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忘却のクロノス・フロスト  作者: 終乃スェーシャ(N号)
一章:銀の花・銀世界
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ヨグ=ソトホースの寵愛

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 ……いつものように目を覚ました。最初にここに来てからおそらく200回以上は自然な睡眠をしたんじゃなかろうか。窓も時計もなく時刻は分からないが、この世界に来てから何も変わらない部屋だった。久しぶりにレーヴェに起こされるなく自ら起きたが、やることといえば彼女が寄越したモンスター図鑑や地史の本を読むかウィルソンと話すくらいだ。


 黒の一番はベッドから身を起こすと、部屋の隅で転がっていた彼に視線を向けた。


「……ウィルソン、起きてるか?」


(ああ、起きてるぜ親友。どうした? ついに脱出でもしてみる決意をしたか? ヘヘ、俺を置いていくなよ。お前にはまだ俺が必要だ)


 ウィルソンがニヤリと笑った気がした。そんなはずはないと分かっているのに。


 黒の一番は深いため息を付きながら、暗く静まり返った鉄格子の向こう側をぼんやりと見詰めた。……確かにこんな場所から出て行ってしまいたい思いはあったが、出て行ってどうする?


「ウィルソン……俺は――――」


(出て行ったとしても何のために生きればいいか分からないって?)


 彼の言葉は毎回、心を抉り取ってくるようだった。そうだ、と黒の一番は肯定の意を示すと、付け加えるように口を開いた。


「国立大学を理系で受かるのが俺にとって人生目標だったんだ。そのあとは安定した仕事について、いつかは結婚して…………そのまま安泰の人生を送るのが、」


(それはお前が作った目標か? 違うね。偽りだ。偽物だ! お前は最初から何のために生きてるのかなんて分からなかったじゃないか。まぁ最初から分かる奴なんていねえさ。分かる奴といえば鉛筆とかシャーペンぐらいだ。あいつらは書くため生まれるだろ。最初から目標がある。けどないだろ? お前にはさ。だからそれを探すためにここを出るべきだ。お前のレールはお前が造れ。そんで、また大切なものを見つけるべきだ。そうしなければならない。お前は、そういう運命なんだ)


 黒の一番は怒りを抑え込むように握り拳を作った。淀んだ黒い瞳でそんな手を睨み、苛立ちから力任せに自分の頭を殴った。


 人並みを外れてしまった力が脳を揺らした。確実なダメージはあったはずだが刹那歪んだ視界もすぐに元通りになって、ふと我に還って自身の行動を自責した。


 ――――分かっている。もう前の世界に思いをふけても仕方ないと。綿の塊なんかと会話してはいけないと、頭を殴ってはいけないと。それでもこの心身は歯止めが効かない。そのことがどうしようもなくむしゃくしゃして堪らなかった。


「ああ畜生! どうしろって言うんだよ!! ださい立方体のくせにペチャクチャ喋りやがってよ! 分かってるさ! でもどうしろってんだ! どうしようもないじゃないか! 俺は何のために生きてるんだ!? 俺はなにもできない! 何度やったって!! どうすれば……どうすれば…………!!」


 鬱憤をさらけ出すように声を荒らげた。空気を震撼させて力任せにウィルソンを蹴り飛ばそうとし、しかし寸でのところで血の気が引いて、その足をピタリと止めた。


(よく分かってるじゃねえか。お前に蹴られたら俺は死んじまう)


「……俺なんて生まれなければ良かったんだ」


 黒の一番は嘆くように言った。そのときだった。


「ソウカ。ナラ汝ヲ殺シテヤロウカ。オ前程度、我ハタヤスク屠レヨウ」


 背筋が凍るようだった。突然、ウィルソンしかいないはずのその部屋の真ん中から聞き取りづらい声が響いたかと思うとヨグ=ソトホースがそこにいた。七色の髪が神々しいほど美しく揺れ動き、その色彩を映し出すかのように白いワンピースは揺れていた。決まった色彩の無い瞳が紫から黒、金へと不規則的に輝いている。さも当然のように裸足で、加えて宙に浮かんでいた。


 彼女はその華奢な手をゆっくりとこちらに伸ばすと、蟲惑的な笑みを浮かべた。黒の一番は瞬間的に部屋の隅まで後退した。その移動の衝撃でベッドが爆発音にも近しい音を鳴らして真っ二つに壊れる。けれどそんなことを気にする様子もなく、彼は冷や汗を垂らしながら尋ねた。


「いつのまにいたんだ。ヨグ=ソトホース」


「ヨグチャン……ソウ呼ブガイイ。我ハ一ニシテ全デアリ、全ニシテ一ナル者。時間ト空間ソノモノ。ダカライツデモ、ドコニデモ我ハ存在シテイル」


「……ヨグ。いきなり出てきたら驚くだろ。ベッド壊しちまったじゃねえか」


(ヨグちゃんって呼ばないのか? 俺は呼ぶぜ。ヨグちゃんヨグちゃん。ははははは! この邪神め。畜生が)


 ウィルソンが他人事のようにからかい嘲るなか、ヨグ=ソトホースはこちらを見透かすように笑いながら囁いた。


「死ニタイカ? コノ地獄ノヨウナ世界ニ、生マレナケレバ良カッタト、ソウ考エルカ? ナラバコウヤッテ――――我ハ汝ノ御魂ヲ絶ツコトモデキヨウ」


 さも当然のように少女の指が喉を撫でたかと思うと、その小さな手は皮膚をすり抜け喉奥の人体ではない何かを鷲掴みにした。魂そのものが掴まれ、押し潰されるような、息もままならない異常な状態に黒の一番は絶句し、身悶える。


