遭遇
4月4日、僕の高校入学式の日。
朝起きると、両親が家出していた。
まず、想定される幾つかの質問に答えておこう。
第1に、答えはノーだ。僕の家庭は金銭上のトラブルを抱えていない。
第2に、答えはノーだ。僕の家庭は社会上のトラブルも抱えていない。
第3に、これは答えはイエスだ。僕の家庭は家庭内のトラブルを抱えている。
『お父さんの仕事の都合で、しばらくグリーンランドに行くことになりました。何か問題が発生したら、妹ちゃんに相談しなさい。母より』
リビングのテーブルに、無駄に達筆な母のメモが置いてあった。
何か問題が?
ありまくりだ。つか問題しか無い。
今日から高校生になる息子を置いて、突然海外赴任する両親がどこに居る!
ここに居るな、うん。
とりあえず僕は"妹ちゃん"こと叔母さんにメールする。
『母が父を拉致して家出しました』
暫くすると、スマホが震える。
『また!?』
2年ぶり3回目の家出である。
そして行先がグリーンランドとはまた遠い。新記録だ。
この母が"家庭内トラブル"ってヤツだ。
思い立ったら即行動。あの行動力とバイタリティは凄い。
そして有能。無駄に有能。
いっそ無能ならば周りが止めるのに、有能なだけにタチが悪い。
今でこそ専業主婦だが、以前は父と同じ会社に務めており、そりゃもうバリバリのキャリアウーマンだったらしい。重要なプロジェクトを幾度も成功させ、退職の際には社長自ら引き留めに来た。
「むしろ旦那さんの方が退職して専業主夫に――ん、わが社の社員?オホン、旦那さんの方に産休を取って貰っても構わないんだよ」
そう社長から言われた、と父は言っていた。
ちなみに父は鳴かず飛ばず。平々凡々たる会社員。
だが僕が生まれた後、会社は父に重要な遠地プロジェクトを次々に押し付けた。
遠地なら母が付いていくだろう。でもって手を貸してくれるだろう、という狙いだ。
その狙いは、まんまと当たった。
ある日、父親が会社から帰ってくる。
顔色は冴えない。
夕食後、父親がテーブルに資料を出す。それはそれは嫌そうに。
「何これ!面白そうじゃない!!」
テンションの高い声が挙がった数日後、下手をすれば翌日には、リビングのテーブルに無駄に達筆なメモが置かれる仕組みになっている。
こんな風に、僕の家庭は常に母に振り回されて来た。
『もう慣れました。すみませんが、もし何かあったらご迷惑おかけします』
叔母さんにメールを送ろうとした際、スマホが震えた。
『すまん』
ただいま絶賛振り回され中の父からだった。
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姉と一緒に弁当を作り、先に家を出る。
親が無くとも子は育つ。幼いころから両親不在が多かったから、家事はお手の物だ。妙に女子力が高くなってしまった。
大学生の姉も、両親を反面教師としてしっかり育っている。かも。
「よぉクロ、また3年間よろしくな」
大通りを歩いてると、肩を叩かれる。
振り返ると、自転車に乗った優男が笑っている。
辺理伝須朗。中学からの付き合いで、同じ高校に通うことになった僕の親友だ。僕は彼をデンと呼び、彼は僕をクロと呼ぶ。
そりゃ、新しい自転車か?
かなり格好良いクロスバイクに乗ってるデン。
「ああ、入学祝いに親父が送ってきた」
デンの家は母子家庭だ。父親は存命だが初めから籍は入れてないし、同居もしていない。
そこら辺の色々なことは知ってるが、まーとりあえず関係ない。
それにしても、その恰好で入学式に出るのか?
デンが着ているのはサイクルウェア。肌に張り付くようなカラフルな服が汗にまみれている。
いくら高校が自由な校風だからと言っても、その姿はいかがなものか。
「ちゃんと着替えは持って来た」
背負ったバックパックを指すデン。
その中には下着も入っているんだろうな。
「ぬ」
コンビニに寄ってから行くと言うデンを置いて、先に校門をくぐる。
見れば、結構な人数が自転車通学している。入学案内によればシャワールームもあるらしい。
それどころかコンビニまである。デンは入学案内をもっと良く読むべきだ。
暫く構内を見学してから講堂に入ると、スマホにメールが届く。
送信者は高校。僕は4組になるらしい。
いつの間にシャワーと着替えを済ませたか、先に着いてたデンが僕を見つけて手を挙げる。席から見て彼も僕と同じ4組。くされ縁ってヤツだ。
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「それではこれより、市立九曜総合高校の入学式を始めます」
講堂に女性の声が流れる。
「最初に、校長先生からの訓示です」
「え~皆さん、入学おめでとう。
(中略)
貧血で倒れた者5名、我慢しきれずトイレに駆け込んだ者2名。計7名の脱落者を出し、校長先生の訓示が終わった。
「では次に、副校長先生からの訓示です」
(中略)
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「起立」
教室に女子の声が響く。聞いたことがある声、と思ったら同じ新明中だった池田だ。
礼、そして着席。
「これから1年間、君たちの担任となる細川だ。担当は日本史、専門は明治時代初期だ。ま、よろしくひとつ」
初老の社会科教師――のはずなのに、筋肉質で大柄な先生が言う。
