犬人騎士と意地悪侍女
はじめて彼の姿を目にした時、失礼にも、実家で飼っている犬を思い出してしまった。
茶色のコリーを彷彿とさせる凛々しい顔立ちは、うちの子の方が優しげ。だけども柔らかな毛並みと半ばで折れるように垂れた耳はそっくりそのままで、三角に白く色抜けしている鼻先もかわいらしく、黒いアーモンド形の瞳など、きゅ~んときてしまうほど。普段は見せてくれぬながら、時折コートの裾からゆれる尻尾を見るに、そのふさっとした毛並みもそっくり。
当然ながら、彼は本当の犬などではないから、知性が表情にも行動にも出て、うちの子とは比べ物にならない。わふわふと私の周りを駆け回るようなかわいらしさなど欠片もなく、ビシッと制服を着込んで立つ姿は、おばかなうちの子とかけ離れているのに……どうにもあの子を思い出させる。
その口は人の言葉を操るし、語る内容とて下っ端の私では及びつかない。その手は大きいながらも人のものと近しいし、私よりずっと器用に武器を扱う。二本足で立つその腰も足も曲がってはおらず、ただ走るでも数秒でおいていかれる。そして、人の数倍もの聴覚、人の数十倍もの嗅覚をもつ。
犬の優位点を保ったたまま、人に類似させたような、そんないいとこ取りした方に、本物の犬を比べて見るのはあまりにも失礼だとは分かっていながら……どうにも思い出されてしょうがない。
実家の犬はワウと言い、わふわふと鳴きながら、いつも私の側にいた。家ではお風呂だって寝る時だっていつも一緒にいたので、ホームシックもあいまって、ついと彼を目で追ってしまう。
そうして向けていた視線が意味を持ち、次第にほんの少し心情に変化をもたらしていたとて、私の、ワウに対する愛も、彼に対する尊敬の念も嘘ではない。
我が国エルワーズは、南東を海に、北を人の通えぬ山脈に囲まれ、西のファンフォワを盾にして他国を見据えている。元々は5つの国だったのだが、エルワーズが全て飲み込み、大国となった。
飲み込まれた国の中のには、獣人ばかりが住まう国もあり、戦敗国の兵ということもあって、ありとあらゆる差別問題が出たものの……その能力ゆえに、今では城内ですら当然のように獣人が闊歩するほどの地位を得ていた。
もちろん、我が国の兵力の半分が獣人であるくせ、近衛兵や団長クラスになるとぐんと獣人の割合が減る。露出の多い場所や王族の側にあがるには、やはり表情のとりやすい生粋の人間の力が必要になるという建前よりも、やはり下位に見ている感じがして嫌なものだ。それは、生粋の人間である私ですらそう感じるのだから、獣人たちにとってはもっと露骨に感じられているのだろう。
私が生まれたころから、既にそれがあたり前となっており、私が軍人になったとき、当然のように上司は獣人だった。
私がメイドではなく兵士に志願してみたのは、親が軍人だったからだ。物心ついたころより指導され、年頃になったら当然のように志願するよう薦められた。獣人への差別が解消されると同時に、男女差による差別も幾分緩和されており、女騎士女兵士なんて珍しくもない。だから、そこに特別な意思なんてなかった。
でも、そこで彼……アラン様に出会ったとき、一瞬、この人の側にあがるためにそうなったんだなんてことを考えてしまった。
だから、ファンフォからお姫様の話し相手として、18歳になる辺境伯爵令嬢が迎えられ、その護衛に彼が任命されたとき、私もついていくべく護衛兼任の侍女へ志願した。彼は当然ながら能力で選ばれ、私は、女である人間であるという理由から、志願が許され任命されたに過ぎぬ情けなさ。それでも、彼の側にいられるならと、中傷誹謗にも耐えた。
もともと獣人のおらぬ国から来たルディア様は、当然の如くに獣人に慣れず、生粋の人である私に安堵なされた様子だった。
賓客としての扱いながら、敵は身内にも外にもあり。有能な護衛を揃えたものの、戦争好きたちの格好の生贄となり得る。狼の獣人騎士を筆頭に、犬の獣人、鳥人、騎士としては一桁もおらぬ昆虫人まで借り出されての迎え入れ。はっきりいってものものしさは今国一だろう。