「――――っ離せ! ……なんだこれ、離れな…………!!」


 ヨグ=ソトホースの手を掴み返し、引き剥がそうとするも彼女は微動だにしなかった。段々心臓の鼓動が高まり、迫り来る生命の危機に焦燥感を覚えて躊躇っていた蹴りを少女の腹部に叩き込む。けれどもその一撃は時空がたま虫色に輝き歪み、超常的な力によってねじ伏せられて、もはや打つ手はなかった。


 急激に視界が霞んでいき、意識が朦朧としていく。瞬く間にして死へと足を踏み入れていく感覚が理解できた。ああ、死ぬのかと達観すると同時、以後何かを考えることや見ることさえ叶わないと思うと、途方も無いくらい恐ろしく嗚咽をして、涙を流しながら必死になって抵抗し続けた。


「……フン、死ニタイナドト嘘デハナイカ」


 不意に、ヨグ=ソトホースはそう呟くと、物理的法則を無視して首のなかに突き入れていた手を抜き取った。気道が、握り潰されそうになっていた魂のような何かが束縛から解放され、黒の一番はうな垂れて膝をつくと酷く咳き込んだ。


「がほっ……! ごほっ…………!! ヨグ、何がしたい。そんなに俺をからかって楽しいか?」


「カラカッテイル? 馬鹿モ大概ニスルトイイ。人間イツカハ死ンデシマウノダカラ、早ク死ヲ望ムコトガイカニ愚カデアルカト諭シテイルノダ。ソレニダナ、生キルノニ意味ナド必要アルカ? シタイコトガナイナラ自分探シノ旅デモシテシマエ」


「馬鹿だな。自分探しの旅なんて言うやつは大抵ろくでなしだ。俺はああいうのが一番嫌いなんだ」


 黒の一番は自嘲するように言った。しかしウィルソンの方はいつもの彼らしくなく、酷く真剣そうにヨグ=ソトホースの言葉を聞いていた。その姿を見てしまうと、どうしてか彼女から意識を離すことができなくなっていた。


「ドウセ汝ガイナクナッタトコロデ悲シム者ハイナイ。ダレモ覚エテナドイナイ。イヤ、イタトシテモ貴様ノ記憶ニハナイノダカラ平気ダロウ。汝ガコノ世界デ何ヲシヨウト、元ノ世界デハ行方不明ニ変ワリナイ。ナラバイッソ、汝ヲ妨ゲル宿命ヤ障害ナド排シテシマエ。外ハ科学モ魔法モ未成熟。衣食住サエ厳シイカモシレナイ。ダガソレガ本当ニ地獄デアルカ、汝自ラ確カメテクルトイイ。ソシテ――――」


 少女はそこで言い留まった。黒の一番は火による虫のように彼女に惹かれ、一歩、また一歩と距離を近づける。ヨグ=ソトホースはそんな様子を見て、悪魔のような微笑を浮かべながら文字通り双眸を輝かせた。


「ドウカ我ニ見セテクレ。汝ガ運命ヲ超エルマデコノ時空ハ続ク。ダカラ、ドウカ超エテミセルガイイ」


 彼女がなにをどう考えてこんな提案をしたかは分からなかった。ただまた何か変化を与えるキッカケをくれたような気がして、一筋の光が当たった気分だった。


(おーい! 俺も連れて行ってくれよな)


「…………ウィルソンも連れて行っていいか?」


 ウィルソンが呑気そうに要求して、黒の一番は様子を探るようにヨグ=ソトホースに尋ねた。彼女はジッとウィルソンを見詰めた後、コクリと頷きを返した。


「オ前モ……変ワラナイナ。何度モ同ジ過チヲ繰リ返シナガラ、ソウヤッテ少シズツ頑強ナ精神ヲ築イテイク。モウシバラクハ生贄ヲ貰エルト思ッタガ、ソロソロカ……?」


(おう。仕方ねえだろ糞女)


「ソウカ」


 ウィルソンと少女は当然のように言葉を交わした。その光景は脳の中をまさぐられるような不快感と共にあった。黒の一番は堪らず顔を青ざめさせる。


「二人共何を言ってるんだ? 意味が分からない」


(いずれわかるさ。さぁ相棒、彼女の手を取るんだ。未知への一歩は恐ろしいだろう。けど気になりはしねえか? レーヴェに貰った書物だけじゃ分からねえだろ。この世界がどうなってるかもよぉ。だから手を取れ。お前とこの世界の相性はグンバツだぜ。ははは!)


 黒の一番は眼前に映る少女を見詰めた。彼女は七色に煌く長い髪を風もないのに靡かせながら、どこからともなく一本の花を渡した。それは銀の花弁をもった蕾だった。萎れかかっているようだったが、受け取ると茎から底知れぬ力を感じた。


「咲キマスヨウニ……咲キマスヨウニ」


 それから彼女は初めて会ったときと同様の、何か呪文にも近しい言葉を二度唱えた。直後、周囲の空間が淡い玉虫色の輝きを見せながら歪んだ。段々と視界に映るなにもかもが薄らいでいき、轟々と音が響いていく。肌が苛まれるような外気の感覚がした。


「……ここは?」


 黒の一番は曖昧な五感で周囲を把握した。 ――――長い地獄を抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。見渡す限り永延と銀世界と、夜闇に染まった針葉樹林が広がっていた。


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