身体は迫力あるが目は優しく、穏やかな先生っぽい。ラッキーである。
「今日は、この学校の事を説明しておこう」
ここ市立九曜総合高校は、1学年8クラス。生徒総数約1,000人のマンモス校である。
"自由と自治"を校風としており、制服もなく校則も少ない。
全学年とも単位制であり、生徒によっては1年生の内から2年、3年の授業を受けることも可能。
特に理数系に力を入れており、その一環として県内では唯一、学術情報ネットワークに接続している。
その他もろもろの情報を手短に説明する細川先生。
「詳細が必要なら、サイトで検索してくれ」
先生の話は、すべからくこうであって欲しい。
「では最後に」
と細川先生は言う。
「出席番号順に軽く自己紹介でもやっておこうか」
えー。
ぶーぶー。
そんなこっ恥ずかしいこと、したくねー。
一瞬、そんなざわめきが起きるが、すぐ静まる。
出席番号1番の池田が立ち上がっていたからだ。
あー池田なら、そーするよなー。
外見はいかにも優等生の委員長タイプ。その実、腹は結構黒い。
中学時代から、いや小学校も幼稚園も一緒だった僕は、彼女のことを良く知っている。
皆を上手く誘導して、常に自分の思い通りに事を運ぶ。そんな女だ。
おそらく、さっさとホームルームを終わらせ、学内を見て回るつもりだ。
出席番号は氏名の"あいうえお"順に振られており、すぐに僕の番が来る。
立ち上がるとクラス中の視線が突き刺さり、鼓動が激しくなる。
あー、新明中から来た宿痾九郎です。
趣味は読書です。
短いが、自己紹介はコレだけである。
僕は目立たず、平穏無事な高校生活を送るのだ。
なのに着席しようとしたところ、斜め前に座っていた男子がボソッと呟いた。
「特技は狙撃です」
なななぜ、僕の秘密の趣味をッ!
狼狽えてその男子を見る。あッ!お前ッ!
「先週末、サバゲ大会の3回戦でウチのチームの過半数は奴に殺られました」
確かに殺った。スコープに映ったその顔目掛けて引金を引いた。
だからってそれ、今バラすか?
「得意科目は数学です」
聞き覚えのある声がした。新明中で同じクラスだった吉田だ。
「数学オリンピックで、県の本戦に挑みました」
それは言うな。言ってくれるな!
僕にとって黒歴史なんだから!
本戦で惨敗したんだから!
その後、僕を知ってる奴らから様々な黒歴史をバラされ、一躍クラスの有名人に躍り出てしまった。
僕が頭を抱えてる内に自己紹介は進み、ホームルームは終了した。
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「ではこれから16時まで自由時間。新入部員勧誘を楽しむように。以上」
起立。
礼。
着席。
生徒の大多数がクラスを出て散って行った。池田は真っ先に行った。
僕の趣味をバラしやがった奴――内山という名だった――も、陽気に手を振って去って行った。
あー。
僕の平穏な高校生活が、初日からリスク含みである。
この高校の偏差値は中の上。
そのためか不良やガリ勉は少なく、結果、"自由と自治"な校風になってる。
これで、のんびり目立たず平穏無事な高校生活を過ごせる。そう思ってた矢先に有名人である。
「高校の最初の自己紹介が肝心だ」
父は言う。
「そこで突飛なことを言い出すヤツに、近寄ってはならん」
父が高校入学時、突飛なことを言い出したクラスメイトが居たらしい。
誰あろう母である。
その忠告を胸に臨んだにもかかわらず、自分の自己紹介が突飛になった。そして動転のあまり、その後の自己紹介がまるで耳に入らなかった。
幸いにしてデンが同じクラスだ。彼に、突飛なヤツが居なかったか聞いておこう。
立ち上がろうとした僕の肩が、後ろから捕まれる。
拳ダコに覆われた手は筋肉質の腕に繋がり、見上げるような位置にある肩の上には、短く刈られた金髪があった。
ここには、不良やガリ勉が少ない。
だが、居ないとは限らない。
僕はテンパった。
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"Anata buturini kyoumi aru?"
あああ、アイキャンノットスピークイングリッシュ!
幸か不幸か、僕の肩を掴んだのは不良じゃなさそうだ。
顔の彫りは深く、眼は碧い。金髪は地毛、つまりガイジンさんである。
そして僕の英語の成績は抜群である。下の方に。
狼狽えて助けを求める僕の眼に、救世主が映った。こちらに歩いてくるデンである。彼は英語が超得意。彼に任せれば問題ナシ!
「おいクロ」
ハイなんでしょう!デン様。
「彼女が話してるのは、日本語だ」
へ?
「アタシ、英語は話せないよ?」
そいつは、いかにも外国人という見た目にもかかわらず、流暢な日本語で話していた。そして、ようやく僕の脳にデンの言葉が届いた。
"彼女"が話している
よく見れば、髪は短く背は高いが、女性であることを胸部が主張していた。それも今まで見たことがない程の主張っぷりだ。
「辺理伝須朗だ。こいつとは中学時代からの付き合い」
デンが彼女と握手する。
「アタシはジョディ・ガイル。よろしくね」
身長170cm超えのデンより更に高い位置から、声が届く。
あー
宿痾九郎です。よろしく。
「ところで貴方たち」
ジョディが微笑み。
「物理に興味あったりしない?」
突飛なことを言い出した。