風邪をひきました 弐
なんとなくこっちかな、という方角に飛んでみれば湖のほとり、カウィールが雛たちに埋まって寝ているところにたどり着くことができた。
今までどんな道を通っても帰ってこれていたのは帰巣本能だけでなく、無意識的にもと来た道をたどっていたのではとも思ったけれど、空中浮遊しながらでも帰れることから私にはやっぱり帰巣本能があったのだと確信した。
しかも、とびきり強いやつ。
帰ってきてすぐに確認したのはカウィールの顔色。
ふくふくほかほかしている雛たちは幸せそうに寝ているけれど、カウィールの顔色は食べ物をとりに行ったときと比べてあまりよくなっていない。
寝ているのを起こすのは忍びないけれど、少しでも水分と栄養を取らせないと良くはならないだろうから、私はカウィールの肩をゆすって起こした。
「カウィール、カウィール、起きて」
「う、うぅーん……」
「クゥー……クゥー……」
「ちょっと水飲んで果物食べたらまた寝て良いから、少しだけ起きて」
「ぅぅ……ん、んん"ん"!? エルミシアざっ、ごほごほっ」
「ビャッ!?」
「グゥー! グゥー!!」
私の呼びかけに、勢いよく飛び起きようとしたカウィールは噎せた。
声もいがらっぽいし、どうやら喉から来るタイプの風邪を引いたようだ。
ついでにふうふうプウプウ寝息をたてていた雛たちは飛び起きようとしたカウィールに吹っ飛ばされて恨めしげにカウィールを見ながら鳴いている。
うん、可愛い。可愛いけどカウィールをつつこうと狙うのはやめなさい!病人なんだから!
「え、エルミジアザざま……ごればいっだい……?」
「大丈夫、きっとここ最近一気に色々なことがあって疲れて風邪を引いたみたいだから。水を飲んで栄養のあるものを食べて、あったかくしてゆっくり寝ればすぐに治るよ」
「お、俺はガゼをひいだんでずね……ご迷惑をおかけじて……」
「無理して喋らなくて良いから。はい、お水。さっき森から果実も取ってきたから、それ食べてもう一眠りしてね」
「もうじわけございまぜん……」
バッグパックの中身をあさって出した木製のカップとお皿を湖で軽く洗い、上流のほうの水を汲んでカウィールに渡してやる。
≪りんご≫のような果実はウサギの飾り切りに、《ばなな》の方は皮を片面だけむいて、中の実を輪切りにして盛り付ける。
どちらも綺麗にできており、三歳児が剥いたとは到底思えない出来栄えだ。
本当に私って三歳児だよね?
発育の悪すぎる五歳児とかないよね?
自分自身でもある少女の記憶を疑いたくはないが、ここまで少女の記憶にある三歳児の情報とかけ離れすぎていると疑問も出る。
これがこの世界と少女の前世の世界自体の違いだと言われてしまえばそれまでなのだが。
それに、もしかしたら少女の知っていた三歳児像自体が間違っている可能性もある。
なんてったって一番最初の記憶は病院で食事をとっていたら急に吐血した、というものだったし。
外に出る機会があったのは病院内の庭をリハビリで歩くか、自宅療養するとき(なお、移動手段は《くるま》という、乗り心地のいい謎の動く鉄の塊である)だけだった。
人生の六割が病院、三割が自宅の部屋、残りの一割が自然豊かな土地の別荘、と言うのが少女の人生だった。
同年代が集まる《がっこう》なる所に憧れはあったようだが結局一度も行けず終い。
過保護な両親は、勉強もストレスになって病気の悪化につながるかもしれない、と言いある程度までは専属の教師をつけて、それ以降は好きな時に好きなものを学べばいいというやり方だった。
たまにやってくる従姉妹が話す《がっこう》の話を楽しみにはしていたようだけれど。
ぶっちゃけ勉強をしていた記憶よりもその従姉妹に勧められて始めた《げーむ》や《あにめ》、《まんが》や《らいとのべる》なるものを読んでいる記憶の方が多い。
