正体
走った。
あの犬を追ってひたすらに。
町の外の林の近くまで来た。
もう日も暮れてきたのか暗くなっている。
林の入り口に犬はいた。
まるで俺が追ってくることがわかっていたかのようにこちらを見つめている。
先ほどまでの怒りに満ちた気配はない。
そのせいか、犬に近づくのに恐怖心はなかった。
「あの時の犬なのか?」
犬が話せるかはわからない。
それでも俺は犬に話しかけていた。
「あの時俺が助けられなかった犬なのか?」
俺の問いに犬は答えない。
ただ俺を見つめている。
次の瞬間犬の姿が変化し始める。
どんどんと小さくなり人の形を成していく。
「え?」
そこには何度か出会ったことのある女が 月の光に照らされて一糸纏わぬ姿で立っていた。
前に会ったときはフードで隠されていた美しい黒髪と薄く赤い瞳が晒されている。
髪には白いラインが入っており見たことのある特徴だ。
頭には獣人の特徴である耳がある。
「あなたは関わるなと言ったのに」
女は口を開くとそう呟いた。
「黒い犬はお前だったのか?」
頭の整理が追いつかないが、現状を理解するため女に問いかける。
「ああ、私だ」
女が俺に近づいてくる。
「悪いが、あんたの服を貸してくれないか」
女は裸なのだ。
「あんたが見たいって言うならかまわないが」
真顔でそう言う女に着ていた服を脱ぎ渡す。
女はその服に袖を通すと、くんくんと匂いを嗅ぐ。
「はは、あんたの匂いがするよ」
その姿は嫌そうではなく、どこか嬉しそうだった。
「あんまり嗅ぐなよ」
「いいじゃないか」
やめようとしない女に呆れそうになっていると、手の怪我が目に入る。
「おい、手の怪我は大丈夫なのか」
「ああ、猿どもを追っ払うときに咬まれただけさ」
農場のおじさんが言っていたことを思いだす。
それよりも今は聞かなければいけないことがあった。
「なんでお前は教会にいたんだ?」
女は観念したように口を開いた。
「教会にはちょくちょく行ってたさ」
「ん?」
おかしな答えが返ってきた。
どういうことか聞こうとする前に女が言葉を続ける。
「夜にさ、覗いてたんだよ」
「覗いてた?」
女は少しおかしそうに笑う。
「あなた、初めは警戒してたのにすぐに気付かなくなったな」
女の言葉にすぐに何のことか思い出す。
「夜の視線はお前だったのか」
「ああ」
女は頷く。
女が覗いてた理由がぼんやりではあるがわかった。
思い返せば、元の世界で犬と一番初めに出会ったとき咥えていた餌はなんだったのか。
「子供達を見ていたのか?」
「ああ」
間違いないだろう。
あの餌は自分が食べる物ではなかったのだ。
「子供達はお前の子供か?」
「ああ」
やはりそうだった。
あの犬には子供がいたのだ。
「迎えに来なかったのはあの男達と関係しているのか」
「ああ」
そう言うと女は事情を話始めた。
自分が死ぬとこの世界に連れてこられ、子供も少し遅れて連れてこられた。
子供達を見つけあの廃村を寝床にして暮らしていた時、自分が狩りに行っている間に廃村にあの男達がやってきて子供達を連れ去ろうとした。
それを見て怒りに我を忘れると体が姿を変え、炎を吐き出し村が燃えてしまった。
子供達の所に行こうとすると俺に連れられる子供達を見つけたので、子供達を襲った男達を先に追うことにした。
男達がまだ子供をさらうことを諦めていないことが分かり警戒していた。
獣への変身は問題なく出来るのだが、怒りや憎しみといった強い感情に支配されると変身が抑えられなくなる。
わからなかった事を補ってくれるかのように教えてくれた。
教えてくれたのだが子供に会わない理由になっていないように感じる。
色々と説明をしてくれていた女が急に話題を変えてきた。
「子供達の名前を教えてくれないか」
見ていたのだから知っているのではないかと思ったが名前まではわからなかったらしい。
「お姉ちゃんがハナ、妹がレンだ」
「ハナにレン……」
子供の名前を聞いた女は慈しむように、聞いた名を何度も復唱している。
胸に手を当て、まるで心に刻み付けているかのようだ。
「お前が親なら名前はあったんじゃないのか?」
俺の言葉に女は首を振る。
「考えてはいたが決められなかったんだ」
「俺が付けてよかったのか?」
女が頷く。
「あんたが付けてくれた名前がいい」
そう言った後女は自身を顔を指差す。
「考えてくれたか?」
「何だ突然」
女が少しムッとした表情になる。
「私の名前を考えておけと言っただろ」
女と再会した時の事を思い出す。
