少年に死を
一年ぶりです
ラート・ヴェリオンはザゲンの話が終わって、解散するとシオンとアギトを伴ってある場所へ向かった。
シュロウ族の祖先の片割れ、神霊ホウが奉られている祠だ。
祠は長老の家の真後ろに有り、集落では先祖の二人以外に趣を感じない木組みの切妻屋根、観音開きである。
その中には巨大な、卵を思わせる形をした御神体が納められ。
そこでラートは大声で、
「ホウばあちゃん!」
と叫んだ。
すると、何処からともなく声が聞こえて来た。
聞く者全てを安心させる、深く広い海を想像させる声だ、だがそれ以上に明るい。
「はいはい、そんなに大声出さなくても聞こえているよ」
祠の閉じられた扉から垣間見える御神体。そこから滲み出る様に現れたのは、漆黒の髪を後ろに結わえた美しい、だが、それ以上に所帯じみた印象を感じさせる女性だった。
女性はラート達を見やり、言った
「今日はもう帰るのかい?」
「ああ、ばあちゃん、お願い」
と懐から札のような物を取りだしながらラートが言った。
「じゃあ、いつものようにねえ」
「うんっ、ホウばあちゃん」
ラートは右手に持つ札をホウに渡すと、ホウからある程度の距離をとった。
ホウはそれを見て頷き、札に魔力を注ぎ込んだ。
すると、札がホウの注ぎ込んだ魔力に反応して、ラートの立つ空間一歩手前を光で包み込んだ。
ラートは光に歩みだし、付いてきた二人の方を向いて言う。
「じゃあね」
そう言ったあと素早く光の中に飛び込んで行った。
光はラートを通過させた後、直ぐに消えた。
ホウはそれを見届けて、クルリと二人の方を向き。
「ほらあ、あんた達ももう帰んなあ」
帰るように促した。
それに対し、二人は素直に頷き、帰っていった。
ホウは二人を見送ると、やれやれと言わんばかりにため息をつき、するするとほどける様に輪郭を崩し、神体の中に入り込んだ。
§
「今日は遅かったな」
帰って早々の父親の言葉にラートは元気よく返した。
「うん、カリハジメのなんとかってのがあっておじいちゃんがみんな集めて話したから」
なるほど、と父親であるザラ・ヴェリオンはつぶやいた。
そして、ラートを一瞥し、あまり汚れていないことを確認すると、
「今日はもう遅いから、明日に備えて寝とけ」
と言った。しかし、
「駄目よ、寝る前にはきちんとお風呂に入って歯磨きをしてからよ」
後ろからの女神の声に少し気まずい気分になり。早々に発言を取り下げる。
「あ······そ、そうだな。風呂に入って歯磨きをしてから寝るんだぞ」
ラートは元気よく応え、祭壇の奥にある浴場に走っていった。
「こら! ザラ君、ラート君はきちんとお風呂に入れて、歯磨きをさせてから寝させるって決めたでしょ。」
「や、けどな、もう遅いし、風呂に入れる時間はないかなって。子供のうちから夜更かし覚えたら、大人になってから、健康的な生活習慣をとろうとする考えが希薄になってだな······」
「でも、」
ラートが居なくなった途端、ザラとリルファはお互いの教育方針をぶつけ合った。
互いに譲れないものがあるからだろう、論争は熱を帯び、燃え始めた。
戦いは熾烈化し、双方の舌も解れ、釣られて理性まで解れたのか、二人(?)は舌鋒鋭く罵りあった。
ラートが絡むと直ぐこれだ。こうなってしまったら、ラートが風呂から上がるまではこの論争は続き、そしてラートが寝入ってからまた論争を繰り広げるのだ。
§
夜が明けた、論争に明け暮れたザラとリルファは寝入ってしまい、ラートが起きて来た時、二人はテーブルを隔てて、向かい合う状態で寝ていた。
ラートは二人を起こそうとしばらく揺さぶったりしていたが、どうやっても起きないのを察して、囁くように「いってきます」と二人に言葉を投げて、ラートは備え付けの魔方陣に足早にかけていき、ガスユィヤの森へ転移した
§
「おい、遅いぞラート」
「ごめん、ちょっと寝坊しちゃってさ」
その寝坊の原因はラートの両親の口論のせいで寝付けなかったからなのだが、齢五にして家の体裁のことを考えるラートは、それを、自分を待ってガスユィヤの森にある転移魔方陣の前にいたアギトに伝えなかった。
「まあいいや、行こうか」
