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忘却のクロノス・フロスト  作者: 終乃スェーシャ(N号)
二章:凍らない水・溶けない氷
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手の熱

「ク、クロノ…………? 様子が、変だよ?」


 ラーナは違和感をなんとか押し殺すことができたのか、まだ顔色は悪いものの比較的冷静さを取り戻そうとしていた。青の双眸が不安に堪えない目つきでこちらを見ていていた。しかしクロノは違った。巡り巡る記憶と疑問に錯乱して、血走った双眸で虚空を睨みそこに存在しないものに慄き、慌てて後退した。ガタンと、僅かに音を響かせて背を床に着けた。


 ――まもなくして、外気に触れている皮膚が焼け付くような感覚がした。決して気のせいなどではない。心の動揺を体現しバチバチと紫電が走った。それは一瞬にして雪をも溶かす蒼炎を巻き上がらせたときと同じ感覚だった。この世界を形成する魔素が、反応している。


「クロノ? クロノ……駄目!! 落ち着いて! そうじゃないとまた魔族化しちゃう!」


 ――また。……またか。それは一体誰のことだ。いや、記憶はある。確かにそういう記憶はあるのだ。レーヴェから忠告されたこともあった。だが、それは自分の思い出であって自分のものではない。


「クロノ! お願い、痛いよ……っ!!」


 ラーナが肩を揺らしながら懸命に声を掛けてくれていた。だが非科学的作用は収まることを知らず、少女の手から腕にかけて稲妻が走った。弾けるような音を立てて、防寒具の一部が焼き焦げた。それでも彼女は苦痛に顔を歪めながら、その手を離そうとはしなかった。


「俺は……俺は!! 誰なんだ!!」


 心臓が激しく波打ち、気付けば張り裂けんばかりに声を上げていた。声が凍てつく外気に響くと、焦燥感を見透かすように魔素が反応を強め、突風が周囲に渦巻き、荒れ狂った。椅子や食卓がなす術なく吹き飛び、はたまた倒れ壁に打ち付けられて壊れていく。


 だがラーナは離れようとはしなかった。肩を揺らすのを止めより密接に、ぎゅっとしがみつくように腕を伸ばし回して、駄々っ子のように嫌だ嫌だと声を上げるのだ。少女の外見から考えられないほどの力強さが全身に伝わっていく。


「お願い……戻って、それ以上いったら駄目!」


 ラーナの大きな瞳は涙に濡れて、その頬は凍っていた。吹き荒れる突風に飛ばされないように脚を突っ張り、必死の表情で堪え続けていた。……怯えている。そう確かに感じることができたのはその華奢な手が震えながらもこちらの手を握ったからだった。それでようやくハッとして、自己の存在への狐疑よりも、彼女を傷つけたという途方も無い罪悪感と後悔が全神経を巡って、我に還ることができた。


 途端に風は止み、迸る紫電さえも一瞬にして消えていく。魔素のざわめきが収まると物音一つさえしなくなって、嵐が過ぎ去ったかのように一際静けさが目立った。が、しばらくの間ラーナは離れようとせず、体を寄せて顔をうずめ続けていた。白銀の髪はみっともないくらいに乱れて、耳や尻尾の毛は逆立ってしまっていた。


「……だ、大丈夫? クロノ……。戻った?」


 静寂が続いて、ラーナはゆっくりと腕の力を解いてこちらを見上げた。そしてジッと睨み様子を窺ったのち、優しく微笑んだ。


「よかった……戻った…………本当に良かった……!!」


「ラーナ……俺は、」


 とにかく謝ろうと思った。礼を言おうと思った。しかしそんな言葉を紡ぐ時間さえも、今この瞬間にはなかった。氷雪を踏み締める音、吐息……。本能が、スキル……魔素の働きによって研ぎ澄まされた聴覚がこちらに近づく者の気配を察知する。家の外、既に幾人かがこちらに気付き包囲していた。


 ……いくら夜で吹雪いていたとしても、辺りの物を粉砕するほどの風を巻き起こし、血の味がするほど声を張り上げて村の者が気付かないはずがなかったのだ。


「中にいる者!! 出て来い! 足跡はまだ消えてはおらんぞ。クロノとラーナだな。どちらが魔のことわりを崩した。そいつは殺さなければならない!」


 殺意を帯びた怒号が響いた。村長のものだった。クロノは険しい表情を浮べながら、咄嗟に臨戦態勢を取った。太腿の筋肉に熱と血液が集まっていく。一方でラーナは顔を青ざめさせながらも、外にいる彼らに向けて凜とした声を発した。


「待ってください村長! 入る権利がないのに入ってしまったのは謝ります! けれど魔族はいません! 魔の暴走はもう収まっています!! ですからどうかお許しを!」


「駄目だ! 家に立ち入るだけならまだしも、一度魔に心を委ねた者は災いをもたらす! いずれ魔族になる!! お前のその様子だとクロノとやらが魔を乱したな」


「でももう収まりました!! 今回だけは見逃してください!」


「駄目だ。その男は危険だ! 次に魔に身を窶したときにはこの村を蹂躙するぞ!!」


 二人の会話から魔素の暴走が原因で彼らが殺気立っていることは理解できた。いままで何度か感じたことのある感覚。……明確な敵意。


 一人で逃げてはラーナに何が及ぶか分からない。だが一緒に逃げてどこへ行く? しかし彼らを倒してもその後は? 無抵抗に捕まれば殺される。血を浴びた者は死ぬだろう。そうなれば化け物を招き入れた責任が彼女に下る。でなくとも、そもそも死にたくない。……ならどうすべきだ。