そういえば少女がこっちの世界で生まれてすぐぐらいに《おとげーてんせい》や《ちーとてんせい》だと心の中で思っていたようだけど、すぐに違うと判断したようだった。
そりゃいきなり児童虐待から始まる話なんて誰が読みたいんだってなるわな。
《げーむ》やその他諸々の事柄については所詮、少女の中でも空想の産物だ。
記憶は少女から受け継いでいるとは言え、その記憶の中身を知るには本を読むように時間をかけなくてはいけない。
殆どが中身の無い日々の繰り返しとは言え、若くして死んだとは言えかなりの量がある。
今世には関係無い所は殆ど読み飛ばした。
その代表例が《げーむ》や《あにめ》に関係する部分だ。
魔法に関してのみはその知識が使えるかとも思ったけれど、やはり所詮は空想世界。
現実で起こる事象と空想世界の事象は構造からして根本的に違うのだ。
それでも暇つぶしや現実逃避としては持ってこいな内容のようなので、そのうち暇ができたりやることが無くなったら脳内再生しようかとは思っている。
とにかく、今の私には不必要な情報だと判断をしたのだ。
「エルミジアざま……エルミジアざま……」
「どうしたの、カウィール」
「ごれ、ナバっでいう、栄養価のだがい果物なんでずけど、どごでみづげたんでずか……?」
「ん、あっちの方の木になってた」
「……本来ならゆぎ山にじがならないはずなんでずけど……ふじぎがいっばいでずね」
「うん、不思議がいっぱいだね。カウィールが元気になったら木のあった場所まで連れてくから、早く元気になってね」
「はい"……これ、どっでもおいじいでず……」
こちらの世界の《ばなな》はどうやらナバというようだ。名前もそっくりだとはさすがに予想していなかった。
目がトロンとしたカウィールは、心なしか言動がいつもより幼いように感じられる。
ナバと《りんご》のようなものを皿に盛った分すべて食べきるとうとうとし始め、また眠りについた。
とりあえず食欲が無いわけではなさそうで安心した。
風邪をひいた時、一番ダメなのが食欲がないから、と何も食べないでいることだ。
少女も、何度もそれで生と死の縁を彷徨いかけて《てんてき》という強制的に体に栄養を取らせることをやっていた。
そう言えば、あの《てんてき》とかいう液体、一体何だったのだろう。
栄養素を体に取り入れるためのウンタラカンタラと説明されていたようだが、さっぱりわからない。
まあ、すでに過去のことだしどうでもいいか。
また雛たちに囲まれて……否、挟まれて眠るカウィールを見ながら、バックパックの中身をあさっていく。
干し肉、干し魚、食器、衣類、タオル、ランタン、よくわからない綺麗な石、よくわからない石板、水色の液体の入った小瓶いくつかと、緑色の液体の入った小瓶。
どんだけ入ってるんだ、と言いたくなるそれらを出して、一番下に埋もれるように入っていたそれを発見した。
「これは知っているぞ……寝袋だ!」
くるくると巻かれて小さくなっているそれは、紛れもなく寝袋だ。
少女が別荘に行って寝泊りをした時、両親に我儘を言って買ってもらったものの一つが寝袋だった。
結局夜は冷えるから、と寝袋を使って家の中でちょっとした野営気分を味わったのはたった一日で、それ以降お払い箱入りしてしまったようだったけど。
いくら鳥の羽を敷いたとはいえ地べたに近い状態の今より、この寝袋に入ってもらったほうが風邪の治りも早いだろう。
よく考えたら、というかよく考えなくてもこの冬間近の十日近くの日数を外で、しかも地べたで寝ていたとかどんだけだ。
私も同じ状態だとは言え、なんだかカウィールにものすごく申し訳ないことをしていた気になった。