「うん」
ラートは寝坊についてこれ以上アギトに考えさせないように、世界樹前の広場に行くよう促した。
ラートが世界樹前の広場に着いた時には、狩り始めに参加する子供たちはラートとアギト以外は集合していた。子供たちの前にはザゲンとイズと、ほか数名がいた。
ラートとアギトは、綺麗に並んでいる子供たちの一番後ろに並んだ、子供たちを整列させていたシオンは、子供たちを並び終えた後自分も二人の横に並んだ。
全員が並び終えたのを見て、ザゲンは子供たちに狩り始めについての注意をいくつかした。第一に、狩り始めは三人一組で行うこと、第二に、一組に一人付き添いがつくこと、第三に、付き添いの指示には基本的に従うこと、第四に付き添いから離れないこと、最後に、この四つのことを守って、狩り始めを無事に終わらせること。注意が終わると、ザゲンは子供たちにくじを引かせた、組み分けのくじである、昨日直前なって狩り始めがあることを思い出したザゲンは、当然狩り始めの子供たちの組み分けのことなど微塵にも考えていなかった。仕方がないので、くじ引きで分けることになったのだ。
しかし、一つ問題があった。狩り始めを行う子供の数は八人なので、子供の数が一人少なかったのだ。狩り始めはザゲンの集落において儀式的な面を持ち、三人一組で行わなくてはならないものなのだ。
しかし、ザゲンには策があった。それは、別の階層から子供を一人参加させるというものだ。ザゲンは下の階層に出向き、参加してくれる子供たちを募った、すると、ザゲンが思うより、ずっと多い数の子供たちがたった一日で参加したいと申し出てきたのだ。その数七人、ちょうど三人一組を過不足なく組める数だった。
集落の子供たちには、昨日ほかの子供も来ることを言っていたので、ある程度緊張せず別の階層の子供たちと会話している。
ザゲンはこれなら何とか無事に狩り始めを終えることができそうだ、と子供たちにくじを引かせながら。思っていた。
§
くじ引きが終わり、子供たちは三人組に分かれた。ラートの組はラート以外は別の階層の子供だった。
一人は青白い肌の少女で名前はストラ、もう一人は白い仮面をかぶった少年で名前はユアイ。
また、付き添いはスビという若者で、無口な男だった。
スビは子供たちに緊急時に打ち上げる信号弾と、護身用の剣を渡し、信号弾の使い方を手短に説明して、早々に子供たちを森に連れて行った。
§
「これが、アシノツキ」
スビは森に入ってから、森の歩き方を子供たちに逐一教えていた。
「これは傘の裏に毒があるから気を付けて」
スビは子供たちに危険な植物とその見分け方を教えていた。
ラート以外の子供は、それを興味深く聞いてたが、ラートはそうではなかった。
ラートは、三人から少し離れた場所で座って、荒く息をついて休憩していた。始めて森を歩いた、五歳の少年である。こうなって当然だ。しかし、この迷宮ではそれは当然ではなかった。
迷宮に住むものは、竜王が選んで迷宮に招待した種族だ、幼い頃であっても、弱いものはいない。それに比べてラートは人間である。この迷宮においては最弱と言っていい種だ。ほかの種族にはできて、ラートにできないことは多々ある。
しかし、ラートは種の違いなど、自分が他の種族より劣っていることなどつゆほども知らない。故に、ラートは、自分だけが他の子供たちよりも弱いと思っているのだ。実際にそれは間違ってはいないのだが、ラートは自分が人間だから弱いということを知らない。それに、スビや、ラートと行動を共にしている子供たちもそのことを知らない。だからラートは、ほかの者たちからも弱い、貧弱な子だと思われている。
「大丈夫?」
さっきまでスビの話を聞いていた青白い肌の少女が、ラートに話しかけてきた。
「……大丈夫だよ、ストラこそ大丈夫?」
無論、大丈夫ではなかったのだが。ラートは男の意地で大丈夫だと言い切った。逆に、ストラの心配までして見せた。
ラートに要らぬ心配をかけられたストラは
「私は大丈夫だよ!」
と天真爛漫そのものの笑顔で応じた
「さ、行こっ、二人が待ってるから」
ストラの言葉にラートはげんなりした。
(まだやるの?)
