再会
朝起きると僕は歯を磨き顔を洗い着替える。
その後で姉上から埃を払う。髪の毛一本も欠けさせぬよう、絹で作ったハタキで柔らかく撫でる。
姉上は1年前のあの日のまま。教会から運んできた椅子に腰を下ろし、顔を覆ったままだ。
その身体は大理石となり、時は止まっている。
メリアンさんと朝食の準備をして食器を並べた頃、呼び鈴が鳴った。
玄関に出たメリアンさんが息を呑む。
後から覗いた僕も口を開けたまま固まる。
エルフの彼女は、10年経った今でも初めて会った時と変わらなかった。
「ドロス様、ようこそおいで下さいました」
勇者が再来した。
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「彼は、偽物だったということですね」
母上は、ドロスさんが携えた王家からの書状を読み終えると、そう言った。
「はい。本当のジェフナスの行方は、依然調査中です」
ジェフナスという名の司祭は、実在している。
但し彼は、転移を使えない。そして年齢は88才だ。
エルフやノームならともかく、ヒューマンの88才は若くない。それは明らかに別人だ。
彼は1年前に失踪した。行方は要として知れない。
姉上の見合いについては、王家が預かり知らぬまま推薦状が出されていた。
それについても、経緯を調査中らしい。
「お嬢様に掛けられた呪いは、人間には――高位僧侶でも解くことは叶わないでしょう」
ドロスさんは僕を見る。
「ただし、方法はあります」
ドロスさんの視線が僕から母上へ移る。
「貴女は、知っているはずです」
僕は目を丸くして、母上を見る。
父上の右眉が上がる。
母上は目を閉じ、口も閉ざしている。
「使ったはずです。”奇跡”を」
母上は動かない。
「北の魔女、貴女ならば」
父上が目を剥く。
「色々、ご存知のようね」
漸く、母上が言葉を発した。
“グリンド”って何?
僕は囁き声で父上に尋ねる。
父上は暫く沈黙した後、答えてくれた。
「単なる噂、唯の伝説と思っていたのだが…」
――王国の四方に4人の魔女あり
――グスニ神降臨前よりその地を治め
――その魔力、古き神々に並ぶ
その内の1人がグリンド――北の魔女らしい。
グスニ神降臨前――光暦元年より前から、王国の北側を治めている。
ということはつまり、母上は少なくとも137才……おおっと!
背筋にヒヤリとした感触が走った。これ以上考えてはならぬ。母上の眼がそう言っている。
「正確には”奇跡”ではありません」
目を伏せ、母上は言う。
「”神変”それが呪文の名です」
ドロスさんの視線が続きを促す。
「確かに使いました……ですが、あの娘を戻すことは叶いませんでした」
「グスニ神が齎す変化は、様々な形を取ります。大抵は人々の願いとは別の形に」
つまり”姉上の石化を解く”ではなく、別の形で願いを叶えたというワケだ。
「神が動かされたのは、羽筆1本でした」
「多分、これがその”方法”なのでしょう」
母上は胸元から手帳を取り出し、その1頁を示した。
――息子に迷宮で祈らせよ
飾り文字でそう書かれていた。
「だから、私が遣わされたのです」
勇者の蒼い目が僕を見た。
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「母さんのことを悪く思うな」
夜、食堂に居た父上に呼び止められ、寝酒に付き合わされた。
この国では15才で成人として扱われる。酒を呑んでも問題ナシ。とはいえ、父親と酒を呑むのはちょっと抵抗あるので僕はお茶。
「”神変”の結果をお前が知れば、またワイドフォートの迷宮へ行くだろう」
迷宮の最深部、中央玄室。
全ての願いを聞き届けるという伝説。
ドロスさんによれば、ただ聞くだけらしいが。
だが迷宮へ行けば、今度こそお前は命を失う。そう父上は続ける。
「母さんは、お前を死なせたくないんだ」
勿論、俺もだ。そう父上は言う。
ところで――
父上は、母上が北の魔女と知ってショックでしたか?
話を逸らそうと、僕はそんなことを聞いた。
「あまり現実感がないなぁ」
そう言って、父上は麦酒を呑む。
「確かに年齢の話になると、有無を言わさぬ気配を感じてはいた」
若干、遠い目をする父上である。
僕も以前、母上の歳を聞いた際、”女性は23才になったら、それ以上は歳を取らないのよ”と言われました。
「お前も命知らずだな」
ええ、迷宮最深部を目指すくらいには。
僕も命は失いたくない。
ただ、知ってしまったならば仕方ない。
王家はどのような方法でか、”神変”の結果を知ったのだろう。そしてまた、責任の一端を感じているのだろう。だから勇者を寄越した。単なる伝令ではなく、護衛として。
僕を迷宮の最深部に送り届ける護衛として。
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此処に来るのは10年振りだ。
ワイドフォートの迷宮。その門に僕は再び立っている。
10年前より高くなった目が、門に書かれた文字を読み取る。
“我を潜る者、全ての望みを捨てよ”
全ての願いを聞き届ける筈の迷宮には、相応しくない文言だ。明らかに矛盾している。
僕の目の前には、勇者の背中がある。
10年経っても、僕の背丈はドロスさんの肩にも届いてない。くすん。
そして横には、トッツが僕を守るように寄り添っている。
「もう一度、確認しとく」
勇者は振り向かずに言う。
「命の保証はできない。良いわね」
承知の上です。ドロスさん。
「さん付けも敬語も無しよ。迷宮では、一瞬の遅れが致命的になる」
判った……ドロス。
「私も貴方の事はクロと呼ぶわ」
クロ――ジョディと同じ声で呼ばれたその名は懐かしく、少しだけ胸が高鳴る。
もうすぐ地下2階層への階段という所で、ドロスが脚を止める。
「来たわ。右の道から2体」
小鬼だ。僕らに気づき、獲物を構える。
僕も六尺棒を下段に構え、小鬼を牽制する。
右側の小鬼が獲物を大きく振りかぶり、僕に突進して来る。
僕は右手を道導とし、左手で棒を突く。棒が小鬼に当たる瞬間、左足を踏みしめ全身の力を棒の先端に集中させる。
崩れ落ちる小鬼から棒を引き、飛び出して来た左の小鬼の脚を打つ。
「なかなかやるじゃない」
数合の打ち込みの末、両の小鬼が息絶え土に還ると、ドロスさん――ドロスが褒めてくれた。
「これなら、自分の身は守れそうね」
一気に最下層まで行くわよ――そうドロスが言う。
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ぜーぜーぜーぜー
一気に行くと言われたが、これほど一気に行くとは思わなかった。
探索の途中で化物と遭遇した僕らは、逃げに逃げた。
どーにも逃げられずに倒した化物は5体のみ。内2体は最初の小鬼。
「倒すより、逃げちゃった方が早いからね」
そりゃそーかも知れないけどさー
「前回攻略時に地図も作ったし、閉鎖門を通過する為の宝具も持って来たわ」
エヘンえへんと胸を張るドロス。革鎧が内側から突き破られそう……ってのは言い過ぎで、色々はみ出し掛けてる。大変ありがとうございました。
「でも此処からは逃げることは出来ない」
僕らは最下層に到達していた。
「中央玄室に至るには、3つの玄室を通らなきゃいけない」
それらの玄室を護る化物を倒さなければ、次の玄室への扉は開かないそうだ。
かつて全ての探索者を阻んだワイドフォートの迷宮、その最強の化物を。