07
「うーん、綺麗な青空」
伸びをして、私はやわらかな陽の光に手をかざす。よく晴れた朝だ。同調するように、ぴぃ、とサクラも声をあげた。
「晴れてよかったですね」
私の後ろから、宿屋の主人に別れの挨拶をしていたキールさんがやってくる。手には何やら包み紙がある。きっと酒場の主人が持たせてくれたお弁当だろう。昨日ご飯を食べに行った時に、手土産は任せておけ、とかなんとか言っていた気がする。
この村の人たちは皆あたたかい。それは、キールさんとともに旅をしているからだろうと思う。いつも朗らかな笑顔を浮かべるキールさんの周りにいると、私もどこか心が解れるような、そんな感覚になる。
「さあ、行きましょうか」
キールさんが、そう言って北を指さす。キールさんの故郷は、北にあるそうだ。魔族の住む、北の地。あまり人が寄り付かないからこそ、広大な土地が余ってしまっているらしい。どんな土地かはわからないが、キールさんの出身地と思うと、どこも素敵な土地に見えてしまうのは、単純すぎるだろうか。
「どんどん行きましょう」
そう声をかけて、私は歩きはじめる。
「この道沿いに歩いていくと、エナの町があります。今夜はエナの町に泊まりましょう」
エナの町のお酒は美味しいですよ、とキールさんが付け加える。
「もう飲み比べなんてしませんから」
そう言うと、キールさんはいたずらっ子のように茶目っ気のある笑みを浮かべた。
***
もうすぐ空が赤くなり始めるころだ。本来ならもうすでにエナの町についても良い頃だが、まだ町にたどり着くのはもう少し時間がかかりそうだった。
「ごめんなさい、キールさん。私が薬草を摘んで歩いてたばっかりに」
そのおかげで私のバッグにはたくさんの薬草が詰まっているが、そのせいで私たちの歩みはすっかり遅くなってしまった。以前までのパーティでは、リリーナを怒らせないよう、リリーナの目を盗んでこっそりと薬草を摘んでいたが、キールさんは怒ることなく見守ってくれるので、調子に乗ってたくさん摘んでしまった。心なしか、バッグが重い気がする。町に着いたら、仕分けをしつつ乾燥させなきゃ。薬草は保存方法が重要だ。
「いえ、良いんですよ。セシリアさんが夢中で薬草を摘んでいるのが楽しそうだったので、私もつい眺めてしまいました」
キールさんは、なんでもないように言って笑う。ありがとうございます、と頭を下げると キールさんは続けて口を開いた。
「私には見分けがつかない花も、草も、セシリアさんにはすべて違うように見えているんだなと思うと面白かったです」
「私は、最初はどの草も同じように見えてましたよ」
小さい頃は、母の後ろをついて歩くだけだった。母から細かい見分け方を教えてもらいつつ、いつの間にか見分けられるものが増えていっていた。それに従って、できることもどんどん増えていった。最初はちょっとした傷薬だけだったのが、胃薬を作れるようになって、そして今では魔力補給の薬まで作れるようになった。
「セシリアさんの日頃の積み重ねがあってこそなんですね」
キールさんはそう言ってふんわりほほ笑む。
「セシリアさんは、優しいですよね」
きっと、誰かを助けようとして薬の使い方を学んでいったんでしょう、とキールさんが尋ねる。「誰か」と考えた時、一番最初に頭に浮かんだのは間違いなくノエルだった。ノエルは小さい頃から剣を振るっていて、剣を扱う彼の傷が少しでも早く良くなるように、そして、剣を振るう体力が少しでもつくようにと、必死になって薬を作っていた。
「……そうですかね」
少し気恥ずかしくなって、私は答えをはぐらかす。そのまましばし無言で歩いていると、だんだんと町の明かりが見え始めた。
「もうすぐ着きますね」
キールさんも、エナの町にはそう長居したことはないようだ。初めてのエナの町は、昨日までの村と比べると少しさびれているような印象も受ける。宿屋に行くと、サクラはやはりお断りされてしまった。申し訳ないが、サクラには屋根の上にとまって待ってもらうことにする。
夕食を食べようと私とキールさんが酒場に行くと、そこで町人たちが何やら盛り上がっているのが聞こえた。
「俺が見たのはぜったいにモンスターだった」
「こんな人里近くに出てくるモンスターなんているわけないだろ」
「お前も噂を信じてるのか」
何やら揉めているようだ。お酒を飲んだ男たちが、赤い顔をしながら声を荒げている。
「モンスターって聞こえましたね」
空いているテーブルに座りながら、キールさんにこっそり伝える。
「キールさん、冒険者ギルドの仕事もできるんじゃないですか」
「……本当にモンスターであれば良いんですが」
この分だと、まともに話も聞き出せないでしょうし、と呆れたようにキールさんは言う。たしかに、あそこまで盛り上がっていると今更話に入っていくというのも難しそうだ。
「ご注文は何にしますかー?」
そう思っていると、元気な声がかかった。ふと声の主をみると、オレンジ色のエプロンを付けた少女が私たちをじっと見ていた。まだ10歳ぐらいだろうか。幼さの残る顔は、酒場には不自然に見えた。そんなことを思っていると、ご注文は?と少女が再び声をあげる。
「すみません。この付近にモンスターが出ているという噂は本当ですか」
キールさんが単刀直入に少女に尋ねる。少女は、少しおびえたようにキールさんを見つめた。
「……モンスターが出たという噂はあります。でも、ただの噂です。町の人は皆噂してるけど」
最後に向かって、声が小さくなっていく。この町の皆が噂をしているということは、今この町では熱い話題のようだ。さきほどの男たちの会話を聞く限り、目撃者は1人ではなさそうだ。
「君は見たことある?」
私が少女に尋ねると、少女はふるふると首を横に振った。
「狼みたいだったって、見た人は言ってます」
ぽつりと、少女は付け加える。
「狼……ですか」
キールさんがつぶやく。たしかに、狼のような見た目のモンスターはいるが、基本的にモンスターは人里まで降りてこない。その昔に「聖女」が人々を守るために祈りを込めた「宝珠」による結界があれば、モンスターは入ってくることができない。……一部、サクラのような例外もいるが。
宝珠はある程度の人数が住んでいる場所に1つは贈られているはずだ。この町の規模であれば、ないほうがおかしい。
「聖女」の祈りは絶対。そう思われているこの世界で、町にモンスターが現れたなど、信じたくはないだろう。町の人々が不安に駆られて噂をしてしまう気持ちも分かる気がした。
キールさんを見ると、キールさんも何か考えているように難しい顔をしている。急に黙りこんでしまった私たちを見て、少女は不安そうな顔をしている。
「教えてくれてありがとう。私は、君のおすすめのご飯が食べたいな」
明るい声を作って少女にそう答えると、キールさんも「同じものをください」と声をかけた。
「どうも気になりますね」
少女が注文を厨房に姿を消すと、キールさんは小さくつぶやく。私も同感だった。この町で何かが起こっている。それは間違いなさそうだった。