 クロノはいつでも動けるように身構えたまま、何も行動できずに硬直した。その間にも村長とラーナのやり取りは進んでいく。


「ラーナ、命令だ。辛いかもしれんがクロノの身柄をこちらに渡せ。さもなくばお前が引導を渡せ」


 村長の皺がれた声はまるで喉元に突きつけられた氷の刃のようだった。冷徹で、大切なものを守ろうとして誰よりも威圧的に、敵対的になっている。だがラーナは拒否した。ぶんぶんと首を横に振って、零れ落ちる涙を隠して、自らを鼓舞するように咆哮のごとき声を轟かせた。


「嫌! いやだ! 絶対にそんなことはさせない!! クロノは家族だもん! 私の両親は死んじゃった! でもクロノはまだ生きてるもん! もう誰も傷付くところなんて見たくない!!」


 冷え切った空気に熱をもった言葉が響いて、脳でこだました。少女の言葉が嬉しくて、迷惑を掛けている自分が情けなくて、泣きそうになった目を力んで必死に涙を堪えた。それと同時、ラーナが不意に手を掴んだ。小さな手だがこのときばかりは熱が篭っていて、頼もしかった。


「クロノ! 逃げるよ! そうしないといけないの!」


「でもどこに? ラーナはどうするんだ。俺を逃がす手伝いなんかしたら居場所が――――!!」


 次の刹那、ラーナは蹴りを放った。その一撃は華奢な見た目に反して破壊的で、いともたやすく家の壁を打ち砕いた。銃声にも近しいほどの音が轟き、壁の破片が飛散した。視界を白くそめるほどの猛吹雪のなか塵が舞って、吹き飛んだ壁の一部に頭を打ったのか外にいた数名が気絶していた。


「ごちゃごちゃうるさい! ばああああああああああああああああああああああかっ!! 逃げるって言ったら逃げるの!」


 ラーナは人懐こい顔を真っ赤にして叫んだ。強い意志に裏打ちされた声が張り詰めた空気をぶち壊した。依然としてこちらを取り囲む村人達全員がその声に怯むなか、そのまま手を引っ張って駆け出した。


 クロノはされるがままに彼女に引っ張られていたが、後方から怒号と共に追ってくる彼らの姿を見て、ラーナの手を握り返した。手の熱がより深く伝わって、全身から力が漲るようだった。


「ありがとう……! このまま走るぞ!」


 クロノがそう言うと、ラーナはゆっくりと目を見開いて大きく頷いた。氷雪を蹴り上げて、夜闇さえも白一色に染める凍土を走り続けた。息を荒らげながらも弾ませて、二人でただ一直線に進み続けた。


「ラーナ!! 分かっているのか! お前が今していることは悪だ!! 村の皆を危険に晒すことになるのだぞ!」


 背後から響く威圧的な声に耳を貸しながらも、少女は動じなかった。むしろそれをかき消すように走る足を速め、爆発するような声を胸腔の奥底から発し、正面を向いたまま怒鳴った。


「分かってるよ! 分かってる!! でもウラジミールさんにとって村の皆が大切なのと同じで、ううん、それ以上に私にとってクロノは大切なの! だから悪でいい! 魔に魅せられたと思うならそれでいい!! でも私は絶対この足を止めないから! この手を離したりなんかもしない!」


 ラーナの指先が震えていた。彼女はふとクロノを見て、恥ずかしそう微笑んだが、その凛とした双眸からは涙が流れていた。吹き荒む吹雪が白銀の髪を靡かせるなか、その涙をも凍らせて銀世界に投じていく。


 ――――零れ落ちる氷粒が雪に紛れながらも煌いていた。……その光景に見覚えがあった。一度や二度ではない。鋭い懐かしさを感じて、けれどもフラッシュバックする記憶は自分のものとは思えない。


 だが、……だからなんだというのだ。今目の前で起きている事は疑いようのない現実だ。ラーナは生まれてから過ごし続けた村よりも、たかだか数ヶ月一緒にいた自分を選んだのだ。泣きながら、選択したのだ。


 クロノはラーナのことをジッと見詰めた。蒼い瞳に釘付けにされていた。柔らかな手から伝わる熱に満たされていた。心臓が高鳴っていく。追い詰められているから? 異性に手を握られているから? いや、違う。


「ラーナ……おれは」


 村は既に吹雪に隠れ見えなくなっていた。銀世界に暗い影を落とした針葉樹林へと逃げ込んでいく刹那、クロノにはその闇に染まった森が、顔に当たる氷雪が酷く美しく見えた。体を震わせる極寒の冷気さえも透き通った清々しい空気にしか思えなかった。

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