平穏に入る罅
私の名はクリード・エイディンバル。
アリシア大陸にある我が祖国、サラステラの近衛騎士団副団長の地位を賜る者だ。
長年戦の続いていたエファームル国とは、つい三年前に休戦協定が結ばれた。
仮初めの平和とはいえ、それによって民は豊かになり、かつての疲弊しきった国とは見違えて見える。
いつまた戦争が起こるか分からないが、それまでは私たち騎士団の者たちも訓練の合間を縫って思い思いに過ごしていた。
まさかその平穏に罅が入るなんて、誰も思っていなかった。
それは、私がルーク団長へ提出した遠征訓練についての議案書を確認して貰っているときだった。
「イオナ村付近への遠征か。あそこは『森』に近い位置にある村だからな。何も無いといいが……万が一に備えて、警戒は怠るなよ」
「当たり前ですよ、団長」
「ははっ、いい返事だ。頼んだぞ、クリード」
「はい、任せてください」
『森』とは、サラステラとエファームルの北に位置する、大陸の三分の一以上を優に占める広大な土地のことを指す。
この森は実り豊かだが、小隊でようやく同等に戦うことが出来るS級の魔物が多く住んでいると言われていた。
魔物はE級から始まり、D、C、B、A、S、SS、SSSの八段階に分かれており、城下にある冒険者ギルドなどではこの級によって討伐報酬が変動している。
その中でもS級以上の魔物討伐は一定以上の功績を挙げ、対等に戦うことが可能だと認められた冒険者か、近衛騎士団の編成部隊しか対峙することが出来ない。
それ以下のものたちは、対峙した瞬間にはすでに魔物の胃の中に収まっていることだろう。
そんな魔物がうじゃうじゃいると言われている『森』。
そういったこともあるのだが、それ以上にあの『森』は、本能的に近付きたくないと思わせる何かがあった。
そんな『森』が近くにあるからか、イオナ村近隣には時折B~S級の魔物が出没する。見晴らしもよく、魔物たちも群れるわけでもないから実践で鍛えるにはもってこいの場所だ。
「し、失礼します! 至急、団長殿にお伝えせねばならない件がございます!」
穏やかな空気が流れる中、切羽詰まった様子で慌ただしく入ってきたのは、確か今年で二年目になる騎士だ。
腕は平均的。長い者には巻かれろといったイメージが強い男だ。
「どうしたんだ、言ってみろ」
「はっ! 本日非番だったアルダ・ラシュトベルクが、先ほど転移魔法を使い訓練場に来ました。どうにも錯乱しているようであり、辛うじて『森』に行ったことがわかった次第であります! 皆最初はいつもの狂言かと思ったのですが、それにしてはあまりにも異常な様子でした!」
「あいつまた『森』に行ったのか!? あれだけ勝手な行動はするなと……!!」
私は頭が痛くなった。
アルダ・ラシュトベルクと言えば侯爵家の問題児だ。
侯爵家当主が手に負えないから、と騎士団にコネと金と権力で無理やりねじ込んできた過去がある。短気で自己中心的、しかし腕はたつうえ、親の地位が高いためにおいそれと騎士団から追い出すこともできない。
彼は前にも非番に『森』に行ってA級の魔物、モック鳥の雛を生きたまま連れ攫ってきて問題になっていた。
モック鳥は雛であればB級程度の魔物だが成長すれば一般民家ほどの大きさとなり、強大な兵器となる。それこそ、数と使いようによっては国さえ滅すほどの。
さらに魔物の中でも仲間意識の強い種で、一羽でも鳴けばあっという間に何十羽と集まってくる。
それ故、わが国では生きたモック鳥の飼育および街への持込を固く禁止しているのだ。
だが、強い兵力となるのもまた確かなことだ。生物兵器として欲しがる貴族は決して少なくない。たとえそれが国の法で禁止されているものだったとしても。
またその羽は美しい鳶色で装飾品としての希少価値が高い。
貴族の夜会にでも行けば、金に物を言わせて入手したそれを裕福なご婦人がこれ見よがしに纏っている。
モック鳥は死んでいても生きていても高値のつく生き物なのだ。
「……兎に角、まずは話を聞きに行きましょう」
「ああくそっ、また魔導師団に俺が怒られる……!」
「今そんなことを言っている場合ではないでしょう! ラシュトベルクはどこに?」
「医務室へ連れて行きました!」
「わかりました、あなたはもう持ち場に戻りなさい」
「はっ」
早足に部屋を出て医務室へと向かう。
転移魔法を使ったのならここまで魔物が追ってきたりはしていないだろう。転移魔法は空間と空間を繋げて渡る難易度の高い魔法だ。
追跡系の魔法をかけられていたとしても、渡るときにその効果は切れる。
「エルド兄さん! ラシュトベルクの様子はどうだ!?」
「ルーク、医務室では静かにしろ。あとここでは俺のことはエルド医師と呼べと何度も……」
「エルド医師長殿、今は弟君と戯れている場合ではありません」
「おぉ、クリード殿は相変わらず厳しいこって……。ラシュトベルクは今安定剤を投与して寝ている。ほれ、そこのベッドだ」
エルド医師長の指した方に、確かにラシュトベルクは寝ていた。とてもじゃないが良いとは言えない顔色だ。
「兄さん、こいつから何か話は聞けたか?」
「だから兄さんと呼ぶなと……はぁ、まあいい。こいつの喚き散らした言葉を簡潔に言うと、モック鳥の孵化の時期だからその雛を狩りに行ったらジェネラルモックの雛がいた、森の主らしきものと目があった、と言っていた」
「なっ……ジェネラルモック!? あの、森の炎魔と呼ばれるジェネラルモックですか!? それに、森の主ってまさか……」
「ああ、藍色のモック鳥の雛だったと言っていたから間違いないだろう。しかも五羽いたそうだ。森の主の方なのだが……黒髪に青い目の幼い少女だったそうだ」
ジェネラルモックはモック鳥の上位種、炎を操るSS級の魔物だ。
それを見て帰ってこれたと言うのならこの騎士はつくづく悪運が強いようだ。
「少女の姿……? あの森の主たる魔神が形取るのは確か牡鹿の姿のはずでは……」
「ああ……だから十中八九、その少女は
『魔王』だ」




