2.
「何をしてるんですか?」
今、私の目の前でフィルナードさんが片膝をついていた。時間を遡れば、今朝から彼フィルナードさんの様子はおかしかった。いや、確か朝は普通だったと今までの数時間をぼんやり思い出す。
「スズハラ様、フィルナード様がいらしております」
「はい。今、行きます」
私は、身の回りのお世話をしてくれている女の人ミルさんに言われて最後の作業を行う為にシャーペンを置き椅子から立ち上がった。
「スズハラ様おはようございます」
「おはようございます」
フィルナードさんは、早朝にも関わらずキッチリとした制服姿に何が起ころうともくずれる事がないんじゃないかと思ってしまうような穏やかな笑みをうかべ挨拶をしてくれた。
護衛の騎士さん達の中で会う確率が一番少ないのがフィルナードさんだ。
他の騎士さんと違い一番口数が少なく、でも気まずい雰囲気もない私の中ではイチオシな人物だ。勿論、他の騎士さん達やお世話をしてくれる人達は、皆普通に良い人ばかり。
自分が一番態度や性格が悪いと思うくらいなんだよね。
決まった場所しか行かない私は、その繋ぐ作業をする場所に行く為、城内の一番隅にひっそりある転移場所に騎士さんと向かう。
部屋の中央には床に円が描かれ、その中に複雑な文字が刻まれている。あとは何もない。薄暗くて本当は苦手だけど、無言で中央の円の中に入る。
「失礼致します」
フィルナードさんはそう言うと私のすぐ近くに立った。私はいつものように目を閉じる。閉じてもわかる青白い光が直ぐに発生し、その瞬間足元が無くなる。
ポスン。
また駄目だった。
「…ありがとうございます」
「いえ」
フィルナードさんが、よろめく私を支えてくれた。毎回この転移をした時、うまく立っていられない私は、よろめく。
人の、しかもイケメン騎士さん達の胸辺りに触れてしまうので、私の顔はいつも赤い。でも、騎士さんは背後にいるので気づかれていないだろうから、セーフだと自分に言い聞かせているし、姫抱っこなんて絶対嫌で、これがベストな気がする。
これで言うのは二回目だけど皆良い人だ。美男美女で髪や瞳の色が真っ赤や真っ青が変わっているけど地毛らしい。
そして初日からそんな派手な人達の中で戸惑うなかフィルナードさんは、茶色の髪に茶色の瞳で少し親近感がわき、ほっとしたのを覚えてる。
お城から転移した場所は、神域と呼ばれる森の中の澄んだ小さな湖の中で儀式を行う。
私は、長い足首まであるスカートを膝まで上げて結びザバザバと水の中に足をいれ進む。
といっても湖は浅いので膝下くらいまでしか浸からなくて大丈夫。
その湖の中央には人が三人立てるかどうかの小島と呼ぶには小さい場所で1人作業をするのだ。そこには銀色の私の身長155センチくらいの長さの杖が二本肩幅くらいの間隔をあけて地面に刺さっている。
他の人には白く淡く光る霧の様なものが、この杖の間から発生しているように見えるらしい。でも、私には2本の杖には光る白い糸が絡まり、それは網目のようになっていて空へとのびている。
まるで筒になっているから編物をした時のセーターの袖の部分のようだ。
繋ぐ儀式の方法は、神官長さんが言ったとおり簡単だ。私は、杖に触れ目を瞑り呟くだけ。
繋げ繋げ
遥か遠くまで
国をまたぎ世界をまたぎ
遠き我らの友のもとへ
我は繋ぐ者
異界の者
正しき道を紡ぐ
フワン
シュルシュル
柔らかい光の後に不思議な音がしばらく続き、それがやむと私は閉じていた目を開ける。なんとなく糸の光が増し、太くきれいな網目になっている。
これで私のやることは終わりだ。
この作業を私は早朝に行うことにし、後は自分の時間。1時間立ちっぱなしとは思えないほどすぐに終わるし、もちろん疲れもない。私はマイナスイオンを浴びたと思い気分よく一日のスタートをきれる。
また水の中に足をいれ戻れば真っ白な大判のタオルを持ち待っているフィルナードさん。いつもなら、女性は足をださないからと皆、岩場の上にタオルを置いて、私が拭いている間は背を向けている。もちろん騎士さん全員そうなんだけど。
何故か今日のフィルナードさんは違った。
「お拭きします」
「えっ」
抵抗する間もなく足を拭かれた。手つきはいやらしさゼロ。丁寧に拭かれ、肩を支えにと言われて恐る恐る手を置けば片膝をついたフィルナードさんが靴を履かせてくれた。見上げた彼の瞳とばっちり合う。
いつもと全く違う笑み。色気というか、見えない何か違うものがでている。
どうしたんだろう?
