ヒイロは仕事を放棄した
お待たせしました。
「どうかしたの?ヒイロ」
声をかけられ、俺ははっと我に帰る。
「冒険中にぼうっとするなんてあなたらしくないわ。何か心配事でもあるの?」
セイラの言う通り、いまは遺跡の中だった。
いつどこから魔物が襲いかかってくるか分からないこの状況で、ぼうっとするなど自殺行為だ。
俺は頭を振って散漫になっていた意識を覚醒させる。
「すまない。依頼達成にはまだしばらくかかりそうだな、と思っていただけだ」
今回の依頼は遺跡に出る魔物を倒すと得られる、妖精の羽根を集めるというものだった。
普段なら調査のついでにすぐ集まるようなものなのに、どうしてか、今回はどれだけ魔物を討伐しても手に入らない。
このペースのままではーー
「このままだと、予定よりも帰りが遅くなるかも……タエコさんが心配?」
言い当てられ、俺は言葉に詰まる。
旅立ってからいままで、デュオがタエコ、タエコと何度か話題にあげていたが、俺がタエコについて話したことなどないというのに。
どうしてこう……セイラは俺の考えを読むんだ。
そんなに俺は分かりやすいのか?
「デュオさんがタエコさんについて話すとき、旅の最初の頃はヒイロも笑顔で聞いていたのに、最近のあなたは表情が陰るの」
顔に出したつもりはなかったんだが……。
思わず、俺は頬を手で撫でた。
内心を表に出すなど、俺もまだまだ修行が足りないようだ。
「あまり時間がかかると、買い込んだ食料が底をつくだろう。飢え死にさせるわけにはいかないからな」
「倍の日数がかかっても十分まかなえるくらい用意したじゃない。大丈夫よ。それに、ある程度のお金は持たせたから、いざという時は買いに行くわ」
ひとりで買いに行けるから心配なんだ、とは言えず、俺は視線を落として低くうなった。
やはり、金など持たせるべきではなかったか。いや、しかし、もしも俺たちの帰りが遅くなったら……実際、妖精の羽根はほとんど集まっていない。
予定では、今日にでも家路につけるはずだったのに。
「ねぇ、ヒイロ。どうしてそんなにタエコちゃんを心配するの?」
突然割り込んできた声に、俺とセイラは弾かれたように振り向く。
いつの間にか、デュオが俺たちのすぐそばに立っていた。
「デュオ……仲間を相手に気配を消して近づくんじゃない。索敵はどうした?」
「ご心配なく。とうの昔に私が結界をはりましたから。それよりも、ヒイロ。あなた、タエコさんと何かあったでしょう?」
「何かって、何があるというんだ」
「タエコさんに対して、最近のあなたは過保護すぎるわ」
デュオやラグロだけでなくセイラまでそんなことを言い出すとは…………俺はそれほどまでにタエコを心配しすぎているのか?
「心配ないですよ。あの平和ボケしたタエコさんのことです。いまごろのほほんと過ごしているでしょう」
「ひとりで寂しい思いをしているかもしれないけど、今までだって泣いたりしていなかったじゃない。大丈夫よ」
「…………だから、心配なんだ」
俺の言葉に、ラグロとセイラは分からないとばかりに眉をひそめる。
ただひとり、デュオだけは表情を変えずに俺を睨んでいた。
おそらく、デュオは気づいている。タエコの違和感に。
「考えてみろ。突然、なんの前触れもなく、まったく知らない世界に引きずり込まれて、正気でいられるか?もう元の世界に帰れない、家族にも友達にも会えない。そんな状況に、本人の意思など関係なく放り込まれるんだ。なぁ、セイラ。お前ならどうする?」
「私なら…………そうね、絶望して、泣きわめくかもしれない」
「……そうだ。普通なら、少なからず取り乱すはずなんだ。だが、タエコは最初こそショックを受けていたものの、それを引きずることなくすぐに平常心に戻った」
「それは……タエコさんの性格では?」
ラグロの問いに、俺はゆっくりと首を左右に振った。
「俺は一度、泣いているタエコを見たことがある。セイラと買い物に行ったタエコを俺が偶然見つけた時だ。あのとき、タエコは道の真ん中に座り込んで、ただただ静かに泣き続けていた」
「そんなことが……」と顔を蒼白にするセイラの背中を俺は軽く叩き、続きを語る。
「声を殺して、というより、声を上げることすら叶わないほど、恐怖に襲われているようだった。実際、抱きしめたら震えていたしな」
ずっと黙って話を聞いていたデュオが、「……タエコちゃんを、抱きしめたの?」と、目を眇めて聞いてくる。
「不安なときは、抱きしめたほうが安心するかと思ってな。……なにか問題があるか?」
そう俺が答えると、デュオはさらに厳しい視線で俺を射抜き、ラグロが額に手を添えてため息をこぼした。セイラに至っては、ショックで何も言えないといった様子だ。
なんだ、この、責められているという雰囲気は。
