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忘却のクロノス・フロスト  作者: 終乃スェーシャ(N号)
プロローグ:逸脱者・また繰り返す者
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 しばし呆然としていた。何が起きたか理解できず、途方に暮れていたと。そしてふと我に還って、一つのことを思い出すように推定した。おそらくは受験に落ちたのだ。そう実感したのはすぐ近くで落ちたと号泣する者を見たときでした。

 あまりにも周囲の日本語が聞き取り難く、彼が本当にそう言ったかも定かではないが、推測は可能だった。ただ、状況を理解するのに時間を要したのだ。


 霞掛かった記憶が正しければ、一度大学に落ちていたはずだ。いや、何かに合格したような記憶もあったが、今胸を蠢く黒々とした喪失感がそれを否定した。……これで二浪。見覚えのない番号だけがずらりと並んでいるのを何度も確認して、隣で狂喜する男の肩を通り過ぎる際に強くぶつけた。


 両親に大学を落ちたことを連絡したが、返信は帰って来なかった。よほど失望させたに違いない。きっと勘当されるだろう。そうするべきと社会が決めたレールを再び脱線した今、絶望せずにはいられなかった。何度繰り返したところで何も成し遂げられない。……心が限界に達して、嫌なことを全て脳の奥底へと封じ込めていく。


 昼時に落ちたのを確認して、彼は亡霊のごとき足取りで目的もなく歩き、また電車に乗り続けた。新宿から高尾山口まで各駅停車で向かい、けれども下りるわけではなくまた戻っていく。そんなことをして適当にどこかへ向かい続けていると気付けば夜になっていた。


 スマートフォンが揺れる。確かめてみると、


『お前はどこにいる。生きているのか』


 などと書かれていた。どうしてだろうかニホンゴの文章を見るのも久しい気がしたが文意は理解できる。……生存確認であった。自殺したと思われたのか、いや、いっそしてほしかったのだろうか。


『落ちたので、落ち着いたら家に戻ります。ごめんなさい』


 淡々とそんな返信を送った。その後もバイブレーションが連続するものだから、嫌になって電源を消した。ぼんやりと夜の喧騒で嫌になるくらい乱立し、光輝するビル群を抜けて、人通りの無い橋にいた。夜闇に染まる川。水の流れる音だけが聞こえた。この場所だけは明るくなかった。薄暗い公園へと続く大きな橋で、点々と遠感覚で並ぶ街灯のみが周囲を照らす。


 なんとも哀愁漂うところだった。まるでここだけ違う世界でさえあるような気がした。……橋の中央に少女が立っていた。現実世界を完全否定するような虹色の長い髪をしていた。染めたのだろうかとも思ったが、風が吹くと白い簡素なワンピースと共にその髪は揺れ、光の色彩のごとく煌めき、繊細に赤を橙へと、青を紫へと変えていた。瞳はより奇っ怪であった。深い紅であり鮮やかな緑でもあったのだ。


「……こんな夜遅くになにしてるんだ? 両親はどこにいる? そんな薄着で寒くないのか?」


 平凡を装った。本当はこの非現実的な少女と関わりを持ちたかった。嫌な現実から逃げたかったとも言えるし、途方も無いほどの運命的なものも感じた。


 少女はこちらに気付くと、大きく目を見開いた。驚愕と期待に満ちた表情を浮かべ、けれども次の瞬間には哀れみが向けられた。


「ミエルノデスカ? イヤ、トウゼンカ」


 下手くそな日本語だった。見えなければ声を掛けれないだろうと言い返すと、少女はこちらに歩み寄って顔を見上げた。


「アヤマチトイウモノハナンドクリカエシテモナオラナイモノダ。イショクジュウガアッテモ、ソレヨリマズシイヒトビトヨリ、アナタノココロハシバラレテ、シンデイル。ドウシテカワカルカ? ソレハオマエガタイセツナモノヲウシナッタカラダ。イキルモクヒョウ、タイセツナモノ、ジンセイ……ソノスベテヲ」


「……はい? なんて言ったんだ?」


 上手く聞き取れずにそう尋ねたが、少女は答えなかった。代わりに今この時代すらも否定するように花篭から大きな蕾のついた一輪の花を取り出した。雪のように白い花弁だった。けれども茎は若干うなだれていた。


「ハナヲカッテクレマセンカ?」


 花なんて正直いらなかったが、何かそういう余裕が欲しかった。


「いくらだ?」


「ジュウエンデス」


 淡々としたやり取りだった。少女が花を手渡す。手に取ると何だか頼りなくて、葛花のように思えた。


「……咲くのか?」


「サキマス」


 少女は断言した。刹那、心臓が震えた。世界が止まったような、景色が灰色に染まって、この花を中心になにか途方もないことが起きた気がした。


「今、一体……!? おい、この花」


 咄嗟に何かを尋ねようとした。だがそのときにはもう、少女の姿は無くなっていた。


「サキマスヨウニ……サキマスヨウニ」


 神に祈り願うかのような、酷くか弱い声だけが残っていた。しばし呆然としていたが、やがてふと現実に引き戻されて、萎んでしまいそうな花と共に帰路につこうと思ったのだった。

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