明日帰るからサービスみたいな感じかな。耐えられず自分から視線を外した。
あ~絶対私の顔赤くなってるだろうな。
帰り道、お決まりになっている外廊下を通る。
今日はいいお天気だとわかる明るい日差しと綺麗な鳥の鳴き声に私はリラックスしていた。
そんな時、フィルナードさんから声をかけられた。
帰るのですかと。
もちろん帰ると答えたらこの状況だ。さっきと同じで視線が逆。彼が私を見上げ右手をとられた。
「私が嫌いですか?」
「…何を」
「好きか嫌いか、どちらでしょうか?」
その聞き方究極だよ。
好きって言えたら、どんなにいいか。
最初から、彼の腕の中で見上げた時に見たやさしい表情。
話かけられる事は少なかったけれど、やっぱり不安に陥り寝不足になっていた時、森で採れたと言い甘い果物をくれたり。
この今歩いている外廊下も彼が帰り道に少し遠回りですけどと通ってくれた場所だった。
「っ」
「嫌ですか?」
そんな回想をしていたら、とられていた手に指を絡められた。するりと指で撫でられながら。
「まっ」
思わず手をひこうとしたけど、掴まれた手は動かない。今度は手の甲だけでなく手のひらにもキスされた。キスをしながらも視線は私の目を見たまま一言。
「向日葵」
駄目だ。
フィルナードさんがぼやけていく。
「…嫌じゃない。でも、これが好きなのか分からないし、私は他の今まで喚ばれた人達のように、この世界で暮らす覚悟はない」
中学生の時に付き合った男子はいたけど、すぐに駄目になった。
手を繋ぐくらいの幼稚園児かくらいのレベルだ。気になるけど、家族と別れてこの世界、この国で一生を過ごす勇気はない。
「あっ」
「それで充分です」
涙を指で拭かれ、抱き締められ、今は我慢しますと頬にキスされた。
「ありがとうございました」
神官長さんのお礼の言葉と同時に私は浮遊感に襲われ目を瞑った。
キイー
目を開けば私はブランコに乗っていた。
空は夕闇。少しは気温が下がったけど、夏独特の草や土の匂い。
…夢?
ふと手首を見れば銀色の細いバングル。繊細な蔦の彫りと小さな透明の茶色の石が一粒。あの強い視線の瞳を思い出す。
──夢じゃないかも。
私は、親に推薦をやめると言う為にブランコから飛び降り、早歩きで家に向かった
春。
季節はあっという間に移った。
今日は入学式。
門の脇に記されている名は一番行きたかった大学。今年は桜の開花が早くどこも散ってしまっているなか、この大学の桜の花びらは八重で色も濃く種類が違うのか今が満開だ。
「場所はこちらです」
声をかけられ、そんなのわかってるしと思ったけど。
──この声。
振り向けば、もう会うはずはないと思っていた顔が。
「入学おめでとう。腕、つけてるという事は、わかってるよね? 」
腕輪?だってあの出来事が夢じゃない唯一の証拠だし。
「向日葵」
見た目の童顔さとは違い低い声が私の名前を呼ぶ。
「逃がさないよ。あと、こっちでは名前がフィルだから、フィルって呼んで」
沢山の文句と疑問を言おうと口をひらきかけていた私は、強く抱きしめられ耳元でフィルナードさん、フィルに、夢じゃないよ、好きだよと囁かれ撃沈した。
そういえば彼だけだった。
"鈴原様、向日葵"
初日からフィルただ一人だけが私の名前を正確に呼んだ。
敵わない。
なんか戦ってるわけじゃないけどそう思った。
風にふかれ花びらがひらひらと優しく降ってきた。