「……とにかく。そのとき俺はやっと気づいたんだ。いままで、タエコは一度として、帰りたいとも家族に会いたいとも言わなかった。故郷を偲ぶようなこともなかった。まるでーー」
「まるで、故郷に関する記憶に、フタがしてあるみたいだよね」
俺の言葉を、デュオが引き継ぐ。
やはり、デュオは気づいていたか。
「俺ね、ずっとタエコちゃんのことを気にかけてきたんだ。だって、突然こんな世界に連れてこられたんだもの。取り乱したり、精神的に参って最悪自殺、とかも考えられるでしょう」
俺は何も答えられなかった。
なぜなら、俺はそこまで考えていなかったからだ。
この世界には転移魔法に巻き込まれた身元不明者が度々発見される。だから、タエコも身元不明者のひとりだと、同じだと思っていた。
本当は、まったく違う。
身元不明者のように、帰る家などなかったのに。
「注意深く見てたらわかるよ。時々ね、タエコちゃんは自分の世界のことを考えて沈むときがあるんだ。でもね、そのあと決まってぼうっとして、はっと我に返ったかと思うと、何事もなかったかのように元に戻る」
「そういえば、この世界に来たばかりの頃、ぼんやりしていることが多かったように思います。てっきり、タエコさんはそういう方なのだと思っていましたが……」
「違うよ、セイラちゃん。タエコちゃんはマイペースな性格だけど、ぼんやりはしていない」
「す、すみません……」
「デュオ、そんな強く言わなくともいいだろう」
俺がたしなめると、デュオはバツが悪そうに「……ごめん」と謝った。
しゅんと沈むデュオとセイラを見て、ラグロやれやれとばかりにかぶりを振る。
「ヒイロにしても、デュオにしても、タエコさんのことをずいぶん気に入ったみたいですね」
「俺は気に入っているというよりも、タエコをこの世界に連れてきてしまった責任を感じているだけだ。あいつのことは、元の世界以上に幸せにしてやらないと」
「俺はタエコちゃんが大好きだよ。彼女のおかげで俺は救われた。それはきっと、彼女が別の世界から来た人だからだ」
「その言い方だと、まるで彼女がこの世界に来たことを喜んでいるみたいですね」
ラグロの意地悪い指摘に、デュオは臆することなくうなづいた。
「ラグロの言う通り、俺はタエコちゃんがこの世界に現れてくれて良かったと思ってる。だからこそ、俺はなにがあってもタエコちゃんを守る。彼女がこの世界で幸せをつかめるように」
「……そうですか。お二人とも、物好きですね」
「そういうラグロはどうなんだ?お前だって、よくタエコのことを構っているではないか」
「気持ち悪いことを言わないでください。私はただ、彼女を薬の実験台にしているだけです。万が一のことがあっても、被害が一番少ないでしょう?」
天邪鬼なラグロらしい答えに、今度は俺が頭を抱える番だった。
「………………ねぇ、ラグロ。タエコちゃんで遊ぶぐらいなら構わないけど、彼女を傷つけたら俺が許さないからね?」
「やめろ、やめろ、デュオ。落ち着け。ラグロだって十分タエコを気に入っているさ。でなければ、こいつは興味を示さない。たとえタエコがメイドとして暮らしていても、いないものとして振る舞うだろう」
「それもそうね。ラグロさんは最初からタエコさんをからかってばかりだったわ」
そう前置いて、セイラは現れたばかりのタエコが目覚めた時のことを話してくれた。
くしゃみが止まらなくなる薬をふりかけるだなんて……ラグロよ、お前は好きな子ほどいじめてしまう子供か。
「……とにかく、いまは一刻も早く仕事を終わらせて帰るぞ」
「それもそうですね。帰ったらタエコさんが死んでいた、とか、後味が悪いですし」
「もお、ラグロさん!不吉なことを言わないでください!!タエコさんなら、大丈夫ですよ」
「そうだね。多分、タエコちゃんはーー」
そこまで言いかけて、デュオは口を閉ざして後ろへ振り向く。
魔物が現れたのかと俺たちもその視線を追うが、暗闇が広がるだけで、なんの気配もない。
いったいなんなんだ、と、俺たち三人が顔を見合わせた時だった。
「……タエコちゃんの匂いがする」
そう、ポツリとデュオがつぶやいたかと思えば、デュオはそのまま走り出した。
「デュ、デュオさん!?」
「ラグロ、セイラ、追うぞ!!」
「わかってますよ!」
情況をつかみきれていないセイラの手をつかみ、俺たちは走り出す。
デュオに混じる魔族の血が、人を凌駕する五感を与えている。
タエコの匂いがするなど、嘘みたいな話だが、デュオが感じたと言うのなら、それはおそらく真実だ。
タエコめ、仕事に集中したくて家にこもらせたのに、結局仕事が手につかなくなったではないか。
やはり、連れてこればよかった。
盆休みは実家に帰ったりなどバタバタしているので更新できるか微妙です。
週一更新を掲げて頑張ります!!