05
飲み始めてから、私たちのテーブルの周りにはだんだんと人だかりができ始めた。最初はぽつぽつといる程度だった酒場の客がどんどん増えていく。その大部分が、私とキールさんの飲み比べを見に来ていた。酒場のおじさんは、いつもに増して大盛況であることが嬉しいらしく、お酒の他にもいろいろなおつまみを作っては私たちのテーブルや、その周りのお客さんたちにも配り始める。周りのお客さんたちも私たちに釣られてか一気にお酒を流し込んでいき、いつの間にか酒場はお祭り騒ぎに発展していた。
20杯を超えたところで、どんどん視界がぐらつき始める。一方、キールさんは涼しい顔でグラスを傾けていた。
「なんだ……あの化け物……」
恨めしい思いでつぶやきながら、私はキールさんの顔だけに焦点を合わせる。周りの世界はすでに怖いぐらいぐらぐらしていた。まるで小さいころに池で溺れかけた時のように、声も遠くぼんやりと聞こえる。周りの人たちもどんちゃん騒ぎでかなり騒がしいはずなのに、私の世界ではキールさんが静かにジョッキを傾けているだけに見えた。お酒ではなく、紅茶でも優雅にすすっているかのように、キールさんは上品で、この酒場には似つかわしくないように見えた。まるで、どこかに王侯貴族がふいに現れたかのように、場違いで、そして――美しかった。
このままキールさんを眺めていたいな、なんてぼんやりと思った。
****
次に気づいたとき、私は酒場のテーブルに突っ伏していた。うーん、とうなりながら伸びをすると、肩にかかっていた上着が落ちる。私のものではないその上着は、明らかに男性のものだった。はっと急速に意識が浮上して青ざめる。
「おはようございます。セシリアさん」
ふと、少し遠くから聞いたことのある声がした。そちらを向くと、キールさんが読みかけの本を手に持ったまま柔らかく笑っていた。
その瞬間、昨夜のことが頭にフラッシュバックする。
「あ、あの、私……昨日……」
あわあわと言葉にすると、キールさんはさらに笑みを深める。
「昨日のセシリアさんはすごく面白かったです」
この反応は、まさか私はまたやらかしてしまったのか。思わず頭を抱えた。
「いきなり寝だしたときには思わずびっくりしました。具合が悪いのかな、と思ってのぞき込んだらすごく幸せに寝ているんですから」
「……よかった」
私が何もやらかしていないことを知って心底安堵する。
「セシリアさん、どこも体に異常はないですか?」
ふと、キールさんは読みかけの本をテーブルに置いて私に近づく。コツコツと音を鳴らしながら近づいてくるキールさんをただ眺めていると、キールさんは私の前髪をかきあげておでこに手を当てた。
「……!?」
びっくりして私が固まっていると、キールさんはそのまま私の瞳を覗きこむ。森の色を反射させた湖の色のようなエメラルドグリーンの瞳が私をとらえる。優しい瞳に、私は捕らわれたように見つめ返すしかできない。突然のことに、急激に顔が熱くなっていることが分かった。どうか、キールさんが気づかないように、と祈るしかできない。
「熱はないですよね。……人の体は脆いのでどうしても不安になります」
そう小さく、聞こえるか聞こえないかの声でキールさんはつぶやいた。手がおでこから離れていく。
「あ、私は元気……です」
「そうですか? 顔が赤いようですが」
隠していたかったことを当てられ、私はぶんぶんと首を横振った。
「顔が赤いのは……気のせいです! 薬を飲んでいたので私は元気ですよ」
「そうですか。ならよかったです」
そう言って、キールさんはふわりとほほ笑む。さらり、とキールさんの柔らかそうな髪が揺れる。
「酒場のご主人が、昨日は楽しかったって上機嫌で作ってくれましたよ。よかったら一緒に食べませんか」
キールさんの視線の先をみると、どうやらサンドウィッチらしきものがおいてある。ふいに、ぎゅーとお腹が鳴った。
「ぜひ、食べたいです」
「じゃあ食べますか」
キールさんとともに、食卓を囲む。
「んんんんん」
空きっ腹にジューシーなお肉を使ったサンドウィッチは暴力的なおいしさだった。あっという間にサンドウィッチを平らげる。キールさんは、そんな私をみて静かにほほ笑んでいる。
「そういえば、キールさんはこれからどうするんですか?」
ふいに、キールさんと別れるのが惜しくなってしまって、そう尋ねる。
「そうですねぇ。まだ決まっていないのですが、北のほうに向かおうと思ってました」
「北……ですか?」
北といえば、魔族の領地があり、最近は荒れている方面だ。
危ないんじゃないですか、と思わず口にすると、キールさんは困ったような顔で言う。
「まあ、私は一応冒険者ギルドに属す冒険者ですし、戦績をあげておかないと除名されてしまいますから」
「たしかに……そうですね」
では、ここでお別れかと思うとちくりと胸が痛んだ。
「セシリアさんは、どこか行く場所があるんですか?」
「うーん……。特に決まってないんです。一回実家に帰ろうかとも思ったんですが、サクラがいますし、あまり街中には帰れないかなとも考えてます」
そう言うと、キールさんはいきなり黙り込んでしまう。何事かと思ってキールさんをのぞき込むと、キールさんは何かを決意したように静かに話し出す。
「あの、これはセシリアさんがよければの話なのですが」
「……はい?」
「私の故郷は土地が痩せているということもあり、あまり人が住んでいないのですが、土地だけは広大にあります。実は、私も土地だけは豊富に持っていまして。もしよければ、私の土地の一部を使いませんか? きっと、サクラちゃんもそこなら伸び伸び過ごせるのではないかと」
え、と思わず声が漏れてしまった。
「いや、無理にとは言いません。セシリアさんが良ければ、でいいんですが」
「……良いんですか!」
いきなり声をあげた私に、キールさんは驚いたように目を丸くする。
「もしかして、その他にも、もふもふをたくさん飼っても、大丈夫ですか?」
「も、もふもふ……? 土地だけはあるので、何を飼ってもいいですよ」
「やったーー!」
私は思わず手をあげて喜んでしまう。キールさん、よろしくお願いします!と言いながらぶんぶんと握手した手を上下に振る私を、キールさんは困ったような顔で、それでも微笑みながら見ていた。