そんな状況にも関わらず、ルディア様は、我が国でも随一と名高い狼騎士のヴォルフ様に告白した。
「……今のマジ?」
人質紛いの状況でお越しいただいたルディア様が、我が国の護衛騎士に惚れた。しかも、今まで目にしたこともなく、はじめは怯えてすらいた獣人……いや、あれは、元は恋などではなかっただろう。私の見立てでは、恋に落ちたのはついさっきだ。
はじめは、明らかに私がワウに向ける目と同じであった。あのふさふさした毛並みに触りたい、めいっぱいわしゃわしゃしたい、抱きしめたい……と、ただの犬好きの目であったと思う。そばで見ていた私は、時折その目がアラン様にも向いていたのを知っている。
隣室に控えていた私の耳にも届いた、毛に触れたいというルディア様の願い、その後の、うろたえたヴォルフ様の声……何があったのか、なんとなし想像がついてしまった。そして、彼女の心情の変化もまた……。
おそらく、犬と思っていた相手が人であり、そして、自分が思いを向けても容認されそうな事実に驚愕した。もちろん、犬への愛と彼への思いは別物だ、でも、はじめから底上げされた気持ちが、恋に転げ落ちるのなんて他愛ないこと。
『嫌わないで……』こぼれたその言葉は、つまり否定されたくない思いがそこにあるから。好いて欲しい、受け入れて欲しいとまでは言わない。せめて……と思うのは、恋し臆病になる気持ちから出た言葉だろう。
同じ気持ちを持つからというわけでもないが、当の狼騎士様のお部屋を訪れたのは、ちょっとだけ彼女の気持ちを後押ししたかったのと……もう一つ、悪戯心からだった。
ルディア様本人へは、真っ赤になって混乱させるほどのことは言ってみたが、それだけではつまらない。不敬だと言われようとも、いっそ今日のルディア様への賞賛も込めて、一つ焚きつけておきたかった。
慌てるヴォルフ様に、それがうまうま成功したと思ったところで……私は高揚していたのかもしれない。
「半分はマジの部類に入るかと思われます。ルディア様より『彼が、私を食べるということもあるのかしら』と聞かれました」
「……それに、何と応えた?」
「『そういうこともあるかと思いますので、褥でお待ちしてはいかがでしょうか?』と申し上げました」
ヴォルフ様が慌てている姿を見送ったアラン様の、ぼそっとこぼすように向けてきた問いに、はきはきと自分のしでかしたことを披露してしまった。もっと言うと、その前に襲うイコール食べるという方向に誘導すらしているのだが……。
「……どっちにも取れるような……というか、あえて色々誤解させようとしているだろう?」
「はい、ついでに『肉には赤ワインでしょうか?』と問いかけてみました」
実際には赤ワインもビネガーも用意はしていないが、誤解されるような問いかけ程度はしておいたので、確実に困惑しただろう。まぁその誤解は、今駆け出していったヴォルフ様にお任せしておけば、きちんと修正してくれることだろう。
ついでに、犬扱いでもいいなんてことまでこぼしてくれれば僥倖だが、さすがにそこまでは望むまい。
「ふ、振るえてんじゃねぇか? 今頃……まったく、護衛が護衛対象を食うわけがねぇだろうが。そもそも食人なんかしねぇ」
「そうですか」
「そうですかじゃねぇよ、お前を侍女に採用したのは間違いだって、訴えたくなるな」
呆れた様子の彼の言葉を聞きつつも、口が滑ってしょうがない。こうして会話が出来るのがうれしくてしょうがない。
ファンフォワへルディア様をお迎えに行く旅の最中でも、何度か話すチャンスはあったが、ほかの人の目もあり、尻ごみしてしまった。今、思わぬ二人きりのこの事態、千載一遇のチャンスに、思わず心が躍ってしまう。
もっと、何か語りたいと思いながらも、あいにく私には気の利いた言葉も口説き文句も持ち合わせておらず、何を言っていいのか困ってしまう。でも、このチャンスに、すぐに失礼しましたと退室するなんて、もったいないことも出来ず……思わず彼の横顔を眺め、立ち呆けてしまった。
