばっている。また、受付嬢が持っていたペンは重力に従って手から自由落下している。
何事も起きていなさそうな世界を、明確な違和感が支配していた。
だからこそ誰もが理解できた。一度でも死を経験したことのある人間ならばすぐに理解できた。
自分の死が近づいているのだと。
死神の鎌が、自分の首にかかっていると。
「ッ───はぁ!!!!」
体の自由がやっと戻ってきたアクラムが、大きく息を吐き出しながら、カウンターに両手をつく。
他の冒険者はその恐怖に耐えきれず吐いてしまう者すらいた。受付嬢の数名も、恐怖に意識をそのまま失っている。
我関せずを通していたステアも、あまりの異常事態に理解が追いつかず、視線を右往左往させて事態を飲み込もうとする。
が、分からない。周囲に広がっている動揺しか認識できない。
自分の周りも同じ状況になり、激しく動揺していることしか伝わらなかった。
「ね、ネヒリさん!」
「何か、面倒ごとが起きましたね」
「面倒ごと?」
「組合長を呼んできます。お二人は戦闘準備とできれば街に何か異変が起きていないか確認をお願いします」
「わ、分かった!」
鮮明になった意識と、すぐに迷いなく伝えられた命令によってアクラムは自分を取り戻す。
何をすべきで、どうあるべきかを理解した。
その後の動きは機敏だ。
さすが街で指折りの冒険者なだけあり、すぐに行動を開始する。
「ステア!」
「分かってる!」
その命令を聞いていたステアも同様に、やるべき事を思い出す。
とにかく情報を得なければと、無意識に脳が訴えかけていた。
知らないモンスターと戦闘に入ったときのように、脳内は澄み切っていた。
敵は見えないが、見えないなりの戦い方がある。
組合内でボロボロになっている他の冒険者を尻目に、二人はすぐに扉から外に出る。
上空に何かいないか、どこか火事になっていないか、城壁は壊されていないか。
街中を走り回り確認するが、何もなかった。
何も街には起きていない。
混乱こそしているが、損害と言える損害はなく。
見た目だけなら至って昨日と遜色ない。
それもそうだ。
だって、それは。
まだ起こっていないのだ。