ラートはもううんざりしていた、森に入ってから、半刻(三十分)程たったが、やってるのは植物についていろいろと説明を受けるだけで、しかもそれだけでラートは疲れ切っているのだ。
これでは、狩り始めの本旨である、獣狩りなどできるはずもない。そう思う少年は、しかし他に何かやることがあるわけでもなく、うんざりしながら立ち上がった。
ラートはスビのいる方を見た。スビとユアイはもう移動し始めている。
それを見てストラも二人を追って走っていった、ラートもそれを追いかけて走り出そうとした、瞬間
「んっ!? 」
ラートは何かを踏みつけた感覚を覚えた。その次の瞬間であった。ラートの足元から勢いよく煙が噴き出し、ラートの視界を遮った。
「まずい、これはユーツクの煙、みんな煙を吸ってはいけない」
スビの声が聞こえた時にはもう遅かった。ラートは胸いっぱいにユーツクの煙を吸ってしまっていた。
煙を吸った直後、ラートの意識は朦朧とし始めた。
なおも聞こえるスビの声も、だんだんとかすんでいった。
少年の意識は、深い闇の中へ落ちていった。
§
「んぁ…………?」
意識を取り戻したラートが最初に目にしたのは、結晶で作られた作り物の空、ラートはこの空を見るたびに本物の空を見たいと思うのだ。
ラートは起き上がり、あたりを見渡す、周りに木がない、開けた場所にラートはいた。
ふと、ラートは強い気配を感じた。
気配がした方を見ると、ラートの目線の先の草陰から、一匹の狼がのっそりと出てきた。
白い毛に青い瞳の狼だ。狼はこちらを遠くからじっと見つめている。
「!!!!??」
ラートは狼の姿を見た途端、今までに感じたこともない恐怖を感じた。一瞬後には自分は死んで、骨も残らないほど食い尽くされてしまう。
そんな結末が容易に頭に現れるほど、その狼は恐ろしかった。
ラートは咄嗟に懐から信号弾の入った筒を取り出し空に向けて撃ち出した。上がった信号弾はある程度上がると爆発を起こし、ラートのいる場所を知らせる。あとはこの近くを逃げ回っていればすぐに助けが来るはずだ。
しかし、ラートの目論見は失敗に終わる。
狼が打ちあがった信号弾をにらんだ瞬間信号弾が消し飛んだのだ。しかも、信号弾を撃ちだしたことによって。狼はラートを警戒し始めたのだ。
ラートは覚悟を決めた。このままでは狼に殺されてしまう、限界まで警戒心が上がった状態では逃げ出すことも難しい、ならば、
(戦う)
この他に、ラートに選択肢はなかった。
ラートはゆっくりと腰に下げられた剣を抜く。剣のまばゆい輝きを見た狼は、どっ!! と地面を蹴り、勢いよくラートに近づいてゆく。
ラートは抜いた剣を構え、狼と対峙する。
ラートと狼の、戦いが始まる