「なんだ?」
彼は、ふとこちらを振り返り、不思議そうに問いかけてくる。見物に戻らなくていいのか? とかまだ何かあるのか? とか問いたいのだろう。
たしかに、ルディア様とヴォルフ様が興味深い会話を繰り広げているだろうあたりは、少し気になる。でも、出歯亀よりもずっと、彼と2人きりというこの状況のほうがずっと……。
つぶらな瞳がこちらを見つめてくる。
喉がカラカラになるほど緊張が押し寄せてきて、心臓がはちきれそうにはしゃぎ出す。頬が紅潮すらしていようが、そんな分かりやすい緊張を見せても、彼はきょとんと不思議そうにこちらを見るばかり。おそらく、尻尾を振るなり差し出すなりしない限り、彼には通じはしないのだろう。
優しげでな顔立ちに似合わぬ暴言を吐く、乱暴な下町言葉を好むこの騎士様。
春には毎年、とっかえひっかえ女性を連れ歩いては、秋になる前に『運命などそうそうないのだ』なんて言葉で自己完結している。別に、その中の1人にでもしてくれればいいのだが、部下や身近な女性には一度たりとも手出しをしたことがない。私も、相手にしてもらえない1人なのだと自覚しながら、眺めているしかない臆病さ。
いっそ、嫌われてもいいのでは? なんて、自暴自棄な考えさえ浮かんでくる。
「犬扱いはお嫌ですか?」
「あたりまえだろうが!」
つるっと滑って出てきた言葉に、速攻で反論が向けられた。
わかっている、今の言葉は間違えた。わかっている、そもそも告白などしても意味がない。わかっている、わかっている、わかっている……でもと、諦めきれぬ心が騒ぐ。
じりりと近づくと、耳が立ち上がり、おびえるような表情が向けられた。いけないと思いつつ、その耳に手を伸ばしてしまう。
「犬は、ココを撫でられると気持ちがいいらしいですね」
そんなことを言いながら、その耳の根本を指先で揉み解した。
椅子に座ったままのアラン様の頭は、丁度私と同じぐらい。身をよじるように逃げたものの、立ち上がるまでせぬのは酒のせいか何なのか、結局私の指先の捉えられえ、きゅうんなんて小さな悲鳴が喉であがった。
「や、やめっ……」
「怖いのですか? 大丈夫、触れるだけです」
調子に乗って、耳の後ろを軽く掻き、耳の付け根をなぞるように触れてみる。彼の耳はフニフニしてて、触っていて気持ちいい。手のひらを擽る彼の耳毛がこそばゆくて、それもまた楽しくもなる。
「いっ、犬扱いが嬉しいわけあるか!」
怒りはするが、私の手を払いはしない。耳は後ろに伏せられ、ぴるぴると払うように動いているのは動揺の証拠か。
へたっとテーブルにつっぷしているのは、気持ちがよくて力が入らぬ故か酔っ払いか。わからないが、ついつい調子のって、彼の眉間へと指を運んだ。
「犬の場合は、自分で触れられないからでしょうが……あなたでも、気持ちがいいのですか?」
そっと囁いてみると、ぴくっと身を震わせる。
図星なのか、恐怖なのかわからないが、抵抗は更に薄くなったように感じる。そして、もう片方の手でもって、首周りから顎の下を撫で回してみると、うっとりと目を閉じてしまった。
「お腹や尻尾だって、撫でてあげてもいいのですよ?」
犬の気持ちのいいポイントである尻尾の付け根は、さすがにセクハラになるだろう。いや、今だってセクハラ認定されないのがおかしいぐらい、思い切り撫でくりまくってしまっている。
指にからむ彼の毛、暖かな皮膚を指先で擽れば、わずか気持ちのいい場所を曝すように身をよじる。体は素直だななんて、いけないことばがこぼれそうになってしまう。
どきどきと胸が高鳴る、こう、メイドがお尻を撫でられて激怒していたが、私は、今、セクハラする側の気持ちを存分に理解してしまっている。もっと、もっと触りたい、もっと撫で回したいと、歯止めが利かなくなってくる。
「お前ら何をしている」