たしかにそんな事を言われた気がする。
「たしか、教えられないとは言われたが、前の世界の名前はあるんじゃないのか?」
大人の犬なら名前くらいあるのではと思った。
「私は捨てられたんだ。その時に名前も捨てたよ。いや、あんなの名前でもない」
女の瞳に強い憎しみが見える。
何故捨てられたのかは聞けなかった。
名前を捨てるほどの状況だ。
その過去が幸せだったとはとても思えなかった。
しかし、急に名前を考えろと言われても思い浮かばない。
レンとハナの親の名前までまさか自分が付ける事になるとは思ってもみなかった。
ふと頭に浮かんだ名前があった。
あまりに安直な名前だ。
でもぴったりかもしれない。
「レンゲ」
「ん?」
女が何を言われたかわからないと言った顔をする。
「お前の名前だよ。レンとハナの名前を合わせただけなんだがな」
レンが蓮から思い浮かんでるから名前の由来は同じになってしまうが、蓮の華と書いてレンゲだ。
これならレンゲの名前を2つに分けて子供達に付けたという事にもできる。
「レンゲ……。私の名前」
目を閉じ子供の名前を聞いた時のように胸に手を当てている。
「気に入らなかったか?」
やはり安直過ぎただろうか。
「いや、気に入った。私はレンゲだ」
嬉しそうに笑っている。
雰囲気はハナに似ているが無邪気に笑う姿はレンとそっくりだ。
レンゲが子供達の親なんだなと思わされる。
「よろしくレンゲ。俺はセイゾーだ。以前は名前を聞いておいて自分が名乗ってなかったな」
レンゲに手を差し出す。
「ああ、よろしく」
俺の差し出した手をレンゲは強く握ってくれた。
「なんで子供達に会わないんだ?」
男達を警戒していた事はわかったが、子供のそばにいる方が安全なはずだ。
レンゲが顔をふせる。
「怖いんだ……、子供達にあの姿が見られるのが」
俯いたままレンゲがそう言った。
突然自分の親が大きな獣に変わって行く姿を見た子供はどう思うだろう。
怖がることは簡単に想像できる。
だからレンゲは男達がいなくなるまで子供に会わなかったのかもしれない。
「子供達はそんな事でレンゲを嫌ったりはしない」
「本当か?」
一緒に過ごした時間は短いかもしれないが、子供達がそんな事で母親を嫌うとは思えない。
怖がるかもしれないが、嫌うことはないだろう。
「母親の悪口を言おうものなら、すごく怒るほどに母親が好きみたいだぞ」
「そうか……」
その言葉が嬉しかったのか顔をほころばせる。
しかし、すぐに顔が曇る。
「それにな、私はセイゾー以外の人間が怖いんだ」
言われて気付く。
レンゲは人間に捨てられたのだ。
捨てられた理由はわからないが、人間を信じられなくなるだけでなく、恐怖を抱くほどにレンゲの心は傷付けられたのだろう。
姿を隠していたのは自分を隠すた為だけではなかったのだ。
恐れている人間から少しでも自分を守るために隠していたのだ。
子供のためとはいえ町にまで入り男達を監視するのはかなりの負担だったと容易に想像できた。
「教会なら大丈夫だ。マリアはレンゲを傷付けたりしない。信用もできる人だ」
レンゲはそれでもいい顔をしない。
「マリアも子供達を守ってくれた。だから信用してくれ。子供達にはレンゲが必要なんだ」
子供達を引き合いに出すのは卑怯だと思った。
それでも、子供達にレンゲが必要なのは嘘ではない。
「セイゾーが私を守ってくれるなら」
レンゲの方が俺なんかよりも強いとは思ったが、守るとは物理的な話ではないのだろう。
「俺が守るよ。レンゲも子供達も」
「……わかった」
そう言ってくれたレンゲの勇気に感謝した。
気持ちが変わってしまう前にレンゲを連れて教会へと向かう。
教会へと歩みを進めているとレンゲが口を開く。
「あのさ、夜に覗いてたのは子供とセイゾーを見るためだったんだ」
俺も?
「結果はどうあれ私を救おうとしてくれた男だしな」
「救えなくてすまない」
レンゲの言葉に申し訳ない気持ちになる。
「いや、いいよ。セイゾーは守ってくれたんだ」
「いや俺は……」
否定しようとする前にレンゲが割り込む。
「守ってくれたんだよ。私も、そして子供も」
薄く赤い瞳こちらをまっすぐに見つめてくる。
「私を守ったあなただから、あの子達を任せられた」
俺の手を握ってくる。
「ありがとう」
なんだか恥ずかしくなる。
子供達といたのは感謝されるためではない。
俺が一緒にいたかったからだ。
それでもこうもまっすぐにお礼を言われると照れてしまう。
「どういたしまして」
そう返すのが精一杯だった。