唐突に、入り口から呆れたような低い声がかけられた。
がたがたと音を立てて椅子から立ち上がったアラン様が、慌てて身だしなみを整える様、セクハラから逃げられたという安堵が覗く。
「思ったより早かったですねぇ……」
置いてきぼりの私の手が、ちょっとばかり寂しい。その手をゆっくりと両脇に戻すと、ヴォルフ様のほうを振り返り、手馴れた敬礼を向けた。
「アラン様が、ヴォルフ様の初恋に浮かれているのを利用し、目一杯犬扱いして口説いておりました」
状況を的確に説明すると、ますますヴォルフ様は呆れた表情を浮かべる。
そりゃそうだろう、目一杯下らぬことを焚きつけられて、下らぬ説得に疲弊してきたところで、その相手に友がセクハラされていたのだから。
「セクハラだ!」
「では、いっそ恋人にでもなりますか? それなら合法でしょう?」
「いっ嫌だっ!」
悲鳴のように向けられた言葉には、自覚があるので動揺も少なかった。いっそうすがすがしい気分でニヤリと笑い提案をするが、ばっさりと切って捨てられる。
明らかに自分が悪役であることは自覚していたが、今更引けない気持ちになっていた。もうこうなったら、脅してでも恋人関係を結び、関係を持ってしまおうかなどという気持ちも心の端に浮かぶ。
「……なれば、もっともぉっと撫でて差し上げますよ? ブラッシングもして差し上げます」
「ヴォルフッ、たっ助けてっ!」
ばっと自分の身を抱きしめて、アラン様は縋るような眼差しをヴォルフ様に向けた。自業自得であることはわかっているが、思わずヴォルフ様に嫉妬しそうになる。
「おびえるなよ……お前も、告白するならあと2ヶ月待て、尻でも振ってみせれば理性なんてぶっとぶから……」
だが、ヴォルフ様はアラン様を助けるどころか、酷い助言まで向けてくる。
たしかに、2ヶ月も待てば発情期が来るだろう。その時期になれば容易く篭絡できるやもしれない。でも、毎年その時期になると、気づけば別の女性が側にいるのだ。
「それでは、ほかの方にすぐに取られてしまうし、心のつながりが希薄ではないですか。私は、こうしたコミュニケーションを通じて、心で繋がりたいのです」
「本気なら場所と言葉と行動を選べ!」
「……本気ですよ。犬好きも本当ですし、あなたは私の理想なのです、身も心もとりこにしたい」
熱心に言い募って見せるが、明らかに怯えさせてしまったようだ。
こうなったらしょうがない、更にと情熱を押し付けるよりもと、改めてヴォルフ様に向き直った。
「……ところで、ヴォルフ様。先ほどのセリフ、ルディア様にお伝えしてよろしいでしょうか」
「は?」
「尻を振る際には、少々古臭くはなってしまいますが、ドレスも腰をふくらませたバッスルスタイルで……尻尾に見立てた大きめのリボンもつけておきましょうか?」
ヴォルフ様のきょとんとした顔は、アラン様に通じるところもある可愛らしさだが、今は、それを弄るつもりもない、そもそも、それを弄っていいのはルディア様だけだろう。
しばし私の顔を見つめた折、ヴォルフ様は、何を想像したのか額を押さえて身悶えた。ふさふさの毛により、赤面してるかどうかなど分からないが、その挙動不審な様子から、照れているのが見て取れる。
「……やめてくれ」
搾り出すようにそんな言葉を口にするのは、その姿を想像し、それに2ヶ月後の自分が抗えぬと思ったからか……止めて欲しいというのならこちらのものだ。
「やめて欲しければ、私とアラン様との仲をご支援下さいませね」
「ヴォルフッ!」
とびきりの笑顔を向ければ、アラン様は悲鳴のような声を上げて、ヴォルフ様に縋りついた。
言葉の選択もなにもかも、間違えているのはわかっている。こんなはずではなかったという思いと、これはある意味いい方向に行ったのかという思いとが、胸の中でない交ぜになっている。
喜んで良いのか嘆いて良いのか微妙なところだが……とりあえず、なんだかこの関係が、少しだけ動き始めたような気がした。